その日は朝から雨が降っていた。
時折止むこともあったのだが、上空は風が強いのか雲の流れが早くとも完全に止むということが無くて。
今だ小雨が降る放課後、伊波飛鳥は執行部部室で表の仕事を手伝っていた。
その場には一人では無く総代、九条綾人と参事、紫上結奈も居て仕事をこなしていた。
しんとした室内に紙をめくる音、筆記具を走らせる音などが聞こえる。
指示と確認と九条の発言に対する紫上の突っ込み以外会話らしい会話も無く。
比較的穏やかに業務はこなされていった。
手書きの書類の打ち直しを終えて、伊波は固まりかけた肩をぐるぐると回す。
顔を上げてみれば映る窓の外、もはや小雨とも呼べないほどに弱まった雨足。
霧雨が漂うようなそれに帰る頃には止んでいるだろうか、と伊波は窓の外をうかがった。
関係者以外近寄る事も無く、関係者でも出来得る限り近寄らない人がいる為に静かだったここ執行部部室。
何か近付いて来ているような気がして耳を澄ませた。人の声のほかに時折子犬の鳴き声混ざっているようだ。
思い当たる組み合わせはただ一つ。注目してしまった入り口にバタバタと足音が近づき、ばん、と勢い良く扉が開いた。

「飛鳥ちゃんいる〜?」
「どうしたの、琴ちゃん。」

予想通りの人物の来襲に伊波は笑う。今はトレードマークの傘を畳み、ぱたぱたと元気良く真田琴音は近づいてきた。
足元には真田の友達、子犬のアルも一緒だ。
「いいものみせたげる!いこ!」
何処へ?と聞いてくる伊波の問いにも答えずぐいぐいと真田は腕を引く。
そして顔だけ九条達の方を向け満面の笑顔を浮かべて言った。

「ねぇ、一緒にあーやとゆーちゃんもいっしょにいこ!」
「おお、では……」

笑顔で何か言いかけた九条を紫上が遮った。
「ごめんなさい琴ちゃん、綾人様と私はまだやらなくてはいけない事が残っているの。」
寄越された視線で口を閉じた九条は紫上の後ろで何か考えるとすす、と音も無く後ずさる。
とても残念そうな真田に気を取られその場にいる人達は九条の動きに気付かない。
アルはこちらを見ていたが吠える事もせず、ただ尻尾を振っていた。
「また次の機会にお願いしますね。」
しゃがんで真田の視線に合わせて紫上は言った。
では伊波くん琴ちゃんの事お願いします。そう言われて二人は紫上に見送られた。
「さ、綾人様続きを……」
そういって振り向いた紫上の目が点になった。さっきまで確かにいたはずの九条の姿が無い。
綾人様?もう一度呟いた言葉は半分ほど開いた窓から流れる風に流されていた。


真田に引っ張られながらも伊波は付いていく。
霧雨が降ってはいたが傘をさすほどでもなかったので、そのまま校庭を横切って校門を潜り抜け町中を行く。
何時からか後ろから続く足音に振り向くと先程執行部部室で別れたはずの人が走っていた。

「……どうして居るんですか九条先輩。」
「ああ、おとり御苦労。」

窓から抜け出してきたのだと、悪びれなくいう九条は用意周到にも外履の靴まできちんと準備していた。

「勝手に人を陽動に使わないで下さい。紫上さんが怒りますよ。」
「今更言っても仕方があるまい?」

とても楽しそうに九条は笑う。確かにここまでついてきてしまった以上意味が無い。
目的地が何処かはわからないが、郷内で有ることには代わり無いだろうからそっちの方が近いかもしれないし。
その前に真田が目的地に着くまで九条を帰さないかもしれないが。
今頃部室で怒っているであろう紫上の事を思うとちょっと恐いのだが。
溜息をついている伊波とは別に同行者の増えた真田は喜んでいる。
「こっちこっちー!」
二人の腕を引っ張って天照郷で一番見晴らしの良い場所へ。見下ろさなければ空と山しか映らないそこ。
藍碧台から広がる郷の上に大きな光の橋が架かっていた。薄く光る雲を背景に僅かに欠けた半円を描いた虹。
端の方は輪郭を崩しかけてはいたがなかなか大きなものだった。
「ほう、大きいな。」
まだ微かに降る霧雨でほんのり湿った髪をかきあげ九条は見上げる。
隣に立った伊波も本当ですね、と言って九条に倣っていた。
「さっきアルといっしょにきてみつけたの〜。」
飛鳥ちゃんにおしえてあげようとおもって、琴いそいだんだよ〜。
真田はそう言って両手で伊波にぶら下る。下がられた当人は微かに笑って礼を言いながら腕を上げて宙に浮かせた。
「一人占め……ああ、この場合は一人と一匹か。しようとは思わなかったのか?」
九条は楽しげに真田に聞いてくる。何か返って来る答えが判り切っているかのようなその様子。

「みんなでいっしょのほうがたのしいもん!」
「違いない。」

からからと笑って九条は腕を組んだ。

「ゆーちゃんもこれればよかったのにね〜。」
「……紫上さんはお仕事があるからね。」

言外に含みを持たせてちらりと横目で九条を見てやれば、当の本人は聞かなかったふりで虹を見上げている。
切れ間が広がり、差す陽射しが強さをますにつれて、端から段々と薄くなり、それは消えていく。

「あ〜、きえちゃう〜。」
「また見れるよ。」

残念がる真田の頭を撫でながら伊波は言った。


もはや残す所三分の一程となったところでそろそろ戻るかということになった。
三人は一路学校へと戻る。伊波と九条の荷物は執行部部室にあるし、帰るにしても寮も同じ敷地内に有るからだ。
途中で真田は今日のお礼にと伊波に飲み物を買ってもらい喜んでいた。
九条と伊波は少し遠回りをして――距離的に大した違いは無いが――真田とアルを白鷺寮へと送り届けた後、執行部室へと戻る。
未だ明るいのにそんな事をした理由は言わずもがなで。
遂に辿り着いた部室の扉前で九条は少し立ち止まった後、表面上は何事もなく内面では意を決して扉を開けた。
「あら、御帰りなさい。伊波君、宗家。」
手に持ったプリントの束を机の上で整えながら、紫上がにこやかに出迎えてくれた。
九条に対する呼び方が他の生徒が一緒にいる時と違う事を除けば、だが。

「ただいま、紫上さん。」
「ただいま、結。」

ひとまず返事をしておいてから先に九条を入らせて伊波は扉を閉めた。

「琴ちゃんの用事は、どうでしたか?」
「大きい虹が掛かっていてね、それを教えに来てくれたんです。今度誘われたら紫上さんも一緒に見に行きましょう。」
「まぁ、そうだったんですか……そうですね、次があるなら、是非。」

伊波の言葉に紫上は嬉しそうに微笑んで、頷いた。
そしてくるりと九条の方を向くと種類の違う笑みを浮かべる。

「では今から宗家には。」
どんっと音を立てて分厚いファイルを机の上に乗せる。しかも複数冊だ。
「此れだけ仕上げていただきますので。―――休憩は取られたようですので構わないでしょう?」
全てこなしたなら帰って頂いても構いませんので。
そう言ってにっこりと笑う紫上の後ろに何かが見えるような気がする。

「伊波君、今日は有難う御座いました。また明日お願い致しますね。」
「……え、ああ、はい。また明日。」

後ろの九条が何か言いたそうだが、伊波はそれは見なかったことにした。
帰り支度を整え、部室から出ようとした時にポケットの中の物を思い出し慌てて取り出す。
「すいません、少し冷えてしまったかもしれませんが……」
渡したのはまだ暖かな缶のカフェオレ。目を丸くした後、礼を言って紫上は受け取った。
「有難う御座います、伊波君。ご馳走になりますね。」
先程九条に見せたのとは違う、実に柔らかな笑みだった。


次の日の執行部部室内で九条は何かとてもくたびれた様子で伊波に張りつき倒し。
それを振り払う事が出来ないで手伝っている伊波の姿が見掛けられたということだった。





た、短文が短文では無くなってしまいました(笑)
おかしいなあ。
やっぱり、この三人好きです。



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