佐藤香織の伝説はこのように語り継がれる・・・

 佐藤香織は来栖川重工HM開発室で「HMX-14」の試作機として開発された。
 佐藤香織は、1歳のときもよくたれていた。
 ある朝、起きてみたら猫耳と猫しっぽが生えていた。
 佐藤香織は「おバカさん♪」と太陽に115回つぶやいてみた。
 8歳、グッドデザイン賞が与えられる。
 佐藤香織16歳、学校で先生を「お母さん」と呼んでしまう...。 恥ずかしさのあまり3日間不登校。
 「攻め」の反対語は「守り」なのだが、「受け」と勘違いしたまま11年間生きてきた。

 19歳の時、50年戦争に参加。活躍したかどうかは定かではない。
 「ミノフスキー粒子の濃度が高いため、佐藤香織の位置が掴めません。」
 全く、オールドタイプは始末が悪い。
 ある朝、起きてみたら左腕がドリルになっていた。
 26歳のとき、クルダの傭兵として活躍。
 一騎当千の闘士となり「ブラックハウリング」を名乗る。しかし、それくらいではめげなかった

 27歳の時、FDDを標準で非搭載となる。まさに棚からぼた餅、である。
 30歳にして妄想族の一員に!!以後、妄想族特攻隊長として恐れられた。
 確かに、「飛べない鳥」と言えば佐藤香織かダチョウぐらいのモノかもしれない。
 42歳にして、「気持ちはいつも14歳」と豪語していた。
 貞子は生きていた。というか、貞子の正体は佐藤香織だった。
 50歳の夏、1年間の育児休暇を取得。

 52歳。このころの合言葉は「殺られる前に殺れ」
 [V−MAX発動!」53歳の時、ついに蒼き流星になる。
 57歳の時NIKEから佐藤香織モデルが発売される。イメージカラーのオレンヂを基調にしたもの。
 以上の記述は、民明書房「中華料理と佐藤香織の不思議な関係」、「三日でわかる佐藤香織」より抜粋
 佐藤香織は65歳の頃、急に古代ヘブライ語を話すようになる。

 しかし、それは世を忍ぶ借りの姿。
 83歳のとき、銀髪で青い瞳の美少年に『お前が欲しい』と言われた。
 そして佐藤香織は83歳のときに、闇の魔導師を引き継いだ。
 そう簡単には死なせない。3マスもどる。



この文章はHP“新たなる 伝説 〜生涯の全部の一部〜”から
おもしろかった文章をつなぎ合わせてそれらしく作ったものです
ホントはこんなに長くありません

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