ACT−1 ファーストコンタクト

 召集されて真っ直ぐに王立派遣軍を目指したのだが、慣れない土地がヴィクトールの方向感覚を微妙に狂わせ、気がつくと、聖殿を下に見下ろす小高い丘へと辿り着いてしまっていた。
 見渡す限り人の通りは少なく、また、そろそろ日も暮れようとしている時間帯のため、道を尋ねるという事すら出来なかったが、多少のサバイバルは長い軍人生活で経験済みな彼は、対して慌てなかった。慌てない理由に召集されたといっても、まだその日時までには2,3日程余裕があり、時間を気にしないで入られたとも言える。
 ふと、周りを見渡すと人一人が十分入れるぐらいの洞がある大きな樹木が目に付いた。雨露ぐらいは凌げるだろうと思い、樹木の方へと歩を進めるうちにヴィクトールは、妙に心が少年だった頃に戻ったかのようにワクワクとしているのに、気付き知らず知らずのうちに苦笑を浮かべていた。
 洞は大柄なヴィクトールが入るのも十分な広さを持ち、心なしか居心地よく整理されているような気がした。暗闇に慣れた瞳が辺りを伺うと、ここを隠れ家にしている住人がいるらしく、小さなブランケットと非常食にと置いてるのか、少量のお菓子がバスケットの中に納められている。その持ち物から察して、ここに訪れるのが少女なのだろうと予測し、自然とヴィクトールの精悍な貌に笑みが浮かぶ。

 グゥー、キュルキュル

 お菓子の匂いにつられて、盛大な音が洞の中に鳴り響き、周りにだれもいないというのに、辺りを見渡してしまったのは、やはりばつが悪いためだろう。そういえばと、今日最後に食事をしたのが、随分と前だったと心の中で言い訳をし、これが戦闘の最中なら気にならないはずだと自覚した、ヴィクトールは、顔を赤くさせた。そして、ばつの悪さから逃れるかのように、その洞の中に入り込み、手荷物の中から使うことはないだろうが、持っていて損はないだろうと無造作に詰め込んだ毛布を取り出して、それに身を包み、気が咎めながらも、暖を逃がさないために洞の中にあった小さなブランケットを借用すると床に引き、お菓子に背を向ける格好で眠り込んだ。


 起き抜けに目にしたのは、朝日の光を反射したハニーブロンドと、樹木の葉より青々としたエメラルドグリーンの瞳を持つ少女の明るい笑顔だった。
「こんなところで寝ていると風邪引いちゃいますよ」
 こんなところと言われて、今どこに寝ているのかを思い出した。と同時に、長い軍人生活で、熟睡していても気配が動けば、目が覚めるように訓練していた自分がこんなに近くに人が近付くまで気付かなかったという事実を受け入れられない気持ちで、その少女を見つめ返す。
 そんなヴィクトールの気持ちなどお構いなしに、彼女は明るい・・・明るすぎる声で話の続きを先の方まで繋げていた。
「私もよくここで、お昼寝をしますけど、いくら聖地が温暖な気候を保っているて言っても一晩をここで過ごすのって無謀ですよ」
 普通なら不審に思われてもしょうがない状況にいるヴィクトールを、不審とも思っていないのか無邪気に話しかける少女。
「何故一晩ここにいたのが判ったのかって顔に書いてますよ軍人さん。そんなに不思議がらないでくださいね。だってここは、私の隠れ家なんですもの。昨日私が来た時にいなかったし、朝露に髪が濡れているていう事は、昨日の夜からここにいたってことですもの。そう推理すると・・・ねっ、不思議じゃないでしょ」
 ニッコリと笑ってキッパリと言い切られ、ヴィクトールは苦笑するしかなかった。
「・・・お嬢さんの推理どうりだ。で、もう一つ質問、どうして俺が軍人だと気がついたんだ?」
「私の知っている人で王立派遣軍で働いている人がいてね。その人と同じ雰囲気を持ってたから・・・、あっ、外見とかじゃなくて、あくまでもイメージが似てると思ったのよ。軍人さん?」
「まぁ俺は軍人なんだが・・・、その『軍人さん』と呼ばれるのは抵抗があるんだが・・・」
「じゃぁ、私は何て呼んだらいいのかしら?」
 少女の無邪気な質問に、一瞬自分の名前を教えてしまったら、普通に接してくれないかもしれないと彼の脳裏に躊躇いが生まれる。久しぶりなのだ。こんな風に接してくれる人間に出会ったのは・・・。その躊躇いが表情に出てしまったのか、少女は首を傾げながらヴィクトールを見つめている。
「・・・・ヴィクトールでいいさ」
 それでも、その少女には自分の名前を呼んでもらいたいと思ってしまい、無意識のうちに自分の名前を告げていた。
「いい名前ですね。じゃあヴィクトールさんって呼んでもいいですか?」
 いつもなら、ここで軍人でヴィクトールという名を持つ顔に傷がある男でヴィクトールの事を「悲劇の英雄」と連想し、それまでの接し方と一歩引いた話し方をするのが常だった、しかし、無邪気な少女は、何の抵抗もなくヴィクトールに尋ね返す。ありのままの自分を受け止めてくれた少女の・・・、その反応がヴィクトールには新鮮だった。
「あぁ、そっちの方で呼んでくれるとまだ助かるよ。・・・・お嬢さん」
 目の前の少女に名前を呼んで貰えるのが、何故か照れくさく、でも妙に嬉しかった。が、目の前の少女の名前を聞いていないことに気付き、改めて尋ね返えした。
「そういえば、君の名前を聞いてなかったな。もし、良かったら教えてくれないか?」
 何気なくヴィクトールから出た言葉。その言葉に一瞬少女の体が強ばったように感じたのは、多分気のせいではないだろう。たわいもないその言葉に何故、その少女が緊張してしまう要因があるのかは判らないが、教えて貰えないのは残念だなと独りごちて、ヴィクトールは、緊張で体を強ばらせている少女に言葉をかけた。
「別に無理に・・・とは、言わないが・・・・。」
 表情は変えず、少女に負担を掛けないように気をつけていたが、落胆の色をした声は抑えることができなかった。
「後、聖殿へ向かう道を教えてくれないか? 二日続けて野宿は避けたいからな」
 少しでも、話を逸らそうとヴィクトールにしては、珍しくおどけた口調で尋ね、少女の顔をのぞき込む。出会った時の笑顔が少しでも見たいと願いながら・・・。
「・・・ジェリーク・・・・、アンジェリーク・リモージュって言います。アンジェって知り合いの人たちは呼んでくれます」
 ギュッと手を握りしめ、本の少しだけ泣き出しそうな表情を浮かべてアンジェリークが小さな声で呟いた。そこにあるのは、少女らしからぬ表情だけ・・・で、見ているこちらまでが胸が痛くなる。そんな表情だった。
 アンジェリークにそんな表情をして欲しくなくて、さっきまで見せてくれていた、見ている者全てを幸せにしてくれる笑顔を取り戻したくて、ふと気付けば、少女を腕の中に抱き寄せていた。
「君に似合っている良い名前だ。だから、無理して笑わなくてもいい」
 覗き込んだ少女の顔は、微妙な表情を浮かべていた。笑顔にも取れるが、泣き顔にも見える表情。少女らしくないその笑みにヴィクトールの胸が痛む。腕に包む力が自然と強くなってしまったのに気付かないままにヴィクトールはアンジェリークに告げる。
「えっ、・・・私泣いてます?! やだ、どうしよう、あれ・・・、なんでぇ? 涙が止まらないよぉ。あっ、すいません。私ったら・・・、ヴィクトールさんの服が濡れちゃうから離して」
 相変わらず警戒という言葉を欠如しているアンジェリークは、どこか的外れな事を告げながら、すまなさそうに体を小さく丸め、ヴィクトールを見上げた。その姿は、捨てれられた子猫のようで・・・、元々捨て犬、捨て猫、子供に弱いヴィクトールが無視できるようなものではなかった。
「別にそんな事は気にしないさ。だが・・・な、泣きたいのに泣くのを無理したり、笑いたいのを無理して笑わなかったり我慢するのは、君にはまだ早いと思うぞ」
 もし、ヴィクトールの仕草や言葉にからかいがあれば、アンジェリークは怒ってしまったかもしれないが、彼から読みとれるのは彼女を心から心配する気配だけだった。
 それが、アンジェリークの心に深く浸透する。
「ダメ・・・ですよ。甘やかしちゃ。そうでなくても、こうやって普通に話すのが久しぶりなのに・・・。そんな風に言われちゃったら、涙が・・・止まらないよぉ。もう、やだなぁ・・・」
 クッスンと鼻をならして、アンジェリークは泣き笑いの表情でヴィクトールを見詰め、甘えさせないでと言い募る。
 ヴィクトールから見れば、まだ親の保護を必要としている少女が、無理に一人で何もかも背負い込もうとするその姿は痛々しすぎて、差し伸ばした手を引っ込めることはできなかった。例え、その手を少女が必要としなくても・・・。
「何が、そんなに君を傷つけるんだ? 名前を呼ばれることや普通に話すことさえ禁じられてるとでも言うのか?」
 それこそアンジェリークに名前を呼ばれることや普通に話すのを禁じている人物を聞き出したら、殴り込みに行きかねない剣幕で尋ねられて、アンジェリークはキョトンとした顔でヴィクトールを見詰めることしかできなかった。
「・・・・」
「そんな莫迦げた話に付き合う必要はない。特に名前って奴は、ご両親が一生懸命考えて君に付けたものだ。そして、自分が他人から認識してもらうためにも、自分を他人と区別するためにも必要なものでもある。君は人形じゃない、だから嫌だって言ってもいいんだぞ。アンジェリーク」
 自分の事のように憤るヴィクトールの姿に、アンジェリークは掛ける言葉すら見つけられず、ただただ彼を見つめるだけしかできなかった。
「アンジェリーク?!」
 呆然と自分を見つめる翡翠の瞳に気が付いて、ヴィクトールが少しトーンを下げて声を掛けた。白い手袋越しの暖かな温もりが、ポロポロと流れ落ちる涙を拭ってくれる。そんな些細な優しさが、アンジェリークの凍えた心を包み込む。
「・・・アンジェリーク」
「ご・・・ごめんなさい。名前を呼んで貰えるのがこんなに嬉しいなんて忘れてたから・・・。でも、ヴィクトールさんは誤解しています。私の周りにいる人たちはみんな優しくて、優しすぎるから・・・名前を前みたく呼んで貰えないのは寂しいです、・・・けど、私が選びました。今の私を、だから、そんな風に怒ってくれなくてもいい・・・です」
「だが、君は今どんな顔をしているか鏡を見てからもう一度その言葉を俺に言ってくれないか? そんな風に張りつめなくてはいけないほど、我慢しているのに? 本当に名前を呼ばれなくてもいいと言い切れるかい?」
「それでも、私は自分が選んだことを後悔している・・・なんて言えません。・・・ううん、後悔なんて絶対してないです。それに、・・・次にヴィクトールさんが私と出会ったら、皆と同じように変わってしまうもの。だから、これ以上優しくしないで・・・」
 零れ落ちる涙を拭いもせずに言い放つ少女の姿は、ヴィクトールには痛々しい姿にしか見えない。だがその中に彼が入り込めない何かがあるのを感じ取り、スッと瞳を細め今だ泣き止まない少女を見詰め返す。そして苦笑を表情には出さないようにと隠しながら、アンジェリークの印象を僅かに訂正する。明るく元気の良い普通の少女という第一印象から、明るく元気の良いという点は相変わらず変わらないが、つよい少女だと思った。今回は偶然から彼女の弱い部分を見ることができたが、多分彼女の周りにいる人間に気付かせないほど彼女は明るいのだろう。実際ヴィクトールは騙される所だった。その天使の微笑みで・・・、誰もが魅了されるその笑顔でそれ以上の立ち入りを許さない、つよい少女だと。しかし、傷ついた少女の心を癒してくれる存在はいるのだろうか? とも思う。もし、いないのなら、護りたいとも思っている自身の想いに僅かばかり驚ている。今日初めて出逢ったばかりの少女なのにも関わらず、ヴィクトールの保護欲を擽る存在なのだアンジェリークは・・・。しかし、何を思って断言するのか判らないが、彼女は言う『あなたもきっと変わってしまう』と・・・。が、彼女を取り巻く環境はヴィクトールが想像つかないほど、日常で当たり前の・・・それこそ意識しないほど何気ない事である「名前を呼ばれる」とか「普通に話す」状況なのだろうと推察できたからこそ言葉が詰まってしまう。「変わらない」と言い切るには、彼自身が身をもって体験しているだけに言えなかった。
「・・・あのね、ヴィクトールさん聖殿へ行く道は・・・・」
 もうそれ以上の話し合いは必要ないとアンジェリークは判断したのか、涙に潤んだ瞳を軽く伏せてから、ヴィクトールに話しかける。
「・・・・・あぁ」
 しかし切実に知りたかった話題にも関わらず気のない返事を返してしまったのは、ヴィクトールが痛ましげな少女から目が離せなかったからかもしれない。そんなヴィクトールの心情を察ししたのか、アンジェリークは、物の見事なまでな天使の微笑みで告げる。
「この道をずっと歩いていくと占いの館の裏にでるんです。そこまで行けばどの道を通っても聖殿へ向かうようになっているので、今度こそ迷わずにたどり着けますよ」
 誰もが見惚れてしまう天使の微笑みで、『この話は止めましょう』と声なき声で告げる。彼女の心にそれ以上近付くのをやんわりとその微笑みで止めるのだ。

 もし、その時にヴィクトールの自己主張が激しい空腹を知らせる『グル、グ、ルキュ〜』という、緊張感を削ぐ音が鳴らなかったら。
 もし、その音にアンジェリークが素顔で笑わなければ、次に二人が再会した時に、きっと平行線を歩くことになっていただろう。

 盛大に音を鳴らしてしまったヴィクトールは、気まずそうにアンジェリークを見詰め、アンジェリークは最初音の意味が判らず、キョトンとヴィクトールを見詰め返し、先程の会話を思い出して、クスクスと花のような笑みを浮かべ笑い出した。
 そして、ここへ持ってきたバスケットを開け、一緒に食べませんかと誘う。
 ヴィクトールには断る理由はなく、ただただ気恥ずかしげに、少女の側に腰を落とし、差し出された可愛らしく色どられたランチをご馳走になった。

 そして、占いの館の裏まで一緒に歩き、大通りに入る手前で少女が彼と彼女のファーストコンタクトとなった。

To be continued

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