窓の外の景色は、動いてはいたが、いつまでたっても同じ海が広がっているだけだった。初めはその景色も珍しがって眺めていたが、やがて飽き、ナオミは大きな窓から離れる。
 金髪のシンタローが出て行ってから一人で酔いをさましていたが、お酒が抜けると退屈でたまらなくなってきた。
 この殺風景な部屋には、本も遊び道具も何もない。いつも一人でいたナオミだが、こんなところではさすがに暇を持て余してしまう。叔父のハーレムに何か暇つぶしになるものを借りようとも考えるが、やっぱり怖くて行きたくはない。
 いろいろなことについて考えることも、今はやめておきたかった。確かに考えるべきことは多いけれど、暇なときに考えすぎると深みにはまって大変だから。
 ナオミはドアに手をかけた。
 自由を奪われて、ケガを負っていたティラミスとチョコレートロマンスの様子を見に行こうと思い立ったのだ。

「ナオミ様・・・」
 ナオミは唇をかむ。
 二人は、さっきと同じように、冷たい床の上に座らされていた。
「ティラミス・・チョコレートロマンス」
 今度は自分で扉を閉め、二人の前にひざをつく。
「ハーレムおじ様に、手かせを外してくださいって言ったのに」
 鎖のついた金属の手かせは、両手首に食い込んでいて、見ているだけでも痛ましかった。
 また涙が出そうになってしまって、泣き虫な自分に呆れてしまう。
「ナオミ様、ここにいらっしゃっては、いけませんよ」
「お戻りにならないと」
 いつもと同じ、優しい言い方。こんなに、ひどい目に遭っているのに。
 とうとうまぶたが熱くなって、ナオミは大きな涙を頬にこぼしてしまった。
「また、どうして、泣かれるんですか」
 慈しみを込めて、チョコレートロマンスは言う。
「今はこの通りで、ナオミ様の涙をふいて差し上げることができないんですから・・・」
 少し両手を持ち上げてみせると、重い鎖がカチャリとなった。
「・・・・!」
 歯をくいしばっても、涙は止まらない。
「ティラミス・・チョコレートロマンス・・っ」
 身を乗り出し、ナオミは両手を伸ばした。チョコレートロマンスの淡い色の髪に触れ、そのまま首に両腕を回す。
「ナオミ様・・・」
「・・かわいそう、こんなに・・・されて。ひどいわ、ハーレムおじ様・・・」
「ナオミ様」
 ナオミのブラウンのカーディガンをひざにかけたままのティラミスも、ナオミの方に身を傾けるようにして、
「泣かれては、困ります」
 一生懸命に、言った。
「我々のことを、ここまで気にかけてくださることはないんです」
「どうして・・っ」
 しゃくり上げて、ナオミは両手をひざの上に下ろす。赤くなった鼻の頭がまるで子供のようで、ティラミスの心はしめつけられた。
「我々は、マジック総帥の部下に過ぎないからです」
 うるんだ青い瞳を見てはいられなく、目をそらす。
「総帥の姪でいらっしゃる貴女が、兵隊の一人や二人のことを、こんなにまで・・・、そんな必要は、どこにも・・・」
「必要とか、そんな問題じゃないのよ」
 涙声でむせびながら、ティラミスの冷たい手に触れる。
「ただ、黙っていられないの。だって、あなたたちは、いつも私のそばにいてくれたもの」
 とめどない涙を止める術もなく、ただそのままに、“兵隊”を見上げた。
「私・・、いつも部屋から出られなかったから、あなたたちだけが・・・。ティラミス、チョコレートロマンス・・・」
 言いたいことを、うまく言葉にできない。
「・・だから・・・」
「ナオミ様」
「そんなこと、言わないで・・・。私を、ひとりにしないで・・っ・・・・」
 ますます大粒の涙をこぼし、ナオミは声を詰まらせた。
「お気を、落ち着かせてください。ナオミ様」
 どうすればいいのか、ティラミスたちにも分からない。
 まだ少年の頃にナオミの世話役を言いつかってから、常に彼女に対しては機械的に接することを求められていたのだ。
「ナオミ様、あなたをおひとりになんて、我々もしたくはありません」
「そうですよ。ナオミ様のことは、大切に思っているのですから」
「・・・ティラミス、チョコレートロマンス・・・」
 バタン。
 扉が乱暴に開かれ、廊下の光が急に室内に入ってきた。
「話し声がすると思ったら、これは、お嬢様」
 ふざけるように言って、一人の男が戸口にもたれた。短い黒髪にメッシュを入れて、レザーの服で全身を固めた男だ。
「ナオミお嬢様かァ・・・生で初めて見るぜ」
 好奇心もあらわに、ドアから離れる。部屋の中央まで進み入ると、腰を曲げ、ナオミの顔を覗いた。
「こんな奴らより、俺が相手してやりますよ、お嬢様」
 近くで見ると、男の頬には鋭い傷跡がある。
 ナオミは、避けるように立ち上がった。恥ずかしさでか、怒りでか、涙の名残か、顔を真っ赤にして片足を引く。
「ナオミ様に対して、無礼だぞ」
「そうだ、口を慎め」
「うるせぇ、無能者ども!」
 男は怒鳴り、ティラミスのひざもとを足で蹴りつけた。ガッ、と鈍い音がする。
「やめてっ!」
 ナオミは慌てて声を張り上げた。
「乱暴はやめて」
「ハイハイ、お嬢様」
 ニヤニヤして、男はナオミの方に向き直った。
 よく見ると、まだ若い。自分より年下のようだ。
「あなた、ハーレムおじ様の部下なの?」
「そういうこと」
 腰に手を当て、ぞんざいに答える。
「ガンマ団特戦部隊のリキッドです、ナオミ様」
 ふざけた態度でナオミの手を取り、顔を近付けた。
「お見知り置きを」
「・・・」
 黙って、手を引く。
 ガンマ団特戦部隊は、ハーレムを隊長とするガンマ団最強の戦士たちだ。ナオミは初めて見たが、あまりに例を欠いた言動には不快感しか覚えない。
「リキッド、ティラミスとチョコレートロマンスの手かせを取ってください。ハーレムおじ様に話したら、外してくれるとおっしゃったわ」
「へえ、そうですか」
 ちらりと二人を見下ろして、リキッドは鼻で笑う。
「じゃ後で外しておきましょう。そりよりお嬢様、本当に、オレと遊びませんかぁ」
「何を・・・」
「イイコト教えてあげますよ」
 また手を出し、ナオミに触れようとする。
「やめて」
 泣きぐせがついたみたいで、また涙が出てきそうになった。
「おやおや」
 リキッドは腕組みをして、くっくっくっ・・・と笑った。
「冗談でしょーが。本当のお嬢なんだなー」
「リキッド・・・!」
 ティラミスたちが何か言いかけたとき、外からもう一人のレザーの男が入ってきた。
「リキッド、いい加減にしろ」
 細くて背の高い、目元の鋭い男だ。
「ナオミ様は隊長と総帥の姪御だ。無礼すぎるぞ」
「けっ。分かったよ、マーカー」
 ニヤニヤしたままで、マーカーという男の脇を通り抜ける。
「ナオミ様のお達しだ、そいつら自由にしてやれとよ」
 最後まで乱暴なしゃべりを改めず、部屋を出た。
「ナオミお嬢さん、今度二人きりでお話しようねー」
 マーカーににらみつけられるまで、ドアのかげから手を振って、リキッドはようやくその場を去った。
「あいつ・・・」
 マーカーは舌打ちをしてから、ナオミに軽く頭を下げた。
「失礼しました、ナオミ様」
「ええ・・・。あなたも、特選部隊?」
「はい。マーカーです」
 リキッドとは正反対で、一応の礼儀をわきまえた、口数の少ない男のようだ。
 しかし、この黒い皮ジャンが、ガンマ団特戦部隊の制服なのだろうか。
「マーカー、ティラミスたちを自由にしてあげて」
 困ったように、マーカーは眉を寄せた。
「しかし・・・」
「ハーレムおじ様から、私が許可をいただいたわ」
 マーカーは鋭い目を床の二人に向ける。
「そうですか」
 細い体を屈めて、カチャカチャと手かせを外し始めた。
「・・・つっ・・・」
 赤くなった両手首をさすりながら、ティラミスたちは顔を上げる。
「ありがとうございます、ナオミ様」
 ナオミは微笑んで、軽くうなずく。
「おまえたち」
 マーカーの厳しい声が割り込んだ。
「この部屋から出て勝手に動き回るようなことはするな。そのときは、それくらいのケガじゃ済まないぞ」
 ナオミは抗議するような目を特戦部隊の男に向けたが、マーカーは取り合わずに、無視して行ってしまった。
「すみません、ナオミ様」
 ティラミスとチョコレートロマンスは、よろめきながらも何とか立ち上がる。
「私たちのために、ここまでお心遣いいただいて」
「ううん。とにかく、外してもらえてよかったわ」
「ナオミ様」
 ティラミスが、ナオミの正面に立った。
「ごらんの通り、我々は特戦部隊に対しては全く無力です。残念ですが、ナオミ様のおそばにお仕えできないのです」
「ティラミス」
 どきりとして、ナオミは自分の胸を押さえた。
 そんなことを言わないで欲しかった。
 叔父の悪ふざけと、先程のリキッドの乱暴な話しぶり、そしてマーカーの厳しい態度を思い出す。
 ・・・誰も、自分を、守ってくれない・・・。
「ひとりなの、私・・・?」
 胸に手を当てたまま、床面に目を落とす。
 マジックの部下たちも、己の無力さをのろい、愛すべき可哀相なお嬢様から目をそらした。

 一人きり元の部屋で窓辺に立ち、ナオミは夕陽を眺めていた。
 空も海も、太陽も。全てが濃いオレンジ色の世界だった。ナオミの頬や、髪までも。
 激しさのない、優しい風景。
 いつだったろう。こんなオレンジ色に染まって、こんなふうに一人で立っていた、あのとき。幼い頃だろうか。それとももっと前?
 デ・ジャ・ヴュ。生まれ変わり・・・魂の輪廻。
 本で読んだいろいろなことがらを思い出すが、それらは頭の中をすっと過ぎていってしまった。
 目を細めて、ナオミはしめつけられる胸からこみ上げる気持ちを、全身で感じていた。
 夕焼けは孤独さえも、甘く優しいものに変えてしまう。
 こんな甘い孤独を知らずに、今まで生きてきたのに。

「ナオミ」
 夕陽を眺めていたので、後ろから名を呼ばれても、それほど驚きはしなかった。だけど振り向きもできないで、窓の外に目を向けたまま黙っていると、男はナオミの隣に立った。
「何をしている?」
 ゆっくりと見上げると、シンタローの金髪も同じ色に染まっている。
 彼は空や海などには目もくれず、ナオミの答えを待っているようだった。
「・・・夕陽を・・・」
「・・・・」
 逃れられない。もう一人のシンタローの、青い瞳の呪縛から。
「おまえ、何をそんなに恐れている」
 髪を撫でるようにされても、ナオミは逃げなかった。逃げられなかったのだが、不思議と嫌悪感は感じない。心は波立たず、外の海のように穏やかだった。
「秘石は俺のものだ。そして俺はガンマ団を、いずれは世界を手に入れる。何でも思うままになる」
「・・・・」
 世界征服。マジックと同じだ。彼らの考えは、ナオミには少しも理解できない。
「ナオミ、おまえも、俺のものだ」
 容赦ない、青い瞳。近くで見れば見るほど、マジックにそっくりの。
「私は、モノじゃないって言ったわ」
 微妙に、目をそらす。
「心まで、あなたのものになるわけないのよ」
「どうして」
 肩に手を置かれても、心の底から拒めない。・・・なぜ?
 男の腕が、次に背中に回される。前の開いたレザージャケットに身体をくっつけると、やはりマジックと同じ感じがした。
「こうやって・・・」
 夢の記憶を手繰るようにたどたどしく、男は言葉を紡ぐ。
「おまえを、抱いた。・・・夏の日に・・・・」
 暑さの中で、気を失いかけた、あの日のこと。
 ナオミは目を閉じた。
 林の中で、熱い体を委ねたのは、この男にだったろうか。
「あなたが・・・」
「ナオミ」
 荒っぽく体を引き離し、ナオミの顔を上げさせる。
「どうして、俺の名を呼ばない?」
 ナオミは、気弱に視線を外した。
「ナオミ」
 言葉の調子が、少し優しくなる。
「あの男は、何か別の名を持っているはずだ」
 黒髪のシンタローのことだ。
「俺の名前で、もう、あいつのことを呼ぶな」
 青い瞳、金の髪。マジックそっくりの容貌は、それでもずっと厳しく、ずっとずっと哀しく見えた。
 ひとり、だったのだ。この人も。
 それに気付いたとき、空間に静かなオレンジ色の光が広がった。
 窓の外にあるはずの夕陽を、青い瞳の中に見ていた。
「ひとり、だったの・・・?」
「ああ・・・」
 すぐに答えたのは、きっと彼も、ナオミの瞳に同じ夕陽を見たからだろう。
「ひとりさ。・・・いつだってな。誰でも・・・」
 哀しくて甘い。そんな孤独。
「シンタロー・・・」
 ナオミは初めて、自分から、金の髪の男にしがみついた。
 夕陽の優しさ、悲しさと、夏の太陽のむせるほどの熱さが、金髪のシンタローの瞳の中で重なったから。
「ナオミ」
 再び細い体を抱きしめる。
「同情は必要ない」
 心の中を見透かされたようで、ナオミはどきっとした。
「秘石と世界を手に入れたら、その時に・・・」
 白い頬を、左手で包むようにして、シンタローはナオミを見つめていた。互いに夕陽の瞳を合わせる。
 何か言いたげに口を開きかけて、しかし結局は何も話さずに、金髪のシンタローはそのまま部屋を出ていってしまった。
 ナオミは置き忘れられたようにぼうっと立っていた。空を眺めるが、焦点が定まらない。いつの間にか太陽は水平線の彼方へ沈み込んでいた。夕焼けの名残を残し、空はほんのりと赤い。反対側から星を連れた闇が迫ってくるのだろう。
 なぜ、拒まなかったのだろう。
 二人のシンタローが、交錯する。
 黒髪の、朗らかで優しいシンタロー。
 金髪の、マジックにそっくりなシンタロー。
 愛したのは、愛されたのは、どちらのシンタローだったろう。
 二人のシンタローの向こうに、ナオミはあふれる夕陽の色を見ていた。たったひとり、ということを想いながら。
 シンタローの感触を、体の中に残したままで。

 夜が明ければ、パプワ島に着くだろう。
 一体その南国の島に、そして黒髪のシンタローに、どんな謎が隠されているのだろうか。
 
 

 

−おわり−

 あとがき



H11.1.27