DEPARTURES 8


 開いた扉の向こうに、希望が広がる。

 大きな舟を・・・みんなの故郷を、見上げていた。
 永い眠りから目覚め、蘇った方舟は、島の生物たちを乗せてそのときを迎えようとしている。
「ナオミ」
 最後に乗り込む前に立ち止まって、パプワはナオミを見上げる。ナオミは膝を曲げて、視線を同じ高さにしてあげた。
「シンタローに、これを渡してくれ」
 小さな手の中に、一輪の大きな花がある。
「これは・・・」
「炎の崖に咲いていた花だ」
「・・・わかったわ」
 両手でそっと受け取る。サボテンの花に似た、美しい光沢をもった花びらをいとしく見つめて、ポケットから出したハンカチに大切に包んだ。
「確かに、預かっておくわ」
「それから、伝えてほしい」
 パプワは背を向ける。
「ありがとな、って」
 決して下を向かずに、舟を見上げている。そんな小さな背中が、ナオミに更なる勇気をくれた。笑って、そして一緒に見上げてみる。そこに見えるのは希望で、広がっているのは未来だった。言葉も要らず、ナオミはパプワとしばし眺めていた。ハンカチを胸に持ったままで。

 いよいよ、別れのときがやってくる。
(いいえ・・・別れじゃなくて)
 出発のときだ。新しい世界への。
「さよならは、言わないわ」
「ああ」
 扉の向こうは外に繋がっていた。ノアの方舟が空に浮かぶ。太陽の光を受けた神々しいまでの姿に、ナオミの頬には知らず涙が伝っていた。
「元気で! パプワくん、みんな!」
 大きく、大きく、手を振った。
 ナオミの全身も光の輪に包まれる。髪も瞳も、涙も。ほっそりとした腕や脚も、全て。
 方舟の下で、輝いていた−。

「・・・ナオミ様」
 いきなり呼ばれて、驚いた。眩しい空から地底へと目を移す。一瞬、慣れなかった。
 わずかに残った涙を手の甲でぬぐってから、目をこらす。地底の陰に隠れるようにしていた者が、光の射すところまで歩み出てきた。
 闇に馴染んで見えたのは、その人の服装のせいだったと分かる。というのも、男は全身黒ずくめだったからだ。小柄な体に黒いマント、頭にはこれもまた黒の三角帽子をのっけている。
 ナオミは警戒をゆるめ、体の力を抜いた。くるんとカールしている淡い色の髪、可愛らしい感じの童顔は、見たことがあるものだ。彼はガンマ団員のはず。数年前に会ったことがある。
「あなた、確か・・・」
「名古屋ウィローですぎゃ・・・」
 ぎこちなくひざまずこうとするのをとどめて、ナオミはウィローを不思議そうに見た。
「どうして、ここに? 魔法で来たの?」
 魔法使いだということも覚えている。ウィローは何故かバツ悪そうに、帽子に手をやった。
「ワシ、ちぃーと事情があってにゃ、この島におったんですぎゃ」
 自分の作った薬を誤って飲んで、コウモリとして暮らしていたとは恥ずかしくて言えないウィローだった。
 何が効いたのかは知らないが、今魔法は解けてようやく人間に戻ることができた。島の者ではないウィローは舟に乗せてもらうことができず、ここに残されたというわけである。そして同じく残ったナオミを見て、どうしたものか悩んだ末、前に進み出たところだった。
「ナオミ様、ワシ・・・あやまらにゃあ・・・」
 声を詰まらせたと思うと、いきなり土下座をされてナオミの方が慌ててしまう。
「あっ、そんなことをしないで」
 しかし顔を上げようとはせず、ウィローはますます頭を深く下げた。
「・・・知らなかったんだぎゃ、あなたが、ナオミ様だったなんて・・・。だからあの日・・・!」
 8年前の、あの日。
 ガンマ団の中で珍しく女の子の姿を見かけたので、血をくれと迫った。女の子の血はある種の魔法に使えるから、是非とも欲しかったのだ。彼女は恐れ、逃げようとし、最後にとてつもない力を解き放ってしまった。
 女の子は、14才だったナオミ。そのとき初めて秘石眼を使い、辺りの林を破壊し尽くした後、気を失い20日もの間目覚めることはなかった。
「ワシのせいで、ナオミ様は部屋に閉じ込められて・・・長い間・・・!!」
 あのときは恐ろしくなり、逃げ出してしまった。その後、総帥の姪であるナオミが力を発現させたことにより部屋から出してもらえなくなったという噂を聞き、直接の原因が自分だという事実に耐えきれないほどの後悔を覚えた。それでも今まで、恐ろしくて自分だけの胸に納めてきたのだ。
「申し訳にゃあ、ナオミ様! 申し訳にゃあ・・・!」
 ナオミやマジックの怒りをかったなら、どんな報いを受けるか分からない。しかし、二度も逃げるわけにはいかなかった。詫びを入れない限り、この心が軽くなることはないのだから。
「・・・ウィローさん」
 ふわり、優しい空気の流れが魔法使いを包み込んだ。土についた両手に、たおやかな白い手を重ねられ、信じられない気持ちで顔を上げる。
 お嬢さんが、ひざをつき同じ目線で微笑んでくれている。あまりの美しさに目も眩むようで、自分の立場も忘れぽうっとしてしまった。
「手を上げてくださいな」
 例の事件のことは、20日間の眠りから目覚めたときにすっかり忘れていた。初めて力を使ったショックが記憶にも影響を与えたようで、ウィローのことすらも覚えてはいなかったのだ。
 だが、どういう作用なのだろう、青と赤の力を目覚めさせられたとき、同時に全てを思い出した。林で会った魔法使いのこと、生まれて初めての恐怖・・・。今までそれどころではなかったから、どうとも思わなかったけれど。
「ただきっかけになっただけ。なるべくしてそうなったのなら、あなたを責めることなんてできないわ」
 同じだった。パプワ島から連れ戻されたシンタローを、眼魔砲により撃ち抜いてしまった自分と。
 そしてまた罪悪感に責めさいなまれていたナオミに対し、シンタローもそんなふうに言ってくれたものだった。
 運命という舞台の上で、役割を与えられた役者に過ぎないのなら。誰が責め、裁いたりできようか。
「私がもともと持っていた力が、たまたま目覚めただけだもの。あなたのせいだなんて思っていない」
「ナオミ様・・・」
「それに、私は幸せよ。生まれてから今まで、ずーっと幸せなのよ」
 魔法使いが、魔法にかかった。
 ナオミの笑顔によって。
「・・・ありがとうございます」

「ウィローさん、ちょうどよかったわ。頼まれてくれるかしら」
「ええですぎゃ! 何なりと、頼まれますぎゃ〜〜!」
 マジックよりナオミの部下になりたい、と本気で思ってしまった。こんな綺麗な笑顔で下されるなら、どんな無茶な命令でも喜んで聞いてしまうだろう。
「あのね」
 白いハンカチに包まれた花を、そっと手渡す。
「これを、シンタローに渡してください。パプワくんの伝言と一緒に」
「・・・え?」
 一応、両手で受け取りながらも、ウィローは目をパチクリさせる。
「ナオミ様は?」
 自分で渡した方がシンタローも喜ぶに違いないのに。
「私は、まだやることがあるから。すぐにはシンタローたちのところへ帰れないの」
 光を集めた強い瞳の中に、固い決心を見た。何なのかは分からないが、魔法使い特有の鋭さがただならぬ雰囲気を察して、息を詰める。
「ナオミ様、まさか帰らにゃーつもりじゃあ・・・」
「・・・」
 うつむく。金の前髪の奥で、光るものがあった。
「ナオミ様」
「シンタローに、私の言葉も伝えてください、ウィローさん」
 ぱっと顔を上げる。ナオミはもう一度笑顔になり、希望の瞳をウィローに注いだ。
 
 
 
 
 

 
 
 
 
 
 
 

−つづく−


 

 第3話・DEPARTURES



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