島が、動いている。気付いてシンタローは立ち上がり、ガケ先から海を見下ろした。海の中に、今までなかったはずの小さな島影を見て、小さく驚きの声を上げる。
「沈んでいた島々が浮き上がったのか!?」
「シンタロー」
聞き慣れない声に振り向けば、黒マントに三角帽子の小柄な男が立っている。以前この島にやってきた手品師だということはすぐに分かった。
「ウィロー!?」
「パプワからの預かりモン、持ってきたがや」
名古屋ウィローは手に握った白いハンカチを前に出した。何か包んであるらしい。
「ワシはこの島のモンじゃにゃあで、舟には乗せてもらえんかった」
「舟?」
シンタローはウィローがコウモリになっていたことなんて知らない。しかし、そんなことより気になったのは「舟」のことだ。
「ノアの方舟だぎゃあ。それに乗って、パプワ達は旅立ってった」
旅立って・・・・。
状況をよく把握できなくて、言葉をなくすシンタローの前に、一輪の鮮やかな花が差し出される。
「ホラ、これ」
「この花は・・・!」
忘れもしない。炎の崖に咲く花だ。命を懸けてでも、パプワを助けたいと夢中で取りに行ったあの日のことをまざまざと思い出す。
「パプワがそれ渡せって。ありがとな−・・・って!」
ひまわりにも似た花は、シンタローの手の中で温かい。
「ど・・・どこ行っちまったんだよ、アイツ・・・・勝手によォ・・・」
息を止める。そうでもしないと、抑えきれない。
「どこへ・・・」
シンタローは叫んだ。声の限りに。
「パプワーっつ!!!」
島の隅まで。海の果てまで。空の彼方へ。
届けばいいと−。
先ほどまで島全体を攻撃していた青の波動は、すっかりなりを潜めていた。
そして今、また違う力がパプワ島を覆い始めたことをシンタローも感じ取っている。
しかし今度は乱暴なものではない。優しい、紫色の光がぽうっと全てを包み込んで。
癒してゆく。
傷ついた島を。
傷ついた人を。
ささくれ立った大地にうるおいの水を注ぐように。
荒んだ人間の体を、心ごと抱きしめるように。
島に緑を蘇らせ、体の怪我を治癒してゆく。
そして人の心には優しさと愛を。
限りない愛を。
「・・・ナオミ!?」
青と赤の娘が、この力を・・・。島とみんなを、救うために!?
「バカな・・・死ぬ気なのか!?」
どれほどの力を使うというのか。体力も気力も消耗し尽くして、本当に死んでしまう。
破壊するよりも、余程強大なエネルギーを必要とするのに違いない。癒すという行為には!!
「ナオミ!」
「シンタロー!」
駆け出そうとするシンタローを、ウィローが鋭く止めた。
「ナオミ様からも、伝えて欲しいと頼まれてたことがあるぎゃ!」
「・・・!?」
シンタローは、走った。風を切り、大地を蹴って疾走した。
ナオミの言葉を胸に。
地に伏すように両手を広げ、秘石眼の力を注ぎ続けていた。
息を吹き返した植物が歓喜の歌を歌い始める。ドクター高松の傷がふさがりゆくのを目の当たりに、グンマが泣いて喜んでいる声が聞こえる。ガンマ団のみんなの傷も・・・特戦部隊のみんなの傷も・・・。
赤と青の光が混じった力で、全て抱き込んで。治して・・・。
やがて島中が喜びの声で満たされてゆく。それとは反比例するように、紫色の波動は徐々に弱まっていった。
ナオミは全身の力を失い、島に完全に体を投げ出してしまう。
気が遠くなりかけている。正確にいえば、ひどく眠かった。
朦朧とした中に、一番愛している人の姿を浮かべ、両手を差し伸ばした。薄れゆく意識には逆らえず、その手もぱたりと土に落ちる。
(シンタロー・・・)
ウィローを介して伝えたことを、幾度も胸の内で繰り返した。最後の最後まで、ナオミは叫び続けていた。
シンタローは走る。黒い髪をなびかせて。体中を汗で光らせて。
ナオミの言葉を心の中で叫び続けながら。
−シンタロー、私は必ず帰るわ。あなたのところへ、帰るわ−
この世からいなくなることが、一番愛しているあなたを悲しませるなら、私は死なない。
必ず帰るから、信じて。そして、待っていて。
−帰るわ−
「ナオミーーーーッツ!!」
愛しい声は・・幻聴?
もう、何も、見えない。聞こえない−−。
(さよならなんて、言わない・・・だって・・・・私は・・・あなたのもとへ・・・かえ・・・る・・・)
吸い込まれる・・・呑み込まれてゆく。ふつりと切れるように・・・。
「ナオミ!」
仰向けに目を閉じているナオミをようやく見つけて、シンタローはもつれ込むようにひざまづいた。
血の気のない肌に青ざめたものの、よく見ると花びらのような唇からは、規則正しく静かな息が洩れている。ほっとして頭を垂れ、それからシンタローは今一度娘を見やった。
太陽に直接照らされた全身の輝きは目にも眩しい。短くした金の髪と繊細なほど整った顔立ちは、先ほどのルーザーにも重なった。
あどけない姿に、シンタローの表情も柔らかくなる。
「眠ったんだね、ナオミ」
全て力を使い果たして、長い眠りに・・・。
安らかな顔をして、いつまで眠るの? 何日、何ヶ月・・・それとも何年?
(待っているよ)
いつまでだって。
彼女が信じてくれたように、信じよう。帰ってくるという言葉を、信じよう。
身を低くして、ナオミの頬に自分の頬で触れる。ほんのりと温かい。そっとそっと、唇にも触れてみた。柔らかい唇に。
「ナオミ・・・」
約束通り帰ってきたら、もう一度伝えたい。
愛していると、伝えたい。
やがて風が吹き付け、頬を冷やす。樹木の濃い匂いを吸い込んで、シンタローは今ようやく自分のまわりを見回した。
力が少しでも早く広がってゆくようにとナオミが選んだ場所は、小高い山の上で、島のぐるりを見回すこともできる。
生い茂る緑は太陽に熱せられて、さんさんと光をこぼしている。葉がこすれ合う音に、鳥の鳴き声が絡んで。向こうに見える海は青く、穏やかに波を寄せていた。
(きれいだ・・・)
改めて感動を覚える。今まで暮らしていたこの島は、こんなにも美しい聖域だった。
「ナオミ」
細い身体を両手で抱きかかえ、シンタローは立ち上がる。
「見えるかい・・・?」
ナオミが力を全て使い果たして傷口をふさいだ島を、二人で見下ろしていた。
ナオミの故郷でもある、パプワ島・・・地上最後の楽園を。美しい世界を。
「終わったんだな・・・」
−いいえ・・−
「!?」
きょろきょろしても、周りに人の姿はなかった。
−始まりよ。今日が出発の日なのよ・・・−
「・・・ナオミ」
慈しみの眼差しを、腕の中にある恋人に向ける。
「そうだな。新しい出発の日だ」
太陽も森も海も、何もかもが見守ってくれているようだった。
ひとすじの強い風が、シンタローの黒い髪とナオミの金髪に吹きつけた。
H12.6.11