葵さんカウンタ14008ゲット記念小説

 
 
 
4.綺想曲−龍人カプリチオ
「まったく、どうしてあの人はいつもああなんだ」
 竜人界の海は、今日は比較的穏やかだ。陽の射す浜辺を何やらぶつぶつ呟きつつ歩いているのは、龍人の白龍である。
「あんな人が兄とは、情けなくなってくる・・・足は臭いし」
 今日も元気にリュウ兄とケンカをした彼は、もう奴と同じ空気を吸うなんて勘弁ならずに家を飛び出してきたのだった。
 太陽の恵みにきらきら美しい海面を眺めることで、心を落ち着かせようとする。深呼吸をするといきなりの空腹感に見舞われた。もう昼過ぎている、どうしようか・・・。
 胃の辺りに手を添えて、何気なく振り返る。と、遠くの波打ち際に光るものを見た。何だろう、大きな物体のようだが。
 近付いてようやく人魚が倒れているということを知り驚いた。光っていたのは、おへそから下を覆っている鱗だったのか。
「・・・」
 美しさに見とれ、白龍は三歩手前で止まってしまった。
 金の長い髪が波に洗われなびいている。眠るように目を閉じた、小作りな顔にはあどけなさが浮かんでいた。
 海人界にしかいないはずの人魚族であることは明らかだが、何故その伝説の存在が竜人界の海辺などに伏しているのだろう。
 疑問のまま彼女の全身を見たとたん、軽いショックに背をそらす。肩や腕など、白い肌に痛々しく刻まれたいくつかの小さな傷跡。そこに血のにじんでいるのを見れば、つい先頃のケガだと分かる。よく見ればきれいな鱗も、足もとの二、三枚がはがれていて、やはり血がにじんているのだった。
「大変だ」
 急いでひざをつき、そっと様子を見てみる。息があるのに一安心すると、両手を差し出し静かに静かに抱き上げた。

 藍色の深いうず・・・怒り狂うばかりの波たち。呑み込まれて、深く・・・。
 目を開けるとクリーム色の天井があった。
「生きてる・・・」
 声に出すことで、確かな実感を得た。マーメイは笑う。
 竜人界に近付くほど海は荒れ狂い、高波にさらわれてもう死ぬかと思った。全く、竜人界なんて野蛮なんだから。こんなところに住んでいる龍人なんて、筋肉ムキムキのごっついオッサンばっかりに決まっている。
 兄貴な想像に寒い思いをしながら、思い出したように身の回りに視線を走らせた。
 それほど広さのない部屋の隅に据えられた浴槽に、自分は浸かっていた。水温もちょうどよく、心地よい。金色の蛇口やシャワーの付いた陶器製のバスタブは、草木のつるや花などが繊細に描かれた瀟洒なもので、自分にはぴったりお似合いだわと気に入ってしまった。
 更に自らの全身も眺め下ろす。体のあちこちには絆創膏が貼られてあり、尾ヒレ付近などには白い包帯がしっかりと巻き付けてあった。
 ケガの治療までされていたのだ。一体、どこの誰が。
(まあ、こんな美人が倒れていればほっとけないわよね。当然よ)
 ふふん。髪をかき上げたそのとき、ノックの音がして左手にあったドアが開いた。
「気が付いたようですね。良かった」
 優しげな男の声に、バッと振り向く。一目見て、キタキタ、ピピッと。思わず身を乗り出してしまい、すべりそうになってひやりとしてしまった。
「あなたは?」
 こんなときでも声や表情などを作ることには手を抜かない。
 どうやらミャクあり。男の目に光が宿るのを見て、久々の満足感を覚えた。
 金を薄めたような色の長い髪は一部分立ち上がっていてワイルドだけれど、マーメイ好みの細身の美形だ。こちらに歩み寄ってくる、その仕草も麗しく、イイカンジ。
「私は龍人の、白龍といいます。ここは竜人界の私の家。貴女が海岸に倒れていたのでお連れしました」
 声も良い。
 ともかく、竜人界には着いた。ケガをして気も失っていたらしいけれど、こんないい男に助けてもらったのだからむしろラッキーだったといえよう。
「ありがとうございました。・・・私、マーメイといいます。海人界から来ました」
「人魚族の方ですね」
 白龍は浴槽のそばにひざまづくようにしてきた。近くで見ると、ますます美形。目的を半分忘れかけているマーメイだった。
「海人界から一人で泳いで来たのですか? どうしてそんなムチャなことを」
「それは・・・」
 ようやく本来の目的を思い出した。好みの男が目の前にいると、何もかも後回しになってしまうのが玉にキズだ。
「理由は、言えないんですが・・・」
 うつむく。目線は斜め下。ミステリアスな美少女というのもなかなかポイント高かろう。
「そうですか」
 狙い通り、白龍は軽く頷いて立ち上がった。どんな想像をめぐらしているものか、何か深刻そうな顔をしている。
「お腹が空いているでしょう。食べるものを持ってきます」
 気分を変えるように、殊更明るく言い置いて出ていってしまった。
「ふう」
 陶器のへりに腕をかけ、その上にあごを置いた。疲れる。
 これからのことを考えよう。こんなケガ、人魚の体だからすぐ治る。そうしたら、クラーケンに会いに行かなくては。
 会いに・・・。
 何気なく浮かんだ言葉に、苦笑が洩れた。会いに、だって。落としに行く、が正解なのに。

 バァン!
 さっきとは全然違う乱暴な音に、ビクッとする。
「よおー」
 ドアから入ってきたのは、まさに想像していた龍人そのものの男だ。ごっつくてでっかい体と、ごわついた黒髪と、右眼を覆っている眼帯と。
 マーメイは眉をひそめた。一番嫌いなタイプだ。
「食いモン持ってきてやったぜ。食えよ」
 と差し出されたお盆を横目で見ると、食い散らかされた後でほとんど何も残っていない。
「何よコレ」
「悪ィ、腹減っててよ。ちょっとだけつまみ食い、のつもりだったんだが・・・。でもちょっと残しといたから食え」
「あんたなんかの食べ残しなんか、いらないわよッ!!」
『なんか』を二度も使って思い切り押し戻す。とんでもない!
 奴はその言葉を待ってましたとばかりに、残りの食べ物を口に入れ、満足そう。
 マーメイは反対に、これ以上ないくらい不機嫌になった。外見通りのガサツさに、胸もムカムカだ。
「何なのよアンタ。白龍はどーしたのよ!?」
 つま楊枝をくわえて、上機嫌だった男は何故か急にムッとする。
「オレぁ、あのヤローの兄貴だよ一応」
「アニキィ!?」
 一体、どこに共通点が・・・。
 空になったお盆を置いて、壁にもたれ腕組みの仕草をする。そして男は片方だけの目でこっちを見た。唇がからかうような笑みを形作っているのがどうにも気にくわない。
「そォ、兄貴。竜人界英雄のリュウってんだ。よろしくなマーメイちゃん」
「気安く呼ばないで! ・・・・英雄ですってェ?」
 髪の先からつま先でじろじろ眺めて回す。確かに力はありそうだが。
 ナンバーワンの基準には、品性や物腰の優しさといったものは一切ないのだろうか。同じ英雄でも、クラーケンとは大違いだ。
「しっかし白龍の奴も、わざわざこんなモン買いやがって」
 ぴかぴかのバスタブをてのひらでバン、と叩く。水面が揺れたのでマーメイはいやがった。
 白龍が怪しい動きをしていたので、問いつめ食べ物を奪い取って来たら、こういうことだったとは。
 奴に言わせると、正義の血がそうさせるとでもいったところだろうが、それにしても高そうなフロだ。そんな金あったら、酒と食い物をしこたま買い込んだ方が絶対いいのに。
「そーいや、バードの奴をたぶらかして貢がせてた人魚って、おめーだな?」
 酒くらいながら、マーメイ、マーメイってわめいていた鳥のことを思い出した。人魚はあからさまにいやそうな顔をする。多分何を言ってもこんな顔をするんだろうな、と思うとおかしくて、リュウはひとり笑った。
「バード? ああ、そういやそんな男もいたわね」
 鳥人界のナンバーワンでしかも貴族、外見もなかなか好みだったので、確かに相手してやっていた時期はあった。
「何、あんたあの鳥人の知り合い? 言っとくけど恨み言なら聞かないわよ」
「いーやァ。たぶらかされんのも貢ぐのも、本人の責任ってやつだかんな」
 んしょ、と、マーメイのわきにしゃがみ込んで可愛らしい顔を見上げる。
「アイツも今はちゃんと彼女みっけて幸せそうだぞ。おめーもひとりに決めたらどうだァ? その方がきっといいぜぇ」
「・・・何よッ!」
 カッと昇った血のままに手を出す。思い切り顔に水をかけてやった。
「アンタなんかに説教される覚えはないわよッ」
 ついでにもう一回、尾ヒレを使って体にもしぶきをお見舞いしてやると、さすがのリュウも立ち上がった。
「つめてー。はねっかえりめ」
 それでも余裕で笑っている。
「そうだ、それならマーメイ、ひとつ相談だ」
 気安く呼ぶな! 顔を近づけるな!
 構わずリュウはマーメイにこう耳打ちした。
「白龍の奴を誘惑してみてくんない? アイツが骨抜きになってるとこ、見てみてー」
 それって単なるシュミ? 一体どーゆー兄弟だ。
「・・・リュウ」
 別の女の声に、マーメイもリュウもドアの方を見る。ちゃんと閉めていなかったドアの隙間に、桃色の巻き毛、ふっくらした頬の女性が立っていた。
「モモじゃねーか。どした?」
 リュウののんびりとした声を聞いたとたん、あっけに取られていた表情にみるみる怒りの色が差し込まれてゆく。とうとうすごい形相になって花人のモモカは部屋にずかずか進み入った。肩が完璧に怒っている。
 場数を踏んでいるマーメイにはすぐにピンと来たが、リュウだけがわけ分かっていなかった。
「何怒ってんだ? 腹減ったのか?」
「すっとぼけてんじゃないわよッ!」
 激しい・・・。リュウですらひるんでしまう。
 モモカはバッと両手を広げ、バスタブの中の人魚を指した。
「何なのよこの娘は! ここで何してたのッツ!!?」
「何、って」
 ようやく悟った。どうやら誤解をされているらしい。白龍を誘惑してくれ、と冗談交じりに囁いていた今のシーンが、モモカの目にはどう映ったものか。とにかくめちゃくちゃご立腹のようだ。
「違うってモモ」
 彼女の方に体を向けて、弁明を試みる。怒らせれば怖いんだ。
「何が違うってのよ」
 マーメイはリュウの顔から初めて笑みをかき消した張本人をちらちら見ていた。何をそんなに必死になってるんだろう、こんな男ふぜいに。
「バッカみたい」
 必死で言い訳しようと頑張るリュウも、意地になっているモモカも。
 特にリュウには、したり顔で説教されたうらみも重なっていたので、吐き捨てるように言ってその場を凍り付かせてしまった。
 二人の注目が集まる。後には引けなくなって、更にマーメイは言い募る。
「・・・そんなマジになっちゃって。その男と何かあったからって、どうだって言うのよ。ま、何かあるわけないけどね。リュウなんか、この私の相手にもならないわ」
 最後の一言は、モモカの怒りの矛先を引きつけるのには十分だった。ダン、と一歩前に出て、水風呂に浸かっている人魚を強くにらみつける。
「何ですってッ!」
 真剣な怒り顔をされるほどに、意地悪い気持ちがムクムクわいてくる。ケンカ腰の言葉は口から勝手に飛び出した。
「相手にもならないって言ったのよ。そんな野蛮で下品な男!」
「−!」
 リュウが止める間もあらばこそ、モモカはいきなりマーメイにつかみかかる。
「謝んなさいよッ!」
「何よ放してよ、アンタも乱暴な女ね、お似合いだわ!」
 さっきリュウにしたように、水しぶきを上げて応戦する。モモカはそれでもひるまない。
「リュウのこと悪く言うのは許さないわ! 確かにリュウは野蛮で下品かも知れないけど」
 自分で言ってからハタと止まる。墓穴を掘ったか。モモカは手を下ろした。びしょ濡れの服に手を当てる。
「・・・でも、私の大切な人なんだから!」
「・・・・」
 どうして、こんな顔をするの? 切なさの奥に限りのない優しさをひそませて。ただ一人の男のために、どうしてそこまで一生懸命になれるの? 自分がバカにされた以上に本気で怒るなんて。
 マーメイも自分の胸元に手を当てた。今まで感じたことのない気持ちにとまどう心が痛くて、言葉も失ってしまう。


シュンメイさん画

「・・・モモ」
 女のケンカに手は出せない。それまで成り行きを見守っていたリュウが、上着を脱いでモモカに着せかけてやった。
「オメーは人魚じゃねぇんだから、びしょ濡れだとカゼひくぜ。あっちで着替えな」
 その目も、真摯に優しくて。
 今まで恋人同士のやり取りを見ていても、ウソっぽいと思うだけだった。
 永遠に続くものなど、あるはずがない。それが恋心となれば尚更のこと。明日にはもうさめてしまうかも知れないのに、って。
 なのに、どうして今日に限って、心が震わされるのだろう。
 やっぱりおかしいんだ。クラーケンに会ったときから、全てが狂い始めたんだ。
 パタン・・・小さな音に我に返る。モモカが静かに部屋を出ていったところだった。
「悪ィな。あれもオマエに負けないくらい気性が激しいモンでな」
「・・・一緒にしないでよ」
 そういう声に、さっきまでの勢いはない。
 リュウにはマーメイの心のうつろいを細やかに感じることはできなかったが、突然現れたしおらしさに、おっ、と思う。
「おめえ、本当は・・・」
「マーメイさん、飲み物を・・・」
 軽いノックで弟が乱入してきたもので、リュウは言いかけたことを引っ込める他なかった。
 白龍もまた兄の存在を認めるや否や、イヤそうに口を歪めて、
「まだいたんですか、兄者」
 この兄弟、仲が悪すぎる。
「白龍さん、お兄さんったらヒドイのよ。私をいじめるの・・・」
 上目遣いは、ほんのいたずら心で。それでも白龍はマーメイの期待以上に怒りをあらわにし、リュウを追い出してしまった。
「本当にあんな兄で、お恥ずかしい」
 まったくだよ、という言葉はのどの奥にひっこめて、マーメイは微笑んでみせる。白龍もようやく表情を和ませて、持ってきたジュースを差し出してくれた。
「どうぞ」
「ありがとう」
 好みの男に見守られながら、きれいなグラスのおいしいジュースを飲んでも、空虚な思いまでを埋めることはできない。分かっている。いかにこの龍人が優しくしてくれようとも、決して満たされることはないということ・・・。
 


 
 
 
 
 
−つづく−

 


 

5.夜想曲−月に抱かれてノクターン
 
 


 
 

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