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七雲島の地面に降り立って、龍は人型に変身する。淡いブルーグリーンはそのまま髪と瞳に残るが、その他にドラゴンの名残はなく、まだ幼い子供の姿がそこにあった。
発育途中の少年でありながら、瞳は強く鋭い。手にした長い杖を島の中央部に向け、彼は大きな声で名乗りを上げた。
「誰かおらんのかーッ! 俺は次期竜人界英雄の、タツじゃー!!」
しーん。
タツは眉根を寄せた。話が違う。
「おーい!!」
「・・・聞こえてるわヨ、坊やちゃん」
驚いて龍人は身をひるがえす。ここで女の声を聞こうとは。
背後の大きな岩の上に、彼女は座っていた。膝下までの編み上げロングブーツに包まれた長い脚を組み、ひじをついてこちらを見下ろしている。長い髪は、光を透かすくらい淡い紫色で、シャギーの入ったサイドが頬を包んでいた。
「どうしたの?」
ルージュの唇が笑みを形作る。すっと通った鼻筋。文句なしの美女だ。切れ長の瞳の、右はその髪と同じ紫色だが、左眼だけが不思議に赤い色をしていた。
「アンタは・・・?」
彼女はすぐには答えず、微笑んだままで脚を下ろし、立ち上がると同時にタツの目の前に飛び降りた。ふわりと、それは優雅な仕草で。
背が意外に高い。均整の取れたナイスバディに、薄手のキャミソールとミニスカートを身につけている。
間近での迫力に、さすがのタツも言葉を失ってしまった。
構わず、彼女は手を伸ばして頬にちょんと触れてくる。
「キミが、ガマじーさんとこで修行している龍人ね。じーさんの話通りだわ。なかなかかわいいじゃない」
いたずらっぽくウインクしてくる。少し子供のような表情になった。
タツは、ガマじーさんが自分のことを何と伝えているのか、ちょっと気になってしまった。
「ガマのじーさんから、話は聞いてんやろ」
「聞いてるわ。修行の一環として、手合わせに来るって」
そう。そのためにタツは空を飛んで、こんな浮遊島までやってきた。しかし・・。
「その相手、まさか、アンタじゃ・・・」
「不満?」
自信に満ちた表情に、タツは引いてしまう。
「不満、っていうか、女相手じゃ、いくらなんでも・・・」
困った顔がおもしろいのか、声を立てて笑い、彼女は冗談よ、と言った。
「あたしじゃないわ。あ、あたし、颯華(さっか)っていうの」
「さっか・・・」
変わった名前の響きを、口の中で繰り返す。
「そう。颯華。超人たちの守り人ってとこかな。女神さまって呼んでもいいけど」
「呼ばんわ」
「ふふん。タッちゃんがもう少しオトナになったら、女王様って呼ばせちゃおうかなー」
「呼ばんちゅーに」
タツは腕を下ろす。緊張感をすっかりそがれてしまった。
ふざけてばかりの女性だが、こんな天上界にいるくらいだ。守り人というのもあながち嘘でもないのだろう。
「で、俺の相手はどこだ」
「ああ・・・」
颯華は腕を組んで、右上を仰ぎ見る。つられてタツもそちらに目を向けると、岩場の上に人影が見えた。
「あそこで昼寝してるわ」
青空の下で、両腕を枕にぐっすりと寝込んでいる男を見上げて、タツはさっき大きく名乗ったのは無意味だったことに気付いた。ますます体の力が抜けていく。
「あいつねえ、一度寝ると、なかなか起きないのよこれが」
言いながら颯華は屈んで、直径1メートルはあろうかという岩を軽々と両手で持ち上げた。
目を丸くするタツに余裕で笑って見せて、それを上で寝ている男に向かって投げつける。ものすごいばか力だ。
ちゅどーん。見事にヒットし、砂埃が盛大に上がった。
「起きなさいリッキー!」
砂埃の中で、男はむくっと起き上がり、あぐらをかく。
「・・あんだよォ、ねーちゃん」
風が吹き、ホコリを払って、その姿をあらわにする。金の髪。頬の傷。
長めの前髪をかき上げて、リッキーと呼ばれた男は大きなあくびをした。
「いてえじゃねえか。メシの時間かあ?」
「ばっか。何寝ぼけてんのよ」
あんな岩をハリボテのように簡単に投げた颯華も颯華だが、それをまともにくらってのんきに会話しているこの男も、人間離れしている。だから超人なのか・・・。タツの目は点になっていた。
「な、なんやあ、コイツら・・・」
「おっ、ねーちゃん、誰そいつ。新しいオトコ?」
親指をビッと立てて、ニヤッと笑う。
「ガキじゃん。シュミ変わったんじゃねーの」
「寝ぼけるなってば。あたしは一途よ。降りてらっしゃい、あんたのお客よ」
「客ぅ・・?」
じろり、タツを見下ろし、口をへの字に曲げた。
「呼んだ覚えはねぇなあ」
「俺だって、来とうなかったわい。はよう相手せい!」
せっかくこんな高いところまで飛んできたのに、昼寝しているとは。しかもこの、のらりくらりとした態度。タツは機嫌を悪くして、杖を男に向けて叫んだ。
しかし、不機嫌さでは相手も負けてはいない。何しろ寝起きにナマイキな口をきかれたものだから、大変だ。
「何だよこのガキはあ・・。ケンカ売ってんのか」
「ガマじーさんとこに来ている龍人よ。修行してくれって、この間言ってたでしょ!」
「ケッ・・なんでオレ様が地上人の相手なんぞしなきゃなんねーんだよ」
タツが何か言う前に、颯華が動いた。びっくりするくらい素早く駆け上がると、頭にゲンコツを見舞ってやったのだ。
ゴツッと、鈍い音。
「リッキーッツ!!」
「いてえっ! ねーちゃん、その呼び方やめろって言ってんだろ」
頭を両手でかばって、涙目で見上げる。彼にとっては、颯華は結構怖い存在なのだった。本当に守り人なのだろうか・・・。
「あんたどうしてそう、ワガママばっかりなのよ! いつまでも子供じゃないんだからね。
タッちゃんの修行になるように、ちゃんと相手してあげなさい!!」
「わーったよォ・・・」
口をとがらし、しぶしぶとリッキーは降りてきた。束ねた長い後ろ髪が揺れる。黒い髪だった。前髪は金髪なのに。
「この子はリキッド。あたしの弟よ」
仏頂面のリキッドの隣に立って、颯華は紹介してあげた。タツは二人を見比べて、首をかしげる。
「へー、姉弟かあ。似とらんなー」
顔立ちも仕草も、一つとして姉弟らしいところはない。
「ああ、あたしの夫の弟だから、義理の弟ってこと」
それなら納得だが、颯華が既婚と知って、タツは少しがっかりした。
意識して見ると、なるほど左の薬指にリングが輝いている。細く美しい指に、金と銀、二連のリングがよく似合っていた。
「それじゃリッキー、ちゃんと手加減して、練習になるようにしてあげるのよ」
「わーってるよ」
リキッドは退屈がお化けと同じくらい嫌いだから、退屈しのぎにと少しはやる気になったらしい。
颯華はその様子に安心して、二人に背を向け、島の上の家へ入った。
石造りの家は、外装も中も質素なもので、ここで颯華は義弟のリキッドと二人で暮らしていた。
一段落つけて、スープは火にかけたまま、椅子に座る。そろそろ、修行も終わって弟たちが戻ってくる頃だが。
「ねーちゃん、ただいま!」
やっぱり。
あまりにぴったりだったので、颯華は失笑して、立ち上がった。ドアを中から開けてやる。
「リッキー」
驚きに目を見開く。リキッドが、背中に血まみれ傷だらけのタツを背負っていたからだ。
「ちょっとォ、やりすぎなんじゃないの」
「修行してやったんだよ、修行!」
弟は悪びれる様子もなく、ずんずん家の中に入ってきて、タツを床の上に下ろした。
「ベッドに寝かせてあげないと」
「血でシーツが汚れる。ねーちゃん、薬!」
「まったくもォ・・・」
ここまでやるとは思わなかった。それは、地上人相手だから、随分手加減はしたのだろうけれど。
颯華は棚の上から薬の壷を下ろし、タツのそばにひざをついた。少年の痛々しい姿に眉をひそめるが、張本人のリキッドは全く構わず、鍋の中のスープを覗き込んだりしている。
「かわいそうに」
薬はガマ仙人からもらった、即効性の特効薬「ガマの油」である。怪しそうだが、確かに傷はすぐ治る。
ところどころ破れ、土と血で汚れた服を脱がせ、颯華は傷口に薬を塗り込んでやった。気を失っていたタツの口から微かなうめき声が洩れる。そして、うっすらと目を開けた。
「よしよし・・・大丈夫だからね。すぐ治るよ」
「う・・・」
みるみる傷はふさがってゆく。タツはもう痛がりもせず、すぐに半身を起こした。
「・・すごい薬やなあ」
「ガマじーさん特製だからね。もう大丈夫ね」
うなずき、タツは片膝を立てて起き上がる。颯華は引き出しからTシャツを出すと、上半身が裸のタツに手渡した。
「あたしのだけど、あげる」
「どーも」
「ねーちゃんのニオイつきだぜ。プレミアものだ」
「高いわよー」
二人の軽口に笑いながら、Tシャツに袖を通すと、本当に香水のいい匂いがして、ドキドキしてしまう。
「腹減った!」
リキッドがわめく。
「はいはい。タッちゃんも座って」
椅子を指し示してタツを座らせ、スープをよそってあげる。おいしそうな、具だくさんのスープだ。
「いつもは二人だけだから、なんか嬉しいね」
にこにこしながら、スプーンを口に運ぶ。リキッドは無表情を装っていたが、口もとがゆるんだのを颯華が見のがさなかった。
「でも、なんで義弟と一緒に住んでるん? 旦那と暮らせばええやん」
素朴な疑問に、一瞬言葉に詰まるが、颯華は笑みを絶やさなかった。
「夫は忙しくてね、単身赴任してんのよ。で、あたしはリッキーのおもり」
「オレはガキじゃねーって言ってんだろ」
「ふふ・・」
体もがっしりしているし、自分ではしっかり大人のつもりだろうが、颯華にとってはかわいい弟のリッキーだ。わが子のように手をかけてやりたい気持ちがある。
「おかわり!」
元気にお皿を差し出す。本当に子供みたいなものだ。
「俺もおかわり!」
子供がもう一人、増えたみたい。
「颯華ねーちゃんのスープ、うまいなあ。俺が世界握ったら、専属シェフやってもらお」
「光栄ですわ」
ふざけて、わざとうやうやしくおかわりを置いてやる。リキッドは「何が世界握るだ。弱っちいクセに」などと言い捨てながら、二杯目にとりかかっていた。
「ねーちゃん、今日、アニキたちのとこに行く予定だって言ってたよな」
食後のお茶をすすりながら、リキッドが言った。
「ええ。これから行ってきてもいい? 一人で留守番、大丈夫?」
「大丈夫だって。一人じゃないし、な」
最後の「な」が自分に向けられた言葉だと気付き、タツはびっくりして自分で自分を指さした。
「へ? だって、手合わせは終わったから、俺は帰る・・」
「誰が終わったって言ったあ?」
タツは悪い予感を覚えた。背筋に悪寒が走る。
「まだまだこれからだあ。午後はみっちりしごくぜ」
どうやらリキッドは、スパルタ教育に目覚めたらしかった。
「じゃあ、行ってくるからね。リッキー、タッちゃんを殺しちゃダメよ」
「縁起でもないこと言うなあ!」
青ざめているタツにも笑顔で手を振って、颯華は空を見上げた。どこまでも青く続く空。
風の流れをとらえることに成功した瞬間、左眼が更に赤い光を増し、その光はやがて颯華の全身を包んでゆく。
「今夜は帰らないかも。スープ多めに作っておいたから・・・」
言葉の最後の方も、赤く滲み、颯華の姿が消えてゆく。光の中に、溶けてゆく。
リキッドとタツが見守る中、赤い粒子が空中に四散すると、やがて颯華の姿は完全にその場から消えてしまった。
「ど、どこ消えたんや」
きょろきょろするタツを制し、リキッドは遠い空を眺めた。
「アニキのとこだよ。ねーちゃんお得意の、まあ、瞬間移動みたいなモンだ」
普段、滅多に会えない夫たちのもとへ、心をはせるのと同じスピードで、颯華は駆けつけることができるのだった。
「・・・さあ」
くるり、振り向いて、リキッドはニヤリと笑う。
「そろそろ午後の部を始めようか、タッちゃーん」
「・・・・」
さっき薬を塗ってくれた颯華は、もういない。
今度はホントに殺されるかも。タツは命の危険を体で感じた。
「いくぜー、タツ!」
「うわわわ・・ちょい待てえ!」
「やかましい!」
「わーっ!!」
賑やかな叫び声と悲鳴が、よく晴れた空にこだましていた。
H11.1.7