NOW AND THEN −失われた時を求めて−
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第二章・乱世
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“気”を、感じる。まがまがしく、黒い・・・。
夫のもとにも、客が来ているらしい。
一瞬の判断のもと、颯華は自らの気配を殺し、赤い光に包まれたまま夫の住む天空島へ姿を現した。
とたんに耳をつんざく咆哮。信じられないほど巨大な体の、おそろしい地獄の亡者が今しもまっぷたつにされ、倒れゆくところだった。
亡者が倒れ、地面が揺れる。飛び散る血しぶきと、断末魔の叫び。
手前に一人の男が着地し、手にした長刀の血を払い落とした。筋肉質の肉体は、たった今敵を倒した高揚感に震えている。颯華はしばしその背中にみとれ、立ち尽くしていた。超人たちの長男で、天上界の番人。そしてこの男こそが、彼女の夫の・・・。
「乱!」
気配を復活させると同時に、名を呼ぶ。夫の乱世はすぐに振り向き、そこに妻の姿を認めると、顔一杯で笑い、両手を大きく広げた。金色に太陽を受けて、左薬指の指輪が光っている。
「颯華あー!」
乱世の口から血が流れ出ていたので、颯華は少しひいてしまったが、呪い刀を使っているせいなので仕方ない。ダーッと突進してきて、乱世は妻を腕の中に閉じ込め、力一杯抱きしめた。
「痛い、痛いっ!」
背骨がきしむ。乱世は、済まん、と笑って、力を少しゆるめた。この力で思い切り抱きしめられては、全身の骨をばらばらにされるか、窒息死してしまう。愛するのも命がけだ。
それでも、久しぶりに夫の抱擁を受け、颯華は全身で幸福を感じていた。血と汗の混じったにおいも今の幸福感の妨げにはならない。燃えるように熱い、乱世の体。鋼鉄のように鍛え上げられた筋肉の感触も、心地よい。
颯華も背の高い女性だが、乱世はもっと大きい。乱暴に自分の口元をぬぐうと、背中を丸くして、頬といわず唇といわず、妻にめちゃくちゃに口づけを浴びせた。
「乱・・ちょっ・・」
手足をばたばたさせるささやかな抵抗も無力で、抗議の声も乱世の唇にのみこまれてしまう。
血の味がする・・・。
腕をだらりと下げ、颯華は目を閉じた。体をすっかり夫の胸に預け、長い長いキスを交わす。乱世の血がそうさせるのか、時間と空間を忘れそうになるほどの陶酔感に身を浸した。
「・・颯華ぁ」
やがてそうっと身を離し、乱世は両手を颯華の肩に置いて、妻の顔や姿をじっくりと見つめた。
「本当に久しぶりだなー。それにしても、いきなり下着姿で挑発されると、オレもたまらんね」
「乱ったら。キャミソールなんて、今地上の女の子はみんな着て街歩いてるよ」
「おー、そーゆーハヤリかい。いい世の中だねぇ。ま、座るか」
颯華を座らせて、そこで乱世は自分の武器「破修羅」を置き去りにしていたことに気付いた。妻を抱きしめるときに投げ出して、地面に突き立ったままだったのだ。
「いけね」
引き返して、破修羅を引き抜く。かなりの長刀で、陽の光を反射して妖しくきらめきを放った。
「商売道具を投げてちゃヤバいな。いつお客が来るかもしれんのに」
破修羅を使うたびに乱世の命は削られてゆく。それでも、彼はこの呪い刀をふるわないわけにはいかなかった。
天上門のあるここ天空島は、天上界と冥界の時空の歪。地獄の亡者たちが、たびたびさまよい現れる場所だった。乱世は唯一亡者を斬れる刀である破修羅を使い、天上門の番人を千年間も務めているのだ。
「元気だったかー?」
背中に背負った黒い鞘に呪い刀を収めながら、乱世も颯華の隣に座り込む。
「ええ。この通り。乱も元気そうね」
命を削りながら番人をしている乱世に、元気そうね、は変かもしれないが。しかし乱世は朗らかなものだった。
「ああ。あいつらのおかげで、運動不足も暇もいっぺんに解消されるからな。リキッドも元気か? かけ算はできるようになったかい」
「元気よ。相変わらず、かけ算はあやしいけどね」
くすくす、笑い、颯華は夫の顔を仰ぎ見た。赤い瞳で、じっと見つめる。
「・・・もうすぐ、会えるわ。弟たちに」
「・・・・」
目を上げて、乱世は空を見上げた。白い雲の行く先を眺める。妻の視線を感じながら。
「・・・千年、か」
前の戦より千年経ち、冥界の魔人たちが復活を始める。それは、新たなる戦争の日が近付いていることを意味していた。
颯華も同じように青空に目を向け、遠い昔とこれからに、思いをめぐらす。戦争のことなんて考えられないくらい、きれいに晴れた空なのに。
「・・すまねえな」
少しかすれた声がして、颯華は再びたくましい腕にとらえられていた。
今度はゆるく抱きしめ、紫色の髪をなでて、乱世は目を閉じた。
「オレはおまえのためには生きてやれない。おまえの夫なのに、おまえのために、何もしてやれない」
「・・乱」
そっと体をずらし、颯華も手を伸ばした。しがみつくように、乱世の体に腕を回す。
「何かして欲しくて、妻になったんじゃない。あたしは守り人よ。あたしが、守ってあげる」
「頼もしいな」
「守ってあげるわ・・・」
乱世が命を懸けるもののためなら、同じように殉じよう。
「あたしが、あなたを愛しているの。ただそれだけ」
自分のために何かしてくれようとしてくれまいと、そんなことは関係なく。
「ただ、愛しているだけ・・・」
空の下で、ずっとずっと抱き合っていた。
立ち上る湯気の中で、息を吐いた。颯華は腕を伸ばしてみる。白い腕から水が滴り、つるつるの肌があらわになった。
乱世が守るこの天空島には、何故か温泉が湧き出ている。岩場に囲まれた、天然の露天風呂は、颯華がここに来る楽しみの一つだった。
何たって、温泉なのだ。つかればたちまち、すべすべのたまご肌。颯華の美貌を保つ秘訣は、こんなところにあったらしい。
リラックスして、手足をぐっと伸ばす。そのとき。
「颯華ー」
岩影から、男が顔を出した。すかさず颯華は桶を投げつける。
カコーンと、いい音がして、桶は顔面にヒットした。
「覗いてんじゃないわよ」
「いってえー」
鼻血が・・・。
乱世は上を向き、首の後ろをトントン叩きながら、めげずに声をかけた。
「ひでえな。一緒に入ろうとしただけなのに」
「嫌よ」
「そう言うな、オレたちは夫婦じゃないか。オレ、もう脱いじまったぜえ」
「・・しょうがないわねェ」
ついには、笑ってしまった。
乱世は嬉々として、飛び込んでくる。水しぶきが盛大に上がった。
「ヤダ、熱いー」
「おー悪りィ」
手ぬぐいを頭の上に載せて、乱世は両肘を岩のふちについた。ふーっ、と、大きく息を吐く。
「あー、いい気持ちだ。奴らが来なきゃいいなー」
奴ら、とは、もちろんさまよい出る亡者どものことだ。
「出て来たら、裸でやっつけるしかないんじゃないの」
「それしかないだろうな」
真面目な顔で言うもので、乱世のその姿を想像して、颯華は吹き出してしまう。乱世も大きな笑い声を立てた。
呪い刀に命を吸われてゆくという、非業の運命を背負っているのにもかかわらず、乱世はいつも明るく笑っていた。強くて頼りになる長男として。
それでも、颯華は知っている。
「颯華」
乱世も、弱くてかわいいところがあるのだ。そしてそれは、自分にだけ見せてくれる部分だった。
二人きりになると、やけに甘くべたべたしてくるのも、そのせいだ。
颯華はそんなところも含めた全てが乱世なのだと、認めていた。自分だけに見せてくれる顔があるのも、妻としては嬉しい。
「おまえがいてくれて、良かったよ」
「乱・・・」
うまく微笑むことができなかった。
乱世がそうするように、颯華も、夫には甘えられた。弱いところも全て見せることができた。
そう自覚したとき、颯華は頬に伝っている涙に気付く。
「・・・あのときが戻ってくればいいって、思うの・・・」
声が震えた。
「あなたと、忍と、結婚して・・、みんなで幸せに暮らしていた・・・」
「・・・」
「でも、ダメよね・・。失われた時を求めても・・ダメよね・・・・」
胸が苦しい。
熱い涙は、とめどなく流れ落ちた。
冥界との戦争に、乱世は命を懸けるだろう。
最愛の夫は、死んでしまう・・・。
「颯華」
大きなてのひらが、頭に載せられた。ぬくもりが伝わる。
「失われてなんか、いねえよ」
低く、優しい声が、湯気に混じるようにうるおって聞こえた。
「あのときは、ずっと在る。おまえの中にだって、在るだろ・・」
「乱・・・」
涙でゆれる視界の中で、乱世はいつものように微笑んでいる。
「守って、くれんだろ」
言葉もなく、うなずく。
「泣きたいだけ泣いたら、また笑ってくれ」
守られているのは、どちらだろう。
颯華の頬も上気して、ピンク色に変わっている。結い上げた紫の後れ毛が、首すじにはりついていた。
「ごめんねー。泣いたりして」
ちょっとバツが悪くなって、ちらっと舌を出す。
「いいってことよ。まぁ、もうすぐ戦争だからなー。いろいろ、考えちまうよな」
「うん・・・」
ぱしゃぱしゃ、水面を乱して遊ぶ。波が立ってまた消えた。
「もう、泣かないわ」
決めた。
真っ直ぐに乱世を見つめる。
「過去も、今の幸せも、失ったりしない。全部、守るから」
「ああ」
乱世は颯華の前髪をくしゃっとかき上げた。
「それでこそ、守り人だ」
左眼の赤い輝き。不思議な力を秘めた光・・・。
みんなで暮らしていた幸せなあの頃は、もう戻らない。だけど、失ってはいない。この赤い瞳の奥に、それは在るのだから。
吸い寄せられるように顔を近付け、乱世は再び口づけた。
言葉にできない想いを、せめて伝えでもするように、深く長く口づけた。
−つづく−
第三章・忍
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