・
「アス・・・」
今聞いたばかりの名を口の中で繰り返す。満ちた月をすっかり背にしているので男の表情はよく見えないが、青の瞳だけはらんらんと光っている。まるで自らが光を発しているかのような、不思議な秘石眼だった。
「あなたは・・・」
腰を抜かしたような格好であられもなく座り込んでいる自分に気付いて、ナオミはどうにか立ち上がった。スカートの草を軽く払って、アスと名乗った男を見上げる。シンタローよりは幾分細身に見えた。見事なまでに真っ直ぐな髪の質はナオミの知る中ではサービスに一番近いだろうか。だがこんな、夜のとばりにあってさえ光り輝く瞳というものを未だかつて見たことがない。
「あなたは、一族の人間なの?」
アスは口もとだけで笑ったようだった。
「青い秘石の番人ですよ、ナオミさん」
「秘石の、番人・・・」
そういえば、ジャンも赤い秘石の番人なのだと語っていた。
「ジャンが赤い秘石を長い時間守っていたように、あなたも青い秘石を・・・?」
アスは答えずにただ首を縦に傾け、すうっと手を伸ばした。あくまで静かな物腰で、ナオミの手を取る。
「−−!?」
静かだった夜の島風景が突然動きを持つ。光陰、という単語がナオミの脳裏にひらめいた。時の流れというものを体感できるとしたら、きっとこんな感じ。
アスに導かれるように流れの中を移動し、その果てに二人きり、全く別の場所に立っていた。
ゆっくりと辺りを見回すが、どこなのか見当もつかない。森の中にいるということしか分からなかった。ナオミは仕方なく青の番人を見上げる。まだ放してくれない右手をやんわりとふりほどき、自分の胸に近づけた。アスはそんなナオミの仕草をいかにも面白そうに眺めている。試されているようで気分が悪い。
「・・・一体・・・」
「じゃまのいないところで、ゆっくり貴女と話したかった」
だからこうして、自分だけを連れてきたのだと。瞬間移動のようなものも、秘石を守る者が有する能力らしい。
「シンタローは?」
「シンタローは私の影。この私が、本当の姿です」
にわかには信じられなかった。番人の言った内容はただの単語としてしかナオミの耳に入ってこない。もう一度、かみしめるようにその意味を確かめなくては・・・。頭の中でまとまりはなく、新たな衝撃が混乱をまねくばかりで困難な作業だった。
「影って・・・」
この男は青の秘石を守る番人だと名乗った。つまりシンタローは青の番人の影だったと・・・?
「だって、・・・シンタローは、ジャンの・・・」
赤い秘石の番人、ジャンとシンタローが赤い球体の中でひとつになったときのことを思い出す。シンタローはジャンが殺されたときに、赤い秘石が作ったジャンのコピーだったはずではなかったか。
必死で口走るナオミに、応えるのは冷笑ばかり。
「ジャンのコピーなど、とっくに消してしまってますよ。シンタローはその上で作ったカモフラージュです。赤い秘石を欺くための」
「・・・そんな」
本当だろうか、この男の言うことは。しかしそういえば、シンタローの中からジャンがいなくなってしまったと言っていた。シンタローがジャンのコピーだったら、完全にひとつになれたはずなのに、それが叶わなかったのだ。
シンタローは、アスの影だった。目の前で皮肉っぽく笑っている青い秘石の番人の、影だった・・・!
「ああ・・・シンタロー・・・」
頭の中でぐるぐる回る、「影」の一文字。ナオミはもはや耐えられなくなり、頭を抱え込むようにしてよろめいた。
背後の幹にもたれかかる前に、アスの冷たい腕が華奢な背中に回される。
「やめて」
逃れようとよじった体を、許さず強い力で押さえ込む。
「私に触れないで!」
めちゃくちゃだ。ごちゃごちゃだった。情緒も理性も、何もかもが。
これ以上、かく乱しないで欲しかった。
「影を・・・」
やめて。
「愛しましたか、私の影を?」
パシンと音がした気がして、頭の中が真っ白に塗り替えられてゆく。一気に抜き取られたように力を失った身体を抱き留め、アスはナオミの短くなった金の髪に指を潜らせた。
くくくっ・・・。低い笑い声が直に耳にかかる。
「シンタロー・・・」
「あなたの愛したシンタローは、もう死にました」
「いやっ・・・」
「死んだんです」
「いや・・・」
両腕に力がこもった。幼子のようにいやいやをするナオミを強く強く抱きしめる。まるで恋人のするような抱擁にはしかし、慈しみのかけらもこもってはいない。
「・・・わけないわ・・・」
腕の中でのわななきは、小さな言葉となってようやくアスの耳にも届く。
か細くはあったが明瞭にナオミはつぶやいていた。
「シンタローが、死ぬわけはないわ」
断言といってもいい調子に、アスは鼻白む思いにさせられる。
「だって約束、したもの。シンタローは必ず約束を守ってくれる人だもの」
「信じている、というわけですか」
あからさまにバカにしたように喉の奥で笑って、腕の力を緩める。右手で娘の細い顎を上向かせた。
ナオミの美しさはひそやかな夜の森にあっても光輝を放つようで、その類稀な容貌にはアスですらため息を落とさずにはいられない。
その想いがどれほど儚いものであるか。知らしめてやったときにこそこの美しさにも影が落ちる。見てやりたかった、その影を。
「ナオミさん」
さっぱりと切り揃えた金の髪に手を触れ、魔性の潜む両瞳を見つめ抜く。
「本当の貴女は、まだ眠ったままだ。その眼の奥に、一族最大の能力を秘めているというのに」
避けることはせず強い心で見つめ返す。
「私は、青の一族ではないわ」
凜としたつもりでも、声の震えは止めようがなかった。
「いいえ」
番人の青い瞳がぐんと近づいた。マジックの秘石眼の強さにもかつて慄然としたものだったが、その比ではない。ますます輝き、今にも燃え出さんばかりのアスの両眼に引き込まれそうになる。
「貴女は確かに持っています。青の力を」
青い光は瞳から大きく膨らみ、ナオミの身体を捕らえ、包み込み、染め替えようとする。
「青い玉の伝承者は、今まで何をしていたというのか。これほどの素材を得ておきながら、無駄にするようなまねを・・・」
「・・・マジックおじ様・・・」
方法はもしかして誤っていたのかもしれない。それでも伝承者なるマジックは、自分を大事に思ってくれていたのだとナオミは信じていた。伯父の今までの仕打ちに理由を求めたなら、必ずや愛に帰するだろうと。
しかしもはや抗えないほどの大いなる光の中で、ナオミは目を閉じた。沈んでゆく、どこまでも。そしてまた突き抜けんほどに浮かび上がってゆく。身につけているものを残らずはぎ取られ、裸にされてゆくような感覚の中で小さな身震い一つも許されはしないのだ。
それでも、不思議なほど恐怖や不安はない。みなぎり来る未知の感覚は、自分の奥底にある青のエネルギーにより押し上げられた歓びであるのは明らかだった。
「私が目覚めさせてあげますよ。貴女の中の、青の力を」
アスの言葉が意識の隙間にまがまがしくねじこまれた瞬間、はっきりと音がして何かがはじけた。
そこから広がってゆく、ナオミの青い力・・・。渦巻く青の中心に立って、最初こそ流されまいと必死だったナオミもいずれ染まりゆく。
「あ・・・・あああああ・・・・・!!!」
声すら以前のナオミとは違っている。猛々しく迸る雄叫びを背に聞きながら、アスは唇の端を上げた。
「お好きなだけ暴れなさい。今までの分もね・・・お嬢さん」
力を解き放った青の娘をそのままに、森を去りゆく。
いつしか生まれ出た太陽が全てを明るみの中にさらし、同時に影を作り始めていた。
「ああーー!!」
せきを切ってあふれる力の奔湍が、木々をなぎ倒し大地に亀裂を刻みつける。
瞳ばかりではない。金の髪、白い肌、全身に青い光がゆらめている。ナオミは両手を広げ、背筋をぐんと伸ばすように反らして瞳の奥の尽きぬ泉が流れ来るままにしていた。
かつて経験したような暴走とは違う。なぜならナオミには自覚があり、コントロールも自在に出来ていたのだから。
一族の誰が作り出すよりも正確かつ巨大な眼魔砲を、むき出しにされた本能だけでナオミは撃ち続けていた。原始的な喜び以外の何物もそこにはない。空を仰ぎ見る美しい顔は歓喜で満ちている。ある意味無垢でどこまでも純粋な闘争の魂が、青く光り輝いていた。
H12.3.14