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極彩の景色の中に、いつもいた。海も太陽も、何一つ今と変わってはいない。
ただ一つ違うのは、長い黒髪と鮮やかな笑顔が常にそばにあったこと・・・。
彼女は守り人として秘石に作られた、ジャンにとっては妹のような存在だった。このパプワ島で、長いこと二人で過ごしてきた。赤い秘石を守りながら。
伸びやかな肢体に簡素なワンピースをまとって、島を裸足でそぞろ歩く姿は美しく、動物たちは賛美と親しみを込め「島姫」と呼んでいたものだった。
目を閉じれば今でもはっきり思い浮かべることができる。真っ直ぐでつややかな黒髪と少し日焼けした肌、ハッとするほど朱い唇に浮かぶ笑顔、気の強い黒の瞳。彼女の全てはジャンの記憶の中でいささかも色あせてはいない。
「果物を採ってきたよ。昼飯にしよう」
南国のフルーツ一杯のかごを地面に下ろす。辺りに姿を探すと、揺れるハンモックが目に留まった。草木のつるでジャンが手作りしてあげたハンモックは、近頃の彼女のお気に入りだった。
「おい」
木陰に駆け寄ると果たしてハンモックの中、島姫はまどろんでいる。黒く長いまつ毛が印象的な寝顔に、ジャンは思わず微笑みかけた。気が強くてわがままな娘だけれど、こうして寝ているときは子供のようにかわいい。
柔らかそうな頬に触れようと手を出すと、突然その瞳がぱちりと開かれた。
「何すんのよ!!」
思い切りビンタを食らって、ジャンは吹っ飛んだ。
「・・・何もそんな怒らなくても。別にヘンなことしようとしたわけじゃ・・・」
「ごめんごめん。だって起きたらいきなりあんたの顔と手があるんだもん」
手形くっきりのほっぺを押さえてぶつぶつ言っても、からっと謝られるともう笑うしかない。
二人は大木のもとに腰掛けて、甘い果実を頬ばった。
「おいしいわ!」
「どんどん食えよ。いっぱい採ってきたからな」
「うん」
早くも三個目に手を出している。よく食べよく笑いよく動くからか、彼女は太陽の祝福のような健康美を備え、自ら輝きを発しているかのようだった。
「ホントおいしいー」
口の周りをべたべたにして笑う。この極上の笑みを見れば、食料を得るための骨折りなどすぐに忘れてしまう。
こうしてジャンは毎日働かされているわけだが、別に苦労は感じていなかった。空気も食べ物も水もおいしいし、動物たちは賑やかだし、何よりも彼女がいるから。
「なあ」
「ん?」
すっかり満腹になって、その場で昼寝の体勢に移行しつつジャンは横を向く。既に両腕を枕に寝転がっている横顔に話しかけた。
「二人きりってのもだんだん寂しくならないか?」
「二人きりじゃないでしょ。仲間がいっぱいいるじゃない」
早く夢の中に行きたいのか、いかにも面倒くさそう。ジャンはでも諦めない。
「動物じゃなくて、人間がさー」
少し上体を起こして右ひじを付き、顔を近づける。
「・・・子供でも作らない?」
またビンタが飛んでくるか。一応ジャンは用心したが、彼女は暴力行為に及ぶことはなく、ただぷっと吹き出すと大声で笑い始めたのだった。
「あははは。バカな冗談言わないでよ」
「冗談じゃないよ」
「ちょーっと、やめてよ気持ち悪い」
ますます近づいてくるジャンの胸を押し返して、ついでに腹に蹴りも入れてやる。
「うげっ・・・」
げほっ、と咳き込んで背を丸める。手加減ということを知らないんだ、この娘は。
島姫はジャンに背を向けて目を閉じた。
「呆れるくらい長い時間一緒にいるんだから。今更そんな気になるわけないでしょ。指一本でも触れたら許さないからねッ!」
「ちぇッ・・・」
子供が欲しいのも確かだけれど、それより触れてみたい。なんてことを言ったら確実に殺されてしまうだろう。
くすん・・・。文字通り泣き寝入りのジャンだった。
「その方が私を産んだお母様なの・・・?」
ジャンは頷いた。
「ホコラの中で話したとおり、俺は青の一族の中に入り込んで、結局殺されちまった。多分アイツはそれでヤケになったんだと思う。命をかけて青と赤の子を作り、青の中に紛れ込ませたんだ」
「・・・・」
「混乱を招くためにな・・・。そう、それがお前だ、ナオミ」
何も言えなかった。ただ理解したのは、ジャンが自分を許さない、と言った理由だけだった。
長いこと一緒にいた妹のような存在の島姫が、自分を産むために命を落とした。だから・・・。
『・・・相変わらずねえ、ジャン』
「!?」
どこからか女性の声がしっとりと洞窟に響く。聞いたことのある声に、ナオミの心臓は強く音を立てた。ジャンやカムイ、ヨッパライダーたちはもっと強い驚きに見舞われる。
「この声は・・・」
「島姫?」
「おまえなのかッツ!?」
ジャンは姿なき声に呼びかける。大切な名を、大きく呼びかける。
「颯華!」
「颯華、いるのか!? いるなら出てきてくれ、オバケでもゾンビでも何でもいいから!」
「・・・バカ」
洞窟の入り口辺り、ヨッパライダーが顔を覗かしているすぐ前の空間がゆらいだ。赤く濁り始め、淡い光が広がる。やがて赤の光は女性の体のラインを縁取り、その中に黒髪とワンピース姿の島姫が姿を現した。
「颯華!」
夢中で突進し両手を広げるジャンだったが、彼女の体を見事にすり抜けて壁に激突してしまう。ジャンに押し込められているリキッドが悲鳴を上げた。
「・・おい・・・」
だらだら血を流しながら仰ぎ見ると、颯華は無邪気に笑っている。
「何も考えてないところも進歩なしねージャン。変わらずバカでいてくれて、とっても嬉しいわ」
「・・それはどうも」
何だか分からないが、嬉しいと言っているからいいのか。ともかく体がすり抜けてしまったということは、やはり彼女は肉体を失ってしまっている。守り人は幽霊として皆の前に登場したというわけだ。
「お久しぶりね、カムイ、ヨッパライダー」
「島姫・・・」
「おまえ・・・」
何か言いたげで言えない島の二人から、今度はナオミに視線を転じる。麗しい金の髪と青い瞳を持った娘は、一心にこちらを見つめていた。自分の中に吹き荒れる直情を自分で処理できていないのだろう。無理もないことだ。ナオミの整った顔立ちからは喜怒哀楽のいずれも読み取れなかった。
「・・・あなたは・・・やっぱり、夢じゃなかったの・・・」
ようやく押し出すように、ナオミはかすれ声を出した。目の前にいるのは海辺で抱きしめてくれた南国美女だ。彼女がジャンの大切な人・・・。赤の守り人。そして・・・。
「お母様・・・」
颯華は微笑んだ。母と呼ばれて嬉しかった。それでも笑顔には哀しみが交錯する。
「颯華、俺の仇討ちのつもりだったのか、こんな娘を作るなんて」
「『こんな娘』ですって!?」
本気の怒りを込めてにらみつけると、さすがのジャンも気圧されてしまう。颯華はつんと顎を上げた。
「自分中心なとこが変わってないっていうのよ、ジャン。誰があんたのことなんかでヤケになるものですか」
あんた『なんか』と言われて、傷心のジャンだった。
「じゃあ、どうして・・・」
「・・・青と赤の、融合を・・・」
守り人は言いよどんでいた。言いにくい内容であるというより、何と表したものか言葉を見つけられなくて、困っているようなたどたどしさで。
「何ていうのかな、争いなんてやめて欲しいのよ。仲良くして欲しいの。赤と青の橋渡しみたいな・・・そんな存在を作りたかった。命をかけてでも。だから私は青の一族の男を手に入れ、あなたを産み出したわ」
自分に向けられた言葉に、ナオミは顔を上げて母を見た。颯華はジャンに対するのとは180度違う優しさで、情愛に満ちた眼差しを向けてくれている。ナオミはそれだけで幸せだった。
「誰なんだ」
口を挟んだのは、シンタローだ。
「ナオミの父親は・・・その青の一族の男とは、一体誰なんだよ」
厳しい声の調子に、颯華も唇を引き締める。
「普通の方法で子供を産んだんじゃないわ。私は娘のままでナオミを作った。マリアさまみたいにね」
問いに直接答えていない。再び口を開きかけるシンタローを身振りで止めて、続けて話す。
「ジャンが殺された数日後に死んだ青の男を、私はこの島に連れてきたわ。彼の肉体から青の力をもらって、私の赤と融合させ赤ん坊を作るのに、二年ほどもかかった。辛かったわ・・・。ようやく出来た女の子を青の一族のもとへ送り届けたとき、私も死んじゃった」
死んじゃった、なんてごく軽く言い放って、肩をすくめる。
ジャンが殺された数日後に死んだ、青の男。
赤の守り人の言葉を胸内で繰り返し、一番最初にピンと来たのはサービスで。
「ルーザー兄さんか・・・!?」
つかみかからん勢いで身を乗り出す。
「ルーザー兄さんの遺体が見つからなかったのは、そういうわけだったんだな!」
「サービス」
ジャンが後ろから親友を止めた。気持ちも分からないでもないが、彼女が責められるのを見過ごしてはいられない。
島姫は小さくごめんなさい、と呟く。サービスもとりあえずは怒りをおさめた。
「私がお父様の娘だというのは、本当だったのね」
経過はともかくとして、自分の父親はルーザーなのだ。昔から信じていた通りだったので、ナオミはほっとした。キンタローとは腹違いの兄妹ということになろうか。
「ルーザー兄さんを・・・。赤の守り人とやら、とんでもないことを」
死んだ男を勝手に連れてきて、勝手に子供を作るなんて。
「ええ、分かっているわ。自分がしたことの罪」
黒の瞳をサービスに向ける。隣にいたジャンが口をとがらせた。
「そうだよ、よりにもよって、ルーザーとの間に子供を作るなんて・・・。俺が言ってもずっと断ってたクセに」
「そういう問題じゃないでしょ」
かなりズレている。
「それだけじゃない。あの男は・・・ルーザーは、俺を・・・」
気付く者がサービス以外にいたかどうか。ぎりぎり固く握ったジャンの手は震えていた。洞窟の壁面をにらむようにして、結局言いかけた言葉をのみこんでしまう。
沈滞した雰囲気の中で、次に口を開いたのはグンマだった。
「おじ様、みんなも・・・。もう、やめようよ。ナオミがかわいそうだ」
ルーザーを最も慕っていたのがサービスだ。颯華を責め立てずにいられないのももっともだけれど、同時にそれはナオミの存在を否定することになるまいか。これ以上傷つけたくない。グンマは必死だった。
「グンマの言うとおりだ」
シンタローも口を添える。
「ナオミのことも考えてくれ・・・」
「・・・・」
みんなの視線の中、ナオミは立ち尽くしていた。同情を一身に浴びて、居心地の悪い気持ちになる。
「ナオミ」
母がすっと歩み寄って、微笑む。ナオミも背が高い方だが、颯華はもっと長身だった。
「ちょっと、いい?」
二人きりで話したいと求めた守り人に奥の個室を提供してくれたのはタンノくんだった。壁にも天井にも、シンタローの絵がたくさん飾られている部屋に、ナオミは母と二人で座していた。シンタローの他はハートやピンクで統一された乙女ちっくなタンノくんのお部屋だった。
シンタローの顔がプリントされたクッションに身をもたせかけて、颯華が口を開く。
「ナオミ、私はもうすぐ消えちゃうの。その前にあなたと話をしたくて」
「消えるって・・・」
せっかく会えたのに。哀しい瞳で見ると、母はわざと笑った。
「もともとユーレイだから。限界なのよ。・・・でも、その前にあなたに会えて良かったわ」
「・・・お母様」
言いたいことがたくさんあるはずなのに。実際に口に出す段になると、ただその一言にしかならない。
「母と呼んでくれるのね。嬉しいわ・・・そんな資格、私にはないのに」
笑顔に切なさが広がってゆく。非難されても当然だと思っていた。全て自分の勝手でしでかしたことだから。
「でも、お母様は私をこの世に誕生させてくれたわ。私、生まれてきて良かったもの」
「ナオミ・・・」
期せずして、颯華の頬に熱いものが伝った。
「やだ・・、幽霊でも、泣けるのね」
指先でぬぐって、照れ笑いをする。見るとナオミももう泣いていた。白い絹肌に涙が光っている。
いとおしかった。抱きしめたかった、かわいい娘を。しかし幽霊ではそれも叶わない・・・。
(ううん・・・)
少しの間だったら、実体化できるはずだった。消えるのは早くなるけれど。
颯華は自らに残る力を集めて、肉体を形作った。手を伸ばしてナオミに触れる。
「・・・あ・・・」
「いらっしゃい」
胸に強く抱き寄せる。
「お母様」
「ママ、って呼んでくれれば嬉しいな」
「・・・ママ」
腕を背に回して、豊かな胸に顔を埋める。夕暮れの海岸でも抱き寄せてもらったけれど、夢のようだったあのときと違ってはっきりと感じることができた。母の匂い、柔らかな胸、優しい腕・・・。
ナオミは今、生まれて初めての母の抱擁を受けているのだった。
「ナオミ、秘密の話をしてあげる」
体をずらしてあげて、今度は膝枕の体勢になる。最大の慈愛を込めて娘を見下ろし、金の髪を幾度も撫でた。
心地よさにナオミは目を細める。小さな子供のように甘えて、黒髪の先をいじった。甘く深い安心感の中に漂って、胸は幸せで一杯だった。
颯華は静かな声で話し始める。
「・・・ねえナオミ、あなたを産み出したのは、争いをやめさせたかったからって言ったわね」
黙って頷く。颯華も同じように頷いた。
「それは本当なんだけど、もっと大きな理由が他にあったの」
続けられてゆく秘密の話。声はほとんど囁くようになって。
ようやく聞き取れた言葉は、それは小さく優しい告白で・・・。
「私、ルーザーを愛してしまったから」
H12.3.21