第2話・不思議の島
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「あれがパプワ島か」
金髪のシンタローは窓辺に立って、見下ろしていた。南海の上にゆったりと浮かぶ原色の島を。
「あそこに、あいつがいる。俺が殺すべき男が」
隣でナオミがそっと見上げると、男の燃え上がるようなふたつの瞳が眼下の島を射抜いている。そのすさまじいほどの気迫に戦慄を覚え、ナオミは目をそらしてしまう。
「あいつを殺して、俺は俺になる」
「・・シンタローさん」
そんなことは、耐えられなかった。大好きなシンタローと、もう一人のシンタローとが戦うなんて。
胸の前で強く両手を組み、ナオミはそれでも“やめてくれ”とは言えないでいる。
目の前のシンタローの頭の中には、ニセ者を倒すことしかなく、強すぎるその願望が正直恐ろしい。しかし、それは彼にとっては当然の思いでもあった。24年間肉体を乗っ取られていた相手を滅ぼし、今こそ自分自身に戻りたいという純粋な欲求がシンタローの全てを支配している。それは決して、責められるものではない。
ナオミは一緒に島を眺めながら、少し怖くなっていた。叔父のハーレムには、運命だと受け入れ、パプワ島に行くと告げたが、今金髪のシンタローの様子を見たことで、ある不安を抱き始めたためだ。
そっとうつむき、左手で自分のまぶたに触れる。不安の種は、他でもない自分自身のこの青い瞳、秘石眼だった。
何かのきっかけで、制御できないくらいに感情が高ぶると、秘石眼はすさまじいパワーを解き放ち、辺りをがれきの山に変えてしまう。
ナオミは過去二回、この力の暴走を経験している。同じ過ちを繰り返すわけには決していかないのだが、あの島で起こるであろうことに間近で接して、それでも自分を律していけるだろうか。自信はなかった。
「ようやく着いたか」
金髪のシンタローは、ナオミのそんな気持ちには露ほども注意を払っていない。飛行船がぐんぐん降下していく感覚に比例して、己の欲望を募らせるばかりだった。それは獣のような、獲物を目の前にしたときの本能的な欲望。青い眼が、剣呑な光を増してゆく。
「待ってろよ、ニセ者・・・」
軽い振動が身体をゆさぶる。いよいよパプワ島に着陸したのだった。
「わァ・・・」
編み上げのサンダルで島に降り立ったとき、ナオミは思わず歓声を上げていた。
太陽は真上から強い光を降り注ぎ、熱をはらんだ風が不快ではなくまとわりついてくる。
「すてきね!」
生い茂る緑が作り出す、濃い大気を胸にいっぱい吸い込んでみる。原始的な島といえばそれまでだが、ナオミを魅了してやまない大きな自然をこの小さな島は持っていた。
深呼吸をすると、草や木や土のにおいを感じる。ナオミは不思議な気分に包まれ、まぶたを閉じた。
皮膚の表面から、空気の粒子が浸み入ってくる。心が落ち着く、とてもとても懐かしい気持ち・・・。
ハッと目を開ける。なぜ、“懐かしい”なんて感じたのだろう。
この島に来るのは初めてだ。映像ですら、見たことはない。そういえば今朝の夢にはそっくりだけれども、この強烈に胸へと迫り来る懐かしさは、それだけではないように思えた。単なる既視感とも思えない。
遺伝子の奥底で、何かが符合したようだ。安らぎの中でナオミは自信をも勝ち得た。秘石眼の力を、この島にいることでコントロールできるであろう揺るぎない自信を。
ここなら、大丈夫だ。何があっても、自分は自分でいられる。
ナオミは隣に立った金髪のシンタローを見上げた。シンタローの瞳から殺気が消えているのを見て、ホッとする。この島の不思議な力がそうさせているのだろう、シンタローも黙って辺りを見回していた。
「森の中は、初めてだ」
気が抜けたような、子供みたいな言い方にナオミは小さく笑いを洩らす。
「私も、初めてよ」
初めてだけれども、初めてじゃないような。彼もそんな感覚を味わっているのだろうか。
ハーレムや特戦部隊の面々は、まだ下りてこない。準備に手間取っているのかも知れない。
待ちきれなくて、ナオミは駆け出した。もっともっと、体中で感じたい。この大地の息吹を。目に見えるもの、耳に聞こえるもの。足の裏から、呼吸から。五感全てを使い、吸収したかった。このパプワ島と、一体化できるくらいに!
「・・・きゃっ!」
何者かに急に腕を引かれ、つんのめりそうになる。心臓がドキンと跳ねた。体勢を立て直して振り返ると、一本のつるが腕に巻き付いているのだった。緑の細いつるだが、まるで意志を持っているかのように、しっかりとつかんで離さない。
「やだ・・・」
ふりほどこうと腕を振ったりもう片方の手で取ろうとするが、ナオミの細腕では無駄に終わる。そのうち、横から花が近付いてきた。どくどくしいほどの赤い花。花弁の中央に何故か人間のものと同じ唇があって、白いとがった歯と長い舌がのぞいている。
「やーっ」
噛まれてしまう。花に噛まれるなんて、いやだった。両手をいやというほど振り回していたら、そのうち、つるは外れてしまった。
ドキドキは治まらない。胸に手を当てて、息を一つつく。ようやく落ち着くと、今つるを外したのは自分の力ではないということに思い至った。
そっと振り向くと、後から追ってきた金髪のシンタローが、引きちぎったつるを投げ捨てて踏みつけているところだった。
「あ、ありがとう」
青い瞳を足元からナオミの方へ上げて、シンタローは無表情のまま先に歩き出す。
「俺から離れるな」
低い声に、頷いて応えた。
「それにしても、変わった植物ばかりね」
珍しいものばかりだから、あちこち見回すことに忙しい。シンタローも同じらしく、歩みはゆっくりとしていた。
「図鑑に載っていないものばかりよ」
とんでもなく大きな花、人間のような目鼻のついている大木、踊るように自在に動く草木。二人はそのひとつひとつにいちいち感心していた。
ナオミは、自分の知識外のものに出会えた感動に心をときめかし、かたやシンタローは24年振りに取り返した身体で触れる初めてのものたちに、態度には出さないが満足していた。
ガサガサッ。茂みが動く。
ナオミは反射的にシンタローの陰に隠れたが、そこから出てきたのは、二匹の可愛らしい動物だったので、今度は歓声を上げて走り寄る。
「まあ、かわいい!」
茂みのそばにしゃがみ込んで、そっと手を出してみた。
「動物もいるのね。カンガルーネズミに、アライグマだわ」
「おねえちゃん、誰?」
「さっきの大きな鳥に乗ってきたの?」
小動物が、当然のように話しかけてくる。
「あら、お話できるのね。私は、ナオミよ。そう、飛行船に乗ってきたの」
ナオミも、当然のように返した。にこにこ満面の笑顔で、背後のシンタローを見上げる。
「かわいいわね。ほら、シンタローさんももっと近くにいらっしゃいよ」
あえて逆らわず、シンタローも近寄って屈んだ。物珍しげに二匹の動物を眺める。柔らかそうな動物は、ナオミに頭を撫でられて心地よさそうに目を細めた。ナオミの白いたおやかな手が眩しく映る。
「ナオミちゃんって、かわいいね」
「女優さんみたいー」
「お上手ね」
くすぐったそうに笑う。そんなナオミと動物達を順に見て、シンタローは感慨深くつぶやいた。
「しゃべる動物を見るのは、初めてだ」
「私もよ。やっぱり外のことは、外に出てみないと分からないものね。現実は、テレビや本とは違うのよね」
こんな現実は、普通ではないのだが。ナオミもシンタローも長い間閉じ込められていたため、非常にキャパシティは広い。今ならどんなものを見ても「これが外の世界なんだ」で片付けることができる、無敵の二人なのだった。
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