カウンタ4000突破記念 光夢さんリクエスト小説  第7話・罪深く愛してよ

 

 ナナが自分の身体に変化を感じ取ったのは、夜が長くなり、風も肌に涼しく感じるようになったある日のことだった。
 その日、ナナは心地よい風を入れるために窓を開け、もうすぐ研究所から帰ってくる夫を待ちながら夕飯の支度をしていた。
 ガンマ団には専属の料理人もいるが、ルーザーはプロ級のシェフが作った物よりもナナの手料理の方を好んで食べていた。食が細いルーザーのために、好物のカプレーゼ(トマトとモッツァレラチーズのサラダ)を作る。
 不意に、吐き気がナナを襲った。そのままキッチンの流しに嘔吐してしまう。突然のことに驚きながらも、どこかに冷静な自分がいた。
 もしかしたら、これは。
 明日、病院に行ってみよう。

 その次の夜、食事の後に、大事な話があるからと言われ、ルーザーは改まった様子の妻に向かい合ってソファに座った。最初はどんな話なのか見当もつかず、黙っていたが、彼女の口から次の一言を聞くと、動揺のあまり体をこわばらせて動けなくなってしまった。
「ルーザー、私、赤ちゃんができたの」
 と、妻は、少し恥じらうように告白したのだった。
 穏やかな微笑みすら浮かべているナナに、すぐには言うべき言葉が出てこない。
「・・・そんな、ばかな・・・」
 ようやく出せた声は、震えていた。
 避妊はしていたはずなのに。・・・いや、そういえば、たった一度だけ・・・。
「あのとき、か・・・」
 自分に言い聞かせるようにつぶやく。一番最初に交わったとき。確かにあのときは、そんな余裕はなかった。
 さまよわせた視線を妻に戻す。ナナは受けて、軽く頷いた。
「そうよ。あのときよ」
 たった一度の行為が、懐妊させた。こうなる可能性だって、当然あったのだ。
 ナナはルーザーの慌てぶりを見て、あの日強引にねじふせられた、その仕返しができたような気になり、心の中はちょっとだけ愉快になっていた。
 何でも自分の思い通りになんかならないのだから。
「ナナ、分かっているよね・・・赤ちゃんなんて産めば、君が死んでしまう。堕ろしてくれるよね?」
 こう言われることも、ナナには予想がついていた。かぶりを振って夫を真っ直ぐに見据える。
「私、産みます」
「ナナ・・・!」
 医師の診断により、妊娠という事実が初めて自分のものとなったとき、ナナはどんな感情よりも先に無上の喜びを覚えた。
 それはお腹の生命と同時に、突然に生まれた母性だった。
 ここに、自分の中に、小さな小さな命がある。自らを犠牲にしたとしても、何としてでも守りたい命がある。
 愛しくてたまらなくて、まだ膨らんでもいないお腹を優しく撫でさすったりしてみた。
 そして、決めた。夫や周りの人に反対されるのは明白だけれども、この子は産んでみせる。必ず、この世に送り出してみせると。
「死んでしまうんだよ、ナナ」
「仕方ないわ。私は構わない」
 実際、この幸福感を抱いて死ねるのなら、それでも良いと思う。
 しかしルーザーには、妻の気持ちはさっぱり分からなかった。誤って出来てしまった赤ん坊のために、命を捨てようとまでするなんて。常軌を逸している。
 そのように告げると、ナナは大きな瞳を哀しみの色に染めて、深く息をついた。
「ルーザー・・・あなたは勝手すぎるわ。この子は、あなたの子供なのよ。私を妻にしたときに、生まれた命なのよ!」
「でも・・・」
 望んではいなかった。その言葉はのどの奥に引っ込める。妻の瞳には有無を言わせぬ迫力があった。
 こんなに強い女だったろうか? こんなに、自分が何も言えなくなるほど。
「この子を失うようなことがあれば、私も死ぬわ」
 小さな命が強さをくれた。もう、怖いものなんて何もない。
 ナナの全身には、今まで見たことがないくらいの生命力が満ちあふれていた。

「そうか、子供が・・・」
 次の日に、時間をもらってマジック総帥の前に座ると、ナナは早速妊娠のことを報告した。
 義兄となるマジックは、表情こそ変えなかったが、重い声を出したきり押し黙ってしまった。
「ええ。三ヶ月なんですって」
 対照的に明るい調子で、ナナは微笑んでいる。いぶかしげなマジックに対し、言葉を補った。
「産みます。私の命と引き替えに、この子を産みます」
 その断固とした口調に、ため息が落ちた。総帥の椅子から立ち上がると、窓の外を眺めるふりをする。空は眩しいほど青かった。
「ナナ・・・。一族のためなんて、思わなくてもいい。お前が死んだら、あれはどうなる」
 ナナを心から想っているルーザーのことだった。マジックは、弟の特殊な性状を知っている。ナナを失ったら、どんなことになるのか。兄として、また総帥としても、これは危惧すべきことだった。
「いいえ。私は、私とこの子のために」
 ほとんど叫ぶように、ナナは言った。一族のためなんて、思ってもみなかった。ただ、守りたい。それだけだ。
「そうか」
 振り返ることはせずに、返事に諦めの調子をにじませる。マジックは窓ガラスに手を当てた。
「うちのと同じだな」
 奥さんのことだ。ナナは胸を軽く押さえた。これは、嫉妬。密かに愛している人の奥さんに対する嫉妬心は表に決して出せず、ただ痛む心を我慢しなければならない。
 彼女も、妊娠したと聞いた。同じように、命を賭して産むのだとも。
 母としての気持ち。ルーザーにはさっぱり分からなかったが、兄のマジックはおぼろげながら理解し始めていた。
 何よりも強く、何ものにも侵されない、母性というものを。
「私には何も言えない。長い間親しくしてきた君を死なせたくはないけれど・・・」
 言葉が詰まって、それ以上は続けられなかった。
 ナナを失うと思えばマジックの心は深い哀しみに覆われる。しかし同時に、一族の人間が増えることを喜ぶ気持ちも否めなかった。因果なものだ、青の秘石の伝承者とは。
「済まない、ナナ」
 自分たち一族と関わったことで、今、彼女は命までも奪われようとしている。マジックには頭を下げて詫びることしかできない。
「そんなことをしないで。私がそう決めたの。だから」
 健気に微笑む義妹のために、何もしてあげることができない。

 午後には夫に誘われ、散歩に出た。小高い丘に立って、風を受ける。眼下にはなだらかに続く草原があり、鮮やかな緑は遠くの林まで続いていた。
「やっぱり、気持ちは変わらないんだね」
 いつもと同じ静かな声は、苦悩に沈んでいる。ナナは笑みをにじませた。
「変わらないわ。あなたの子を、産むわ」
「ナナ・・・」
「ルーザー。赤ちゃんの命も、私と同じよ。同じ一人の人間の命なのよ」
「・・・」
 意外な言葉に、ルーザーはきょとんとして妻を見た。慈しむように、彼女はお腹に手を当て見下ろしている。それは一度も自分には向けられたことのない、無限の愛情をたたえた眼差しで。
 しかし、ルーザーには愛するナナと影形も見えない赤ん坊の命が同等とはとても思えないのだった。
「ぼくには分からないよ」
 風が吹き、ルーザーの金の髪も、ナナの茶色の髪もさらさらとなびかせた。その風と同じくらいのさりげなさで抱き寄せ、囁く。
「君を死なせたくない」
「・・・そのうち、分かって」
 ナナは息を吸い込んだ。夫の服から、香水のいいにおいがする。
「命は繋がっていくことを、分かって・・・」
 いつか理解してくれるのだろうか。この意味を。
 理解してくれたそのとき、夫は罪深い心で愛してくれることだろう。そして、自分も初めて夫を愛せるようになるのかも知れない。例え遅すぎたとしても。
 ナナはそうなることを夢見て、そっと瞳を閉じた。

 

 

 

END
 
 

 あとがき&歌詞

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