やがて時は満ち、赤の世界に亀裂が生じた。目覚めを知り、腕を伸ばす。破れ目に指をかけると、自分のものとなった体の感覚を確かめるようにゆっくりと、手で引き広げた。
とたんに外の風景が目に入る。暗いホコラの中にあって尚輝きを放つ金の髪が眩しかった。
こちらに注目している青い眼が驚きに見開かれ、それから、満面の笑顔と変わる。
「シンタロー!」
喜びに弾んだ声が反響する。
何度も名を呼んでいてくれた、愛しい声が。
「シンタロー・・・」
無上の嬉しさに、瞳はほんの少しうるんだ。さなぎの名残に赤く照らされたシンタローの黒髪もにじむ。長い黒髪、黒い瞳。シンタローは、シンタローの姿のままで、ここに帰ってきてくれた!
「シンタロー!」
さなぎが割れるのと同じように、ナオミの情熱もはじけた。両手を伸ばして、シンタローの身体にしがみつく。
「ナオミ」
今目覚めたばかりのシンタローにとっても、娘に触れることが完全に自分を取り戻す手助けとなった。指先から胸から、喜びが実感と共に染み込んでくる。
この島で初めてナオミを見たときに、崖から飛び降りるナオミを受け止めることができなかった悔しさを思い出した。もう二度と、あんな思いはしたくない。儚くたおやかな存在を、この手で守り抜きたい。
力を加える。腕の中の細い体が、喜びにうち震えているのを感じた。まるできれいな小鳥のように。
「よかった・・・よかったわ、シンタロー」
腕の力をゆるめてやると、ナオミは身じろぎをして顔を上げた。泣き笑いのような表情で、健気に見上げている。
「心配かけて、ごめんな」
ナオミは首を振る。
「謝るのは私の方だわ。私のせいで、シンタローはこんなことに」
夢中で放った眼魔砲がシンタローの胸を直撃した、あのシーンはナオミの頭に悲しいほど鮮明に残っていた。
「ナオミのせいじゃないよ。そんなふうに考えないで」
あれは単なる引き金に過ぎなかった。ここに至るまでの、そしてまたこれから起こること全ての。
髪をなでる。つやつやしい金髪は、指先に心地よくからみついた。
ナオミは再び顔を上げる。シンタローは軽く膝を曲げる。二人の距離はもっと狭まった。
(・・・・!?)
自分の体の中にもう一つの息吹を感じ、シンタローはふと動きを止めた。ねだるようにしがみついてくるナオミに、軽く首を振って見せる。
ナオミが求めているのは分かっている。同じように、自分も彼女を欲しているのだから。
それでも、今ここでナオミに口づけることはできなかった。
「シンタロー?」
どうして? 訴えてくる青い眼は、この上もなく愛しいものであったけれど。
「・・・オレの中に、ジャンがいる・・・」
不快というのではないが、確実に存在は感じる。ジャンも自分自身の一部だとは分かってはいても、単純な嫉妬心からやはりジャンをナオミに触れさせたくはなかった。
ナオミも理解したのか、腕の力を抜いた。ちょっと照れたような笑顔には、残念な気持ちをにじませて。
それでも、シンタローが戻ってきてくれたことだけで満足だった。
鳥の鳴き声が不意に聞こえ来る。
朝がやってくる気配を知って、シンタローはナオミを空の下へと導いた。ホコラを出て、草木をかき分け海辺へと歩く。手をつないで、少し足早に。
「見てごらんナオミ、陽が昇るよ」
もうすでに空は昼間と同じ明るい色をして、眠る海を抱き込んでいたが、日の出はこれからだった。シンタローが指さす方向を見ると、ひらけた視界に広がる海の、一部分に光が集まっているのだった。
あそこから、太陽が顔を出す。ナオミは心臓のドキドキを聞いていた。
「初めてだわ。陽が昇るのを見るのは」
最も輝く水平線から、とうとう赤い光がこぼれた。生まれたての太陽は、まるで高熱で溶けた金属のような、燃えさかる熱い色をしている。
昨日見た夕陽とは色も大きさも違うように思える。朝日の方がいくぶん小さい気がするが、夕陽がもの悲しい赤で辺り全てを優しく包み込むのに対し、朝日は何物をも染めない激しく力強い色で自己主張をしているようだった。
みるみるうちに、陽は昇る。太陽の動きの早さだけは、朝も夕も共通していた。
海上に、太陽の影が伸びた。それはきらきらとした光が作り出す影。光の影なんて、まるで正反対のこの世にありえないような言葉だったが、ナオミは自分で思いついたこの表現が気に入った。
燃えるような赤はやがて金色へと変わり、もはや直視できないほどに強い光を放ち始める。
ナオミは大好きなシンタローと手をつないで、じっと見つめていた。いつしか感動が胸を満たしてゆくのもそのままに、眩しさに目をそらすまで。
海から光の影が消えて、青い輝きが蘇る。
朝露をたくさん含んだ森も、緑の葉、赤い花、とりどりの木の実。それぞれの色彩を取り戻した。
そして、賑やかに活動を始める鳥や昆虫や、さまざまな島の生き物たち。
太陽は生まれ、朝が来た。
原色の島が、今、目を覚ます。
H11.8.23