| ■ つまづき |
| 野上ひな乃は苛ついていた。
理由はわかっている。場所は、いつもならまず来ないであろう談話室。ひな乃の向かいには街角で自分を捕まえた男が座っている。捕まえたといっても、別にひな乃は何もしていない。むしろアクションを起こしてきたのは男の方だった。
しかしあたしは何故ここにいるのか?何故この男が向かいに座っているのか?それにしても先ほどからこの男、言いたいことを話しているのだろうが、あたしにはまったく興味の無い話なので、はなから聞いていない。何をそんなに熱く話しているのだろう?分からないことだらけだ。 やたら嬉しそうに話す男は、よく見たらこないだ見かけた物好きな男だ。あの時感じた印象そのままの、なんとも言えず目付きも悪く、奇妙な格好の憎々しい男だ。黙ってそれなりの服を着ていればいい男なのだろうが、何故今ゲタ?そうだ、自分を追いかけてくる時もゲタの音がしていたな。何の音だ、なんて振り返らなきゃ良かったよ。あの時、視線が合いさえしなければ、こんなことには・・・今更後悔しても遅い。 「あんたの横に、子供が、いる?」 そう言って男は自分を呼び止めた。 子供?水子か?身に覚えは無いぞ。なんてお約束はさておき、どうやらそいつには見えているらしい。護法童子が。通常の人間には見えていないはず。見えても影としか。関係者にしかはっきりとは見えないはずなのに。 もしやこいつ、関係者なのか?こんなプーさんみたいで?あ、なりは関係無いか。自分も人のことを言えた義理では無いことを思い出した。 そんな訳で、どんな奴にこいつら護法が見えているのか、こいつら護法はどんな風に見えているのか、そんなのに多少なりとも興味が無かった訳でもないので、この男の話に少し付き合ってやる気になった。男の口ぶりだと「黒っぽい子供」・・・焔か。後で、お前のせいで面倒なことに、といじめてやろう。
そして今に至る訳なんだが、何かおかしい。というのも会話が一向に進展しない。むしろ後退?男はしゃべり倒して、あたしは聞いているだけ。なんだそれ。 聞くだけでもいいんだが、あたしは護法(仮)の話をしに来たのであって、男の研究成果や興味対象の話をしに来た訳ではない。むしろどうでもいい。 そして決定的に腑に落ちないことに、今あたしの肩元には桃姫がいる。もう一人の護法童子だ。でも男はそのことには触れもしない。渦中の(厳密には論外かも)焔には消えてもらった。焔を見る度に何か言われたらたまったもんじゃないからな。もしかしてこいつ、焔しか見えてないのか?それとも見えていながら触れていないのか。だとしたら役者だな。しかしこの男。確かにどこか風変わりな人間だとは感じたが、霊感の類までは感じ取れない。どっちかとゆーと、霊感でもなく直感でもなく、体育会系のにおいがする。頭よりも体!みたいな。行けども行けどもつかみ所の無いタイプ。 あーめんどくさーい。 適当に付き合って適当にはぐらかそうと思っていたけど、こんなどうでもいい話にいつまでも付き合ってやるほど、あたしの心は広くない。時間と人生の無駄だ。人間じゃないけど。寿命は長いけど無限じゃないしね。 どうせさっきから相づちも打って無いし、最初の論点からずれていることは明白だし。これ以上聞いてやる義理も無いだろう。なによりこいつは、あたしが今この話を聞いていないとわかっているのだろうか。それとも聞いているとでも思っているのだろうか。どっちにしろ、めでたい男だ。
だんっ!
人の手越しにテーブルを打つ、ちょっと響かない音。しかし静かな店内に威圧を示すには十分だろう。 打ち付けたのはひな乃。彼女の手の下になっているのはさきほどの男の右手である。彼女が手をテーブルから離すと、長い針のようなものが男の手に刺さっていた。見た目の傷口以上に出血はしているようだ。何が起こったかわからないらしく、男はきょんとしていた。店内の人間ももっと騒ぐかと思ったが、案外すぐ元に戻ったらしい。若者の痴話喧嘩は気になるが、刃傷沙汰は誰だってごめんだろう。その前に痴話喧嘩でもないんだけどな。 「…」声も無い。「何か言うこと無いの?」「あーびっくりしたー。」そう言って男は顔色も変えずに手をぶらぶらさせる。 違う。欲しかった反応はそんなんじゃないんだけどな。 なんてどこか冷静に思いながら、ひな乃は何かを待っているようだった。 「あ、すげ!この針抜けねーよ。でも痛くないや。血はしっかり出てるのになー」しっかり出たというその血は、ほんとにこの傷から出たのか?と聞きたくなるほどで、テーブルにも。ひな乃が打ち付けたせいで跳ねたのだろうか。服に飛ばなかったのがせめてもの救いだろう。「うわーこの針、抜けねーし折れねーよ。あ、折ればマズイか。ハハハハハ。」 笑い事らしい。いくら待ってもその男は怒る気配を見せないので、ひな乃は言い出すタイミングをつかめずにいた。 「ばかだこいつ・・・。」 そうつぶやいて脱力するしかなかったが、いつまでもそのままでいる訳にも行かない。 もういい、こんな奴とは積極的に関わり合うことは止めよう。めんどくさいから。 男は傷に夢中なので、席を立つなら今だろう。そう思って伝票を掴み、鼻で笑いながら「ここ、払うから。ごゆっくり。」別に相手に聞こえなくてもいいといった感じで口に出したが、相手には聞こえていたらしく 「俺、真司。君は?」 「何よ、慰謝料でもふんだくろうって気?」 嫌味たっぷりに、でも払う気なんか更々無いといった態度でひな乃は答える。 もともと、声を掛けてきたのは向こうなんだから。問題の原因は全部こいつか、一般人に見られるようなヘマした焔よね。 さすが、常日頃「自分が一番かわいい」と豪語してるだけのことはある物の考え方だ。 「傷は男の勲章だからねー。これくらいなんでも無いさ。ここ奢るからさ、奢る人間に名前くらいは明かそうぜ。」 どこまで本気なのだろう、このふざけた男は。少なくとも「成功しないナンパ例その4」くらいには位置するなーなんて訝しく思いながら答える。 「・・・知らないの?ここ、高いのよ。」 そう言って伝票を真司と名乗った男にチラと見せる。 「ぐわ!ほんとだ。市価の3倍?」 「無茶はしないことね。」 言い捨ててひな乃は二人分の会計を済ませて出て行った。 「どっちの意味かなー。」 一人残された男は誰に聞かせるでもなく、つぶやきながら右手の傷を止血しようと見やった。
この針はどうやったら抜けるのか、そもそも針なのか?調べてみる価値はあるな。そう考えると自分の傷すらも嬉しくなってしまう、やはり探求者の性であろうか。
しかし右手に傷は無く、それどころか針も無かった。もちろん出血の後も無ければ傷痕も無い。派手に飛んだはずのテーブルにもその痕すら無い。自分が見たのは幻だったのだろうか。男は自分の右手を出しながら、確認のために店員を捕まえ、聞いてみる。 「さっき、テーブルたたいたとこ、見てたよね?あの時、ここから血が出てたんだけど、見てなかった?」 「音は聞きましたが、血までは・・・」 「そんなことないよー、結構出てたんだから。テーブルにも・・・」 「いや、出てないね。」 動揺しつつも落ち着いた男の口調を遮るように、いきなり背後から声がして振り返ると後ろの席に座っていた眼鏡の男が、はっきりとした口調で答えた。その男、どう見ても店内関係者の格好である。斜に構えて足を組んではいるが、左手に持ったアルミステンレスのお盆が眩しい。仕事をしろ。 「確かに見たね、あんたらの動向は。でも血は出てなかった。確実に。ところでホントに痛くなかったの?」 ゆっくりきっぱりと話す眼鏡の男は、証言のように話すのが好きらしい。こういう男もきっと神出鬼没なのだろう。 「店長。」横でウェイトレスが苛立ったように声を掛け、間髪入れずにため息も出た。どうやらいつもこういう男らしい。店長なのに?大丈夫か、この談話室。
実際の話、傷も何も無いのだから何とも言いようが無い。店員からすると、不審人物の世迷言であろうが、それ以上に怪しい店長のいる店なのでそれ以上は言えず。男はやはり腑に落ちないものを抱えたまま、店を後にすることになる。 あの掴めない女が消えた時の気持ちが思い出される。 『幻だったのか?』 しかしあの時自分の手から抜こうと掴んだ、針の感触はまだはっきり思い出せる。彼は感触を思い出し拳を握り締めながら、またつぶやいた。 「おもしろいなー祐二、世の中は。」 まるでやたらリアルな夢を見ているようだと思いながら、何かおもしろそうなことが起こる予感を、彼は感じていた。
肩を怒らせて早足でがつがつと歩く彼女は、どんなに控えめに見ても怒っていた。 「まったくもー、アッタマ来ちゃう。なんなの?あの男は!」 名乗られたはずだが、そんなことはもう記憶の片隅にも残っていないらしい。 「人の貴重な時間裂いといて、なによ、あの話!内容無いじゃん!おまけにちょっと脅かしてやろうとしてもちっとも効かないし。何なのよ、あいつ。痛点無いんじゃないの?つーか、感情も無いのか?ホントはあいつの血、青いんじゃないのか?手加減しないで、右手砕いてやればよかった!」 怒りと苛立ちのため、いつにも増して早口にひな乃はまくしたてる。
どうやら真司という男が見たアレは、ひな乃が見せた幻だったらしい。と言っても半分は本物であろう。針のようなもの、それは彼女が自在に出せる武器でもある。 幻術が専門では無いとは言え、普通の人間をちょいと騙すくらい、彼女には訳の無いことである。
そんな怒り心頭の彼女をいつもなら桃姫が頃合いを計ってたしなめるところだが、今回は違うらしく、珍しく彼女は黙って何かを考え込んでいる風だった。 「何だかあの人・・・誰かに似てる感じがする・・・」 「んーそぅね、焔に似てるわねー」 と、今は近くに居ない、いいオモチャを引き合いに出してみたが、「俺はあんなにヘラヘラした男じゃない。」と眉間に皺寄せながら答える様がすぐに思い浮かんで、ひな乃はおかしくなった。元々気分屋だが、こんなことで機嫌が直るんだから、実は彼女も親ばかだ。いち早く不機嫌から回復したひな乃に気付かないほど考え込んでいた桃姫は、やはりまだ考えていた。と言うかひな乃は勝手に怒って勝手に回復したのだが。 「それもそうなんだけど、もっと他の人・・・誰かしら、思い出せない。」 何か基本的に忘れているような、根本的に覚えているような、そんな不確かで半端な記憶が彼女を支配していた。
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