ある夜のこと……。
「主殿。明後日の休日は暇であろうか?」
「え、明後日?え〜っと……今のところ予定はないよ」
 それが何か?といわんばかりの太助の表情を見て、万難地天、紀柳はさも当然のごとく言い放った。
「暇ならばいい。それではその日は空けておかれよ」
 そしてそのまま、夜の闇へと姿を消していった。


紀柳さんと、お弁当と、秋の山

Hiro.A   


 その約束の日、朝から太助と紀柳は電車に乗っていた。
 落ち着かなさげにきょろきょろと辺りを見回す紀柳を横目に、太助は深くため息をついた。
「なあキリュウ……今日はいったい何だってんだよ。普通じゃない試練ってだけじゃあわかんないだろ!」
 やや語気を強めて言う太助の様子に、落ち着き払って応えた。
「すぐに解ることだ。山頂に着くまではいつもの試練と変わりない。問題は……」
 そこで一度言葉を切ると、太助の顔を正面から見る。
 太助が惹きつけられるのを見て、心なしか満足げな表情を浮かべながら
「……秘密だ」
 がくっとなる太助の隣で、短天扇を仰ぐ紀柳。
(これも試練なのか、キリュウ!?)


 太助の家からやや離れたところにある山の麓についた2人は、早速試練の準備に入っていた。
「しっかし山っていや、前来たときは大事になったからなぁ……。今度は気をつけないと、なあキリュウ」
「無論だ。同じ過ちを繰り返すほどこの万難地天、たるんではいないぞ」
 山は、以前太助を、試練の最中の事故で記憶喪失にさせてしまったことのある場所だった。
「なに。そう気合いの入った物ではない。安心して試練に望まれよ」
 紀柳は表情を柔らかくして言うが、太助はその言葉とは裏腹に、紀柳の様子から何やら不審な物を感じていた。
(そういう割には、何か気合い入ってるんだよなぁ……)
 太助の納得のいかないまま、試練は始まった。


(何だ、割と普通じゃん)
 山を半分ほど上った頃だろうか。
 巨大化して襲ってくる紅葉やら木の実、伸びてくる植物の蔓やらを普通にかわしながら……そんな物が普通だと感じられる程、紀柳の試練は進んでいるとも言えるのだろうが……ともかく頂上が視界のすみに見え始めていた。
(よしっ!このまま行けばゴールだ)
 太助はラストスパートをかけ、一気にその光の中に飛び込んだ。


「主殿」
 ゴールにたどり着き、激しく肩で息をしている太助を待ち受けていた物は、しかしながら賞賛の言葉でもなければ、試練の終了を告げる言葉でもなかった。
 すっと差し出された紀柳の手には、やや大きめの箱があった。
(……?)
 戸惑う太助。戸惑いながらも差し出された箱を手に取ってみる。
「……今日の最後の試練だ。その箱を空にされよ」
(……?弁当……なのか?)
 箱を開けた太助が思ったのは、とにかくそんな事だった。
 じっと太助の方を見ている紀柳の視線が気になったが、とりあえず太助はそれを口に運んだ。
 そして……
(な、何だ?)
 そのあまりに衝撃的な味に、思わず戻しそうになった。
 しかし、紀柳の短天扇が太助の口を押さえる。
「主殿。試練だ……と言ったはずだが?」
 先程までとは打って変わって厳しい表情の紀柳。
 鋭い視線を浴び、思わず口の中の物を飲み込む太助。
「その調子だ。努力されよ」
 そう言い残すと、太助の側に水筒を置いてやや離れた位置から太助の様子をうかがう。
 こうなっては逃げることもできず、太助は必死にその試練に耐えた。


 数分後、空の箱と同じく空の水筒と、屍のようになった太助が大地に転がっていた。
「主殿」
 紀柳が箱や水筒を小さくしてからしまうと、もはや虫の息といった太助に声をかける。
「よくぞこの試練を乗り越えられた」
 その言葉に、かすかに太助の体が反応したが、言葉は出なかったらしい。
 紀柳は続けて、
「この試練に耐えられたのは、主殿が初めてだ。さすがは主殿」
 そこまで言って、かすかに呻くだけの太助が心配になったのか、珍しく介抱を始めた。


「……へぇ。あれ、キリュウが作ったんだ」
 太助はどうにか回復した後、紀柳と共に山を下りていた。
 けっして“料理”とは言わなかったのは、体があの物体を料理と認めなかったからだろうか?慎重に言葉を選びながらも、今回の試練の全容をようやく知るに至った。
 わざわざ山に来たのは、邪魔が入る可能性が高い試練だから、というのが紀柳の主張だった。山登りはついでにすぎなかったのだ。
(道理でキリュウにしては、軽いと思ったよ)
 変な納得の仕方をするが、ふと太助の頭にも疑問が浮かんだ。
「なあキリュウ。今日の試練って……意味、あったんだよな……?」
 口にしなければ良かったのかもしれないが、一度浮かんでしまったらおしまいである。
 紀柳はといえば、短天扇で顔を隠しながらボソッといった。
「たまには気分を変えてみようかと思ったのだが……」
 ややすまなそうにも聞こえる発言だったが、そんなことは今の太助にはどうでも良いことだった。
 周囲の風景がなぜだかゆがんで見える。
(そんな理由で俺は……おれは……)
 何とか電車には乗ることが出来たものの、太助の意識が持ったのはそこまでだった。


 太助が次に気がついたのは……
「ここ、どこ……?」
 いつもの見慣れた町ではなく、見たことのあるような無いような、そんなところだった。
 太助は辺りを見渡すと、辺りがすっかり暗くなっていることに気がついた。
 そして横を見ると、朝早起きしたのがたたったのか、紀柳が完全に寝入っていた。
 やや憮然とした太助の耳にアナウンスの声が入り込んできた。
「……次は終点、泉が山〜。終点でございます。お忘れ物の無いよう……」
(いずみが……山?)
 順調に往復して戻ってきたらしい事を理解した太助は、呆然としながら言った。
「これも……試練なのか……?」
 電車の音と紀柳の安らかな寝息が、太助の耳をむなしく通り過ぎていく。
 結局何とか帰ることは出来たものの、しばらく太助は立ち直れなかったという。

                        <おしまい>




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