『この空の下で』

Hiro.A

第1章 姉

「……やっぱり海鳴はよかね」

 そう一言いうと、私の目の前で機嫌よさげに大きく伸びをする。
 長時間の旅は、楽しくもあったが、やはり体を伸ばせないのは少しだけつらい。

 腰まで届くほどの髪は、性格を映し出すかのように真直ぐに伸び、飾り気はないもののきちんとそろえられている。服装にも装飾にも同じく飾り気は無いが、やや潔癖とも言える性格をあらわすかのようにきちんとした格好をしている。どこから見ても彼女らしいとしか言いようのない姿に、おかしさと同時に、懐かしさを感じていた。

 私の姉である神咲薫は、もう何年もこの海鳴という土地で暮らしていた。そのため私たち家族とすごす時間というのは、彼女が実家に帰ってくる短い期間だけだった。
 思えばこの旅がここ数年で、もっとも長く同じ時を過ごせたのかもしれない。それを思うと、今回の旅の終点に着いてしまったのは残念に思えてくる。

「いい景色だねぇ」

 私は軽く答えながらも、これからの事を思うと不安があった。
 視線を軽く下げ、荷物と一緒に置いてある動物用の籠を見る。この中には私の大切な友人が眠っている。電車よりもさらに窮屈なところに押し込んでいるにもかかわらず、文句ひとつ言わずにおとなしくしてくれている小さな狐を見る。不安なときにする私の癖のようなものだ。久遠がそばにいてくれると思うだけで、私は勇気付けられる。

「どうした、那美?」

「え?うん……久遠も気に入ってくれるかな、って思ってたの」

「大丈夫、海鳴はいい所だから」

 彼女は軽く笑って答える。
 確かに自然が多く、海が近くていいところだ。

 私はこの町に来るのが初めてというわけではない。
 といっても随分前のことなので、はっきりとした記憶があるわけではない。覚えているのは,一人の少年と出会った事くらいだ。

(そういえばあの時も桜がいっぱい咲いてたっけ……)

 民家の密集した住宅地からも少し離れた場所に、その場所はあった。
 『さざなみ女子寮』、そこが姉の長年住んでいた場所、そして私がこれから暮らす場所だ。

「ただいま戻りました」

「おじゃまします」

 それぞれに挨拶し、靴を脱いでそろえた。

「あ、薫さん。お帰りなさい。そちらが……」

 落ち着いた雰囲気の女性が、声をかけてきた。とてもやさしそうな目をした綺麗な人だった。

「ただいま戻りました、愛さん」

 愛さん。何度か聞いたことのある名前だった。確かこの『さざなみ女子寮』のオーナーさんで、獣医さんだと聞いている。
 私は慌てて頭を下げた。

「は、はじめまして。神咲那美と申します」

「あ、やっぱり。薫さんの妹さんね」

 そう言うとにっこりと微笑んで、

「はじめまして、槙原愛です」

 私に向かって丁寧にお辞儀をした。そして「さあどうぞ」と招き入れた。

 案内されたリビングは、天井が高く、日当たりのよい、とても素敵なところだった。薫ちゃんが実家に帰るたびに楽しげに話して聞かせてくれた場所、ずっと私があこがれていた場所。
 少し遅いかもしれないけど、ようやく私は”ここに着たんだ”という気がした。

「お、帰ってきたな」

「耕介さん」

 キッチンから現れたのは、2メートルくらいはありそうな、大きな男の人。

(この人が例の管理人さんかぁ……)

 薫ちゃんの話に一番よく出てきたのが、”耕介さん”の話だった。
 あんまり楽しそうに話すものだから、お父さんが気にしてたっけ。やさしそうだけど、やっぱりちょっとおっかない。

 軽く自己紹介をした後、私は耕介さんと薫ちゃんの話を聞いていた。
 口が挟めなかった、って言う方が正しいかな?
 十六夜以外で薫ちゃんをここまで子供扱いする人は珍しかったし、普段は毅然とした態度をとることの多い薫ちゃんがとても可愛く見えた。

 神社の神主さんや警察の人たちへの挨拶を済ませると、もう辺りはすっかり暗くなってきていた。
 薫ちゃんは、足元に擦り寄っている久遠を抱き上げると、

「久遠も、良い子にしているんだよ」

 と言って頭をなでた。
 久遠を地面におろし、ここまで送ってくれた耕介さんのほうに向き直った。

「耕介さん。那美を……妹を、よろしくお願いします」

「ああ、まかせとけ。薫もたまには遊びに来いよ」

「はい、必ず」

「それじゃあ那美。元気で」

「うん……薫ちゃんも」

 去っていく姉の後ろ姿が小さくなるにつれて、私はさびしくなった。

「薫ちゃん……」

 冷たいものが、私の頬を流れ落ちる。

「くぅん」

 久遠が心配そうな声を出す。

「大丈夫、大丈夫だから……」

 ぎゅっと抱きしめて、久遠の温かい背中に顔をうずめた。

 

戻る   第2章へ