満月の夜・弐
すっかり日の暮れてしまった中庭をとぼとぼと歩きながら、
姜維は、今日何度目になるかわからないため息をついた。
「あーあ、丞相のばか」
えいっと木の幹を蹴る。
昼間は暖かい光が庭いっぱいに射しこみ、桃の花がそれは見事に咲き乱れているが、
こうして夜月明かりの下で見ると、怪しげに揺らめき吸い込まれそうになる。
「そんな究極の選択みたいなことを私に・・・」
言いたいような、そうでないような。
見ているだけで良いと思っていたはずなのに、心は裏腹で、日々想いが強くなっているのは気のせいだろうか。
毎日、一言二言の会話では満足できない自分がいる。
もっと話がしたい・・・。
でも、本当は怖い。
誰にも負けない強さを持っているあの人だから。
そんな強さに追いつけない自分が悔しくて、拒絶されるのが怖くて。
「丞相がヘンなこと言うから・・・」
結局、仕事中も考えは頭から離れることはなかった。。
「私は・・・こんなに情けなかったかなぁ・・・」
木の幹に寄りかかりながら、やたら回数の多くなった独り言を呟いた姜維は、
独り言に返されるはずのない返事を投げかけられて、一瞬思考が停止した。
「誰が情けないって?」
「ちょっ・・・趙雲殿!こんな時間にどうして!?」
「張飛殿の宴会に捕まってな。酒の相手をさせられていたが、抜け出してきた」
そういって、趙雲はいたずらっぽく笑う。
こういう瞬間、姜維は好きだなぁと思うのだ。
普段は、強くて大人なのに、たまに子供っぽく笑うところ。
大きな手、キリッと整った端正な顔・・・・。
「・・・姜維殿?」
いつの間にか、じっと見つめていたのだろうか、趙雲が不思議そうな顔で見ている。
「す、すみません・・・」
真っ赤になった顔を隠すようにうつむき、双眸を伏せる姜維の仕草に、趙雲は思わず息をのむ。
色の白いうなじが月明かりを浴びてますます白く映っているようで、眼のやり場に困ってしまった趙雲は、
にっこり微笑むと当たり障りなく話しかけた。
「それにしても、今日は元気がなさそうだったが丞相殿と何かあったのか?」
「えっ・・・いえ、その・・・・・・」
まさか、丞相が自分の気持ちに気づいているとは知りもしなかったし、ヘンなこと言われて悩んでます・・・
なんて言えるはずがないと肩を落とした姜維は、モゴモゴと言葉を濁すしかできなかった。
「今日はため息ばかりついているのを見たから気になって・・・」
「あの・・・ちょっと悩んでいるのを丞相に言い当てられちゃいまして」
苦笑いを浮かべる姜維を、月明かりの下で趙雲が訝しげにのぞき込んでくる。
月がこんなに明るくなければいいのに。
そうしたら、表情なんて解らないのに。
困惑した表情を浮かべる姜維に、趙雲は優しく微笑みかけた。
「悩みがあるなら、言ってみたらどうだ?」
ポンと頭に手を置くと、反射的に姜維の体がビクッと緊張する。
「あ・・・悪い」
すまなさそうに手をはずすと、ものすごい勢いで姜維が首を横に振った。
「いえっ、あの、びっくりして・・・ごめんなさい。その・・・そんな大した悩みじゃないんで・・・」
そう言い終えるのと、趙雲が苦い顔をするのとはほぼ同時。
「丞相には言えて、俺には言えないのか・・・」
「・・・え?」
聞き取れるか、取れないかの小さな声で、ポツリと趙雲が呟く。
見上げると、何か苦痛を堪えるかのような表情がそこにあり、どうしたらいいのか解らなくなってしまう。
「あのっ、本当に大したことじゃないんで・・・失礼しますっ」
これ以上何かが起こる前に、逃げ出してしまいたかった。
あんな表情を見せられると、思わず抱きしめてしまいたくなる。
抱きしめて、その頬に触れて・・・。
言えない想いと衝動を抱えて駆けだした姜維だったが、どれほども走らないうちに
追いかけてきた趙雲に、ぐいっと手を引っ張られた。
勢い余って趙雲の胸に倒れ込むように引き戻され、恥ずかしさのあまりにジタバタと暴れる。
「ちょっ・・・離して下さいっ!」
「だめだ。離したら、また逃げていくだろ?」
強い口調とは裏腹に、どこか切々とした瞳。
そんな瞳を見ていられなくて、姜維はそっと視線をそらした。
「逃げません・・・どこにも行きませんから」
ゆっくりと、できるだけ落ち着いてそう言ってみたものの、趙雲は離してくれそうもなかった。
「本当に、大したことじゃないんです・・・ただ、誰にも言えない秘密を言い当てられちゃって・・・」
「それでも!それでも、あんなに元気のないお前を見るのは、嫌だったんだ!」
叫ぶようにそう言うと、ぎゅっと腕に力がこもる。
こんなに余裕の無い趙雲を見るのは初めてだ。
いつも強くて、凛々しくて・・・。
「あのっ、酔っていらっしゃるんですか・・・?」
「酔ってなんかいない。俺は・・・」
そこまで言うと、趙雲は姜維の顎に手をかけ、軽く上を向かせると、柔らかく口づけた。
(嘘ッ・・・・・・)
一瞬、周囲の風がざわめいて、何も聞こえなくなる。
軽く、触れ合わせるだけの、風のような口づけ。
驚きのあまりに硬直している姜維をぎゅっと抱きしめると、趙雲は耳許で囁いた。
「俺は・・・お前が好きだ」
思わず、我が耳を疑いたくなるような言葉に、姜維の大きな目がますます大きく見開かれ、
大粒の涙がこぼれ落ちてきた。
「じゃ、じゃあ・・・想い人って・・・?」
しゃくり上げながら、懸命に問いかける。
「俺の想う人はお前だ・・・すまない」
そう言って苦しそうに言葉をつなげる趙雲に、姜維が出来ることはただ一つ。
ゆっくりと深呼吸をして、頬に伝う涙を拭きながら趙雲に想いを告げる。
「私は、ずっとあなたを見てました・・・あなたが、大好きでした」
「本当か・・・?」
不安そうにそう尋ねる趙雲に、姜維は思いきり背伸びをして自分から口づけた。
「本当です・・・丞相に言われたのもこのことで・・・」
皆まで言い終わらぬうちに、再び抱きしめてきた趙雲の表情は、今度は安堵の顔をしている。
「ずっと、ずっと好きでした。誰よりも・・・」
「俺もだ、伯約・・・」
もう一度口づけられて、姜維はゆっくりと瞳を閉じた。
(言葉の力か・・・)
伝えてみると、あれほど悩んでいたのに、案外簡単なものだなと思う。
強ばっていた思考も、臆病だった自分も、愛しい人にはかてやしない。
この気持ちを伝えることができるものがあるとすれば、それは孔明の言う言葉の力なのかもしれない。
してやられた、という気持ちも無くはないが、あれほど遠いと思っていた距離が、
こんなにも近く感じられるのだから良しとしよう。
それに、桃の木の下で抱きしめてくる腕に、心地よさと愛しさがこみ上げてくるのもまた事実。
「言葉の力って、すごいのかもしれませんね」
「・・・?」
訳がわからず首をかしげる趙雲に微笑みかけると、首に手を回して口づけた。
ほのかな月明かりと桃の香りの中、自分を抱き返してくる力強い腕と甘やかな口づけに、
どんな武器より強い力を手に入れた気がするのだった。
「何!?姜維が!?」
同刻、劉備の居室。
ガタンと机に手をついて立ち上がる劉備を、まあ落ち着いて、と孔明が呑気なことを言ってなだめる。
「あんまりにも健気なので、思わず発破をかけてしまいました」
にっこりとお茶をすすりながら微笑むその姿に、
キツネの耳と尻尾がついているように見えるのは気のせいだろうか。
「それにしても趙雲は・・・」
もっと鍛え直してやらんと!と意気込む劉備に、思わず孔明が声を上げて笑う。
「なんですか、その娘を嫁に出した父親のようなお言葉は」
「しかしだなぁ、孔明・・・・・」
ブツブツと文句を言ってはいるが、二人の中を一番心配していたのは、他でもない劉備である。
おそらく、安心したような不安なような、複雑な気分なのだろう。
「あの二人、上手くいくと良いのだが・・・」
「ええ、大丈夫ですよ」
「そうか」
ようやくホッとしたような表情を浮かべる劉備に、ふふふと微笑み入れ直したお茶お渡す。
何をどう発破をかけたかは、企業秘密というもの。
(二人とも、案外純ですからねぇ)
明日から、どうやって姜維をからかおうかと密かに楽しみにしている孔明だったが、
今はこうして君主とのたわいない会話もまた楽しかったりするのだ。
窓の外には、丸く美しい月が一つ。
明日もきっと晴れるに違いない。
こうして、それぞれの思いとともに、満月の夜は更けてゆくのだった・・・。
*END*
*にょえ〜、なんだこれはぁ(泣)
でも、趙雲×姜維って好きなんです。現実に不可能なのに。無双じゃあ24歳と19歳なんですよ!?
そしてキツネな孔明さん・・・好きです、こんなの(笑)