満月の夜・壱
「えいっ!やっ!」
外出先から丞相府に戻る途中、訓練場の傍を通りかかった姜維は、
威勢の良い声かけ声に、ふと足を止めた。
(兵たちの訓練か・・・)
かけ声とともに、幾多もの兵士が訓練をしている。時間を持て余しての者、
純粋に強くなりたいと願う者、理由は様々ではあるが、戦乱の世ということを考えると、
こうした訓練は未来を切り開くものだと姜維は考えている。
そんな兵士たちの中に、ひときわ目立つ姿が一つ。
「せやッ!」
挑んでくる兵士を、流れるような槍裁きで受け流す。
紺碧の鎧に包まれた身はたくましく、それでいて、しなやかである。
「趙雲殿・・・」
きっと、鍛え方が違うのだろうなと思いつつ、姜維は焦がれてやまない人の名前をそっと口にした。
武官でありながら、文官としても丞相の傍に仕える自分と、蜀の五虎将軍に数えられ、戦場では、
知らぬ者などいないほどの強さを誇る趙雲。
接点こそ少ないけれど、姜維は、強く鮮やかに戦場を駆けめぐる趙雲に惹かれていた。
自分に、もっと武の鍛錬の時間があったら、と何度思ったことだろうか。
姜維は、決して弱い武将ではない。それでも、かなわない。追いつきたいと思うのだ。
とはいえ、自分は丞相の後継として勉強の多い身。
自然と武術にかける時間が少なくなっても仕方のないことなのだ。
「見てるだけでいいんだ・・・」
そう、たとえこうして見ているだけだとしても。
届くはずのない想いだと知っているから、そばに行くよりも、
こうして遠くから見ている方が良いとも思う。
はぁ・・・と人知れずため息をついた姜維は、「誰を見ているのですか?」とかけられた声に驚き振り返った。
「ちょ、ちょ、趙雲殿ッ!?」
ぽん、と肩を叩かれて死ぬほどびっくりする。
つい先ほどまで兵に混じって訓練していたのに、いつの間に。
驚きのあまり持っていた書簡をバラバラと落としてしまった姜維に、趙雲は堪えきれず吹き出した。
「わ、笑わないで下さい!」
「すみません・・・姜維殿があんまりにも驚いているから」
誰のせいで・・・とため息をついた姜維は、それでも努めて冷静に書簡を拾い集めた。
「訓練はもういいのですか?」
「ええ、もともと暇つぶしでしたし。姜維殿がこちらをご覧になっていたので、気になってきてしましました」
ずいぶんと驚かせてしまったようですけれど、とにこやかに笑う。
そんな笑顔が、姜維は好きだった。
言えない想いだと解っていても、一度気づいてしまった気持ちは心の中にあふれてつきることはない。
きゅっと唇をかみしめた姜維は、笑顔で答える。良き同僚、良き友としての顔で。
「いきなり現れるので、驚いてしまいましたよ」
「そうですか?ぼーっとしてるから」
「し、してませんよッ!」
真っ赤になって抗議しても、趙雲はおもしろがって笑うだけだった。
もう!と姜維が趙雲をにらむと、一瞬趙雲の表情が変わった。
「姜維・・・・」
「・・・・え?」
何か言いたそうな、真剣な瞳。
まっすぐなその瞳で見つめられると、心の底を見透かされているようで恐くなる。
「いや・・・・なんでもありません」
何を考えているのか問いかけたくなる瞳だったが、すぐにそらされてしまってはぐらかされる。
それでも、もの言いたげな雰囲気を残す趙雲と姜維のあいだに、突然明るい声が割って入った。
「よっ!なにやってんだ、趙雲!」
「馬超、お前・・・」
このやろう、と眉間にしわを寄せた趙雲は割って入った馬超に呆れたため息をついた。
「兵舎にいたかと思ったのに・・・お、姜維殿も一緒か」
ふ〜ん、と意味深に趙雲と姜維を見比べる馬超に対し、趙雲の反応は至って冷静だった。
「で、何の用だ?」
「・・・お前な。まあいいや、飯行かないか?」
「嫌だと言ったら?」
「問答無用」
がしっと趙雲の肩を捕まえて馬超が答える。
すっかり二人の雰囲気に気圧された姜維は、おずおずと口を開いた。
「で、では私はこれで・・・」
仕事がありますから、と戻ろうとした途端、がしっと馬超に肩をつかまれた。
「何言ってんだ、姜維殿も行くぞ」
「ええッ!?」
「おい、馬超・・・」
「いいじゃないか、昼休みなんだし。さ!行くぞ!」
「ええーーーッ!」
慌ててその場を去ろうとするもののしっかり馬超に捕まってしまい、無駄な抵抗に終わる。
そのまま、意気揚々とした馬超にズルズルと繁華街まで引きずられてしまったのだった。
「で?丞相のとこはどうだ?勉強になんのか?」
「はい!もちろんですよ!」
さりとて。
結局馬超に連れられてそのままご飯を食べていると言うことになるのだが、
心配していたように気まずくなることもなくうち解けられた。
ただ、趙雲が妙に不機嫌な顔をしていることを除いては。
「どうしました趙雲殿?」
「ああ、いや・・・」
何でもないと料理をつつく趙雲に、馬超がニヤリと笑った。
「お前、あれだろ。いつもの可愛い娘がいないから・・・・」
「馬超、お前次の調練で死にたいか?」
「いいや、遠慮する」
じろっと趙雲にひとにらみされた馬超は、笑ってあっさりと引いた。
この二人の掛け合いには独特の雰囲気があって、姜維はうらやましいと思う。
近づきすぎず、離れすぎず。
人の領域にまで踏み込むことはなく一定の距離を置く。
信頼あってのものだろう。これが馬超でなく自分だったらどんなに幸せなことか。
人知れず苦笑いをこぼした姜維は、馬超の質問を予測することはできなかった。
「姜維殿は、想い人などはいないのか?」
「げっほ・・・ッ、げほっ」
まさかそんな質問が自分に飛んでくるとは予測していなかった姜維は盛大にお茶にむせた。
「だ、大丈夫か?姜維殿」
「は、はい・・・」
心配そうな趙雲に苦笑いを浮かべると抵当に言葉を濁す。
まさか間の前にいて一緒にご飯食べてますなんて言えるはずもない姜維は、
ただ作り笑いを浮かべるしかなかった。
「はっは〜ん、さては・・・・・いるなッ!?」
「ええッ!?」
意味ありげな視線を投げかけられて赤くなってしまったのでは、いますと肯定したのも同じコト。
途端に、誰だ?知ってるヤツか?と好奇心いっぱいの眼をした馬超が問いかけてくる。
「内緒ですッ!」
「なんだ、その様子じゃ相手にも言ってないみたいだな」
「い、言えるわけありません・・・・」
真っ赤になってうつむいてしまった姜維に追い打ちをかけるように馬超が問うてくる。
「でもな〜、言わなきゃ伝わらないぞ?」
「わかってます・・・・でも・・・・」
言えないんです、と点心の皿の角をつつく姜維に馬超はニヤリと意地悪そうな微笑みを浮かべた。
「っとに、姜維殿と趙雲はバカだな」
「バカでいいんです」
「知ってるか?趙雲の好きなヤツ」
「ええッ!?」
思わず、間の抜けた声があがる。
そう言えば、考えたことが無かった。ただ、いつも遠くから見ているだけで、そんなこと、思いもしなかった。
(趙雲殿の好きな人・・・・)
「知りたいか・・・?」
ずずっと顔を近づけて小さな声で意味深発言。
素直に、「はい」と姜維がうなずいたとき、猛烈なスピードでクルクルと回るブツが飛んできた。
――ゴンッ。
馬超の後頭部にクリーンヒットしたソレは盛大な音を立てて落下。
なにすんだ!と勢い振り返った馬超に、非常にさわやかな笑顔を浮かべた趙雲が声をかける。
「そろそろ、昼休みが終わる。帰るぞ」
すでに食事を終え、帰る支度もすませた様子。
出口付近でにっこりと微笑んでいるのだが、手にしたソレは何ですか。
馬超の頭にダメージを与えたのと同じお盆をもう一枚持った趙雲のこめかみに
クッキリと怒りマークが浮かんでいるのを見た姜維は、何も見なかった・・・と深いため息をついた。
それから数日。
馬超や趙雲と仲良くなった姜維は、よく3人連れだってご飯を食べに行っていた。
気になるのは、趙雲の思い人。
あれから何度か馬超に聞いてみたが「教えられない」と言うばかり。
おそらく趙雲に口止めされているのだろう。
かといって、当の本人に勇気を出してそれとなく聞いてみても、やっぱり教えてくれない。
知りたいような知りたくないような複雑な気分の中で、ただ悶々と月日が流れてゆく。
「もーぉ、最悪・・・」
丞相府にある執務机に突っ伏した姜維は、はあああ〜と長いため息をついた。
こんなに誰かのことを考えるのは、ずいぶんと久しぶりのような気がする。
戦続きで気が抜けなかったこと、孔明の後継として勉強しなければならないこと・・・・
どれも大切なことなのに、今ひとつ集中できないと言うのが現状だ。
(気にしてなんかいられないのに・・・)
そうは思っても、心と体は裏腹なもの。
気づけば、趙雲の姿を追っている。
もうどうしようもないな、と自嘲気味に苦笑いを浮かべた姜維の目の前に、白い扇がハタハタと揺れた。
「姜維、集中できていませんね」
「じょ、丞相!・・・・すみません」
ガバッと身を起こして謝る。
しゅんとうなだれてしまった姜維に、孔明は柔らかな微笑みを投げかけた。
「悩んでいるのでしょう?」
「ええ・・・・まあ・・・」
申し訳ありませんと謝る姜維に、孔明は「当ててみましょうか?」と微笑むとその言葉で姜維を凍り付かせた。
「趙雲殿」
「な、な、なぜそれをッ!!!!」
真っ赤になって孔明に詰め寄る姜維に、孔明は「見ていれば解りますよ」とあっさり答えた。
「それで?趙雲殿の方は?」
要するに、趙雲に言ったのかどうかと問いたいのだろう。
そんなこと言えるはずがない。
これは、自分だけの想いだから。
それに・・・・
「想い人がいらっしゃるそうで・・・」
言えません、と首を横に振る姜維に、孔明はため息をついた。
「姜維、言わなければ何も伝わりませんよ」
「でも・・・・」
「人には、言葉の力があると言います。
自分の気持ちを表現できて、それは時にどんな武器よりも強くなるものですよ」
言葉の力・・・と孔明の言葉を反芻した姜維は、それでもやはり小さく首を横に振るばかりであった。
「困った人ですね・・・まあ、しばらく考えてみるのも悪くありませんよ」
こんな時の姜維がどんな行動に出るか、孔明にはしっかり解っている。
だから今は、答えは自分で見つけて下さいね、と言葉を付け足してにっこりと微笑むだけ。
早速劉備殿に報告に行かなければなりませんね・・・と扇をはためかせる孔明の着物の裾から、
チラリとキツネの尻尾が覗いたのを、姜維が知る由もなかった。