コスモ王国物語



−第6回−



「……なんやの?」
 少女が呼ばれて入った部屋は、灯りの一つさえない、ほとんど真の闇にも近い空間だった。しかし、その闇の中に『何か』がいることは、取り立てて研ぎ澄まされた勘を持つわけでもない少女にも、やすやすと感じ取ることができた。
「誰か……おるの?」
 闇の中、その存在はおそらく、何かしらの動作で少女の言葉に応えた。少女の瞳には、恐怖の色がありありと伺える。恐る恐る、室内へとさらなる一歩を踏み込んだ、その瞬間。突然脳裏に激しい痛みが走り、少女は不安に満ちた表情をさらに苦痛で歪ませた。そして頭を抱えて、その場にへたりこんでしまう。立てなくなったわけではない……立っていられなくなったのだ。警鐘を打ち鳴らす本能が、無理矢理歩みを止めさせたのだ。
 静寂の中、少女の息だけが荒く、あまり広くない室内に響いていた。
「いたっ…なんや……これ…っ…!?]
 予期せずに襲ってきた耐えがたい苦痛に声を上擦らせながら、少女は誰に問うでもなく言った。闇の中の存在は、その問いかけに答えることはできたのだろうが、声を出すことはしなかった。動きのないままただ時間だけが過ぎ、そのうちに、少女の表情から苦痛の色が徐々に薄くなり、再び恐怖的感情が支配的になってきた。
「これっ……なんや!? あんたは、いったい…??」
 相変わらず、少女の発する声だけが空しく響く。闇の中に佇むもう一つの影は、やはり言葉で答えようとはしなかった。何かが居ることは解る…けれど、何が居るのか解らない。見えない暗闇の空間に、怯えながらも少女が恐る恐る手を前に出すと、指先が、何かに擦れた。自分のすぐ目と鼻の先に、何物かが佇んでいる気配が、脳裏に伝わった。
「ひっ…」
 余りに唐突で不気味な感覚に少女が慌てて手を戻そうとすると、その右手首が、闇の中から生えた手にガッと捕まえられる。
「きゃっ!」
 掴まれた手首から、ものすごく不快なものが自分の中に流れ込んでくるのを、少女は感じた。彼女は全身を総毛立たせ、その不躾な手から逃れようともがくが、まるで鉄で出来ているかのようにビクとも動けず、自らの中にある全ての焦りや恐怖の衝動を枯らし尽くすまで、ひたすらにその不快な感触に耐えなければならなかった。
「ううっ……なんで、こんな……」
 その時、少女は何かが聞こえたような錯覚に囚われた。現実には鼓膜は何も音を聞き取ってはいないのだが、頭の中に、まるで耳元で囁かれたかのように、ある言葉が突如として強制的に思い浮かんできたのだ。その言葉の持つ、強力で脳裏に焼き付く言霊が、彼女の心を再び恐怖の衝動で満たした。
「か…家族を盾にして……っ卑怯もの!」
 恐怖のあまり完全に瞳孔を開き切らせたまま少女は、恐慌の一歩手前の声を張り上げ、闇の中の影を問い詰めた。しかし影はやはり何も答えようとはせず、しかも少女の手をけして離そうとはしなかった。その握られた手首から、再び少女の背筋を通って脳裏にまで、不快なものが流れ込んできた。少女は、まるでこの世の終わりが来たかのごとくおののいた。
「………そんな…!」
 フッと薄れゆく意識の中、彼女は愕然と自らの運命を呪わしく思った。
 闇の中の影は、おそらく、ニヤリと微笑んだ。


* * *


 フールエスとの決戦にて傷つき敗れたユージュがコスモ王国軍によって保護されてから、4日が経過した。
 あまりの見た目のダメージの多さに、基地内で最も医療環境の整う治療室へと緊急収容されたユージュであったが、幸い命に関わるような深刻なダメージはなく、元々強靱な身体を持って生まれたことも相まって、彼は医師が思わず眉間に皺を寄せる程に順調な回復ぶりを見せていた。既に医療器具の世話からは解き放たれ、明日にも前線に戻ろうかと言うほどである。
「良かったですよ、状態も良いみたいで」
 ベッドの上で身を起こしているユージュに笑顔を向けながら、デラス少尉は言った。カンパネラ旅団長がフールエスの手により暗殺された後、それを継ぐ形で旅団長代理に就く羽目になったユージュであったが、サードオニキスでの学生時代、ひたすら天才と呼ばれ続けただけのこともあってか、彼はカンパネラ以上の優れた手腕を発揮し、いまや先代以上の人望を集めるまでになっていた。このデラスは、特に彼を慕って側近的立場にいる若者である。年齢はユージュよりも一年上だが、謙った物腰がそれを感じさせない。
「でも・・・戦闘は、敗走を喫してしまった・・・。連中も相当被害があったから、この基地まで一気に攻め入る事が出来なかったのが、俺たちにとっては不幸中の幸いだったかな。だが、結局敗戦は敗戦・・・俺も、カンパネラ旅団長の仇を目の前にしながら、討つことが出来なかったし・・・・解任されるかな、代理」
 緩いシャツを纏っただけという姿のユージュは、そう言って苦笑いを浮かべた。
 そう、結局4日前の戦闘で、コスモ王国軍惑星チルダ派遣部隊は、同じく惑星チルダに駐屯するラービアン大国軍との戦闘にて、敗北を喫してしまったのだった。発端は、部隊の副長であるミルドラが軽率に敵に攻撃を仕掛けた事だったが、その後前線に出て指揮を執る筈だったユージュが戦場から離れた所でフールエスと交戦、敗北したため、これを敗戦の原因だと突き上げる輩も軍の中に少数ながら存在しているのだ。元々旅団長代理の仕事に乗り気でなかったユージュは、お役御免のまたとないチャンス到来だと密かに目論んだが、所詮少数派の陰口、軍全体を動かすまでには至っていない。
「そんな寂しいこと言わないでくださいよ、ユージュ旅団長代理。カーマス軍部指令も、そういう事は仰ってなかったじゃないですか」
「まだアングの軍事力整備が整っていないから、強く出られないだけだろう・・・俺の再三の欲求もはねつけてきた手前、ここでいきなり降格なんて言ったら、チルダに駐留してる全兵士の士気に関わるからな」
 肩を竦めながら、ユージュはやれやれといった調子で言った。
「軍の整備が終わったとして・・・・・コスモ王国は、このチルダもラービアンから奪取する腹なんでしょうか?」
 デラスが尋ねてくる。コスモ王国は、恒星アルビオの四連惑星のうち、実に3つまでを既にその手中に収めている。そのうちの一つは、二週間少し前に軍事力でもって制圧して無理矢理手に入れた形である。残り一つの惑星チルダに於いてコスモとラービアンの両軍が一触即発状態に陥ったのも、この事件を境にしての事だった。
「いや、惑星アングの件は、国境紛争解決云々の理由付けでパッと煙に巻けるが、チルダまで同様に制圧してしまったら、領地的にはともかく銀河的にまずい。世界を変えていくのは軍事力だが、世界を動かすのはマスコミのアジテートだけだから・・・・・」
「世論を操る、ってやつですね。普段我々軍人に散々世話になっておきながら、ちょっと何か事が起こるとすぐに叩きたがる・・・・ゴミみたいな連中ですね」
「全くだ・・・・だが、それくらい汚くやってかないと、世界ってのは動かないのさ」
 言って、ユージュはパタリと枕の上に倒れこんだ。
 彼の言葉に大仰に頷きながら、デラスはふと何かを思い出したように話す。
「そういえば、今回の戦闘もマスコミに書き立てられますかね・・・・・民間人にも、かなりの被害が出たらしいですからね」
「民間に被害? その報告は聞いていないな」
 興味を引かれる言葉に、ユージュはひょいと首を浮かした。
「なんでも、退却命令を受けて退却を開始した我が軍の一派が逃げ遅れて敵に追いつかれてしまったため、苦し紛れに入植者たちの開拓村に逃げ込み、軍服を脱いでゲリラ戦を展開したそうなんですよ。そして村の中まで追ってきたラービアン軍はそのゲリラ戦法に見事引っかかり、数名が倒れたんですけど、それでヒステリックになった生き残りが、村の中で所構わず発砲したんだそうです。これにより我が軍のゲリラ戦部隊は全滅、その村の民間人も4割が死んだそうです」
「・・・・・・・・・・・・・・・」
 最初は単なる報告程度に聞いていたユージュだったが、段々と顔を険しくしてバッと再び身体を起こした。
「・・・・・・どうして、その報告が遅れたんだ?」
「はあ、なにぶん我が軍の兵士は全滅してしまったという話なので、あまり確かな情報ではないんです。でも、この事件を闇に隠蔽しようとラービアン軍が動いているらしい報告がありましたので、俄然信憑性を帯びてきたんですよ」
 デラスの言葉を聞きながら、ユージュの心は無償に不安に掻き立てられた。
 住民の4割が死んだ村・・・・その事件を闇に葬ろうとするラービアン軍・・・・先日の戦闘が起こった地域・・・・ユージュの思考はこれらの情報を煩雑に分析しながら、少しずつ最悪の解を導き出そうとしている。
「・・・・・なあ、デラス少尉。その被害を受けた村の名前は、判るか?」
「はあ・・・? 確か、この辺一帯を仕切る領主が治める村だったかと」
 デラスの悪気のない答えは、ユージュの心を凍りつかせた。
「・・・・・・冗談だろ」

* * *

 隠蔽工作・・・・武器しか持たない軍人が考えるそれは、非常に単純な行為の事を指す。
「了解しました。でもなんだって、そんな所に?」
「いいから、送ってくれ」
 ベッドから飛び起きるようにして医療室を飛び出し、デラスの制止も振り切ったユージュは、命令待ちでくすぶっていた輸送兵を一人連れ出し、目的地へ向けて駆動車を走らせていた。
 軍靴の後がひたすら続く荒野をガタガタ揺られながら疾走する駆動車の上で風を切りながら、ユージュははるか前方に目をやっていた。空模様は相変わらず悪く、どんよりとした雲が空一面を覆っている。非常に重い空気が漂う。一雨去った後なのか、それとも降り出す予兆なのかは知らないが、妙に質感のある湿気が風に乗ってユージュの肌を撫でていく。
「何か・・・・話は聞いていないか?」
 心の余裕を失い、先日まで徹底して通してきた柔らかい物腰を忘れて、自分でも気付かない内にユージュは、ある意味本当の部隊長然とした態度で部下と接するように変わっていた。その変化により、ユージュがようやく旅団長として開花したものと早とちりした輸送兵が、パッと明るい笑顔で答えてきた。
「ええ、噂くらいは聞いております。民間の村が戦闘に巻き込まれ、住民が死滅したとか・・・」
「死滅!? 報告とは全然違うじゃないか!!」
「た 単なる噂ですよ・・・・」
 何やら焦燥感に駆られたようにグッと詰め寄ってきたユージュにびっくりしながら、輸送兵はなんとか彼を宥めようと努力する。目的地へ向けて真っ直ぐ走っていけばよいのだから、ハンドル操作はたぶんにおろそかでもおおむね構わない。
 そうして車を走らせることしばし、次第に二人の視界に開拓者たちの村が見えてきた。元々殺風景な外観ではあったが、何だか以前より遥かに増して景観が死んでいることに、二人は一見して気がついていた。車が近づけば近づくほどにその様相がありありと視界に飛び込んできた。噂などデマであって欲しい、と心のどこかで強く念じていたユージュだったが、その光景にはさすがに希望など捨てざるをえなかった。
 村は、死んでいた。
 そこはもはや、『ゲリラ戦の跡地』としての爪跡すら残っていないほどに焼き尽くされた、炭と灰の畑以外の何物でもなかった。おそらく、失態を隠匿せんがためにラービアン国軍がここを訪れて、もっともやってはならないことをしてしまった後なのだろう。ユージュも輸送兵も、余りの惨状にしばし言葉を失い、村の入り口であった所に立ち尽くしてしまっていた。
「こ これが・・・・あの活気があった、殖民村ですか・・・!?」
 『噂だろう』と思って軽く流す程度に受け止めていた情報が、残酷なまでに真実であったことに驚き、輸送兵はそう声を絞るように言った後、もう口を開こうとはしなかった。
「・・・・焼けずに残っている建物が、一つもない・・・・・・親ラービアンで知られたチェキナハーレー家までが、くだらん軍の面子のために焼かれた・・・・・のか・・・・・・・」
 ひときわ大きな炭化した家屋の前に立ち、震える声でユージュが呟いた。
 それは紛れも無く、つい先日まで彼が心の拠り所として時折訪ねていた、カオーラやディーナの住んでいた家屋・・・・ この村を統治していた領主、チェキナハーレー家の変わり果てた姿だった。その見るも無惨な廃墟からは、もちろん人の気配など微塵も感じられなかった。ユージュは焦点の合わない目で、ただただじっと崩れ果てた思い出の城に思いを馳せながら立ち尽くすしかなかった。重い空気がやがて激しい雨を降らせても、そこを動こうとすらしないまま・・・・。

* * *

 ユージュは、ラービアン大国軍に対し激しい敵意を覚えざるをえなかった。しかし責任ある立場が、復讐に駆り立てられた彼に自制を促した。ここで彼が激情にまかせてラービアンに特攻をかければ、それは彼個人の問題では無くなってしまうのだ。アング駐留軍を急かして一気に敵陣に攻め入ることも不可能ではなかったが、優秀な指揮官としての才能が、彼のともすれば暴走してしまいそうな決断力を抑制した。彼は優秀であるがゆえに、守りに入らざるをえなかったのだ。それは、彼が本来ずっと通してきた生き方には、まるで反することだった。彼はついこの春まで、サードオニキスにて天賦の才能にまかせて天衣無縫な生き様を続けてきていた。それが、軍の歯車に組み込まれてしまった今では、全く経験として生かされなくなってしまった。彼は今この瞬間も、軍に入る道を選択してしまった自分の浅薄さを強く後悔していた。
「元気出してくださいよ、ユージュ旅団長代理・・・・何をそんなに落ち込んでいるんですか??」
 デラスが色々と気を回しても、今のユージュにはうざったいだけだった。大切なモノを失ったという耐えがたい喪失感が、今のユージュの胸の中に渦巻いていた。どんなに日々を一生懸命生きていても、終わるときはあっけないものだ・・・つらい哲学が、彼の脳裏に浮かんでは消えた。別れの言葉の一つさえ、カオーラにかけてやれなかった。自分が情けなくもベッドに臥せっている間に、彼女たちの村は無くなった。部下から報告を受けるまで、その事実を知りもしなかった。旅団長の仕事を行うようになる以前には、考えられないことだった。上官の耳に届くニュースなど、部下の間に伝わっている話の、ほんの一部にすぎなかったのだ。
 彼がそんな思考を続けていた、そんな時だった。彼の詰める部屋の扉が、コココンとせわしなくノックされた。
「旅団長代理、カーマス軍部指令からお呼び出しです」
「・・・・・・なんだ、こんな時に・・・・?」
 伝令の言葉を聞いて、ユージュは渋々と立ち上がった。今回の一連の戦争は、言ってみれば全てカーマス軍部指令の責任であると言える。ユージュの怒りの矛先は、少なからず指令の方にも向いているのだった。
「何か、上の方で決定した事項があるそうです。お急ぎください」
「解った、すぐに向かう」
 言ってユージュは、薄暗い廊下を司令室の方へ向かって歩き出した。窓の外は、重い雲が空を覆っていた。激しい雨は一向に止むことを知らず、いつしか風まで吹き始めていた。これから、嵐がくるのかもしれない。

* * *

「撤退?」
 画面に映るリムサリア=カーマスの言葉を受けて、ユージュは怪訝そうに鸚鵡返しをした。
「そうだ。我がコスモ王国軍は恒星アルビオの四連惑星の内三つを支配下に置いた時点で、正式にアングとチルダの間に国境線を引き、互いに植民星を正式な領土として認めるよう決議を出した。ゆえに、これ以上チルダにコスモ軍を駐留させておくわけにはいかん。正式な発表を以って、今諸君らがいる惑星チルダは、ラービアン国の領地となるのだからな」
「そんな・・・突然!!」
 暴挙に出てラービアンから殖民星を一つ奪い取った挙句、前線部隊のことも考慮せずに一方的に自分たちにだけ好都合な決議を出してしまったコスモ王国本土の上級官僚たちに、ユージュは怒り心頭に発した。その決定がアング強襲の直後に下されていたなら、カオーラもディーナも、カンパネラさえも戦争の犠牲になることはなかった筈だった。
「別に、猶予が無いわけではない。正式な発表までは、まだもう少し時間がかかる。しかし、今から既に撤退の準備を始めておくことをお勧めしよう」
「・・・・・・・・・・・・・了解」
 渋い茶を飲み干したような表情でユージュが答えると、カーマスはそのまま、通信を終えた。
 ブツンと愛想もなく消える巨大なスクリーンを前に、ユージュは愕然とした表情を浮かべたまま、立ち尽くしていた。後方に待機していた伝令兵やデラスたちが、彼の元へと心配そうに駆け寄ってきた。
「・・・お気を落とさずに、ユージュ旅団長代理」
「誰が責任者であっても、これは仕方の無い事態だったですよ。旅団長代理の落ち度ではありません」
 しかし、そんな慰めにもならない言葉は、ユージュの心には届かなかった。彼は、廃墟と化したカオーラたちの殖民村のことを思っていた。先日の小競り合いさえ未然に防げていれば、あんな悲惨な事件など起きる筈はなかったのだ。そしてそれは監督不十分だった自分の責任でもあるとユージュは考えていた。が、今回のような答えもあることを知り、彼の怒りの矛先は、かなりの割合が軍の上層部へと向き直っていた。軍がもっと迅速にことを進めてさえいれば、そもそも小競り合い が起きる以前に問題は解決していた筈だった。
「・・・・・・命令は、命令だ。各員、撤退の準備を進めておくように伝えてくれ」
 極力感情を押し殺しながらユージュが言うと、伝令兵はサッと敬礼をして、答えた。
「了解しました、旅団長代理っ!」
 そして踵を返すと、そのまま司令室を飛び出していった。デラスは、神経質そうにユージュの様子を伺っている。
「あの・・・・自分は、どうしましょう?」
「デラス少尉も撤退の準備を始めておいてくれ。できれば、俺も分もお願いできるかな?」
 ユージュが頼むと、デラスは思い切りよく返事をした。
「はい、喜んで!!」
「まかせたぞ」
 それだけ言い残すと、ユージュも司令室を後にした。湿っぽい廊下を、何故か出口の方へ向けて進んだ。外は雨がようやく上がり、ただ風だけが強く吹き荒んでいる様子だった。出口から地表に出ると、長雨で少々ぬかるんだ地面が延々と地平線の彼方まで続いていた。輸送兵が、今日も今日とて暇そうに、来るはずのない出動命令を待機しているようだった。ふと思い立ったユージュは、以前連れ立って村の廃墟まで行った輸送兵の車両まで歩いて近づいていった。
「やや、これはユージュ旅団長代理。また何処かへ視察ですか?」
 彼の姿に気付いた輸送兵は、なんだか嬉しそうにユージュに尋ねてきた。ユージュは何も言わずに車両のドアを開けると、どっかりとシートに腰を下ろした。湿っぽかったが、今の気分にはちょうど良かった。
「・・・・あの時と同じ村まで、やって欲しい」
「へっ? あの廃墟・・・・ですか?」
 不思議そうに輸送兵が聞き返してきたので、ユージュは特に伏せるでもなく、答えた。
「・・・・この基地から、この部隊は撤収することが決まった。だから撤退する前に、もう一度行っておきたいんだ。あの村には・・・・・・・・俺の恋人が、住んでいたから」
 最後の方は、声が細ってささやきになってしまった。しかし、それを聞いていた輸送兵は、表情を一気に崩していった。そして今にも泣き出しそうな顔になって、言った。
「そ そうだったんですか・・・・了解しました! 出来る限り全速で向かいます!!」
「あ、いや・・・安全第一で」
「では、行きますっ!!」
 ガウンッ!!!
 凄まじい爆音を轟かせながら、とてつもない排気ガスを撒き散らしつつ、全速駆動車が荒野へと飛び出していった。雨で出来たぬかるみを激しく吹き飛ばしつつ・・・・。

* * *

 激しい風が凍えるような冷たさを伴って身を震わせる中、ユージュは再び巨大な廃墟の前へとやって来ていた。今回の精神状態は、以前来た時と較べて、恐ろしい程静かだった。前回は動揺が過ぎて、あまり感慨に耽ることができなかった。しかし今回は、自分でもはっきり判る程に落ち着いた状態で、ここに立っている。
「・・・・・カオーラ」
 ユージュは一度、自分が愛した少女の名を呼んだ。その力の無い声は、すぐに吹いてきた風によって掻き消された。しかし、その音が残した余韻は彼の中にしばらく反響し、自然と目じりから涙が溢れてくるのがわかった。
 少女を抱いたときの感触が、脳裏に、手のひらに、身体のそこかしこに蘇ってくる。互いに寂しかったとか、そんな理由で必要としたわけではなかった。ただ純粋に惹かれあって、流れに身を委ねるままに心を重ね、身を重ねた。一生にそう何度も出会えないだろう、幸せな関係を築ける相手だった。そんな彼女が、思い出の中だけの存在になってしまう。彼女と過ごした日々・・・・表現が、過去形になってしまう。ユージュの中に、狂おしいまでの感情が生まれてきた。
「俺にもっと、力があったなら・・・・・せめて君にもう一度会えるような、神の領域のプラーナが使えたなら!」
 彼がサードオニキス時代に学んできた、選ばれし者しか体得できない超高精度術・サーチェスプラーナの中にも、そんな効力を持つ術などありはしなかった。偉大なる先人たちでさえ、神の領域に足を踏み入れることは出来なかったのだ。
 そんなことを考えたとき、ふと、彼の脳裏にとある考えが弾けた。
(先人が成し得なかったからと言って・・・・それが不可能だと、どうして言える? 俺は、何か根本的に認識を間違っていたんじゃないか・・・・・?)
 その時、自分を完璧に打ち負かした唯一の男、フールエスの姿がフラッシュバックした。ああいう生き方もあるのだ、と彼は自分の中に一つの新しい生き方を閃いた気がした。
(偉大なる先人が作り上げた、高精度のプラーナ技術・サーチェスプラーナ・・・・しかしこれが最高の技術だと、どうして言える? サーチェスプラーナを遥かに超えた力を、フールエスは持っていた。プラーナとは本来、学ぶのではなく編み出すものだ・・・・サーチェスプラーナを学んだというだけでは、けして先人を超えることなんかできやしないんじゃないか?)
 皮肉なことにここに来てこんな場所で、ユージュは開眼した。
 それは、おそらく学園の中で学び、その勢いで適当に士官をやるだけの人生では、決して到達できなかっただろう意識だった。ユージュはフールエスという理外の存在に触発され、歴代の銀星環でさえ踏み込むことのなかった領域に手が届くきっかけを掴んだのだ。これは、奇跡とも言える偶然だった。
「必要は発明の母と言うが・・・・・・まさか、カオーラをこの手にもう一度抱きたいと思ったことが、こんな発想を俺にもたらしてくれるなんてな・・・・・・・カオーラ・・・」
 少女の名を呟きながら、ユージュはきゅっと目を瞑った。彼女がすぐそばに、立っているような気がした。自分に微笑みかけてくれているような気がした。手を伸ばせば、願いが叶ってくれそうな気がした。しかし、それはきっと愛が生んだ幻に違いないのだ。いくら彼が優れたプラーナ使いだとはいえ、思いついただけで奇跡を起こせるような術を使うことなど出来はしないのだ。しかし・・・・夢を見せてくれるのなら、それでもいい。もう一度彼女の笑顔に会えるのなら、自分は全ての才能を枯渇させてもいい。今ここで、奇跡が起こってくれるのなら・・・・・!
 ユージュはゆっくりと瞼を開けた。

 廃墟と化した豪邸の灰を踏みしめるように、そこにはカオーラ=チェキナハーレーが、確かに立って微笑んでいた。
 





−つづく−




三部作かいな(苦笑)
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