一途召しませ




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 明くる日の、お昼少し前のことだった。
「喫茶店、ですよね。私こう見えましても、何度かウェイトレスのお仕事をお手伝いしたことがあるんですよ」
「そうは言ってもなぁ……いきなり押し掛けても、マスターいい顔しないと思うけど」
 僕がバイトに出掛けると言うが早いか、若葉が「私も手伝います」と言い出したのだ。
 彼女に家で大人しくしていてもらおうと思っていた僕は、思わず面食らった。バイト先の喫茶店『チェリールージュ』では確かにウェイトレスの募集を常時行ってはいるが……異世界から来たばかりの若葉に、いきなりそんな接客の仕事をやらせても良いのだろうか。頭の中で、そんな考えがぐるぐると回った。
「だって、笙さんには色々とご迷惑をおかけしているわけですし……せめて、お手伝いできる所でお役に立ってさしあげたいと思いまして」
「う……」
 彼女の弁ももっともだ。いつまでも彼女に、僕に対する引け目を感じさせておくのは、本意じゃない。
 それに、あまり過保護になるのも、後々彼女のためにならないかもしれない。
「…駄目でしょうか?」
 せがむような瞳で見つめられた。僕の心臓の脈動が瞬間跳ね上がった。
「…………いいよ。マスターに紹介してみるよ」
「はいっ、ありがとうございます」
 結局、僕の方が折れてしまった。結局今日も二人で並んで、繁華街行きの電車に乗り込む事になったわけだ。空を見ると、昨日の日暮れの大雨はどこへやら、憎いくらいの快晴だった。プラットホームに出て電車を待っていると、勝手に身体のあちこちが汗ばんでくる。
 隣を見ると、晴れやかな顔で若葉が立っている。彼女がこちらの世界へ着てきた和服は、結局昨日の大雨でびしょぬれになってしまったので、来る途中でアパートの近所にあるクリーニング屋に預けてきた。彼女はそれ以外に服を所持していなかったため、やむを得ず今日は、僕の服から無難そうな物を選んで着てもらっている。上半身は薄い水色のYシャツに包み、足はゆったりしたジーンズを裾を折ってはきこなしている。昨日まで着ていた和服のスリットが不思議なまでにきわどかったので、今日の彼女はなんだかすごく健康的に見える。別に、昨日までは不健康だったと言うわけではないが。
 やがて駅に電車が到着し、僕ら二人は涼しい車内へと乗り込んでいった。
 平日の昼ということで、昨日同様に車内は混雑はしていない。が、もうすぐ夏休みも終わりというだけあって、名残を惜しみたい中高生のカップルが、ちらほらと周囲に見える。長シートに二人並んで腰掛けている僕ら二人も、ひょっとしたら彼らの目には同類のように映っているのかもしれない。
 若葉は、この状況をどう思っているのだろう? 隣に座っている彼女の方へと、肩ごしに視線を向けてみる。そこには、居住まい正しく背筋を伸ばして、眼前の移りゆく景色を透過した車窓を眺めている若葉の姿があった。僕は、まるで清冽な水に触れたような清々しさを覚えた。
 昨夜のこともあったせいで、彼女はその雰囲気に、凛としたたたずまいをわずかに加えたようだ。心に蓄えていた余裕を全てゼロに戻して、やり直しを決意したためなのか。有里菜に言いたい放題言われた心の傷が、ちょっぴりだけ彼女を成長させたのか。いずれにせよ彼女は、僕と初めて会った瞬間よりも、輝きを増しているように見える。
 それとも……ひょっとしたら、彼女が変わったのではなくて、僕の彼女を見る目が変わったのかもしれない。より彼女が綺麗に見えるように、愛らしく見えるように。
 普通、男性が女性を一番愛らしいと感じる瞬間は、事を終えた直後だという。自分の腕の中、至近距離で自分に微笑みかけてくれる恍惚の笑顔に、身体と身体のつながりを超えた先にある至上の喜びを感じるのだそうだ。生憎僕にはそういった経験はないが、今僕が若葉に感じているニュアンスは、これに近いものがあるのかもしれない。
 自分の励ましで立ち直ってくれた少女。このシチュエーションが与えてくれるカタルシスは、大きい。
「……笙さん? どうなさったのですか?」
 気がつくと、目の前にはキョトンとこちらを見上げる若葉の顔があった。
「いや、元気になってくれて、ホントに良かったって思ってさ」
 僕は素直に答えて微笑んだ。車内アナウンスが、目的の駅が近い事を告げていた。
 連れだってホームへと降り、改札を抜けて、一昨日・昨日と往来した駅前へと足を向けた。若葉もいい加減この辺りの地形は飲み込めたのか、僕の後ろをスイスイとついてくる。
 通りを挟んだ駅の真向かいには、あいも変わらず大きなホテルがそびえ立っていた。そのホテルが建つ区画の片隅に、パッとしない雑居ビルが一軒、ちょこんと建っている。そのビルの半地下となる一階部に、僕がバイトを勤める喫茶店、『チェリールージュ』は息づいている。
「着いたよ」
 僕が言って立ち止まると、若葉もピタッと歩を止めた。そして、物珍しそうに僕の指さした店舗の外装を見つめ始めた。人が大勢行き交う駅前に位置するにしては、幾分外装としては弱いように感じる地味なレンガ造りの壁に、紫ともピンクともつかぬ不思議な色調で店名を記した看板が掛かっている。あまり客を積極的に呼び入れようという気迫があまり感じられない造りではあるが、昼夜を問わず、それなりに客は入っている。
「可愛いお店ですね」
 窓から店内の様子も覗きながら、若葉が呟くように言った。
「ここの店は、俺の高校時代の先輩が経営してるんだ。とりあえず、中に入って紹介しないとな」
「はい!」
 若葉は嬉しそうに首を縦に振った。長い髪が軽く波打つ。こちらに来てからいまいち不安定だった気持ちが、とりあえずの拠り所を見つけたわけだ。仕事を持てば、とりあえず地に足をつけることが出来る。
 そんな彼女を背中に従えながら、僕は店のドアをキッと推して、中へと入っていった。その後ろから、若葉も続いて中へと入ってきた。来客を知らせるベルがカランカランと乾いた音を奏で、店内からの視線がしばし僕らに注がれた。それに構わずカウンターの中に視線を向けると、マスターがこちらに向かって小さく手を上げている。僕もペコリと小さく会釈して、それに応えた。
 それを確認するや否や、マスターの興味は僕の隣りに立つ、若葉の方へと移っていったようだ。あれこれ言葉をかけられる前にと、僕は彼女の手を引いたままカウンター脇の小さな戸を押して内側へと入り、カップを拭いているマスターの前に、若葉をちょんと立たせた。
「………笙、この子は、何だ? 要領を得んぞ」
 と、マスターは渋みのある低い声で言った。
「バイト希望の子なんだ。たしか、世界中のコーヒー畑が戦火で灰になろうが、天変地異で日本がひっくり返ろうが、とりあえずウェイトレスは募集中って話だっただろ?」
「うぐ、そんな酒の席での話、昼間っから持ち出すな」
 まったく渋みの似合わないイントネーションで、マスターは苦笑いした。店内から、僕の話を聞いた客の笑い声がクスクスと聞こえてくる。若葉は、なんだか解らないというようにポカンとたたずんでいる。
「ゴホン……まあ確かに、ウェイトレスは何が何でも常時募集中だ。もっとも、募集広告なんぞ出したことは無いから、誰一人として立候補してくることはなかったがな…。だが、いくら募集中だとは言っても、来てくれたからハイそうですかと雇うわけにもいかん」
 言って、マスターは若葉の方へと視線を移した。彼女の髪の毛から爪先まで、じっと見つめているようだ。その視線にたじろぎ、若葉はなんだか居心地悪そうにこちらにチラチラ視線を送ってくる。
 だが、そんな時間は長くは続かなかった。何秒もしない内に、マスターは僕の方へと視線を戻して、明朗な口調で言った。
「採用だな!」
「はやっ!」
 僕の、そしてカウンターに座る客全ての声が重なった。当の本人はキョトンと辺りの様子を伺い、マスターは何事も無かったかのように、拭き終えたカップを棚の中へと仕舞い始めた。
「面接も無しに? いくら何でもそれは」
「経営者の俺が採用と言ったら、その決定は覆らん。それとも何だ、お前は採用には断固反対なのか?」
「そ そんなわけないだろ」
「ならいいじゃないか。えっと…お嬢さん、名前は?」
 マスターの強引さは、昔っから微塵も変わっちゃいないようだ。彼に名前を尋ねられ、若葉は瞬間緊張を表に出しながらも、相変わらずのとびきりの美声で答えた。
「紅若葉です。よろしくお願いします、マスターさん」
「ん、紅さん……若葉ちゃんだな。さっそく今日から、お願いできるかい?」
「はい、もちろんです!」
 ………なんだかこうして、トントン拍子の内に若葉は、僕と同じ店でバイトをすることに決まってしまったのだった。

◆ ◆ ◆

 瞬く間に、一週間が過ぎた。
 お昼時のチェリールージュ店内は、席空き待ちの客が入り口近くにたむろする程に大繁盛していた。元々混雑する時間帯ではあった。が、この混みようは、一週間前には見られなかった光景だと思う。
 客層は男女を問わず、メニューを選ぶのもそこそこに、店内を所狭しと行き来する少女の姿を目で追っている。……そう、彼らは、この店の看板娘の噂を聞いてやってきたのだ。
「マスターさん、ランチセット二名様です」
 今また、新たに客から注文をとってきた若葉が、カウンターごしにマスターにそれを伝えている。僕がフル回転で片づけという食器再生処理をこなしている後ろで、僕以上に超高速回転を余儀なくされているマスターが、誰の目にも判る作り笑顔で威勢良い返事をした。
「よしきた、まかせとけ!」
 僕の耳には、まるで「もう勘弁してくれ」とでも言っているように聞こえるが、このマスターは、弱音を吐くということを知らないのだ。単なる強がりともいう。
 元々、人気が無い店というわけではなかった。それなりに常連客もいるこの店に、若くて可愛いウェイトレスが入ったという話は、一夜の内に彼らの間に知れ渡った。そして彼女がこの店にバイトが決まった次の日には、いつになく多くの客がランチタイムを利用して、彼女の姿を一目見ておこうと訪れたのだった。そこで彼女が噂負けしていれば事態はこうまでなる事は無かったのだが、幸か不幸か、彼女の仕草や愛嬌、容姿は、どれもこれも客の予想の枠を超えたものだったらしい。噂が噂を呼んで、わずか一週間という短い期間の内に、若葉は駅前のアイドルにまでなってしまったのだった。こんな騒ぎがもう何日も続けば、マスコミが訪問してくるのもそう遠い日ではないかもしれない。これはさすがに冗談だが。
 そういったわけで、僕も若葉も、予想外に目の回るような忙しさに追われてしまっていて、しばし雅のことを棚に上げてバイトに勤しんでいるのだった。
「すいませーん、注文お願いしまーっす」
「あ、はいっ」
 客席から上がった声に呼ばれて、若葉はパタパタと忙しそうにそちらの方へと駆けていった。そんな彼女の背中を見ながら、ポツリとマスターが僕だけに聞こえる声で呟くように言った。
「笙……お前にしちゃ、イイ子を連れてきたもんだな…」
「マスター……イヤミですか?」と、僕。
「フフン、違うな」マスターが、微笑を浮かべながら答えた。「皮肉だ」
「…一緒じゃん」
 そんな会話を交わした時間だけ、勿論ランチタイムは長引く結果となった……。


つづく



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