そろそろ、あの頃に僕が出会った出来事を話そう。
あの時、まだ僕は幼くて、常に誰かの保護を求めていた。でも、それは得られないものだったから、僕は全てを拒んでいた。自分を、周囲を、世界を無価値なものとすることで、僕は最初から全てを敵に回して、何も求めようとしなかった。
でも、あの時に、僕の無価値な世界の中に、たった一つ価値のある存在が出来てしまった。裏切られる可能性もあったのに、僕はその存在を無条件に信頼し、無条件に愛した。
不幸な事に、そう、不幸な事に、僕は裏切られる事はなかった。彼女は僕を信頼して、僕を愛してくれた。
不幸な事に。
何も持たなければ何も失う事はない。だから、それまで僕は傷つかずにいられた。でも、何も持たない僕は、その時に失われてしまった。世界に対しての諦めという名前の絶対的な砦は、その時に、風が石を滅ぼすように優しく、波が砂の城を崩すように脆く、崩れた。
それまで、世界に干渉しない事で世界に干渉される事を防いでいたのに、僕は自らでその扉を開いて世界に対して敗北してしまったのだ。
要するに、世界と僕は、その時接点を持ってしまった。世界に対して、自分を傷つける事を許してしまったのだ。
僕の敗北は優しく甘かった。それまで求めていたのに得られなかったものが得られたのだから当然だ。僕は、表面ではそれを拒否する姿勢を貫きながら、心の底ではそれを切望していた。諦めていながら、どこかでまだ期待していた。
僕は人に干渉する事で自分が満たされる事を知った。人に干渉される事で癒される事を知った。時にはぶつかり合い、その度に相手の事をさらに理解した。人の事など理解できないと思っていた僕が、あの時は確かに通じ合えた。
人を信じる事が出来た。
彼女と僕には、同じ面があり違う面があった。そんな当たり前の事を僕は彼女から一つずつ学んでいった。
そして、僕は世界に復讐された。
今から思えば、彼女と僕のつながりは、世界と僕とのつながりではなく、単に僕の領域が彼女のそれまで広がったというだけで、相変わらず世界からは隔絶されていたのだろう。彼女も僕と同じように世界を拒絶し、自らをその中に置く事をしようとしなかったのだから。
だが、僕だけ、彼女だけならば、世界に対抗できる力を持っていた筈が、僕と彼女が重なった時に、そこに世界が干渉する隙を与えてしまったのだ。世界と僕たちは相変わらずつながっていなかったから、世界は僕たち個人に干渉する事は出来なかった。だけど、所詮世界の中でつながっていた僕たちのそのつながり自体を、世界は破壊する事が出来た。それによって間接的に僕たちに干渉する事が世界には出来たのだ。
何時までも世界に染まろうとしない僕たちを、世界は排除した。
正確には、彼女だけを排除した。
大きく大地が悲鳴を上げたその日、つながりを持たない僕はその出来事とは無関係なはずだった。世界に属していない僕は、たとえ僕が世界から排除されても何の痛みも、苦しみも感じる事無くただ消えるだけのはずだった。
だが、実際には、世界は彼女を排除する事で、僕に干渉したのだ。
僕は一度心を開いたが為に、世界に復讐された。
その時、僕は完全に無防備だった。自分以外の何かに依存し、それによって自分を確立していた僕は、その対象を失ってしまったのだ。僕は、存在意義自体を失ってしまった。
でも、あの時まで、僕は確かに存在していた。彼女という存在意義によって、僕はしっかりと、世界の中に存在していた。それまでの、世界の外から世界を嘲笑う不定形の、揺らいだ存在ではなく、確固として、揺るぎなく、存在していた。
そして、その意味を失った僕には、どうして良いのか知る術はなかった。
どうして彼女は消えてしまったのか。どうして僕は残っているのか。そもそも本当に彼女は消えてしまったのか?
世界には、解らない謎だけが存在していた。確かに僕は世界に残っていて、彼女は世界から消えてしまっていた。そして、確かに彼女は僕の中に残っていて、僕は世界から隔絶する事で消えてしまっていた。その二つの立場は、余りにも似通っていて容易に入れ替えが出来そうで、しかしその間には絶対的な壁があった。
そう、彼女は死んでいて、僕は生きていた。それは、僕が泣き喚こうが、諦めようが変わる事のない、唯一無二の事実だった。
僕は、それからの多くの時間を無為に過ごした。たった一つだけ、僕がこの世界で見つけた僕の意味は失われてしまったのだから。ずっと意味を持たずに生きてきたはずの僕は、一度意味を持ってしまったせいで本当に自分の意味を失った。
そして、いつからだろう。僕が、彼女に代わる意味を探し始めたのは。それは、余りにも簡単に為された彼女の喪失が、自分の存在の継続が、我慢出来なかっただけなのかも知れない。そこに、何らかの意味が必要だと感じたのかも知れない。
僕はゆっくりと打ち拉がれた心を背負い、もう一度、前を向こうとした。
そうして僕が見つけ出した物。
彼女の代わりとなる僕の存在意義。
それは夢だった。皮肉な事に、そう、あの夢のような時間の代わりと成り得るのは、本当に皮肉な事に、僕の夢だった。
自らを語る事。彼女を語る事。語るべき事を語り続ける事。
本当にあの時間の代わりになる物は、世の中に存在しないだろう。それは、彼女が世の中に既に存在しないのと同じ意味だ。
彼女の真実代わりとなる物は存在しない。
だが、それでも僕は意味を作り続ける。僕が、彼女が、この世界にあったという事を伝える、その為に。それが、残った、残された僕が為すべき、存在意義。
僕は傷を負っている。僕は闇に染まっている。
でも、傷を負う者だけが、その傷の痛みを知っている。闇の中に住む者だけが、闇の中を見通せる。
だから、僕は語り続けてゆく。