「テーブルトークの可能性」

 conquistadoresの記事として「何か書こうか?」とか言ってしまったので、何か書くことにする。どうせ第一回なのだから、という訳ではないが最初くらいは真面目なお題目で行こうか、と考えこういう題目と相成った。なお、文章に色々基本的な不備や矛盾がある事もあろうが、それは書き手の文章力の無さ故である。寛大な読み手の方々には、その点ご容赦願いたい。

 さてさて、RPGの可能性についてである。これは最近ドレス(家のサークルの事)でよく話題になっていることなのだが、それには理由がある。マスターをやった人間が「限界」を感じる事が多くなった、というのがその理由であるように個人的には考えている。
 そもそもRPGというのは非常に効率の悪い伝達手段である、というのは家のサークルでは大概揺るぐ事の無い見解である。詳しい事はいいだしっぺのgeoにでも譲ることにするが、小説よりも人数も少なく、またプレイヤーという不確定要素が加わる事によってマスターの思った通りの効果が上げられない、というのがその大まかな所であろう。
 ではRPGの優れているところはどこにあるのだろうか。  これに関してサークルで話し合った結果、出たのはこんな答えだった。(ように思う)
「リアルタイムである」
「会話による伝達である」

 この二つの点は確かにRPGの優れている点である。チャットセッションはリアルタイムではあるがその細かなニュアンスは伝わりにくいし(これはチャット自体の永遠の課題である)、その場でただ話をするよりも、一つのシナリオの中で会話の応酬をする事で色々な伝え方が可能になると考えられる。

 確かに、RPGというのはいくつもの遊び方が出来るくせに、その遊び方に差がある者同士ではちぐはぐになってしまうという厄介な遊びである。  多分この問題の根底には、「RPGとは何か」という深い問題があるのではないか、と僕は(勝手に)推察する。
 「RPGとは何か?」
 ダイスを振ればRPGだろうか?シナリオがあればそうなのだろうか?演技をすればそうなのだろうか?
 もちろんそんな簡単な事ではないし、これには個人個人で意見があるだろう。
 だが、RPGという物を何かに定義付ければ、自ずとそこに「限界」は現れる。RPGというものに何かしらの枠を作ってしまえば、今度はそれが枷に変わるのだ。

 コンピュータを使ったゲームに『弟切草』というゲームがある。これはゲームの業界に「サウンドノベル」という新しいジャンルを切り開いたソフトである。当時このゲームの発案者は、企画を見せた上司に「こんな物、ゲームじゃない」と言われた、と語っている。
 だが、今や「サウンドノベル」というジャンルはゲームにすっかり定着し、コンピュータRPGという別のジャンルのゲームですら、最近はサウンドノベル化していると言っても過言ではない風潮が垣間見える。サウンドノベルはコンピュータゲームとして、受け入れられたのだ。
 つまり僕が言いたいのは、「狭すぎる限界」を自分で作っていないか?という事なのである。きっと、RPGの限界はまだまだ、僕等の知らない所にある。自分の観念だけでそれを狭くしてしまうのはとても勿体無い事だと思うのだ。
 あなたの『RPG』は、どんな姿をしているのだろうか。