オリヴィエ・ド・フォルジェ、最後の告解より(記録者 ブレトニア辺境助祭マリス・フェリエ)

 さて、私はこの度、栄光ある国王から聖杯騎士の資格を剥奪され、私の祖先が守ってきた故郷も他人のものとなった。
 本来ならばこのようにして未だに国内におらず、国王の最後の御慈悲である追放という命を遵守してここを立ち去らねばならない。だが、今までも幾度となく私に助言を与え、良き相談役として私と共にあってくれた助祭、マリス女史に私の最後の告解を聞いてもらおうと思う。

 私が聖杯騎士としての資格を、国王から、そしてかの“淑女”から剥奪されたのは以下のような経緯にある。

 私が騎士として初陣に立ったのは私が十四の時に遡る。自らも聖杯騎士であった父ルイに伴われ、戦場へと赴いた。まだ若かった私は何度も命の危機に直面していたが、幸運にも名誉ある王国騎士の資格を与えられた。
 私の初陣は悲惨なものだった。開戦早々に部隊は鬼どもの投石器の直撃を受け、壊滅的な打撃を受けた。十人の内、残ったのは四人、私と騎士隊長、軍旗を掲げる騎士に士気を鼓舞する楽士のみだった。
 それでも部隊は隊長の叱咤の下、崩れた隊列を突撃槍の陣形に組みなおし、敵の本隊に向かって突撃を仕掛けた。だが、相手は隊長をはるかに上回る力の持ち主だった。隊長は二、三合打ち合っただけで切り倒され、残った三人は騎士の名誉もかなぐり捨てて逃げ出した。その途中で楽士は弓によって落馬し、残ったのは二人。戦場から逃走した私たちは、戦後にそれを追及され、旗持ちは騎士の資格を剥奪、私は五年の謹慎となった。
 謹慎という処分で済んだのは、恐らく父の取り成しによるものだったのだろう。ともかく、公的な場に姿を見せる事が出来なくなった私は、一つの決断をした。
 探求騎士だ。聖杯を受ける事を目的に旅を続ける流浪の身分。私は旅に出た。
 旅の中、私は幾度と無く父から教え込まれた剣技の有り難さを知らされたよ。探求騎士は戦場に立つ事以外にも、妖魔から村を救ったり、野党から身を守ったりせねばならない。そんなときに役に立つのは突撃槍ではなく、剣なのだ。
 そして、五年目が近づいたある日、私は“淑女”の姿を目の当たりにした。誰もいない夜の森、野営をしていた私の元に彼女は霧と共に現れ、私にその杯を授けられたのだ。私は兜を脱ぎ、“淑女”から聖杯を授かった。私は故郷へと戻り、期日を待って聖杯騎士として国王に謁見した。

 その後、幾度かの戦を戦い、実力も認められ始めた頃に一つの試練があった。鬼どもの襲撃を受けた村に援軍として駆けつけるというものだ。クァネレス近郊のその村に私の部隊が辿り着いた時には、村の守備隊はほぼ壊滅していた。敵の数はおよそこちらの七倍。明らかに苦しい戦いが予想されたが、私のとる手段は一つだった
。  かつての過ちを繰り返しはしない。私は部隊と共に鬼どもの中へと突撃をかけ、奴等を端から切り倒した。戦場が静かになる頃、部隊は半分にまで減ってはいたが、鬼どもは撤退し村人は守られた。
 私はその時の功績で国王から「彗星」を頂いたのだ。
 不利な戦で勝ったという証。それが「彗星」だ。

 そして、それから半月後、「その時」が訪れる。
 私は自らの領地を巡回し、その生活を見回っていた。これは父から受け継いだもので、一介の流浪の騎士に姿を変え、その真実の有様を一人で見て回るというものだった。
 夜の森の中、かの時と同じく一人野営をしていた私は、かすかな女性のうめき声を聞いた。同じように霧が出ていた森の中を、私は何かに突き動かされるようにその声へと近づいていった。
 彼女はそこにいた。
 弱々しくうめきを上げながら、どこへ行こうというのか少しでも進もうと這いずる姿は、あたかもぼろきれか何かのようだった。汚れあちこちが破れたローブに身を包み、必死の姿で苦しむその姿には、何か悲壮なものが漂っていた。私は当然のように彼女に駆けより、彼女を抱え起こした。
 ああ、その時の私の驚きを、どう表せば余す事無く伝えられるのだろう。“淑女”の如き、高貴さに満ち溢れた顔立ち。柔らかく、小さなその体。だが、彼女の瞳は“淑女”の湖のような青とは正反対に、血に濡れたように赤かったのだ。
 助け起こし、どうしたのかと尋ねた私に向かって、彼女はこう言った。
「離れるがいい、人の子よ。私は貴様に助けられるまでも無い。私には為さねばならぬ使命がある。復讐という名の使命が。自らの手で為さねば意味が無い。糧たる貴様に慈悲をかけられる訳には行かぬ。貴様も糧となりたくなくば、私を捨て置いてこの場から離れよ。今の私には貴様を殺し、その血を啜る力も残ってはいない。だが、復讐を果たしたその後に、いつしか貴様等人間に対し仇為す恐怖の存在となってくれよう。その時まで、貴様の運命は預けておく。それともどうする。この場で私を塵に帰すか。」
私はそれを聞いて悟った。この女は人間ではない。彼女は人の生き血を啜るという恐るべき魔物、吸血鬼だと。
 だが、伝説に聞いた人を魅了するその瞳は輝きを失い、絶望だけに彩られていた。伝説に聞いた人を素手で屠るその体は力無く項垂れ、死が間近に見えた。
 まず、私が思ったのは騎士としての使命だった。人に仇為すこの存在はここで殺してしまうべきだ。たとえ伝説では人の及ぶべくも無い存在であっても、今なら確実に仕留める事ができる。騎士として、魔物を抹殺しなければならない。
 だが、私の心を揺さぶったのは騎士としての誓いだった。騎士は女性を尊び、それに仕えなければならない。たとえ彼女が人間で無かろうとも、彼女は間違いなく女性だった。それも、力ある吸血鬼ではなく、今は唯の無力な一人の女だった。騎士として、苦しみ弱っている女性を踏み躙る事は出来ない。それに、なぜこの女は私の首にその牙を立てないのだ。たとえ力が無くとも、今この時でさえ私のその首は彼女の間近にある。そうしようと思えば造作も無い事に違いない。
 私の問いを見透かしたように、彼女はこう言った。
「人たるものでなくなっても、私には誓いがある。復讐を遂げ、本当の意味での魔物となるその時までは人の心を失わぬ者は糧としないという誓いが。それを破ってしまえば、私は唯の魔物に成り下がってしまう。人を捨ててまで得たこの力にも意味が無くなってしまうのだ。」
 だが、私の目には彼女は、人の道を踏み外した連中はおろか、身を守る術を持たぬ者からすら、既に力を得る事は出来ぬように見えた。彼女はそれほどまでに力を失い、消滅しかけていたのだ。それをただ復讐という目的だけで支えていたのだ。
 何もかも無くし、復讐を胸に誓い生きる女性。それに力を貸すことほど騎士にとって光栄な事がこの世にあろうか。自らの「姫」にその全てを捧げ、その運命に自らを捧げる。それは騎士にとって最高の栄誉なのだ。
 私はその瞬間に、「自分の姫」を見出した。
 彼女に私はこう告げた。
「私は今この時の為に生きてきた。敵に背を向けてまで自分の命を守ったあの屈辱も、聖杯を授かったあの喜びも、姫にまさしくこの身を捧げる為であったと思えば色褪せる。さあ、我が姫よ、高貴たる人よ。我が命を糧とし、その復讐を果たされよ。私は貴女の力となってその身を永久に守ると誓う。私の身体も心も、姫の為にあったのだ。」
私は兜を脱ぎ、彼女に首筋を差し出して目を閉じた。
「愚かな事を。私が魅了の瞳を用いなかったのは貴様が一番良く知っている筈。それでもなお我が魔性に身を委ねるというのか。」
私は無言で頷いて、彼女の死の接吻をただ待ち受けた。心を無上の喜びに震わせて。
 私は死を覚悟していた。それにも関わらず彼女の接吻は優しく、甘美だった。私は陶酔に震えながら意識を失った。

 どれだけ経ったのだろう、私は目を覚ました。二度と見る事はないと思っていた私の身体は、未だにそこにあった。私の頭は、優しく柔らかいものに包まれており、私は彼女の膝に頭を置いて身を横たえていたのだと知った。上から彼女が私の顔を見下ろし、見つめているのが分かった。その瞳は絶望から悲しみへとその色を変えていた。
「ああ、愚かな人。何故に自らその力を捨てるの。地位も、名誉も、その高潔さをも捨ててまで、私の抱擁を受ける価値があると言うの。」
 抱擁。吸血鬼が人を自らの眷族とする為の接吻。私は今や人を捨て、彼女と同じ闇の存在となった事を知った。
 彼女の言葉とは裏腹に、私の心は幸福に満たされていた。彼女を救う事が出来た。彼女の力になる事が出来た。そしてこれからずっとこの身を彼女に捧げる事が出来る。彼女は私を糧としてではなく、彼女の騎士として迎えてくれたのだ。
 ゆっくりと彼女の頬に手をやり、私はその身を起こした。彼女の手を取り、手に接吻した。
「オリヴィエ・ド・フォルジェ、姫に忠誠を誓います。我が誓いは神が世界を治めている時間の千の万倍よりも長く、神の国の城の石よりも万の千倍も重く。その栄光を守る為ならば神すら敵に致しましょう。」

 私が彼女に忠誠を誓い、立ち上がったその時、霧の中に“淑女”が現れた。
「愚かなり。呪われたその命でもって自らの過ちを永久に悔いるが良い。」
“淑女”はそう告げると、私たちの前から姿を消した。同時に“淑女”の加護も私から失われたのを私は確信した。
 だが、後悔は無かった。私は「姫」を見つけたのだから。

 それから私は、「姫」に一つ頼み事をした。彼女はその爪で自ら私の盾に「薔薇」を刻んでくれた。
 「薔薇」。乙女を救った証。私は自信を持ってその盾を掲げた。

 後は君も知っての通りだ。すぐに私の行いは国王の知るところとなり、私は火刑に処されるところを国王の取り成しによって追放となった。

 ……もう、行かねばならないな。朝が近い。君たちの時間だ。私たちの時間は終わろうとしている。だが、忘れるな。太陽は昇り、また沈む。私たちの時間は再びやってくるのだ。
 では、神に栄光があらん事を。もう会う事は無い、そう祈っているよ。

著者補記
 彼はそう話を締め括ると教会を出て行った。扉の向こうに小柄で輝くように美しい女性が待っており、二人は手に手を取って、まるで騎士が姫と結ばれる伝承歌の結末のようであった。彼女が彼の言う「姫」、エミリエという女性なのだろう。
 私は敢えて彼らに対する感情をこの場に書き記しはしない。それは神に仕える私にとっては神の名を汚す以外の何物でもないからだ。だが、フォルジェ家の名を悪戯に汚さぬ為にも、オリヴィエ公が私と知り合ってからこうして立ち去り永久に別れるまで、一時も騎士としての誇りを忘れず、その行いは騎士の見本として取り上げるに相応しいものであったという事だけを付け加えておく。