「夢」
あの子は何時も俯いてた。
白い、病院で着せられるような服をいつも着て、細い身体で俯いたまま耐えていたんだと思う。
誰も、味方はいなかった。いつも俯いて耐えていたのはそれだからだったんじゃないかな。家の中にいた人はみんな、あの子に罵声を浴びせ暴力を振るっていた。僕は、その様子をいつも少し離れて見ていた。
僕は幸いな事にそんな事は無かった。いつも丁寧に扱われていた。でも、いや、だから僕はあの子の事が気になって仕方なかった。いつも虐められていたあの子の事を、何とかしてあげたいと思っていた。
ある時、ついに僕は男の人に頼んだ、あの子を助けてあげて、と。どんな答えが返ってきたかは覚えていないけど、確かに好意的な答えが返ってきたのを覚えている。
でも、何も変わらなかった。それどころか、その虐めの矛先は鋭さを増し、さらには僕にも向いた。あの子はさらにひどく傷つけられ、僕も同じように扱われるようになった。
その時だと思う。本当にあの子の苦しさがわかったのは。そう、わかったんだ。それまで、傍から見ているだけじゃ何もわかっていなかったんだ、って事。そしてその子がどこかへ行きたがってるって事も。
だから、僕は行動した。
俯いたあの子の手を引っ張って、僕はあの家を逃げ出した。周りの人たちが気がつく前に出来るだけ遠くへ逃げるつもりだった。
どこへ?それはわからなかった。でも、確信があった。行くべき場所を知らないのに、そこへの道はわかっていたんだ。
あの子はそこへ行かなければならなかった。それは運命っていうか、使命っていうか、そういうものだった。そして、そこに行く事が今の状況を打開する為の唯一の手段だった。
あの子のやるべき事が「そこ」へ行く事なら、僕のやるべき事はあの子を「そこ」へ連れて行く事だった。
あの子はそこがどこへ行かなければいけないか知っていて、僕はそこへの道を知っていた。
だからあの子を連れ出した。
でも逃げれそうに無かった。あの男の人さえも、形相を変えて僕達を捕まえに来た。だけど僕達は逃げつづけた。道を渡り、次の道を進み…。
そして雨が降った。でも僕等は濡れたまま逃げつづけた。ずっと、ずっと。
だけど、いつかあの子は走れなくなっていた。膝を折って足をつき、悲しそうに僕を見上げるその瞳が泣き出しそうになっているのを見て、僕は困惑した。
ねぇ、行こうよ。でも僕の伸ばした手は、もう握られる事は無かった。
だけど、僕は諦めなかった。あの子をそっと抱え上げ、腕の中に抱いて立ち上がった。
とても、あの子はとても軽かった。雨を吸って重くなった服を着ているはずなのに、あの子はとても軽かった。まるで、僕の腕ごと空へと飛んで行ってしまいそうなほどに。思わず見上げた空は、もう晴れていた。
雨が降った後の、雨の乾いていく匂いがしていた。
急に悲しくなった。とても、とても。
いつか、誰かに聞いた事を思い出した。
「鳥の骨はね、中が空洞になっているんだよ。空を飛ぶために、少しでも軽くするために、弱く、弱く出来ているんだって」
と。