●知恵の輪●
| 「綾波、はいお土産だよ」
そう言って、シンジが手渡してくれたのは、 金属で出来た飾りのついた、携帯のストラップだった。 「…ありが…とう…」 所謂、古典的な『鍵』の格好をしたものが二つ、先端の部分で繋がっている。 普通の感覚を持った女の子なら、『可愛い』と評しただろうそれに、同様の感想を抱くほど、未だレイの感性は発達してはいなかったが、しかし、シンジがくれたという事実が、その存在をひどく温かなものとして、彼女に捉えさせていた。 「ううん、駅前の露天で見かけてね。今時珍しかったものだから、覗いてみたんだけど、面白そうだったからつい買っちゃったんだ」 携帯のストラップの何が「面白い」のか疑問に思いながら、彼の手に残ったもうひとつの包みに視線を投げる。 「…それは?」 「これ?こっちは僕の分」 にこにこと笑いながら、手元の袋を逆さにして見せると、中から、一目でレイにくれた物と同じテーマで造られたと判る、こちらは銀の籠のついたストラップが現れた。 ――――同じ種類だけど、全く同じもの、じゃ、ない… 自分でも良く理解らないままに、落胆を覚える。 無意識の内にだが、レイはシンジと『御揃い』のものを、持ちたいと考えていたのだ。 所謂、同じものを所有する、という行為は、そもそも、同種の仲間を求める人間の本能から来たものだ。 人は、同じ血の流れる『血縁』というもので集団を作り、外と交わる時においても、仕事、趣味、その他、各分野において、己と同種の者を求めてきた。 「同郷」、「学閥」・・・皆、人のそういった感覚から生まれたものだ。 そして、同じ物を持つという行為は、そういった仲間意識を眼に見える物として表現することであり、だからこそレイは、自分でも気づかぬうちに、眼に見えるシンジとの絆としてのそれを求めていたのだが。 「…もしかして、こっちの方が良かった?」 レイが肩を落した理由を勘違いしたシンジが尋ねる。 突き詰めて考えれば、『御揃い』を求める人間の心理は、それなりに深い理由があるものの、しかし、一般的に見て十四歳の少女がそれを望んだ場合、赤面ものの結論が出される場合が殆どである。 増してそれを、あのレイが求めているとは、咄嗟に考えつかなかったのは、これまでの経験から鑑みても、致仕方の無いことだと言えるかもしれない。 「そうじゃ、ないの…」 碇君と、同じなのかと思ったから…。 「同じもの?」 こっくりと頷いたレイに、ああそうかと納得する。 羞恥心の大きなこの年頃の女の子では、到底口に出来ない心情をあっさりとレイが口に出来たのは、彼女の心が未だ未発達であることを証明していたが、しかし、些か女の子の心理に疎いシンジにとっては、それは行幸でもあった。 「若しかして、僕と同じ物が欲しかったの?」 「……」 再びこっくりと頷いたレイに、シンジはほんの少し眼を見開き、けれど直ぐににこりと微笑んだ。 同年代の少女から良く聞く主張を、命令以外の事を何も知らなかったレイの口から聞けた事は、彼にはひどく喜ばしい事に感じられたので。 尤も、同時に、臆面も無く告げられたその言葉の意味するところに、シンジが酷く照れくさい思いをした事は、言うまでもない事だったが。 「そっか…綾波がそう思ってくれて、僕もとっても嬉しいよ」 これを買う時、僕もそれは考えないでもなかったんだけどね。 今回ばかりは、勿体無いと思って止めたんだ。 「…勿体無い?」 『面白い』だの『勿体無い』だの、如何考えても携帯電話のストラップを評するのには、些か適していないと思われる単語の連続に、小首を傾げる。 その可愛らしい仕種に、更に笑みを誘われながら、シンジは手の中で弄んでいたそれを、レイの物と一緒に、テーブルの上に並べて見せていた。 「うん、このストラップに付いている飾りなんだけどね」 実は単なる飾りじゃなくて、どっちもパズルになってるんだ。 「…ぱずる?」 意外な事を聞かされて、きょん、と眼を丸くすると、綺麗に並べられた二本のそれを、まじまじと見つめる。 一つは二本の鍵が絡まり合わせてあり、もう一つ、シンジのものは、小さな銀の籠の中を、金米糖を大きくしたような金色の塊が、ころころと転がっていた。 尤も、金米糖というには、些か角の数が少なく、代わりにひとつひとつの足が不自然に長くて、おまけにそれぞれの長さはまちまちだったりしていたけれど。 「そう、パズル。要するにゲームの一種だよ」 鎖にぶら下がった二種の飾りは、飾り以外の何物にも見えはしない。 けれど、レイの不思議そうな呟きを聞き取ったシンジは、悪戯っぽい笑みを浮かべて見せて。 「綾波、『知恵の輪』って、知ってるかい?」 「…知らない」 首を横に振ったレイに、シンジは百聞は一件にしかずだと、鞄の中からペンと手帳を取り出し、先端を輪にした二本の針金―――つまり、極々オーソドックスな知恵の輪の絵を描いて見せた。 「本来は、というか、代表的なものはこんな形をしてるんだけど、この二つの絡み合った輪を、頭を使って、一本ずつにばらす遊びなんだ」 勿論、力づくでやれば外れない事もないかもしれないけど、巧く頭を使えば、力なんか入れずにすっと外れるんだって。 そして、このストラップについている飾りは、形は大分違うけど、その知恵の輪の一種なんだよ。 「そう…」 紅の瞳がじっと二つの飾りを見詰める。 口調はそっけないが、しかし、シンジの聴覚は、その声の響きの中から、彼女が初めて眼にした『ぱずる』なるものに、興味を抱いたらしい事を的確に拾い出していた。 「だからね、今回は一寸惜しい気もしたけど、態と別々のものにしたんだ」 自分の分が解けたらお互いに交換しあえば、倍楽しめるでしょ? 綾波が、それ、外せたら、僕のと交換しようよ。 「…うん」 シンジの言葉の意味を咀嚼し、漸く頭で理解すると、みるみる内に頬を染め、小さく頷く。 同じ物を持つ、という事も魅力的だが、互いに使っている物を交換し合う、という考え方も、同様に魅力的な行為だと思い至ったのだ。 尤も、レイがこの手のパズルを苦手としていた場合、実際に交換出来るのは随分と先の事になってしまうのだろうけれど。 「綾波、携帯、貸してくれる?ストラップ、付け替えてあげるよ」 鞄の中から取り出した、二人で暮らすようになってから色違いで揃えた真新しい携帯を、差し出された掌の上に載せる。 楽器を扱う少年の器用な手が、括り付けられていた、付属品其の侭の愛想のない灰色の紐の結び目を丁寧に解くと、代わりにテーブルに並べられていたうちの一つ、鍵を模した方を取り上げ、その先端を穴に通していって。 輪の中を飾りごと一回通し、きゅっと弛みをなくしてから、持ち主の掌に戻してやると、ほっそりとした皙い指先が、恐る恐るといった体で紐の端を摘み上げていた。 ゆるりとした動作で眼前にかざしたそれを、二つの紅玉が矯めつ眇めつして眺める。 窓から入る陽光を弾いて揺れる、極々小さな二つの鍵は、きらきらと耀いて随分と美しく見えた。 ――――綺麗…これが、きっと、綺麗、という事… そして、眼前のささやかな贈り物に視線を奪われているレイを、その贈り主はまるで包み込むかのような、酷く優しげな瞳で見詰めていた。 手の内のものを、一心に見詰めていたレイが、ふと、その気配に気付く。 途端、元々ほんのりと色付いていた彼女の頬が、一気にぱあっと朱に染まって。 ――――碇、君… あの、「審判の日」と呼ばれる日の直後。 混乱の最中、意識の無い自分を見つけ出し、衰弱し切った身体が、日常生活を送れる程度に回復するまで、ずっと傍らに付き添って看病してくれたのは、彼だった。 様々な経緯を経て、今、漸く穏やかな日々を紡ぐ事が出来るようになった自分達。 未だ未発達な心を抱える自分の為に、常に彼は心を砕いてくれている。 そして、それは、今もまた。 「碇君…ありが…とう…」 もう一度。 巧く言い表す事の出来ない想いを、たどたどしい感謝の言葉に込める。 それは、在り来りの、極々シンプルで短い言葉ではあったけれど、しかし彼は、其処に裏打ちされた少女の心の全てを読み取ったかのように、にっこりと微笑んで。 「ううん。そんなに御礼を言われる程の事じゃないよ、綾波。それに、僕の方がずっと、君に色々なものを貰ってるんだから」 思いもかけぬシンジの言葉に、え?、と紅の瞳が見開かれる。 けれど、湧き上がった疑問を口にする前に、何時の間にか膝に落とされ、しかし握り締めたままだった小さな手を、つんと彼に突つかれて。 「ねえ、綾波」 取り敢えず、さ。 これ、二人でやってみない? パズルって、一人でやってもそれなりに面白いけど、何人かで意見を交換しながらやるのも、また楽しいものなんだよ。 「うん…」 また一つ、頭の片隅に書き加えられた知識。 教えてくれた彼に向かって、こくん、と一つ頷いて見せる。 凡そ、人とは言えぬ出生の自分。 けれど、彼が傍に居てくれたら、何時か、人になる事が出来ると思うから。 正面から傍らへと位置を変え、同じ方向から頭をつき合わせて手元を覗きこむ。 ほんの少しの角度から生まれる微妙な違いに戸惑いながら、手の中のものと、そして、直ぐ傍に感じる彼の体温に、悟られぬ様密やかに意識を向けて。 やがて。 中天から陽が傾き始めても、他に住む者もいない小さな建物の一室から、何事かを話し合って時折聞こえてくる二人の声は、決して途切れる事は無かった。
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