●未来への路−ケイン−●  

 暗闇の底をたゆとうていた意識が、ふわりと浮上するのが判る。
不意に、身体のあちこちに痛みを感じ、ケインは本格的に意識を覚醒させていた。
「グッドモーニン、ケイン」
聞き慣れた声が、頭上から降って来る。
久し振りに、夢も見ず、ぐっすりと眠った所為か、酷く気分がすっきりしていた。
「…ああ、おはよう、キャナル」
何時もならば、ブリッジに詰めている筈の彼女が、此処にいる事に少しばかり戸惑いながら、ゆっくりと半身を寝台に起こす。
寝ぼけていた頭が少しずつクリアさを取り戻し、眠りに就く前に起こっていた事態を、次第次第に思い出して。
吹っ飛ばされた際に、強く頭を打った所為か、休むまでは、半ば霞んでいた眼の調子が大分良くなって来ている事に、ケインは何時の間にか強張っていた肩から、ほっと力を抜いていた。
彼奴と対決する以上、こちらの不利な条件は、極力無くしておかなければならなかった。
「どうですか?怪我の調子は。何処か痛む所とかありません?」
「ああ、大分良い」
この分なら、完治まで、そんなに掛からずに済みそうだ。
「だからって、今は無理は禁物よ」
きっちり治しとかないと、いざという時、命取りですからね。
「判ってるさ」
あちこち体を動かして支障がないかを確かめ、大きく頷いてみせると、きつい目許がほっとしたように弛む。
それでも、彼女らしく、きっちりと刺して来た釘に素直に頷けば、にっこりと綺麗に微笑んで。
こんなに晴れやかに彼女が笑うのを見るのは、随分と久し振りではないだろうか。
それが、自分の所為だという自覚がある為、ふと過ぎった感想は、決して、口にする事はなかったけれど。
「今、ミリィが張り切ってキッチンに立ってるから、もう少しだけ待っ
てて下さい」
「珍しいな。ミリィが料理すると、キッチンが壊れるから嫌なんじゃな
かったのか?」
「仕方ないじゃないですか。ケインがそのミリィの料理を、好きだって
言うんですから」
彼女の言う通り、確かに人間の活力の源は、食べる事にもあるようですし。
揶揄う様なケインの言葉に、つんと唇を尖らせる。
以前は良くやっていた筈のじゃれあいが、やけに久し振りの様な気がして、知らず、口許がふっと緩んだ。
「何よケイン」
何だか妙に、嬉しそうな顔しちゃって。
「いや、別に…」
恥ずかしくてそんな事、口になんて出来るか、と、一端は口を噤んでしまったものの、しかし、ふと、ミリィの言葉を思い出した。
『あんた、何楽しようとしてんのよ。キャナル泣かしちゃ駄目じゃない
の!』
「楽、か…確かにな」
「ケイン?」
言われてみれば、確かにそうなのかもしれない。
死んでしまえば、一切の苦痛は感じなくなる。
そして、生きる事は、時として死よりも遥かに辛い事なのだ。
確かに、自分亡き後、一切の苦悩をキャナルに背負わせ、他の人間に最後の闘いを押し付けるなど、剛い男のする事ではなかった。
――――あれじゃ、ばあちゃんに、顔向け出来ねーよな
ばあちゃんは、俺を信じて、この船(キャナル)を譲ってくれたのに。
大きな瞳をますます大きく見開いて、覗き込んで来るキャナルから、そっと視線を外す。
今を逃してしまっては、きっと一生、言う事は出来ないだろうと、極自然に思った。
「…キャナル」
「何ですか、改まって」
「いや…」
…御免な、泣かせちまって。
「……っ」
唐突な言葉に、けれど、意味する処を正確に悟ったのだろうキャナルの薄い肩が、びくりと大きく跳ね上がる。
アリスが亡くなって約十年、少なくともそれと同じだけの年月を共に過ごし、成長してきた。
その間、少女の体付きから女性のものに外見を変化させ、それと共に、中身もまた人間らしくなって行った彼女だったが、けれど、あんな風に泣き叫ぶ彼女を見るのは初めての事だったのだ。
実体が無いのを理解っていながら、それでも、必死になって自分を、システムを止めようとしていた。
「ケイン…」
肩に重みを感じて貌を上げると、視界に碧の髪が広がっている。
傷に障らぬ様考慮してか、触れているだけではあったが、そこから伝わって来る彼女の想いが、痛い程はっきりと伝わって来て。
「今回だけは、許してあげる。でも…」
二度と御免ですからね、あんな事は。
私は、例えダークスターを倒す為だとしても、ケインを死なせたくなんかない。
ケイン(あなた)と一緒に生きて行きたいんですから。
「――ああ…」
くぐもった声に静かに頷くと、視線を床に落とす。
その肩が小刻みに震えている事に気付いたケインは、自分にはその資格がないと知りながらも、そっとその背に腕を廻して。
「約束する。二度と、あんな事はしないってな」
「本当に?」
「ああ」
耳元に向けて、そっと囁く。
「ばあちゃんに言われてたしな。女の子は泣かしちゃ駄目だって」
「…忘れてた癖に」
「だから、反省してるって…」
意識して普段通りに持っていった会話に、漸く、何時もの笑顔が戻る。
間近に迫ったダークスターとの闘いは、此れ迄になく、苦しいものになるだろう。
けれど、今度こそは。
最期の瞬間まで、自分は生きて環る路を、模索するに違いない。
キャナルの為に。ミリィの為に。そして誰より自分の為に。
――――約束だ、キャナル…
腕の中の確かな重みは、彼女がコンピュータである事を、まるで否定しているようで。
単なる機械にはない温かさを、触れ合っている全ての部分から感じ取りながら。
きっとそうするだろうとケインは思った。

END