●記憶の果てに●  
 


この人が微笑ったら、きっと、花が綻んだかの様でしょうに。
咄嗟に、脳裏を過ったのは、そんな、埓も無い考え、だった。
触れれば折れてしまうのではないか、と思わせる、華奢な身体と、透き通る様に白い肌。
見つめて来る瞳は、緑の中にひっそりと埋もれた、小さな湖の様な、蒼とも碧ともつかない、不可思議な色彩(いろ)だ。
儚げな雰囲気と、透明な優しい性質の声とは裏腹に、それは、森閑とした深い水の底の様な、何もかもを拒否する、冷たい輝きを宿している。
けれど、その空虚な視線の裏側に彼女が見つけたのは、余りにも深い寂寥の跡で。
――――もし、この人が、微笑ってくれたなら…
想いが、次第に形を変えていくのに、その時、ヴィーナスは、まだ、気付いてはいなかった。


Stage T.前世 〜ヴィーナス〜

 開け放たれた窓から入り込む夕暮れの陽の光が、元々、モノトーンに近い色彩の小さな室を、朱(あか)一色に染め上げている。
臥せている事の多い館の主が、わざわざ起きて来なくても良い様に、と、予め登録しておいた人物には、軽く気を込めるだけで開く仕組みになっている、特別に設えられた玄関の鍵(キイ)を、何時もの通り、何の障害も無く開いたヴィーナスは、階段を上った正面の室の窓辺に、一日の内の、ほんの短い特別な時間の、更に一瞬にしか見られない、未だ明るい夕映えの朱を浴びて、何を話すでもなく、ぼんやりと庭を眺めている二つの人影を、目にしていた。
――――誰………?
寝台の上の人間は、当然に、この館の主であろうが、では残るもう一人は。
室内の灯りを点けるには、少々早い時間の所為か、薄暗い室内の中、逆光となって、陰影ばかりが強調され、容貌を確認することが難しい。
扉をノックした音で、こちらを振り向いたその人物は、誰何する迄も無く、即座に、自分という人物を認識したらしく、さっ、と片手を上げて見せたけれど。
「やあ、ヴィーナス」
こんな時間に、貴女が宮殿(パレス)に詰めていないなんて、珍しいな。
もう、良いのかい、仕事の方は?
「………ジュピター?」
聞き慣れた、明るく快活なトーンの声に、相手を悟り、余りの意外さに、思わず声を上げる。
確かに、マーキュリーに引き合わせる為に、此処に案内した事はあったが、しかしそれは、たった一度きりの事。
警戒心が強く、滅多に他人(ひと)を寄せつけようとしない彼女が、幾ら守護神の一員とはいえ、そう簡単に、彼女と打ち解けるとは、思ってもみなかったのだ。
――――マーキュリー……
ずきり、と痛みを訴える心臓の上を、然り気なく、右の手で押さえ、ゆるりと寝台の側迄歩み寄る。
当のジュピターの方は、けれど、相手の顔色が微妙に変化した事には、まるで気付かぬ様子で、にこやかに彼女を迎え入れていた。
「マーキュリーに、何か用事でもあったのかい?ヴィーナス」
ああ、御免、これじゃあ、眩しいよね。
今、カーテンを閉めるから。
座していた椅子から腰を上げ、ぱたぱたと忙しく動きだす。
「マーキュリー、お茶、入れ直して来るよ」
ヴィーナスは、そこに座ってて。
「御免なさい…」
自分の腰掛けていた、この室にはたった一つしか存在しない、標準よりは大きめの、アンティーク調の椅子をヴィーナスに譲ると、慣れた様子で、階下の厨へと下りて行く。
相も変わらず、抑揚の無い、マーキュリーの物言いに、何も此処で、謝る必要は無いんだよ、と、軽く片目を瞑って見せて。
――――だけど…
ヴィーナスは、敏感に感じとっていた。
口に出された短い一言に、彼女には珍しい程、多くの感情が込められている事を。
逢って間も無い筈の彼女に、マーキュリーが、気を許し始めている事を悟って、ヴィーナスは一層に訳の判らぬ痛みに苛まれた。
「ジュピターは…、もう、何度か此処に、来ているの?」
随分と、慣れている様に見えたけど。
彼女が出て行った扉に、視線を合わせた侭、何気ない様を装って、尋ねてみる。
一か月。
如何にして彼女は、この短い時間の間に、この人の心へ入り込んで行ったのかと。
「そうね…ほぼ、毎日…」
余り頻繁に、出入りすると、人に見つかってしまうから、とは、言ったんだけど。
気を付けるから、大丈夫、って、聞き入れて貰えなくて。
言葉程には、然して、困ってはいないのだろう。
とぎれとぎれに、口を開きながら、ふっと視線が扉へと流れる。
あの、冷たくて深い水の瞳が、既に、四年に渡る付き合いのヴィーナスでさえ、滅多に見る事の無い、優しい色彩(いろ)を浮かべていて。
――――ああ、この人は
湧き上がって来る、苦い感情。
直感的に、思った。
――――今は、まだ違うかも知れないけれど
マーキュリーは、何れ、彼女を、好きになる。
表面上は何一つ変わってはいない筈なのに、何故か、それだけははっきりと理解った。
先刻よりも、更に酷く、きりきりと、鋭い痛みを感じ始めた胸を覆っている衣服を、ぎゅう、と掴む。
そして、唐突に、ヴィーナスは気付いていた。
自分は、マーキュリーが、好き、なのだと。
誰よりも柔らかな心を持っていて、寂しがり屋な癖に、決して、他の人間を自分の中に入れようとしない、この人間、が。
――――私…
胸の内に、確かにあった何かが、音を立てて、崩れていく様な気がする。
自分の中のこの気持ちは、友情以外の何物でもないと、信じて疑いもしなかっただけに。
「…ヴィーナス?」
黙り込んでしまったヴィーナスの瞳を、訝しげな光を湛えた眼が見上げて来る。
先刻、ほんの一瞬だけ瞳に宿った、暖かな色は既に鳴りを潜めている。
この人の笑顔が、見たかった。
全ての始まりは、それだけで。
――――マーキュリー……
ぎしぎしと、軋む心を抱え、けれど、ヴィーナスには、握り締めた右の手に一層の力を込める事以外、何もする事は出来なかった。



深い深い、沈黙の森。
常識で考えるならば、都の中でも、最も開けていなければならない筈の、女王(クイーン)や王女(プリンセス)の住む水晶宮殿(クリスタルパレス)の直ぐ西側に、何故か存在しているそれは、人の立ち入る事を禁じられた、暗く大きな森だった。
東、南、北。
残る三つの方向には、宮殿(パレス)を囲む様にして、彼女達を護る責を負った守護神たちの、有事には城壁と防護の拠点とを兼ねた、城と早変わりする館が建てられていただけに、関係者たちは、先祖たちは、何故、森を処分して、三つの館を綺麗に配置しなかったのか、と一様に首を傾げていた。
確かに、歴代の女王(クイーン)セレ二ティの統治の下、既に、何十万年もの間、銀千年王国(シルバーミレニアム)には、争いらしい争いは無い。
しかし、万が一、何かが起こった場合には、護人の存在ない西の森は、侵入しやすく、尚且、敵の格好の隠れ場になってしまうのだ。
けれど、臣下からの進言、忠告の類に、普段なら大変に良く耳を傾けるその人の反応は、この時ばかりは、断固としたもの、で。
『あの森を、無くしてしまう訳には、参りません』
あれは、もうずっと昔から、この王国を守護してきた、大切な森なのですから。
けれど、その一言だけでは、良かれと思って献言してくれた者達の心を、蔑ろにしてしまう、と判断したのだろう。
彼女は、不可思議な微笑みと共に、こうも付け加えていた。
『そなた達の憂慮している意味は、良く解っております』
しかし、心配には及びません。
あの森は、他の館と、同じ意味を持っているのです。
何十万年もの間、銀千年王国(シルバーミレニアム)を治めてきた、歴代の女王達。
月の化身セレーネに準えて、代々、セレ二ティーの名を受け継ぐ彼女達のその真意を、はっきりとした言葉で耳にする事の出来る人間たちは、ほんの一握りしか存在しなかったけれど。
『ヴィーナス、マーズ、ジュピター』
初めて守護神が一堂に会した、王女(プリンセス)の成人の儀。
成人の儀とは、将来、女王の地位を受け継ぐ事が約束された者が、数え年十四になる年の明けに、王族と極一部の関係者との間で行われる、彼女が一人前になった事を祝う、所謂、通過儀礼の様なものだ。
王族と、特に許された者しか入れぬ、神殿の中で執り行われるそれは、同時に、守護神として生まれた者たちを、正式にその任に就かせる意も、持っていた。
『―――実は、貴女方の他に、もう一人、此処に在るべき者が存在するのです』
片膝を付き、王女に礼を取る三人の面をぐるりと見回すと、女王は重々しげな口調でもって、隠されていた事実を語ったのだ。
ひっそりと、裏からこの国を守っている、セーラーマーキュリーの存在と、彼女に、そうさせざるを得なかった経緯について、を。
――――でも、だからって、幾ら何でも、あれはないわよね…
偶然にも、数年前に、彼女と巡り合ってしまっていた事で、既に真実を知ってしまっていたヴィーナスは、女王(クイーン)の、鈴の音の様な軽やかな声を聞き流しながら、ひっそりと胸の内で呟いていた。
セーラーマーキュリー。
ただ独り、人の立ち入らぬ禁忌の森に住み、その存在すら公にされず、外部からの、良からぬ企みを持つ侵入者を、表沙汰にさせずに、密かに葬り去る事を命じられた、智を司る戦士。
本来ならば、セーラー戦士の頭脳として、他の者達と共に、王宮に出仕している筈の彼女が、この様な命を受けたのは、先見(さきみ)の能力を持つマーズが、前世において、この世を去る前に行った、最後の予見の所為で。
燃え盛る炎の中に彼女が見たものは、数千年の間に、驚く程の発展を遂げた地球人が、月と対立する姿。
事を重く見た女王(クイーン)は、即座に判断を下したのだ。
智略に長けた、尚且、ノーマークの人物が必要である、と。
白羽の矢が当てられたのは、四守護神の一人、セーラーマーキュリー。
月の王族は、数千年の寿命を誇り、永くても百年しか生きられない、地球人達などから見れば、長寿の生命体である月人の中でも、特に永い生命を持っている。
つまりは、女王(クイーン)一代に対して、月の民すら三代、百年弱しか生きられない地球人などは、十代程も入れ替わるのだ。
その時間的差異を利用して、マーキュリーという存在を、人々の記憶の底に埋没させ、更に、転生を果たした彼女を、人目につかぬ様、嘗ての彼女の館の周辺に作り上げておいた、禁忌の森へと隔離した。
――――だけど…
何故、そんな辛い役目を、彼女だけが負わねばならないのか。
ヴィーナスは、憤りを感じずには、いられなかった。
確かに、策としては、有効かもしれない。
実際、ある程度、成果を収めている事を考えると、それは認めざるを得ないのだけれど。
それでも、例え、月の世界全体を護る為とはいえ、一人の人間の人生を、孤独の色で染め上げてしまう、などという事は、決して、許されて良い筈がなかった。
『どなた?』
嘗て、偶然にも、森に入り込んでしまった自分に向けられた、どう見ても十にもならないだろう少女の、その年頃の者には似つかわしくない、冷ややかな眼差しが忘れられない。
それは、単に、寂しさから来るものではない事も、ヴィーナスは充分に承知していたが、大きな要因の一つである事は、間違いない。
そして、その深い寂寥で彩られた瞳(それ)は、四年の歳月が流れた現在(いま)も、変わる事は殆ど無く。
――――せめて、守護神だけでも、自由に会いに行ける様にしてくれていれば良かったのに…
女王と世話人以外の人間を、彼女が初めて目にしたのが、十歳の時。
それから、十四になる今日迄の間、時折、人の目を盗んでは、逢いに行っていた自分以外に、出会った人間が皆無、だという、彼女の話を聞きだした時、そう、思わないではいられなかった。
そして、そんな状況では、彼女が心を、堅く氷で閉ざしてしまうのも、無理からぬ事で。
――――この人が微笑ったら、きっと、花が綻んだかの様でしょうに
一目見て、そう思ったのだ。
たおやかな、柔らかで優しい心を持った、人。
それを、冷たく凍らせてしまわざるを得なかった彼女に、微笑みを浮かべさせてやりたかった。
けれど、自分には、結局、もう一人の、前世の記憶の担い手として、極、稀に、ぽつりぽつりと漏らされる彼女の話を、聞いてやる事しか出来なくて。
――――どうしたら、貴女の心の中の氷を、溶かす事が出来るの…?
それだけが、ヴィーナスには、解らなかった。


Stage U.現世 〜美奈子〜

 閉店時間を疾うに過ぎた、人気の無いゲームセンター。
目立たぬ様に、ほんの少しだけ持ち上げられたシャッターの内部は、光を落とされ、今は、作動している一台のゲーム機の発する光が、唯一の光源となっている。
この手の店では、その面積の多くを占める、アーケードゲーム機。
中でも、昼間、最も人気のあるものの内の一つである、そのゲーム機の、大きめの専用モニターが映しているものは、本来の表示用に組み込まれている筈のゲームプログラムでは無くて。
その裏から延ばされた、細いコードの先に接続された、片手で持てる程度の小型のコンピュータの、やはり小さな画面に映っているものと、それは同様のものだった。
「…思ったより、時間が掛かりそうね。この作業」
数字やグラフ、表、地図など、次々に画面に現れては、消えていくものたちを見つめていた、金の髪を長く真っ直に伸ばした少女が、ほう、と小さく溜め息をつく。
そして、それに応えたのは、小型コンピュータの所有者で、彼女の覗き込むゲーム機に向かって椅子に腰を下ろし、取り付けた端末から、様々な操作を実際に行っていた少女、だった。
「仕方ないわ。幾ら月の世界の技術が進んでいたとはいえ、実際にそれを走らせているこの機械は、地球のものだもの」
でも、データがこの位多くなってしまうと、多少スピードは落ちても、これ位の容量は必要だし。
眼に掛かるのか、柔らかな蒼の髪を、右の手で煩げに掻き上げながら、けれど、左手は休まずにキーボードを叩き続けている。
その仕草を、間近から見つめながら、美奈子はふっ、と微笑んでいた。
――――全然、変わっていないのね、この子は
表面的な事、では無く、本質的な性質が。
何でも一人で、抱え込もうとしてしまう悪癖さえも。
『貴女…』
漸く合流した仲間達の前から、どうしても、しておかねばならない調査の為に、自己紹介も碌々せぬ侭、姿を消したのが、ほんの数時間前の事。
変身を解き、それでも、データを入力しておかなければ、と、調査の現場から、改造したコンピュータを設置してある、ゲームセンターに直行した美奈子は、何時もならば、きちんと閉まっている筈のシャッターが、少しばかり、持ち上げられているのに気が付いて。
――――もしかして…
出来るだけ、音を立てない様に気遣いながら、必要最小限だけシャッターを持ち上げ、するりとその身を滑り込ませる。
暗い室内の片隅を、彼女が想像していた通り、ディスプレイの発する独特の光が、ぼんやりと照らし出し、慣れた様子でパネルを操作している人をも、薄蒼く浮かび上がらせていた。
――――あれは…
マーキュリー、ね、矢っ張り。
誰何するまでも無く、背格好と状況から見当を付け、元の様にシャッターを下ろしてから、足を踏み出す。
この状況下において、それでも一人で動こうとする者など、彼女以外、いる筈も無いだろう。
けれど、傍らに辿り着く前に、動かしていた手を停めたその人は、かたりと椅子から立ち上がって。
『ヴィーナス、ね?』
ほんの少しの間、瞳を、じっ、と見つめていた少女が、ふわ、と口元を綻ばせる。
昔、初めて逢った時よりは、間違いなく、明るい光を宿していたものの、拭い去る事の出来ない苦悩と寂寥とが、これだけは変わらぬ瞳に、濃い影を落としていた。
――――矢張り、貴女は、今生でも…
昔日の彼女を思い出し、きり、と胸に痛みが走る。
先ずは、確かめてみなければ、と、敢えてそれに気付かぬ振りをし、美奈子は、ふっ、と笑みを浮かべて見せていた。
『…御久し振りね、と言うべきなのかしら?セーラーマーキュリー』
多分に含みを持たされた言葉に、言外に述べている事を理解したのか、亜美が、は、と口を噤む。
それは、つい、数刻前の出会いでは無く、前世での。
――――マーキュリー…
微妙に変化した表情に、彼女が前世の記憶を所有している事を確信して、美奈子は、柔らかく微笑んで見せていた。
『今生の、御名前は?』
『…亜美。水野亜美、です』
含羞みを含んだ、らしい反応にくすりと笑う。
俯きがちな視線も、何もかもが、変わっていない。
『…相変わらずの様ね。マーキュリーも』
今生の私の名は、愛野美奈子。
美奈子と呼んでくれれば良いわ、亜美ちゃん。
その容姿に似つかわしい、控え目な様子で小さく頷いた亜美の肩に、ぽん、と軽く手を乗せる。
嘗て、水に囲まれた、あの館で、初めて出会った時の記憶と、だぶらせながら。
そして、美奈子のその回想を断ち切ったのは、傍らにいる人間の、小さな、それでいて深い、溜め息、だった。
「どうかしたの?亜美ちゃん」
何か……
口を開き掛けて、言い淀む。
打込が全て終了したのか、何時の間にか手を停めて、画面を見入っている人の横顔を、覗き込んで。
けれど、その瞳に映っているのは、今、眼の前に表示されているものたちの、どれでもなかった。
――――亜美……ちゃん…
思い当たる。
自分が所有している一代限りのものとは、比べ物にもならない、気が遠くなる程、膨大な量の、過去の記憶と、彼女に課せられた、重い、責務。
実行、しなければならなかったのだ、と。
仲間達を、目覚めさせる為に。
最も、昼間のあの闘い振りでは、それも、致し方の無い事の様に、思えたけれども。
「…大変、だったわね、亜美ちゃん」
思いを込めて囁いて、そっと肩に手を乗せる。
美奈子には、理解っていた。
知っていながらも、過去を告げる事は出来ず、更に、記憶の解放等という、自然に逆らった事を行ってしまった彼女の心は、仲間の側にいながらも、嫌、だからこそ、ずっと、独りだったのだと。
きっと、それは、長く、独りで動かざるを得なかった、自分と同じ様に。
「…後悔、してる?」
多くの意味が込められた問いに、静かに首が横に振られる。
けれど、悔やんではいなくとも、後ろめたさは感じているのだろう。
彼女達を、苦痛の海へと、追い込んでいる事に対する。
「だったら、自分を責めては、駄目」
頭脳(ブレーン)の貴女が、そんな事では、勝てる闘いも勝てなくなるわ。
正念場は、これから、なんだから。
厳しい言葉を口にしながらも、胸の内には、自然、愛しさが湧き上がって来る。
それは、あの頃と、まるで変わらぬ様に。
「…ええ、理解ってるわ」
言葉を噛み締めるかの様に、重く頷いて、深く、息を吐きだす。
そして、伏せがちな視線はその侭に、亜美は、美奈子から、そっと視線を外していた。
「御免なさいね、美奈子ちゃん」
駄目ね、私って。
貴女には、何時も何時も…。
昔の事を、思い返しているのだろう。
終わりの方は、小さく掠れ、唇を、ぎゅ、と噛む。
けれど、美奈子にとっては、あの亜美が、本音を垣間見せてくれた事を、真実に嬉しく思っていた。
この、見かけとは裏腹に、情の強いこの人は、昔から、この手の問題で、他の人間に本心を明かす事など、滅多と無かったので。
それは多分、前世を共有している、自分以外には。
「何言ってるの」
前世(まえ)から、言っているでしょう?
迷惑なんかじゃ、ないって。
肩に乗せた侭だった手に、力を込める。
彼女の為になるのならば、どんな事でも、してやりたかった。
例え、自分の中の想いが、決して、叶う事が無いとしても。
そして、そんな美奈子の心は、違うことなく、亜美にも伝わっていって。
「ええ…」
…ありがとう、美奈子ちゃん。
俯けていた顔をゆるりと上げると、亜美が、綺麗に微笑って見せる。
嘗て、ヴィーナスが、願っていた通りの笑顔、で。
――――ああ…
瞬間、理解した。
形は違えど、希んでいたものを、自分はきっと、ずっと、手に入れていたのだ、と。
――――亜美ちゃん……マーキュリー…
胸が熱くなるのを抑えられず、彼女達の名を、そっと呟く。
だが、その時。
ぎいぎいと、悲鳴の様な音を立てて、突然、入り口のシャッターが持ち上げられる。
――――他人(ひと)が…っ?
振り返って、咄嗟に身を堅くする。
こんな時間に無断で侵入し、その上、勝手に機械を改造して使用している手前、見つかるのは非常に不味い。
例えそれが、この世の為になる事だとしても、正体が明かせない以上、単なる中学生の、夜遊びで片付けられてしまうだろう。
けれど、作り出された空間から、しなやかな身のこなしで、するり、と身体を滑り込ませて来たのは、大きめの上着を無造作に羽織った、すらりとした体つきの、背の高い少女、で。
「ああ、矢っ張り、此処だった」
心配したんだよ、亜美ちゃん。
こんな時間なのに、電話しても、誰も出ないから。
「まこちゃん…」
相手が誰か判った瞬間、表に出ていた、亜美の弱い部分が、綺麗に内に押し隠される。
少しの迷いもない、セーラー戦士の頭脳(ブレーン)である、マーキュリーの仮面の下に。
けれど、その瞳の中には、やはり、嘗てと、同じ色彩が宿っていて。
かつかつと、靴音をさせながら、大股に歩いて、まことが直側に迄やって来る。
と、捜していた人物の傍らに、見慣れぬ人間を発見し、少々首を傾げた後、まことは、ああ、と頷いて見せていた。
「ヴィーナス、かい?」
「え?ええ…」
「愛野美奈子。皆と同じ、中学二年」
瞳で尋ねられて、戸惑いながらも紹介しようとした亜美を制して、一歩、前に脚を踏み出し、はっきりと名乗る。
よろしく、と差し出された手は、前世(まえ)と、まるで変わらぬ、確りとした造りをしていた。
――――私はきっと、一生、貴女の様には、見て貰えない
もう、十二時を過ぎたから、また後で、だね、と、笑って手を振り、肩を並べて自分とは反対の道を行く、二人の背中を見送りながら、心の中で、小さく呟く。
それでも良い。
確かに、自分の事を、自分が彼女を想っている様に、見て貰えぬ事は、辛い事かもしれない。
けれど、他の仲間達には、例え、何があっても見せる事の無いだろう姿を、自分だけには、繕う事無く、晒してくれる。
それは、過去を共有している事から、来ているのかも知れなかったが、それでも、決して、それだけではなくて。
――――『信頼』、してくれてるんでしょう?亜美ちゃん
…そうだったんでしょう?マーキュリー。

見上げた空には、満天の星と、そして、下弦の月が輝いていた。


全てが解き明かされる瞬間(とき)は、あと、ほんの僅かにまで迫っていた。

                                     END