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Scene1〜亜美〜 広場に飾られた大きなモミの木。 見栄えよく飾り付けられ、ライトアップされたそれは、光を反射し、きらきらと輝いている。 心を浮き立たせるような、この季節特有の音楽たちに囲まれながら、しかしまるで別世界の事であるかのように、然したる関心もない素振りで急ぎ足で歩いていた亜美は、その光景に重なる何かを感じて、不意に足を止めていた。 『来年もまた、此処に来よう』 勿論、二人でさ。 唐突に頭を過ぎったのは、此処一月ほど耳にしていない、優しい声だ。 女性にしてはやや低いその声は、独特の張りがあり、聞く者に彼女の快活さを伝える役割を果たしている。 そしてそれは、同時に、亜美に強い安心感を与えるものだった。 けれど、こうして彼女の傍から遠く離れている今現在、小さな約束と共に思い出されたそれは、胸の内に小さな痛みを生み出すばかりで。 ――――御免なさい、まこちゃん… 約束…守れなかった。 ツリーから視線を逸らすと、一つ息を吐き、瞼を伏せる。 あれは、一年前の今日。 夜から始まるパーティーの為に、二人、街へ買い物に出掛けた。 本当の事を言えば、二人で来る程のものでもなかったのだ。 前の日から泊まり込んで、手伝いをしてくれたまことの御陰で、料理や部屋の掃除は殆ど終っていたのだから。 だが、コートを抱えて、足りない一、二品を揃えに行くと口にした亜美に、まことは、それなら時間もあるしデートしよ?と、あの微笑みと共に片目を瞑ってみせて。 肌に感じた空気は、その季節らしく、冷たかった。 だが、まことと並んで歩く亜美の瞳に映る、何時もと変わらない筈の風景は、酷く温かなものに見えたのだ。 ――――まこちゃん… あの時の事を思い起こせば、時を重ねて大分経ってしまった今も、ぽう、と胸に灯りが点る。 なのに。 今、自分の眼の前にある風景は、あの時眼にしたものと似て否なるもの。 街並みは違えど、何処から如何見ても、まことと一緒に見たのと同じ、立派なクリスマスの風景だ。 流石に日本と違い、宗教の色がそこ此処に滲んではいたが。 だが、何を見ても、何処を歩いても、亜美の心に訴えかけてくるものは、一つとして存在しない。 美しい風景、の筈、だ。 平和で、賑やかで、楽しげで。 なのに、自分は。 底冷えのする心を抱えた侭、こんな所に一人、佇んでいる。 つい、と辺りを見廻した亜美に、ふと、公衆電話のボックスが目に入った。 『亜美ちゃん』 耳に甦る、優しい声。 「………」 今この瞬間、自分の傍にはないそれを思い起して、唇を噛む。 地球の裏側にいる彼の人は、今何をしているのだろうか? 見詰めていたボックスから視線を外し、細い手首に留められた、彼女には余り似つかわしくない男物の無骨な時計をちらりと見遣る。 それは、その身は遠く離れても、長く留まったこの地に思いを馳せる事もあるだろうと、師とも育ての親ともいえる老教授が、日本に旅立つ少女に譲った、元は彼のものであった世界時計。 永の年月にも耐え、正確に時を刻み続けているそれの、日本時間表記の部分が、未だ明け方を示している事を認め、肩を落とす。 幾らまことが、例え夜中だろうと構わない、と常日頃から言ってくれているとはいえ、特に用事も無い以上、無理に起すのは気が引けた。 少なくとも、連絡を取るに当たって常識的だと思われる時間帯に達するまでには、後数時間の時が必要で。 ――――……… ほう、と皙い息を一つ吐き出すと、ふっさりと長い睫を伏せる。 小さく息を吐き出すと、亜美は、止っていた足を、再び己の仮の住まいへと向けていた。
Scene2 〜まこと〜
「「アメリカぁ?」」 うららかな昼休み。 爆弾は、何の滞りもないように思われた、そんな長閑な時間に唐突に落とされた。 陽当たりの良い屋上で、輪になって弁当を突付いていた美奈子とうさぎの頓狂な声が、一斉にはもる。 刻みねぎを混ぜ込んだ卵焼きを箸で綺麗に切り分けながら、亜美の隣に陣取って、その発言を黙って聞いていたまことは、予想通りの二人の反応に、矢っ張り、と心の中で呟いていた。 本当なら、先頭に立って事の次第を問い質す筈のまことが、こうして平静を保っていられるのは、昨夜、亜美のマンションに泊まり込んだ折り、大凡の経緯を聞いていたからだ。 ちらと盗み見た、こっくりと頷く蒼の少女の瞳は、しかし、この騒ぎを前にしても何等動揺は見られない。 尤も、同様の事態が過去にも幾度か起こっている事を考えれば、それも当然の事かもしれなかった。 少なくとも、レイ辺りがこの場に居れば、『前にも在った事でしょう?そんなに騒ぐほどの事じゃないわよ』と、冷静な口調で亜美を庇いつつ、うさぎを宥めに掛かるのが、はっきりと予測できるのだから。 とはいえ、明後日には日本を発たねばならない等、此れ程急な要請は、確かに此れ迄には無かった事である。 一年のうちで尤も楽しいイベントが集中する、これからの季節を酷く楽しみにしていたうさぎを納得させるには、暫しの時間が必要であるようだった。 「え、でもでも、直ぐに帰って来れるんでしょ?」 少しばかり重くなってしまった空気の中、仲間内で諦めの悪いうさぎが、上目遣いに亜美を見詰め、縋るような口調で問い掛ける。 だがそれは、考える迄もなく無理な事だろう。 亜美の専門は、心臓外科だ。 その治療に呼ばれたとなれば、少なくとも、数週間の時が必要だろう。 数日で帰ってこられるような程度の事であれば、最初から、日本に居る人間を態々呼び出しはしまい。 亜美が行くと口にした時点で、当然のようにその辺りの予想を付けた美奈子とまことは、だから、瞬間、不用意なうさぎの発言に、全ての動きを止めてしまっていた。 何しろ、既に暗黙の了解となっている年末の予定を白紙に戻さねばならない事を、一番心苦しく思っているだろう人物の傷に、余りに無造作に触れてしまったので。 「…ごめんなさい」 今の所、最短で三週間、長ければ一月半という見積だけど、実際の所はクライアント次第…。 はっきりとした事は、言えないの。 「そっかー、そうだよねぇ」 でもそうすると、クリスマスも、大晦日もお正月も亜美ちゃん抜きになっちゃうのー? つまんないよう。 困ったような口調で応えた亜美の、型の良い眉が僅かに顰められる。 この事態を眼の前にして、とんでもなく能天気で且つ不謹慎な発言ではあるが、確かにそりは彼女達の正直な気持ちである。 そう、残念な気持ちは、皆、同じだ。 それは、亜美自身とて例外ではない。 けれど、彼女は、自身が医師である以上、頼られてしまえば、可能な限り応えねばならないと思っているのだ。 だからこそ、それは、絶対に口にしてはいけない言葉だった筈で…。 「ちょっとうさぎちゃん、今、そんな事を言わなくても…」 「そうだよ、一番残念なのは亜美ちゃんなんだし、何より人の命が懸かっているんだから」 箸を動かす手を止め、俯いてしまった亜美を気遣って、美奈子とまことが慌ててその口を塞ぐが、一度放たれてしまった言葉は、無かった事に出来はしない。 此処にレイがいれば、恐らく今頃は、うさぎの頭には、もう一つお団子が増えていたに違いなかった。 「本当に、ごめん、なさい…」 約束…破る事になってしまって。 私も、日本にいる人間なんかよりも、アメリカに常駐している医師を勧めたんだけど…。 どうしても、私に担当して欲しいと言われてしまって。 ぽつりぽつりと呟くように事情を話す亜美に、うさぎの口元を手で覆った侭、美奈子が空いた手を大きく横に振ってみせる。 「そんな亜美ちゃん、謝るような事じゃないわよ」 勿論、亜美ちゃんと一緒にいられないのは残念だけど、お医者さんの仕事、優先させなければならないのは、当然の事だと思ってるし。 あっちの方も、幸い、今は特に、私達のレーダーに引っ掛かるような事は起こってないし。 「そうそう、こっちの事は心配しなくて大丈夫だから」 「ええ…」 もがもがと何か言い掛けているうさぎを押しやっての、二人の必死のフォローのかいもあってか、漸くに亜美の強張っていた表情に、うっすらとした笑みが戻る。 薄い肩に手を置いてやれば、ゆるゆると入っていた力が抜けていって。 「大変だろうけどさ」 亜美ちゃんは亜美ちゃんのやるべき事を、確りやれば良いんだよ。 「……」 ありがとう…。
見上げた青い空の向こうに、陽の光を弾きながら、飛行機が白い軌跡を描いていくのが見えた。
Scene3〜まこと〜
現代日本において、大多数の人間が宗教的な意味合い等殆ど感じていない、単なる楽しみの為のイベントと化したその日が、日一日と近付くに連れ、身の回りの何処もかしこもが、クリスマス一色に染められていく。 日に日に浮き立つ空気を纏っていく街並みを器用に擦り抜けながら、しかしまことは、周囲が賑やかであればあるほど、隣の空間を殊更に強く意識させられていた。 『今回は仕方ないよ』 それに、クリスマスは何も今年だけじゃないんだからさ。 来年、また一緒に過ごせば良いじゃないか。 そんな事より体に気を付けるんだよ。 亜美ちゃんは、他人には気を遣う癖に、自分に対しては本当に無頓着なんだから。 医者の不養生、なんて諺、まちがっても体現しちゃわない様にね。 落ち込む亜美を慰める為、何より自身に言い聞かせる為、見送りに行った飛行場でも、繰り返し続けた自分の言葉を思い浮かべる。 考えてみれば、こんなに長く彼女の声を聞かないで居たのは、本当に久し振りの事だった。 時差による気遣いも在ったのだろうが、そもそも電話が苦手な彼女の事。 不規則な仕事と理解っている為、タイミングを計りかね、なかなか此方から掛ける事も出来ず、話したのは、無事目的地に付いたとの、半ば報告めいたそっけない電話以来だ。 自宅は各々持っているものの、互いに一人暮らしであると言う事から、現在では殆ど半同居の様相を呈している彼女達にしてみれば、それは、此処最近においては、記録とも言うべき時間の空白だった。 ――――どうしてるかな、亜美ちゃん 見るもの聞くもの、何かにつけて連想するのは、全て亜美の事ばかりだ。 空いた右側がやけにすーすーするような気がする。 そして、そう感じていたのは、まこと自身だけではなかったらしく。 『こんな事言うと、まこちゃんに悪いけど…』 いないと判ってるのに、ついつい探しちゃうのよねえ、まこちゃんの隣に。 亜美が居なくなってから此れ迄の間に、何度そういった科白を聞いた事だろう。 此れ迄、改めて意識した事はなかったが。 それは、二人で居るのが、余りにも自然であるという事。 一人で居る事が、不自然に感じてしまう程に。 だがそれは、それだけ亜美が、自分に近い存在であるという事でもあって。 ――――……… ほう、と一つ息を吐く。 最近考える事と言えば、こんな埒も無い事ばかりだ。 思考が前向きでない方向にループしてしまっている事に気付きながら、しかし、まことはそれを振り切る事は出来なかった。 ――――あ… ふと、何かに意識を引かれて、足を緩める。 確認しようと肩越しに振り返ったその先にあったのは、複雑な蒼の色彩を放つオパールを盤面とした、一風変わった女物の時計だった。 良く見れば、それを覆う硝子もまた、幾重にもカットしてあり、他には類を見ないデザインとなっている。 ――――似合いそう、だな、亜美ちゃんに… 無意識の内に、またもや傍らに居ない大切な人へと、思いを馳せる。 亜美ちゃん確か、腕時計は、あれしか持ってなかったよね。 亜美の細い手首に巻かれた、無骨な男物のそれを思い浮かべる。 物に執着しない彼女が、珍しく、酷く大切にしていたその時計は、まことの記憶に間違いが無ければ、日本に帰ってきた折りに、恩師に贈られたものだった筈だ。 ――――あれ、かなり良いものみたいだし実用的ではあるけど、でも もう一つ、女の子らしい時計を持ってても、悪くないよ、ね…? 魂を抜かれたかのように、硝子越しに、じっと見入っていたまことは、だから、近付いてきていた見知った気配に、気付く事が出来なかった。 「まこちゃん」 唐突に肩を叩かれ、傍目にも滑稽なほど、大きく跳び上がる。 慌てて視線を横に向ければ、何時の間にかそこに立っていたのは、長い漆黒の髪を持つ、制服姿の美しい少女だった。 「レイちゃん」 珍しいね、どうしたんだい、こんな所で。 慌てて繕ったまことの問いを、だがレイはあっさりと往なす。 「別に。買い物がてら、ちょっとぶらぶらしていただけよ」 クリスマスが近いから、イルミネーションとか綺麗だしね。 手に提げた小さな紙袋を、ほんの少し持ち上げてみせながら、商店街の統一された電飾を示す。 「で、まこちゃんは?」 クリスマスプレゼントでも、探してた訳? 声を掛ける直前の、何かに気を取られている様だったまことの様子を思い出しながら、ショーウィンドウの中にちらりと視線を投げ、意味ありげな笑みを浮かべる。 そして、ちょっとした悪戯心で放たれた、自分の思い人を何時の間にか手にしてしまっていた幸せ者への、少しばかりの意地悪を含んだ問いは、見事な位に意図された役割を果たしていた。 「え、その、別にそんなつもりは」 「へー。で、そんなつもりって、どんなつもり?」 「あ…う……」 更なる突っ込みに完全に言葉を封じられ、まことは声も無く、唇をぱくぱくさせるばかりだ。 その焦り捲った様子を、暫しの間、面白げに見詰めていたレイは、やがて、口許に薄い笑みを浮かべながら、繰り出した矛先を引っ込める。 「そんなに慌てなくたって、今更何とも思わないのに」 貴女達の事は、もう皆理解ってるんだから。 いや、引っ込めたと言うよりは、更に実も蓋も無くしただけかもしれないが。 「………」 真っ赤に頬を染め、身の置き所も無い、といった顔をしているまことに構い付ける事無く、先刻、まことが眺めていたらしい時計をじっと見詰める。 「ふーん…」 良いんじゃない? 「え?」 余計な単語を削ぎ落とした、余りにシンプルな感想に、思わずその横顔をまじまじと見詰める。 「だから、良いんじゃないの?これ」 亜美ちゃん、腕時計、あの大きな奴しか持ってなかった筈だし。 二つあったって、困るものでもないでしょう? この色、あの娘に似合いそうだしね。 難点をいえば、ちょっと値が張る事だけど。 「あ、うん…まあ、そうかもしれない、けど…」 だが、亡き両親の財産を相続したまことは、弁護士に資産管理されているとはいえ、通常の高校生よりははるかに自由に出来る金額を多く持っている。 「はいはい。ならさっさと予約したら?」 幾らか入れておけば、今現金を持ってなくても、少しの間なら取っておいてくれるわよ。 「そう、だね」 流石に高校生の身分では、なかなかカードは使い難い。 既に周知のその事実から、今後のまことの行動を当然のように看破したレイは、ぽん、とその背を叩いて促してやってから、ふと、浮かんだ疑問を口にしていた。 「そう言えば、まこちゃん」 「何?」 「プレゼントを買うのは良いとして、一体何時渡すつもりなの?」 改めて問われて、初めて自分が、何も考えていなかった事に気付く。 「え、と…多分、亜美ちゃんが帰ってきた時に…」 郵送する事も出来るが、矢張り、プレゼントは手渡したい。 取り敢えず、そういった思いから、たどたどしくそう応えたまことの思考は、レイの次の科白にあっさりと遮られていた。 「甘いわね」 ――――甘い? 告げられた言葉の意味を取りかねて、ただ、胸の内で繰り返す。 眼を丸くした侭、見詰めてくるまことの無言の問いに、レイは内心、してやったり、と悪戯な笑みを浮かべていた。 「言われなきゃ理解らないから、甘いってのよ」 そんなんじゃ、まこちゃん、亜美ちゃんを任せてなんかいられないわよ? 「え?」 レイを含む、恋敵達の存在を思い出したのだろう。 途端、まことの表情が少しばかり強張る。 「確かに後から渡したって、勿論、亜美ちゃんは喜ぶだろうけど、でも、飽くまでそれはクリスマスプレゼント」 クリスマスに渡さなければ、意味は半減よ。 「それはそうかもしれないけど…」 幾ら渡したくたって、相手が此処に居ないなら、どうしようもないじゃないか。 そう訴えてくるまことの深緑色の瞳に、大袈裟に溜息を吐いてみせる。 「亜美ちゃんが帰国できないなら、まこちゃんが向こうに行けば良いでしょ?」 折角の冬休みなのに、追い掛けてみせるくらいの気概はない訳? 「それは、そうだけど」 パーティーだってあるし、居ない間はうさぎちゃんは私が護るって亜美ちゃんとも約束したし…。 「だから?それなら亜美ちゃんの心は、一体誰が護るって言うの?」 「………」 黙り込んでしまったまことに、きりりと釣り上げていた眦を、緩めてみせる。 「パーティーは昼間でしょ?早めに切り上げて、飛んでいけば良いじゃない」 大晦日とお正月くらい、うさぎのフォローは私と美奈で引き受けるわよ。 「でも…」 「あーもう、苛々するわね。亜美ちゃん、美奈に取られても良いの?」 苛立たしげに投付けられた、恋敵の名前にびくりと肩を震わせる。 ――――美奈子ちゃん? 一体、レイは何を言おうとしているのだろう? 固まってしまったまことの様子に、黒髪の麗人が、構い付ける事無く捲し立てる。 「美奈、さっき本屋で、亜美ちゃんの様子を見に行こうかな、なんて言いながら、時刻表を調べてたんだから」 「…どうして」 「何か昨日話した時、妙に元気がなかったんですって」 ――――話した?亜美ちゃんと? 言わんとする意味を解するのに、ほんの少し掛かった。 「どうして、美奈が」 自分にすら連絡が無いのに、一体何故、亜美の様子を知っているのか。 けれど、皆まで口に出していない疑問に対して返された答は、まことを落ち込ませるのに充分だった。 「だから、定時連絡よ」 「定時連絡?」 「まさかそれも知らなかったの?」 何かあったらいけないからって、あの二人、三日に一度は通信機で連絡取り合ってるのよ。 尤も内容は、事務連絡以外の何物でもないらしいけど。 ――――………
毎度の事だから、てっきり知っていると思ってた、というレイの言葉は、最早、まことの耳を右から左に通り抜けるだけだった。 暫しの沈黙の後、無言で踵を返し、自宅に向かって走っていく。 見る間に小さくなっていく、その背中に向かって、レイは小さく呟いた。 「…ま、予約だけは、入れておいてあげましょうか?」
Scene4〜亜美〜 独身者を対象とした、病院側が用意したフラットの一角。 全世界を訪れている、今日明日のイベントとはまるで関係の無い、つまりはカロリーメイト等の所謂簡易食の詰まった袋を片手に下げ、足取りも重く、夕暮れの中をとぼとぼと歩いていく。 ――――……… 商店街とは違い、常日頃、静けさを保っているこの場所も、しかし、今日ばかりは例外とはいかない様だった。 いや、一人暮らしの者の家であるからこそ、却って若者が集まるには、都合が良いのかもしれない。 そこかしこの窓や扉からは、夜行なうのだろう、パーティーの準備をしているらしい人達の、ざわめきが伝わってくる。 独りに慣れた亜美であっても、流石にこんな日ばかりはそれを自覚するのは堪えた。 ――――今夜は、泊まり込むつもりだったのに… 無理を言って来てもらったのだから、クリスマスくらいはゆっくり過ごして下さいと、要らぬ気遣いをされてしまい、早々に病院を追い出されてしまったのだ。 だが、一緒に過ごしたい人達とは遠く離れた土地に居る今、特に行く当ても無く。 買物がてら、態と街中を通ってみたものの、空虚さが心を満たしていくばかりで、浮き立つ事は決して無かった。 思い出されるのは、仲間達と出会った後、過ごしてきた賑やかな時間ばかりだ。 以前は、こんな事は感じなかった。 一人が寂しい、などと言う事は。 仲間達と出会って、四回目のクリスマス。 それ迄、例えクリスマスであろうと誕生日であろうと、他の何でもない日と変わらぬ時間を過ごしてきた亜美だったが、彼女らに出会ってからは、それらのイベントを独りで過ごすという事は、皆無となっていた。 一度賑やかな時間を知ってしまえば、以前の自分には、もう戻れない。 ――――17時…日本はまだ、朝の7時… 腕時計で時間を確認して、自室に戻ったら電話をしてみようと、心に決める。 朝の7時と言えば、学校に行っている日ならば、一日で最も忙しい時間帯の一つだが、冬休みに入った今なら、そうでもない筈だ。 半端に遅い時間に掛けて、出掛けてしまっている可能性もある事を考えれば、少し早いくらいが確実に捕まえる事が出来るだろう。 以前に比べれば大分増しになっているものの、未だ電話を苦手としている亜美としては、例え相手がまことであっても、それはかなりのエネルギーを必要とする決意だった。 数段の階段を上り、ポケットから取り出したキーを、鍵穴に差込む。 締め切られたままのカーテンの隙間から、細く夕陽が入っている室内は、陰影が強く、薄暗い。 だが、電灯のスイッチを入れる時間も惜しんで、リビングに直行すると、ローソファーに荷物を放り出し、亜美は電話の受話器を左手に取っていた。 指がすっかり暗記してしまっている一連の番号を、躊躇いがちに押すと、呼び出し音が鳴り始める。 だが、数回のコール音の後、亜美の耳に飛び込んできたのは、録音された御定まりのメッセージだった。 『はい、木野です。只今外出しております。御用のある方は、ピーと言う発信号の後にメッセージをお入れ下さい』 それは、確かに待ち望んでいたまことのものではあったが、しかし、同時に、亜美の心に冷たい風を運んできて。 ぐらり、と床が回転したような不快感が、全身を襲う。 ――――まこちゃん、昨日、帰っていない…? 基本的に寝起きの良いまことの事だ。 例え眠っていても、電話の呼び出し音に反応しない筈はないし、どちらにしても、普段のまことならば、この時間は既に起床している時間帯だ。 にも拘わらず、これだけコールしても出ないと言う事は、昨夜から帰宅していないと見るべきだろう。 ――――パーティの後、その侭お泊りになったのかもしれない… 通話を切らぬ侭、メッセージの裏にある真実を読もうと考え込む。 だが、直ぐに、自分が図らずも無言電話の真似事をしている事に気付いた亜美は、慌てて最も苦手な留守録へのメッセージの吹き込みを、たどたどしく行なった。 「…え…と…亜美です……また、電話します…」 ピッ、と停止ボタンを押して、通話を終了させる。 ほっと肩から力を抜き、だが、気持ちが萎えない内にと、受話器を戻さず、続いて心当たりの番号を打込み始めた。 特に、何か話がある訳ではない。 ただ、どうしても、声が聞きたかったのだ。 だが。 ポ――――ン。 瞬間、まるで亜美の気持ちを削ぐかのようなタイミングで、来客を告げるベルが鳴る。 凍り付いたかのように、ぴたりと動きを止めた亜美は、暫しの間、逡巡した後、受話器を元に戻し、玄関へと向かう。 「どちらさま…?」 声に交じる、不審げな色は隠しようが無い。 無理も無い事だ。 この一ヶ月の間、彼女の元を訪れたものなど、一人としていなかったのだから。 「亜美ちゃん」 「……っ」 此処に居る筈の無い人間の声を耳にして、全身に電流を流されたかのように、ひたりと亜美の動きが止る。 「ま…こ…ちゃん……?」 物騒な土地として有名なニューヨークにおいて、自己防衛上当然且つ必須である、相手の姿を確認してから扉を開ける、という基本手順をすっ飛ばし、下ろされていた錠を外しに掛かる。 焦りが先立ち、単純な構造の筈のそれは、しかし、なかなか外れてはくれず、何時もの倍の時間を掛けて、漸く全ての鍵を外し終えた亜美は、勢い良く重い扉を開け放っていた。 「亜美ちゃん」 夕陽を背にしたその姿は、半ば影となり、表情が読めない。 扉を一歩出た所で固まってしまった亜美を、すいと近付いたその人影は、次の瞬間、すっぽりとその長い腕に抱き込んでしまっていた。 「…っ…」 一瞬の惑乱が、その明晰な頭脳を過ぎり、一拍の間を置いて、それは安堵に変化する。 ――――まこちゃんの匂い… 逆光の為、姿を確かめる事は出来なかったが、全身を包み込むその気配は、間違いなくまことのものだ。 日本に居る筈のまことが、何故此処に居るのか。 当然、真っ先に湧き上がって然るべきそういった問いは、しかし、今の亜美には、欠片ほども浮かんではこなかった。 与えられる温かさに、ただただ、その身を委ねる。 久方振りに感じる心地良さに身を任せ、ゆっくりと息を吐き出した亜美は、全身から力が抜けていくのを、ぼんやりと感じていた。
Scene5〜まこと〜 「全く亜美ちゃん、来た早々、あんまりびっくりさせないでよ」 心臓、止まるかと思ったじゃないか。 「ごめんなさい…」 「何時も言ってるだろう?亜美ちゃんは余り丈夫じゃないんだから、無理は絶対しちゃ駄目だって」 「…ごめんなさい」 ゆったりとしたリビングに、同じ様な会話が、延々と繰返されている。 ローソファーに横になり、首を竦める様にして小さくなり、先刻から謝罪をし続けているのは、現在のこの部屋の主で、きつい口調とは裏腹に、かいがいしく世話を焼いているのは、つい三時間ほど前に、この地に降り立ったばかりの訪問者の方だった。 「謝らなきゃいけない事だと理解っているなら、初めからするんじゃないよ」 冷蔵庫の中は、思った通り、空っぽだし…。 こんな食事を続けてたんなら、倒れて当然じゃないか。 温かくなってしまった、額の上の濡れタオルを取り上げ、こつんと自分の額を合わせ、熱を測る。 特に不自然な熱さを感じられ無い事から、倒れた原因は単なる貧血と判断したまことは、幾分ほっとしながらも、頬に掛かる髪を掻き上げてやっていた。 「そういえば…どうしてまこちゃんが、此処に居るの?」 漸く彼女らしい思考が回り出したのか、ケットで顔の半分を隠しながら、おずおずと亜美が尋ねてくる。 潤んだ様な、上目遣いの湖の瞳に晒される快い感覚に、久し振りに浸りながら、まことはにこりと笑みを浮かべていた。 「会いたかったんだ、亜美ちゃんに」 クリスマス、一緒に過ごしたかったし。 「でも…それじゃ、うさぎちゃん達は…?」 「心配しなくても、亜美ちゃんとの約束通り、パーティーにはちゃんと出てきたよ」 うさぎちゃん、今回は、夜家族で食事に行くって事だったから、午前中から始めて、夕方前にはお開きにしたんだ。 フライトの時間があるから、私は途中で脱け出したけど、皆快く送り出してくれたし。 「そう…よかった…」 安堵を含んだ小さな呟きに、酷くらしさを感じながら、しかし、まことは同時に苛立たしさが湧き上がるのを止める事が出来なかった。 どんな時でも、亜美は自分を後回しにし、他人を優先させる。 それは確かに、彼女の数多くある美点の一つではあったが、同時に欠点でもあった。 「ねえ、亜美ちゃん」 改まった口調に、大きな瞳が不思議そうに見上げてくる。 「亜美ちゃんのそういう優しい所、大好きだけどさ」 私にくらいは、偶には我が侭、言ってくれないかな? 好きな人の我が侭って、逆に嬉しいものなんだよ。 「ん…」 ね?と至近距離から覗き込み、ついでに薄い唇を軽く啄ばむと、蒼白かった頬にぱっと鮮やかな朱が散る。 「それじゃあ、亜美ちゃん。夕食の支度が出来るまで、大人しくしててね」 御説教はここまで、と上掛けの上からぽんと軽く胸元を叩き、ついと立ち上がる。 念の為、用意してきて良かった、と心の底で呟きながら、踵を返そうとしたまことは、しかし、つん、と何かに引張られる感覚に、背後を振り返っていた。 「亜美ちゃん…?」 見れば、何時の間にか服の裾を、亜美がぎゅうと握り締めている。 「……」 「えっと、亜美ちゃん…?」 「……」 似つかわしくない、幼い仕種。 視線を合せようとはせず、沈黙を続ける亜美に、戸惑いを覚える。 敢えて抵抗しようとはせず、傍らに膝を付くと、まことは、冷たい手を温めるように包み込んでいた。 チッ、チッ、と時計の進む音が、やけに耳をつく。 秒針が、一周して尚余りある時間が過ぎた頃、込められた力で白くなっていた指先から、漸くのように力が抜け、やがて、か細い声が静かな室内に落とされた。 「ごめんなさい…何でも、ないの…」 亜美自身、どうして良いのか判らない、といった様子で、切れ切れに言葉を紡ぐ。 取り敢えず、放してもらえるかな?と、握り締めたままの手の上を、ぽんぽん、と軽く叩く。 慌てたように、ぱっと離れた指が、何かを求めるように宙を彷徨い、やがてぎゅっと握り込まれて力なくケットの上に落ちた。 ほんの少し、名残惜しさ感じながらも、横たわる亜美の傍を離れると、まことはこの家に入って以来、ずっと忘れ去っていた大きな旅行鞄に歩み寄っていた。 「簡単なものだけど、色々用意してきたからさ」 今夜は二人でパーティしよう。 次々と取り出される大小様々な包みに、亜美が目を丸くしているのが判る。 その様子に、内心、くすりと笑みをこぼしながら、テーブルに食料を積み上げていく。 やがて、ほぼ空になった鞄の底に、唯一つ、小さな金の包みが残った。 ――――……… 暫し、考え込んだ後、ゆっくりと包みを手にし、もう一度亜美の傍らに戻る。 両の膝をつき、投げ出されていたままの皙い手を取ると、まことはそれを黙って握らせていた。 「亜美ちゃん…メリークリスマス」 横になったままの亜美には、自分の手に握らされたそれを見る事は出来なかったが、まことの言葉に、自分への贈り物である事は理解出来た。 まことの気持ちは嬉しい。 だが、今日、まことに会える事を予測できなかった亜美は、当然の事ながら、贈り物など用意している筈も無く。 「あの…まこちゃん…、私……」 「気にしないでよ、そんな事」 単に、私が、あげたかっただけなんだから。 「でも…」 こんな所にまで、来てくれただけで、充分大変な事なのに、その上…。 もごもごと口の中で呟いている亜美に、じんわりと愛しさが増してくる。 だが、このままでは堂々巡りが繰返されるだけだという事も理解していたまことは、早々に亜美の思考を断ち切ってしまう事を選んでいた。 「逆だよ、亜美ちゃん」 プレゼント、渡したかったから、此処に来たんだ。 それとも…迷惑、だった? 態と哀しげな表情を作ってみせると、困ったように亜美が眉を寄せる。 「ずるい…まこちゃん」 そんな風に言われたら、私、受け取らない訳にはいかないじゃない。 「ごめん…」 つんと唇を尖らせたその仕種に、苦笑する。 だが、一つだけ、言っておきたい事があった。 「でもね、亜美ちゃん」 亜美ちゃんは気付いてないかもしれないけど、私は亜美ちゃんから、色々なものを受け取ってるんだよ。 だから、気にする必要なんて、全然無いんだ。 「…私が?」 小首を傾げ、わからない、と表現してみせる亜美に、それより、と手の中の金の包みを思い出させる。 緩慢な動作で身を起そうとする亜美を手伝い、背にクッションを幾つか入れてやる。 「まあ…開けて見て」 繊細な作りの指先が、銀のリボンをしゅるりと解き、かさかさと包装紙を伸ばしていく。 ゆっくりと姿を現したのは、真ん中に窓を付けた小さなケース。 プラスチックの窓から覗いているのは、複雑に光を弾く、美しい時計の盤面だった。 「これ…」 言ったきり黙り込み、じっと亜美が手の中のものに見入る。 「その…どうかな?」 その沈黙をどう解釈して良いのか惑い、居心地悪げにまことが尋ねた。 「亜美ちゃんが腕時計、持っているのは知ってたんだけど…でもそれ、亜美ちゃんに似合うと思ったから」 魂を抜かれたかのように、身動ぎすらせず、ケースを見詰め続ける亜美の表情を、その内心を伺うように、覗き込む。 見詰める先の引き締められた小さな口許は、やがて、笑みの形に綻んだ。 「ありが…とう」 春の陽射しのような温かな笑み。 胸の内に、ぽう、と小さな灯りが点る。 「つけて…くれる?」 「うん…」 上目遣いにねだられて、首肯する。 それ以外の答など、自分が持っている筈も無かった。 彼女の手首の細さを際立たせている、大きな時計をそっと外し、代わりに自分の贈った小さなそれを巻き付ける。 かちり、と音を立てて金具が噛み合った。 その様を、じっと見詰めていた亜美が、盤を覆う複雑にカットされた硝子を、ゆっくりと人差し指で辿る。 「似合ってるよ、すごく」 きれい、と小さく呟いた亜美に、相好を崩しながら、気に入ってくれたらしい事にほっとする。 思った通り、いや、思った以上に彼女の容姿に馴染むそれを、見つけ出せた自身が嬉しかった。 「有り難う、まこちゃん…」 細い声が、もう一度、噛み締めるように繰返される。 掠れたそれは、酷く震えていて、彼女が迸る感情を必死に抑えているのが判った。 「……っ…」 透明なものが、ぽろ、とひとつ眦から零れ落ちる。 それが、限界だった。 「――――っ」 引き寄せた華奢な身体が、小刻みに震えている。 腕の中の身体の火照りは、それが、人の身体の構造としては、当然の反応と理解っていても、まことには酷く熱く感じられた。 「…ったの」 「え?」 胸に顔を埋めた亜美が、何か言おうとしているのに気付いて、顔を隠してしまっている人を、覗き込むように首を傾げる。 「私も会いたかったの、まこちゃんに…」 まこちゃんが来た時、丁度私も、まこちゃんの家に電話を掛けてたの…。 でも、留守電になってて…。 訥々と己の心情を語る亜美に、驚きを隠せない。 嘗て、此れ程迄に、亜美が自ら己を晒した事が、あっただろうか? レイや美奈子を前にした時はどうか判らないが、少なくとも、まことには記憶に無かった。 ――――亜美ちゃん… ぎゅ、と廻した両腕に力を込める。 ほっそりとした身体は、それだけで、折れてしまいそうだった。 心が、震えている。 感情の奔流が、出口を探してまことの中を駆け巡っていた。 ――――同じ、なんだ… 逢いたいと思う気持ち。 声を聞きたいと思う気持ち。 『何か昨日話した時、妙に元気がなかったんですって』 数日前の、レイの科白を思い出す。 感情を表に出さないからと言って、何も感じていない訳ではない。 彼女の無器用さは、自分が一番よく知っていた筈なのに、と自身の迂闊さに臍を噛んだ。 けれど、同時に、喜びも感じる。 亜美が、それ程迄に、自分を求めてくれていた事に。 「亜美ちゃん、その時計…ね」 亜美ちゃんの持っているのと違って、日本時間しか表せないけど…でも、だからこそ、私達との、日本との絆って思う事は出来ないかな? 「絆…?」 「そう、絆」 前世の記憶も闘いも関係ない、水野亜美と私達との。 駄目、かな…? 「…っ」 耳元への囁きに、胸元に顔を埋めたままの亜美が、無言で首を横に振っていた。 何度も、何度も…。
Scene6〜亜美〜
「もう…大丈夫だね?亜美ちゃん」 優しい声に促されて、胸に顔を埋めた侭、こくりと恥ずかしげに小さく頷く。 温かい胸に縋って、一頻り泣いてしまうと、亜美は自分でも意外な程に落ち着いてしまっていた。 まるで、先刻までの、埒も無い不安が幻であったかのように。 ――――こんなに感情をはっきり表に出したのは、一体どれくらいぶりかしら? 自問して、けれど、そんな思考は直ぐに彼方に押し流す。 今の亜美にとって、それはさして、重要な事には思えなかった。
「よし!それじゃあ、ちょっと此処で待っててね」 ケーキ、台だけは焼いてきたから、飾り付けすれば出来上がるし、その他は温めるだけだから。 それ迄、ゆっくり休んでてよ。 ぽんぽん、と肩を叩くと、テーブルに積み上げてあった包みを抱え、キッチンへと消えていく。 その背中をじっと見送っていた亜美は、やがて、まことの言葉に従ったのか、またゆるゆると横になった。 背中に当てられたクッションはそのままの為、全身の力を抜いた所で、沈み込む深さがほんの少し深くなっただけだったが。
――――まこちゃん… 瞼を閉じ、先刻、まことが嵌めてくれた時計の、硝子盤をそっと撫でる。 指先に当たる、滑らかな感触が心地良い。 『逢いたかったんだ、亜美ちゃんに』 まことの言葉を思い出すだけで、胸がじわりと熱くなる。 それは、この地においては、決して感じる事が出来ないと思っていた感覚だった。 ――――有り難う… 散々迷ってくれたのだろう贈り物と、そして、込められた想い。 そして何より…。 それは、亜美にとって、此れ迄貰った贈り物の中でも最も嬉しいものかもしれなかった。 つい一時間前までは冷たさしか感じる事の出来なかった部屋が、今は酷く温かな空気で満ちている。 キッチンから聞こえてくる、人の歩きまわる気配。 たったひとりの存在が、凍っていた心を溶かしてくれる。 ――――明日、クリスマスのプレゼント、一緒に選びに行こう…
久し振りに心を訪れた安らぎに素直に身を委ね、亜美はゆるりと瞼を閉じていた。
極東の果てては疾うに過ぎてしまった時間を追って、聖なる夜は、この国をも覆い始めていた。
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