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ごーん、と身体の芯に響く音が、直ぐ傍で鳴っている。 タイミングを取り、撞木を引いて、勢いに任せて前に押し出せば、再び重い音が当たりに響いた。 「…ホント、申し訳ありません、和尚さん」 役にも立たない、私達まで付いて来てしまって。 縁側に腰を下ろし、その様子を眺めていた美幸は、改めて頭を下げていた。 「いやいや」 この寒空に、百八つの鐘を付くのは矢張り重労働だからね。 やってくれると言うなっちゃんの言葉は有難かったし、どうせ傍で火の番をしなければならないから、何なら皆も連れておいで、と言い出したのはこっちじゃよ。 甘酒を美幸に勧めながら、にこにこと温かな笑みを浮かべているのは、言わずと知れた、自力本願寺の和尚だ。 初めて夏実と出会ったあの日、ショートカットに通った縁で仲良くなった和尚に、夏実は事ある毎に、話を聞いて貰ったり差し入れをしたりと、それなりにお付き合いを続けていたらしい。 『美幸、美幸』 あのね、大晦日、鐘を付かせて貰うんだけどさ、美幸も一緒に来る? そう夏実が言い出したのは、クリスマスを間近に控えた、とある日の夕食の最中だった。 『鐘?』 『そう、除夜の鐘』 こないだ遊びに行った時、その話が出てさ。 頼んだら二つ返事でOKくれて、何だったら美幸も子供達も一緒においでって。 御蕎麦と甘酒、御馳走してくれるって、と笑った彼女が、何故突然そんな行動に出たかは解らなかったが、少なくとも、何処かのお寺がサービスで、一人一回ずつ付かせてくれるというそれに乗るのとは、大分違った思惑があるように思われた。 『私は良いけど…子供達、そんな夜中に連れ出して大丈夫かしら』 一回や二回なら兎も角、全部付くなら二時間は掛かるわよね? 『和尚さん、縁側で火を焚いて見ててくれるんだけど、ストーブも傍に置いてくれるって言ってた』 寝る時間は…一日位なら平気じゃないかなあ? まあ、私だけ行って来ても良いんだけどね。 考えといて、とそれでその話は終わりとなり、話題は別の方向へ向かったのだけれど。 防寒対策等、何とかなりそうだと見当が付いた時点で、結局、夏実との年越しの誘惑に逆らえなかった美幸が、子供たちの様子を見ながら、付いて行く事になって。 風が余り無い事、今年は例年よりも温かい事が幸いし、また和尚の気遣いのお陰もあって、これなら引き返さなくても何とかなるか、と美幸は勧められる侭に縁側に腰を下ろした。 気になるのは唯一つ。 彼女が何を思って、除夜の鐘を付きたい等と言い出したのか、だ。 「除夜の鐘と言えば、煩悩を払うって事だけど…」 夏実がそんな事に拘るとは、一寸思えない。 どちらかと言えば、煩悩あっての人間、なんて開き直っていそうだ。 さて一体、と鐘を付く夏実を眺める美幸の横に、火の様子を見ていた和尚がよいしょと腰を下ろした。 「動いてるなっちんと違って、みーこは寒いじゃろ」 取り敢えずこいつを飲んでなさい。 甘酒は、鐘付きが終わった後、皆で呑もう、と言いながら、渡してくれたのは、熱い玄米茶の入った茶碗だ。 和尚さんのとこはお茶もお茶菓子もすっごく美味しいんだよ、と夏実が絶賛していたのを思い出して、有難うございますと頭を下げれば、何、と笑って鐘楼を見上げる。 「ふうむ、なっちんは筋が良いな」 「筋って……鐘付きにも、やっぱり上手下手があるんですか?」 「そりゃあ、あるとも」 下手なのがやれば、撞木を力任せに打ち付けるだけで、近所の建物が振動する割りに遠く迄響かない。 力を入れずに縄を引いて、打ち付けるだけだから簡単に見えるが、一寸したコツが要る。 男でも百八つ打つのはなかなかしんどい仕事だから、遣り方によっちゃ、途中で交代かと思ってたんだが…。 あれなら最後まで保つだろう、と笑った彼に酷く申し訳なくなって、美幸は此処に遣って来た時と同じ台詞と共に深々と頭を下げていた。 「済みません、ホントに、夏実が無理を言ったみたいで…」 その上、私達まで押し掛けて。 夏実が遣る事で、確かに彼が付かなくて良くなったのかもしれないが、音色の事を気にしたり、彼女と共に押し掛けた自分達の相手をしなければならなくなったりと、逆に仕事を増やした気がする。 が、彼は太い笑みを浮かべ、なんの、と背後の籠を振り返った。 「なっちんの子供達を見てみたくてな」 どうせなら人数が多い方が楽しいじゃないか、と言う彼に、美幸は彼が夏実が除夜の鐘、等と唐突に言い出した理由を知っているのかも、とふと思った。 「あの…和尚さんは、夏実がどうしてこんな事言い出したのか、ご存知なんですか」 「ん?ああ」 別に口止めもされていないから、と教えてくれた理由は、らしくないと言えばらしくないが、ある意味尤もらしいものだった。 曰く。 物事には、全てバランスがある。 良い事があれば悪い事が起き、悪い事が起きれば良い事が起きる。 だから、良い事が起きた後は悪い事が起きないよう、善行を積んだり勉強をしたりする事で、人間としてのキャパシティを広げ、全体のバランスを取る必要がある。 社会的に成功した人物が、若くして事業から身を引いた後は、ボランティアや寄付に力を入れるのと同じ理屈だ。 想い人を腕に抱え込んだ侭、二人の子供を無事に産む事が出来た今年は、家族の少ない夏実にとっては、非常に嬉しい年だったらしく、今後降り掛かる災厄の可能性を少しでも減らすには、と考えた結果らしい。 聞けば、此の後、御祓いも頼んであるそうで、信仰とは余り縁のない彼女にしては、随分な手回しの良さだった。 なっちんは、みーこと子供達を随分と大事にしとるからなあ、と微笑まれて、一体夏実は彼に何を話しているんだと頬が熱くなる。 彼女が自分を、自分達を大切にしてくれている事は知っていた。 けれど、こうして他人の口から聞いてしまうと、酷く照れくさい。 誤魔化すように、頂いた茶碗を手に取り傾ければ、こくりと喉を通ったお茶はまだ熱くて。 ────全く…今夜は寝かせないんだからね、夏実 見上げた先では、夏実が真剣な表情で、打ち付ける先を見詰めている。 ごーん、と再び重い音が響き、空気の振動を全身に受けて。 後十分で今年も終わり。 新しい年は、もう直ぐ其処だった。 END
年を越してしまいましたが、まあ、書いてしまったのでアップ。親子シリーズなのに、子供、全然出て来ないなあ…。
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