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Scene1 プロローグ
聞く者の方が息苦しくなってしまいそうな不規則な呼吸が、絶え間無く 辺りに響き続けている。 大病院のICU並みに整えられた、最新の医療設備達は、その部屋の今 現在の主を何とかして救おうと、低い唸りを上げて、フル稼動を続けてい た。 「どうなの、イリア」 既に意識の無い患者の脈を取り、助手の読み上げる電子機器の指し示 す数値を、難しい表情で聞いていたイリアは、問われた問に、ゆるりと首を 横に振る。 「そう…」 立ち働く医療関係者の他、二十九人もの女性が、思い思いの場所を陣 取っている室内は、その実面積にも拘わらず、一向に広く感じられない。 理解っていた筈だった。 もう、ずっと昔から。 だが、余りにも早く訪れてしまったその瞬間に、全員の唇から全ての言 葉が奪われて。 「………」 沈黙の帳がうっすらと下りる。 代わりに、刻々と進み続ける秒針の音と、稼動し続ける機器の篭った様 な音、そして立ち働く人々の微かな衣擦れの音だけが、辺りを満たし続け て。 「…では、此れから決を採ります」 やがて、その静けさを破り、彼女達の取り纏めである長女アイーシャが、 決然とその貌を上げる。 そう。 彼女達にはもう、時間がない。 彼が此の世を去った後、砂糖に群がる蟻のような輩達から、この家を護 るのは彼女達なのだ。 冷たい様だが、今此処でしか話し合えない事が、幾つか存在する。 例え眼前に横たわっているのが、彼女達が誰よりも可愛がっている弟の 死だとしても。 当主の死を見取る事が出来るのは、その両親と兄弟に限るという、この 家の仕来たりの真の意味を、今この時になって初めて彼女達は理解して いた。 「選択式は二つ」 この子が逝った後、きちんとその死を公表して、私がこの家を継ぐか、 それとも、あの子を此処に連れ戻して、あの子にこの家を継がせるか。 ウィナーは基本的に、長子単独相続だ。 しかし、稀に死んだ当主に子供がいない場合は、例外として兄弟がその 跡を継ぐ事になる。 だが、彼女達はこの家に生まれ育ったが為、嫌と言う程知っていた。 即ち、権力を持つ事が、絶対的な幸福ではないと言う事を。 権力は、その代償として自由を奪う。 此の世にはそれを求める人間がいると同時に、何よりも自由を求める人 間もいる。 そして、今、議題となっている彼の人が、後者に属する人間であると言 う事を、彼女達は誰よりも良く知っていた。 十五年もの間、縛り付けられていたこの家から逃れる為に、あんな手段 まで採った大切な弟達。 辛い思いをし続けていたあの子を幸せにするにはどうすれば良いのか、 理解っている。 改めて尋かれる迄もなく、恐らく全員、選ばねばならない選択肢は始め から決まっていた。 あの子は、長老達の主張するようなものではない。 生きている、此の世でたった一人の人間なのだ。 例え、もう二度と会う事が適わなくとも、幸せなってくれるのならば、その 方がずっと嬉しかったから。 「そろそろ宜しいですか?では、挙手、願います」 暫しの間を置き、全員の顔をゆっくりと見廻しながら、静かな口調でア イーシャが告げる。 全員の視線が、たった一人に集中して。 「先ずは一番目」 この侭、第四二代目当主、カトル・ラバーバ・ウィナーの死を公表し、 私アイーシャが次の当主に就任する事に、賛同の意を表すもの。 全員の手が、一斉にすっと上に挙がる。 ぐるりと妹達の貌を見廻し、誰一人として異を唱える者がいない事を確 認すると、彼女はゆっくりと一つ頷いていた。 「結構です」 背筋を正し、結論を告げるべく大きく息を吸い込んでから、徐に口を開 く。 「あの子が此の世を去った後、正式にに外部にもその死を公表して、代 替わりを行ないます」 尚、その際、もう一人のカトルについては、一切の捜索を打ち切る事と します――――――――。
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