Scene10
素っ気無いパイプ造りの小さなベッドに、寝跡の余りついていない、幾
分草臥れた白いシーツ。
サブコンピュータ室の続き間で、元は会議室か何かだったらしいその室
には、幾つかの生活必需品が持ち込まれ、生活の場であった事は一目瞭
然ではあったが、けれど、どこか人が住んでいるとは思えぬよそよそしさを
醸し出していた。
――――こんな処で…
ぐるりと周囲を見廻して、そっと小さく溜息を洩らす。
何を思い、カトルは此処を、身を隠す場所として選んだのか。
手の入れられ方からしても、今回の騒ぎが起こるかなり以前、若しくは、
姿を消してからずっと、カトルが此処に居たのだろう事は予測できた。
自分の捜索の方向は、確かに間違ってはいなかったが、しかし、こんな
処でたった一人、一年もの時を過ごして居たのかと思うと酷くやりきれな
かった。
元々沢山の住民を収容する事を想定して作られていたとはいえ、永きに
渡って顧みられる事のなかった場所だ。
他の室も調べては見たものの、結局、使えそうな場所は、カトルが必要
に駆られて手を加えたらしい、コンピューター室周辺の、幾つかの室だけ
で。
流石にシェルターだけあって、医薬品や食料など、最低限生活に必要と
思われるものは、そこそこ揃ってはいたものの、しかし、大半は古くなっ
てしまっていて、どれだけ使用に耐え得るのかは甚だ疑問であった。
『確りしてくれ、カトル!』
取り敢えず応急処置を済ませた後、気を失った男を他の連中と同じ部屋
へ放り込み、改めてカトルの怪我の治療を行なったトロワは、小規模とは
いえ、十分に殺傷能力を持った爆発に遭ったにも拘わらず、軽傷で済んで
居る事にほっと息をついていた。
とはいえ、暫くは安静が必要な事も、確かではあったけれど。
――――カトル…
日頃の不摂生の所為だろう。
嘗ては柔らかなラインを描いていた頬は肉が落ち、閉じられた目許はそ
の不健康さを如実に現して、酷く蒼味掛っている。
カトルは自分を大切にしない。
その上、大して丈夫でもない人間が、一年もこんな処で一人でいれば、
健康を害するのは当然の事だ。
呼吸する事すら酷く辛そうで、けれど、どうする事も出来ぬ自分がもど
かしい。
適当に辺りを探索し、見付け出したハンドタオルで、そっと額の汗を拭
ってやる。
大分色の戻って来た顔色に、内心、ほっとしながらトロワは水を換える
為にすいと椅子を立ち上がっていた。
「トロ…ワ…?」
「気付いたか」
ゆるりと上がった微かな声に、浮かし掛けた腰を二度椅子に下ろし、そ
っと貌を覗き込む。
頬の大きなガーゼが痛々しい。
蒼い貌に、幾分赤味が戻って来ているのを確認して、トロワは乱れた前
髪に手を伸ばしていた。
「僕…?」
呟いて、けれど、直ぐに状況を思い出したのか、がばりとケットを撥ね
退ける。
しかしながら、傷を負ったばかりの身体は、急な動きにはついて行けず、
直ぐにぐらりと上体が傾いだ。
「まだ、無理だ」
横になっていた方が良い。
硬い寝台に押し戻されて、けれど、その袖口を白い手が掴む。
「追手は…」
「安心しろ。殺してはいない」
薬で眠らせた後、取り敢えず、他の連中と一緒の部屋へ放り込んでおい
た。
当分は眼を醒ます心配はない。
あの薬を使われれば、大抵の人間はたっぷり一週間は眠り続けるからな。
「そう…」
ほっとした様に、掴んでいた手から力が抜ける。
沈黙が、二人の間にふと落ちた。
そして、その時になってカトルは、初めて気付いたかの様に、改めてト
ロワを見上げていて。
「そういえば…どうしてトロワが此処に居るの?」
考えてみれば、再会して直に侵入者の存在が発覚した為、未だ会話らし
い会話もしていなかった。
状況を思い返して苦笑すると、トロワは毛布に落ちた白い手をそっと両
手で包み込んで。
「ウィナー内部の混乱に、ヒイロが逸早く気付いてな」
此処に来れば、御前に逢えるだろうと考えた。
「どうして、そんな…」
「ずっと御前を捜していた」
「…そう。だったら、もう皆知っているんだね」
僕がどうして、あの時行方を晦ましたかも。
「…ああ」
古より続く、強大な力を持つ家系だからこそ生まれた、残酷な慣習。
それは未だ、B.C.の時代、矢張り、生まれてしまった双子が、当主の座
を巡って血で血を洗う闘いを繰り広げた事に端を発している。
ほんの少し遅く生まれただけで、何もかもがそっくりの自分が、何故当
主になる事は出来ないのか、と。
以来、ウィナー家では、双子が生まれると、例外なく赤ん坊のうちに弟
の方を殺す事になっていて。
だが、変革は訪れた。
宇宙に進出し、出生率に悩むようになったこの時代に、何故、折角生ま
れて生命を奪わねばならないのかと、第四十一代当主、ザイードが唱えた
のである。
だが若しかするとそれは、新たな不幸を生み出しただけなのかもしれな
かったけれど。
漸く生を許された赤ん坊は、けれど、一人の人間としては扱われず、同
時に生まれた兄の身代わりとして生きる事を強いられる事になったのだか
ら。
「だが、カトル」
「…僕は、カトルじゃないよ」
カトルというのは、僕の双子の兄の名前だ。
確かにずっとその名で呼ばれてきたけれど、本当は僕には名前なんかな
いんだよ。
きっぱりとした拒絶の声は、しかしその意志に反して震えている。
――――カトル…
それは、出会ったばかりのあの頃、別荘で使用人達に囲まれていたカト
ルが、誰もいない時に、時折、見せていた表情だ。
何も映していないかの様な、冷たい蒼の瞳。
地球の色を映し取ったかの様なそれは、けれど、何時も哀しみに満ちて
いて。
「君達が見ているのは、僕であって僕じゃない」
僕の影…ううん、正確には影は僕の方だけど。
僕はね、トロワ。
生まれた時から、僕自身として生きる事は許されていなかった。
僕に許されていたのは、同じ顔をした兄の身代わりとして生きる事。
仕種も、言葉遣いも、指一本動かすに至る迄、何から何まで兄とそっく
りにする以外、僕には許されていなかったんだ。
君達が見ている僕は、兄の振りをした僕だよ。
最も、今更自分がどんな人間なのか問われたって、僕自身にも、判らな
くなってしまってるのだけれど。
今更どんなに希んだって、僕を僕として見てくれる存在なんて、いやし
ない…。
自嘲的な笑みを浮かべ、ふいとトロワから視線を逸らす。
「あれは皆、兄の…本物のカトルの言動だよ」
僕は、彼をコピーしているだけなんだから。
「カトル…」
震える手の骨張った感触だけが、頼り無いカトルの存在を、確かなもの
としてトロワに伝えてくれる。
自虐的な言葉が堪らなくて、ぎゅうとその腕に抱き締めて。
恐らくカトルは、人と関わりあう度に、その様な思いを胸に積もらせて
来たのだろう。
仕方のない事とは思いつつ、けれどそんな風に自分を傷つけて欲しくな
かった。
終りの知れぬあの闘いの中、トロワを救い続けてくれていたのは、逢っ
た事もない実物ではない。
それが例え、真の名前を持たぬ存在であったと判っても、過去の事実は
変わりはしない。
押え付けていた感情が、堰を切って溢れ始める。
初めて巡り逢ったあの時から、自分を捉えて放さなかったカトル。
感情を手放してしまっていた自分達とは裏腹に、普通の人間としての心
を持ち続けた侭、それでも、前進を続けていたその剛さに惹かれてしまっ
た。
人間としての不安定さ、そして、それを越えようとする強さ。
そのアンバランスさも惹かれた理由の一つかもしれない。
決めていたのだ。
何があっても、彼と共に生きていくと。
一方的に護るのではない。
ただ、彼を助け、同じものを見、共に歩いていきたかったのだ。
「だが、ガンダムに乗って、闘い続けていたのは間違いなく御前の方だ
ろう」
きつく巻き締めていた腕をゆるゆると解き、そっとガーゼの上に唇を落
とす。
真新しいそれから洩れる薬品の臭いが、つんと鼻をついて。
「トロワ?」
びくりと身体が跳ねるのを、宥めるようにその背を叩く。
大きな瞳を見開いて、茫洋と見詰めてくるカトルの顎を捉え、今度は唇
に接吻けた。
「御前が、好きだ」
俺は、逢った事もない人間に惹かれたりしていない。
俺が、ずっと見て来たのは御前だ。
逢った事もない人間を想える訳がないだろう?
御前の言う通り、御前は擬態していたのかもしれない。
だが、人間とは、多かれ少なかれ、誰しも、周囲に合わせて擬態してい
るものだ。
本当の自分がどんな人間かなど、理解っている者の方が少ない。
しかし、誰でも、演技としての行動の中に、必ずその人間の本質が滲み出
るものだ。
擬態だと思っていたものが、本当の自分だったと言う事もありうる。
「僕が、そうだって事…?」
「断言はしない」
そういう可能性もある、という事だ。
結論は、自分で導き出すしかないだろう。
尤も、俺はそう信じているがな。
最後に付け足された言葉に、ほのかに口許に笑みが浮かぶ。
「トロワ…」
再会して初めての、昔通りの笑顔。
日溜まりのようなそれが、カトルの主張する通り、全て表面上のものだ
とは思えない。
でなければ、その笑み一つで他人を此れ程迄に、温かな気持ちにさせら
れる訳がなく。
「…有り難う」
頬を染め、視線を彷徨わせながらも、紡ぎ出されれた小さな囁き。
そっと肩に貌を押し付けていたが為、幾分くぐもったそれは、けれど、
トロワを酷く優しい気持ちにさせた。
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