●夜明け前・・・17●  

Scene17


楽の音と、そして、アイーシャの凛とした声が、微かに風に乗って聞こえてくる。
それが、継承式の宣誓であるという事は、見なくてもカトルには判っていた。
「逢っていかなくて良いのか?」
門の外に佇んだ侭、その生の大半を過ごした豪奢な邸を見上げている、傍らに立つ人に、差し出がましいとは思いながら、それでもトロワは尋ねずにはいられなかった。
恐らく、もう二度と、カトルが此処に戻る事はない。
下手をすると、今生の別れとなってしまうかもしれないのだ。
けれど、カトルは黙って一つ首を横に振って。
「僕は、死んだ人間だよ」
折角、皆騙されてくれてるんだから、此れ迄の努力が無になるような事はしたくない。
それに…。
呟くようなカトルの言葉に、その心情を推し量る。
吹っ切った様に振る舞ってはいても、矢張り、降り積もった永年の蟠りは、そう簡単には溶けないのだろう。
誰も、何も言おうとはしない。
穏やかな風が、門の外から邸の様子を伺う五人を、優しく包み込んでくれて。
それは、勿論、コントロールされた人工のものではあったけれど、感じる心地良さは地球のそれと何等変わる事はなかった。
「元々、僕は存在しない筈の存在だったけれど…此れで、本当に、僕は居ない事になったな…」
掠れるような呟きに、その貌を覗き込む。
真っ直ぐに邸を見詰め続ける蒼の瞳には、しかし、何の感情も浮かんではいなかった。
自分を哀れんでいる訳ではない。
口をついてしまった言葉は、ただその侭、カトルの認識を示していた。
けれど。
「そうでもないぞ」
「ヒイロ」
すいとカトルの傍に立ったヒイロが、上着の内ポケットに手を入れる。
ごそごそと探って取り出したそれは、真白な一枚の封筒だった。
「御前にこれを預ってきた」
「僕に…?」
無造作に差し出されたそれには、宛名も差出人も記されていない。
裏に返してみても、それは同様で。
開けてみろ、というヒイロの視線に促され、恐る恐る封を切る。
入っていたのは、一枚のカードだ。
開いたそれを、じっと見詰めるカトルの瞳が、やがてじわりと潤み出す。
「『どうか自由に』…」
「どうやら、姉妹全員、御前の無事を信じているらしい」
表向きは、死んだという俺達の言葉を信じた振りをする、という事だがな。
震える声で、紙面の中央にたった一言記された文字を読み上げたカトルに、ヒイロがぼそりと付け加える。
「姉さん達が…」
幾つもの顔が浮かんでは消えていく。
理解っていた。
あの人たちは、ずっと自分を気に掛けてくれていた。
自分を、自由にしようとしてくれていた。
そうするには力が足りなかっただけで、あの重苦しい家にあって、あの人たちは、自分を理解ってくれていたのだ。
逝ってしまった兄と同様に。
「それだけ勘が良い人間が、今の長老達の中に一人でも居れば、始めからこんな事には成らなかったろうにな」
五飛の呟きに、デュオが全くだと大きく頷く。
けれど、何処までも前向きな彼らしく、ばん、とその背を強く叩いて。
「ま、この分なら、大丈夫だ、カトル」
この後は、姉ちゃん達が、巧くやってくれるさ。
それだけのものを持ってる姉ちゃん達だ、心配は要らないさ。
ウィナーも安泰だよ。
「うん、理解ってる」
一つ頷いて、そっと瞼を閉じる。
暫し、祈るような誓うようなその姿を、じっと見詰めていた仲間達は、やがて、頃合いを見計らい、一人、二人と踵を返して。
「帰るぞ、カトル」
「うん」
ぽん、とその肩に手を乗せられて、振り返れば、優しい深緑色の瞳が見詰めている。
そう、カトルにとって、此処はもう帰る場所ではないのだ。
今は未だ見付かってはいないけれど、でも何時か自分にも、自身だけの『帰る』と表現できる場所が、きっと見付けられる筈のだから。
「行こう、トロワ」
数歩先で待つ三人の仲間を追おうと、然り気無くその腕に手を伸ばす。
ずっと自分でも判らなかった疑問に、すんなりと答えを与えてくれた人。
この人は何時でもそうだった。
真っ直ぐな瞳で総てを捉え、真実のみを伝えようとする。
真摯すぎるその言葉は、時には相手を傷付ける事もありはしたが、けれど、決して嘘はつかない。
この沸き上がる気持ちが何なのか、今は自分でも名前をつけられないけれど。
時間はある。
答はゆっくり見付けていけばいいのだ。
見詰めてくる優しい四対の瞳に、そう励まされているような気がして。
カトルはゆっくりと前に足を踏み出していた。





18へ進む