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Scene2
まるで何処かの研究室ででもあるかの様に、所狭しと器材の並べられた 室内の中、唯一つ、小さなコンピュータだけが、忙しなく動いている。 真っ暗な闇を押し退け、それなりの光量を放ちながら、通常の人間には 読み取る事の適わぬ、かなりの速さでスクロールしていく画面の細かな文 字を、けれどトロワはまるで何でもない事の様に、静然とした様子で追い 続けていた。 ――――駄目か… やがて、疲れたかの様に溜息を吐くと、椅子の背に身体を預け、ゆうる りと瞼を閉じる。 こんな虚しい作業を、一体何箇月繰返して来たのか。 時折、プリベンダーから入る仕事をこなす他は、殆ど全ての時間をこの作 業に割いているにも拘わらず、探し人は一向に見付けられなくて。 ――――カトル… 戦争が終わり、MO−Uからカトルが姿を消してから、もう、1年以上 になる。 怪我を負ったあの身体で、一体、何処に行ったのか。 ドロシーに刺された傷は、確かに、急所は外れていた。 だが、生命に別状はないとは言っても、怪我そのものは決して軽いもの でもなく、暫くは寝台を出る事を、禁止されていた筈だった。 それが、彼等がほんの少し眼を離した隙に、ガンダム(サンドロック)ごと姿が 見えなくなってしまって。 デュオと二人、慌ててその痕跡を追ったものの、5人のガンダムパイロ ットの中でも、ヒイロと並んで情報工作に長けたカトルだ。 加えて、事前に入念な下準備を行なっていたらしく、彼等が僅かな航跡 を見付けた時には、既に、何時間ものリードを許してしまっていた。 『カトルの奴、一体、どういうつもりなんだ』 彼奴が、こんなやり方で俺達の前から姿を消すなんて…っ。 どん、と乱暴にコンソールを叩いて、震える声でデュオが呟く。 けれど、本当に騒ぎになったのは、翌日、入れ代わる様にして、カトル を迎えに来た、ウィナー家の使者がMO−Uに到着した時で。 ――――まさか、カトルはこの事を知っていて、昨日のうちに此処を 出たのか…? カトルの不在を知った途端、大慌てで通信機に取り付き、本家や関連会 社に連絡を取り捲る様を、呆れた様な気分で見詰めながら、ふと思う。 そしてそれは、考えれば考える程、的を射ている様に思えて。 『カトルは最初から、あの家には帰らないつもりだったのか?』 前日のあの騒ぎの中、最も慌てて然るべきだった、けれど、最も落着い て見えた人物に、他人には聞かれぬ様、声を潜めて尋ねてみる。 そして、その回答は、矢張り辺りを憚る様な肯定だった。 『恐らく、その通りでしょうな』 というよりも、そもそも、この作戦に参加する事そのものが、あの家を 出る為でもあった様ですから。 映話機に向かって、頻りに謝罪を続ける男性達を眺めながら、この男に は珍しい、皮肉げな笑みが口許に浮かぶ。 彼等が仕えているのは、ウィナー家そのものではなくカトル当人なのだ、 と、以前、胸を張るようにして言っていた事を思い出す。 彼等にしても、カトルに何を告げられていた訳でもないだろう。 だからこそ、何を見抜く事も出来なかったウィナーの今更ながらの慌て 振りが、滑稽に映っているに違いなかった。 『トロワ殿』 『何だ』 改まった口調に視線を上げれば、真摯な色を浮かべた瞳が、真っ直ぐに 見下ろしている。 『カトル様を、御願い致します』 『何故、俺に言う』 『貴方が、カトル様が拘った唯一の人間だからです』 言われている意味が理解できず、眉を顰める。 カトルは他の人間と自分を、何等分け隔てしなかった。 少しだけ周囲と反応を異にする事があったとすれば、それは、自分に対 して消えない罪悪感を抱え続けているからで。 『私が知る限りカトル様は、此れ迄、他人に関心を寄せたり、況してや 心を開いた事など、一度たりともなかった筈です』 それは、あの方の生まれや育ち方に大きく関係している為で、ある意味、 仕方のない事なのですが…。 だが、ラシードのその言葉に、トロワは首を傾げるばかりだ。 自分達の纏め役だったカトルが、そんな筈はないと。 第一、自分と闘っている最中に、敵ではないとコックピットから飛び出 して来た上、遭った事のなかった他のガンダムパイロット達をも、味方で あると信じていた。 『信じられない様ですな』 訝しげな思う気持ちが理解ったのだろう。 厳つい顔を少しばかり綻ばせ、未だ右往左往しているウィナーの使いに 視線を戻す。 『ですが、少なくとも私は初めて見ました』 あの様なカトル様は。 出会ったばかりの人間を、本拠地に連れて行き、補給まですると言い出 すなど、それまでのあの方からは、考えられぬ事でしたからな。 『……』 余程貴方方には、心を許されているのでしょう、と続けるラシードの言 葉を、けれど、トロワは未だ納得がいかなくて。 確かにあの笑みの下に全てを隠して、中々本心を見せない部分はあるけ れど。 『貴方達と出会う迄、カトル様は誰も信用されていなかった』 勿論、我々を含めて唯の一人も。 主人に忠実な男の表情に、寂しげな色が微かに混じる。 どんなに努力しても、自分には決してその役割は担えないのだという事 を知っていて、そして、だからこそ彼は、トロワに全てを託そうとしていた。 頑なな部分のあるあのカトルに、初対面で心を許させてしまったこの少 年に。 此れ迄辛い思いをして来た分、カトルには、幸せになって欲しかったの だ。 永い夜を一人で越える事は難しい。 心を許せる存在を持たねば、人は生きて行けないという事を、ラシード は良く理解っていたから。 それだけを告げると、意外な程、優しい笑みを残し、堂々とした体躯の 砂漠の男は、仲間を引き連れ、再び砂漠(こきょう)へと戻って行く。 そして、今。 カトルを捜し続ける自分(トロワ)が此処にいた。 ラシードの言葉に、唯々諾々と従った訳ではない。 ただ、そうしなければならないと、無性にそう思った。 捜し出して、一体どうしたいのか自分でも理解らない。 だが、何故かそう思ったのだ。 酷く切羽詰まった感覚で。 ――――カトル、御前は今、何を思っている…? もうずっと逢っていない、大切な人間の笑顔を思い浮かべながら。 トロワは眠りの姫に誘(いざな)われるまま、暫し夢の世界へと引き込まれて行った。
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