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Scene3
微かな電子音が、浅い眠りの淵から、トロワを現実に引き戻す。 更なる休息を要求する身体に無視を決込み、裏で起動させてあった映話 ツールを立ち上げて。 ピピッと軽い音と共に、ウインドウが開かれる。 パスワードを入力し、二重三重に設けられたガードを抜けると、最終的に 立ち上がった画面に、見慣れた人物の姿を見付けていた。 「…どうした、ヒイロ」 何かあったのか。 トロワと同じく、新政府を支えるプリベンダーの一員として働いている ヒイロだったが、直接連絡して来た事など、此れまで一度もなかったと思 う。 勿論それは、彼等への指令の大部分が個人作戦だった為、此れ迄一緒 に作戦を行なった事がなかった事も、その理由の一つではあったが。 「…極秘情報だ」 ウィナー家で妙な情報が流れている。 カトル・ラバーバ・ウィナーが死んだ、とな。 「何?」 相変わらずの無表情のまま、前置きも何もなく、行き成り用件に入った ヒイロに、けれど、苦笑している余裕はなかった。 滅多に変わらぬ表情に、微かに不審げな色が浮かぶ。 けれど、それに応えるヒイロは、落ち着き払った態度を決して崩そうと はしなかった。 「だが、カトルは、あの戦争の後、ウィナー家には戻っていない筈だ」 「その通りだ」 ウィナー家のメインコンピュータにハッキングした所、元々、カトルは 家を出てもいない事になっている。 ガンダムの事に関しても、知らぬ存ぜぬで通している様だな。 「まあ、記録上はそうだろうな」 それは、当然の事だった。 財団としては、平和主義を唱えているウィナー家の跡取りが、テロリス ト、それもあのガンダムのパイロットだったと知られれば、その影響は計 り知れない。 例えどんな手段を使ってでも、ひた隠しに隠すのは、極当り前の事の様 に思われた。 「だが、ウィナー家の主立った者全てに、暗号通信でこの情報が送られ ている」 ウィナー家内部で、何事かが起こっていると見るべきだろう。 少なくとも、カトルに関わる何かが。 「……」 態々口に出して語られるまでもなく、己もまた当然の様に達した結論に、 以前、矢張りウィナー家のメインコンピュータの中で見た、不可解な記録 を思い出す。 それは、跡取りであるカトルの元服を祝うパーティに関するものだった。 だがそれは、彼のオペレーションメテオ決行の当日であり、如何時間を 計算しても、カトルが出席できた筈はなく。 だが、もし、記録が事実であったとするならば、カトルは2人いると いう事になる。 そしてそれは、とある可能性を指し示していて。 「影武者か」 「だろうな」 記録の件を告げれば、直に同じ可能性に思い至ったらしいヒイロに、小 さく頷いてみせる。 権力者が我が身を護る為に、身代わりを置く事はさして珍しい事ではな い。 騒ぎを大きくしない為に、一時的に代役を立てたのか、それとも、元々 そういった存在を雇っていたのか。 どちらにしても一年間、全く騒ぎにならなかった所を見ると、そうい った類の人間がずっと代役を務めていた可能性が強かった。 「だが、そうだとして、何故、今になってカトルの死を公にしなければ ならない?」 まさか…。 例え彼奴が見つからなくとも、その侭身代わりを立てておいた方が、首 長の座を狙う者達にとっては、却ってやり易いだろう。 自分の意の侭になる人間を表向き権力の座に据えておき、その後見とな って実権は己が握る。 歴史を辿れば、星の数ほど見られるその古典的な手法は、けれど、逆に 言えば最も安全確実だからこそ、古典的であるのだ。 少なくとも、同じだけの権力を自分の力のみで掴むよりも、遥かに労力 は掛らないし、既存のものを受け継ぐだけなのだから、受けるだろう傷も 少なくてすむ。 勿論、同様の考えを持つ好敵手(ライバル)達を蹴落とす為には、それなりの 犠牲は覚悟しなければならないだろうが、それでも、実際に権力を握ってし まえば、そんなものは物の数ではない。 当然といえば当然の疑問に、考えられ得る解答は一つだった。 「恐らく、その通りだろう」 その身代わりとやらに、何かあったと考えれば辻褄が合う。 現在の、ウィナー内部の混乱にもな。 「混乱?」 外部のデータばかりに眼が行っていて、この処、ウィナーのコンピュー タにはそれ程突っ込んでアクセスしていなかった事を、半ば以上悔やみな がら、尋ね返す。 カトル当人が幾ら関係を否定してていも、矢張り、その動きから眼を離 すべきではなかったのだ。 「初めて例の情報が流れたのが、凡そ六時間前」 本家分家の各家が、それを境に、一斉に動き出している。 「…カトルを連れ戻す為、若しくは抹殺する為か」 「まあ、そんな処だろう」 ヒイロが皆まで口にするまでもなく、直にトロワにはその目的の見当が ついた。 だが。 問題は、彼等がカトルの居場所を知っているか否かだ。 相手はあのカトルである。 常にこちらの動きは把握しているに違いないし、第一ウィナーや自分達 の情報網から本気で逃れようと考えるのならば、少なくとも本名を名乗っ てはいない筈である。 その上で、既にスラムと化しているコロニーや、廃棄が決定されている コロニー等に紛れ込み、目立たぬようにさえしていれば、見付かる確率は 高くはない。 それは、砂漠の中で、たった一粒の小石を見付けようとするようなもの だ。 この一年間、トロワが掛かり切りで捜して見付からなかったものが、幾 ら、人海戦術を取れるからとはいえ、そう簡単に見付けられるとも思えな い。 勿論、ウィナーの方でも、ずっと捜索活動を続けていたのだろうが、一 年掛けて見付からなかったものが、急に見付けられるとはとても思えなく て。 ――――誘き出そうとするかもしれないな、カトルを 思い浮かぶのはどれも、不穏当な手段ばかりだ だが、切羽詰まったこの状況では、それも、十分にあり得る事で。 「………」 「…トロワ」 考えに沈んでいたトロワの意識を、感情の混じらぬ、平坦な声が引き上 げる。 「時間がない。俺はこれから、ウィナーの本家に潜入する」 以後、連絡は定時メールで行なう。 彼もまた、同じ推測を組み立てたのか。 時間的余裕がない以上、L4に最も近いL1のヒイロの、迅速な動きは 有り難かった。 「…了解した」 此れから俺も、L4に向かう。 ウィナー家が相手では、L4コロニー群の、何処で事が起きるか判らな い。 いざと言う時の為にも、直ぐ動ける人間が、動き易い位置に待機してお く必要があった。 「頼む」 短い言葉の中に、トロワの意図を読み取ったのだろう。 頷いて、通信を終わらせようとするヒイロを、けれど、トロワは呼び止 めていた。 「…ヒイロ」 「何だ」 知らせてくれて、感謝する。 「気にするな」 ウィナー家の内部抗争が激化すれば、まず間違いなくコロニーに影響が 出る。 それだけだ。 ぶっきらぼうにそれだけを告げると、今度こそふつりと通信が切れる。 何も映らなくなった真暗なディスプレイを見詰めた侭、けれど、トロワ は暫しの間身動ぎをする事すら出来なかった。 「カトル…」 望まぬ運命に呑み込まれようとしている大切な人を、護ってやる事の出 来ぬ自分の力の無さが情けない。 溜息のような切なげな呟きは、けれど、誰一人聞く者はいなかった。
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