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Scene5
そこは、呆れる程だだっ広い邸だった。 豪奢な内装に、手入れの行き届いた調度達。 広大な土地のある地球上では見られても、限られた面積しかないコロニ ーでは、滅多に見られぬその贅沢な空間の使用振りに、その権勢の凄まじ さを実感する。 向こう二ヶ月近く、人の出入りが増えるからと、緊急に募集された警備 員の一人として、邸の内部にすんなりと入り込んでいたヒイロは、耳に入 って来た小さな会話に、微かに瞳を細めていた。 ――――動き出したか… つい先程まで、広間で行なわれていた会議が終了し、足音も荒く割り当 てられた室内に戻って来たその男は、扉を閉じるなり、控えていた秘書ら しき男に指示を与えている。 『矢張り、アイーシャの奴めが、就任する事になりおった』 『そうですか、では…』 『うむ。早々にあれを見付けねばならん』 例の件、承知したと大至急、次官に伝えろ。 資材、人材、資金は必要とあらば、幾らでも援助しますとな。 入り込んだその日の内に、主だった場所には盗聴器を仕掛け済だ。 サングラスのツルに仕込んだ、超高感度の受信器からは、少々のノイズ は入るものの、かなりにクリーンな状態で、各部屋での密談が流れて来て いた。 『畏まりました。至急手配致します』 しかし…宜しいのですか? 『何がだ』 出過ぎた事を言おうとしている自覚があるのだろう。 言い掛けた若い男の声が、躊躇った様にふっと途切れる。 けれど、更に促され、男は一度呑み込み掛けた言葉を、再度繋げ直して いた。 『今の時点であの計画を実行すれば、住民との衝突は避けられません』 下手をすれば、ウィナーに対する、不信感を煽る事になってしまうでし ょう。 けれど、その心配を、嗄れた声が一笑に付して。 『何、心配は及ばん』 確かに案を出したのはこちらだが、実計画を立てたのは政府だし、実行 するのも政府だ。 我々は、単なる提案者に過ぎんよ。 観客は常に、舞台上にしか眼がいかないものだ。 ――――この声は、ヌサール家のアムルか カトルの母、カトリーヌの実父。 頭に叩き込んである関係者のリストの中でも、特にマークしていた者の 内の一人だ。 ウィナーの末席に漸く名を連ねている、ヌサール家の現当主。 臥せ勝ちだった現当主の祖父として、家としての格は低いながら、此れ 迄、それなりの権勢を揮って来ていた筈で。 ――――だが、計画、とは…? 尚も続く密談に半分意識を傾けながら、引き出してあったデータにそれ らしいものがなかったか、己が記憶を検索する。 潜入を果たして、約三日。 数時間に及んだ先刻の会議での収穫をも含め、此れ迄で判っている事 は、カトルと言う名の少年が、自分達が知っている彼の他に、もう一人存在 していたと言う事と、彼が既に此の世にはいないと言う事。 そして、カトルを連れ戻す事に拠って、権力を保ち続けようとするヌサ ール家と、長女アイーシャを当主に据え、己が権勢を伸ばそうとしている バルク家の二家が、共に、それぞれの目的の為、カトルを追っているとい う事だ。 前者は彼を連れ戻す為、そして後者はその存在を抹殺する為に。 このうち、バルク家の方は、予備的な意味合いが強い為、ヌサール家の 出方を窺い漁夫の利を狙う構えを見せるだろう事も、後のないヌサール家 の方が強硬手段に出るだろう事も、彼等の予想の内だったのだが、幾らコ ンピュータにハッキングを掛けても、それらしい計画は見付からず。 結局、潜入して直接探り出す手段を採らざるをえなったのであるが、此 の短い会話だけでは、何の事か判別する事は難しそうだった。 ――――政府関係の提案は幾つかあったと思ったが… 時間のない中、まさか膨大なデータ全てに眼を通す訳にもいかず、さら りと流したものが多かったが、提案書としては商業や工業、法律や利権な どに関するものが主だった様に思う。 『住民との衝突』を予測しているという事は、その事に拠って、住民に 不利益が降りかかるという事だ。 だが、政府が一般市民の反対を押し切って迄、やろうとしている事とは、 一体何なのだろうか? 人間の行動の原点は、何時の時代も、より良くしたいという欲求である。 何等かのメリットがなければ、資金を注ぎ込む事等しはしない。 判っているのは、今回の場合、その利を享受するものが、官でありヌサ ール家であるという事。 政府主導で行なう事業で、現在のヌサール家にもメリットがあり、だが、 住民には快く思われていない事…。 一つ一つ確める様に、提案書のタイトルを並べては消していく。 第一、後数日の内にカトルを見付けようと躍起になっている者が、何故 行き成り政府事業なのか。 そこまで出掛かった回答が、けれど巧く形にならない。 出て来そうで出て来ない解答に、苛々と髪を掻き揚げる。 その時ふと、トロワの言葉が、不意に頭に浮かんできて。 『俺達が本気で潜伏したら、そう滅多な事では見付けられない』 どうしても短期間で見つけ出さねばならないすれば、誘き出すしかない だろう。 嘗て、OZが俺達に対してそうした様に。 その言葉は正しい。 自分が捜す側だったとしても、先ず間違いなくそうするだろう。 ならば…。 ――――………っ 閃いた可能性に、全身を衝撃が走り抜ける。 『今の時点であの計画を実行すれば、住民との衝突は避けられません』 男の言葉が脳裏を過ぎる。 まさか彼等は、カトル一人を誘き出す為に、つまりは己の権勢を維持す る為だけに、何の関係のないコロニー市民まで巻き込むつもりなのだろう か。 『コロニー再開発に関する提案書』 そう題されたレポートが、確か、一級機密扱いのファイルの中に存在し ていた筈だった。 各コロニーに存在する、けれど、その存在を公的には認められていな い、所謂“最下層居住区(スラム)”
。 結構な面積を持つ、その“最下層居住区(スラム)”は、限られた面積しか持 たぬコロニー政府にとっては頭の痛い存在で、このレポートは、この区画を 強制的に整理し直し、新しい街を築く事を高らかに謳っていた。 現在、其処に済んでいる人間達の事は、何一つ考慮されていない、その 過激な内容に眉を顰めたものの、カトルとは特に関係なさそうなものであ った事から、その時は特に気にしていなかったのだが。 「おい、そろそろ、交代の時間だぜ」 「……っ」 唐突に、声を掛けられ、はっと我に返る。 隣りで矢張りモニターを睨んでいた同僚が、早く引継をしちまえよ、と、 何時の間にか室に入って来ていた交代員を指し示していて。 コンピュータとモニターに囲まれた警備員室には窓はない。 時計で時間を確認すると、既に、午後六時を差していた。 「もうそんな時間か」 「ああ、御苦労だったな」 大股で歩いて来た遅番の人間に、既に記入してあった勤務報告書をファ イルごと手渡す。 内心の焦りを綺麗に隠し、淡々とした口調で二、三付け足すと、何事も なかったかの様に、室を出て。 ――――頼む、間に合ってくれ… 少しでも怪しまれぬ様、走り出したい衝動を必死になって抑えながら、 ヒイロは、祈るように、そう呟き続けていた。
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