いつもあなたのいる風景
「・・ジュリアス・・ずっとそばにいたい・・」
どんな囁きの言葉から始まったのか、今はもう分からない。週末の夜、その日何杯めかの酒の後、とりとめのない会話の合間に重ねた唇と絡めた指先の熱さは、つい先程のことのようだったようにも思えるし、もう何時間も前のことのようにも思える。
「・・私もだ・・」
どこかぎこちなさの残る口づけを返しながら、ジュリアスはそう答えた。
「・・もう、片時も離れぬ・・」
「・・ああ・・」
「約束してくれ。」
背中に回す腕に力をこめながら、クラヴィスは、耳元で囁いた。
「・・約束しよう・・」
震えるような息苦しさの中で、交わされた約束。
「ジュリアス・・愛している・・」
「私もだ・・クラヴィス・・」
それだけが、すべての問いの唯一の答え。守護聖であることも、そして、きっと生きているその意味さえも。
「クラヴィス・・起きろ・・」
遠くで聞こえる聞き慣れた恋人の声は、甘い囁きではなく、昼間聖殿で聞く首座の声で。
クラヴィスは額に手を当てその指の隙間から微かな光を探そうとした。
「・・なんだ、まだ暗いではないか・・」
秀麗な顔に眉を寄せて、クラヴィスは隣の恋人を手探りで探した。その腕に体を預けながら、金色の恋人が一瞬微笑んだのをクラヴィスは知らない。
「でかける、約束がある・・」
「・・約束・・?」
休日の朝の約束とは、普通ではない。まさか、紅い髪の男と早駆けの約束でもしたのではないかと途端にクラヴィスは覚醒する。
「・・誰とどんな約束をした?」
急に不機嫌な声になったクラヴィスのその気持ちを見透かしたかのようにジュリアスは、小さく笑って続けた。
「マルセルに花を見せてもらう約束をしたのだ。なんでも朝顔と言って、明け方に咲く珍しい花だそうだ。今から、緑の館へ行く。」
ジュリアスの言葉を聞きながら、どこかほっとしている自分に苦笑いをしながら、クラヴィスは頬を隠す黒髪をゆっくりとかきあげた。
「・・そうか、行って来い・・」
抱く腕を緩め、再び眠りに落ちようとするクラヴィスの顔を覗き込みながら、ジュリアスは呟くように言った。
「昨夜のことは嘘だったのか・・片時も離れぬと言ったそなたの言葉は嘘だったのだな・・ではな。」
ジュリアスのしなやかな肢体がするりと寝台を抜けて、微かな風を起こした。薄闇にようやく慣れ始めたクラヴィスの瞳に、ジュリアスの白い背中が映る。
その背中を見つめながら、クラヴィスは、幼い頃から変わらない心が自分にあることを今さらながら思う。
『早く起きぬと間に合わぬぞ。』
『・・眠いよ、ジュリアス。』
『では、勝手にせよ。私は先に行く。』
そう言って、背中を見せられると、途端に不安になってしまうクラヴィスは、慌てて支度をし始める。ジュリアスのいない広く静かな館にひとりでいるのは、暗闇の中に取り残されるほど怖かった。
『・・待って、ジュリアス。すぐ支度するから。』
『仕方ないな、待っているから早くせよ。』
口ではそういいながら、ジュリアスは、笑みを浮かべていつまでも待っていた、
そんな遠い幼い日。
「ではな・・」
ジュリアスが、小さく振り向いてもう一度そう告げたと同時に、クラヴィスは小さなため息と共にゆっくりと起き上がった。結局のところ、ジュリアスにはいつも敵わないそんな自分に微笑みながら・・。
「これは・・美しいな・・」
ジュリアスは思わずそう呟いた。
青や紫、白やピンクの丸い花が、壁面をつたって一面を飾っている。朝の光に花びらの露がきらきらと光って眩しい。
「そうでしょう?こんなに綺麗なのに、お昼になっちゃうとしぼんでしまうなんて、寂しいです。」
ため息と共に残念そうに呟くマルセルに、ジュリアスは、言った。
「そうだな、だが、マルセル。そなたの花を慈しむ気持ちはいつまでも残る。また、花は種となり、来る年に、美しい花を咲かせよう。」
聖殿でのジュリアスでは決してお目にかかれそうにもない笑みを向けられたマルセルは途端に頬を赤らめた。
「そうですね、ありがとうございます。ジュリアス様、一緒に見て頂けて嬉しかったです。」
「私も良いものを見せてもらった、これからも励んでくれ。」
「はいっ。」
明るく答えたマルセルの視線の先には、朝顔の花の中に今にも顔を埋めるようにして座り込んでいるクラヴィスの姿があった。
「・・え〜と、もうお帰りになった方が・・クラヴィス様、なんだか眠そうですし・・」
その言葉に、ジュリアスは、大きく息をついた。
「クラヴィス、次に行くぞ。」
「なんだと・・まだ、どこに行くというのだ。」
朝早い聖地の風に攫われる金色の髪をうっとりと見つめ、このまま邸に戻ったら即座に抱きしめてしまえと思いをめぐらしていたクラヴィスは、ジュリアスの思いがけない言葉に眉を寄せた。
「オスカーの邸のパトリシアが昨日、仔馬を生んだらしい。見たい・・」
パトリシアは、オスカーの愛馬である。クラヴィスも何度か見たことがある栗毛の美しい馬、全く主人も主人なら愛馬までもが私の邪魔をするものだと、苦々しくクラヴィスは思う。
「そなたは先に戻ってもよいぞ。」
クラヴィスには、ジュリアスの言葉がいつになく優しく聞こえる。
「・・・共に行く・・」
クラヴィスは、ジュリアスの前をさらさらとオスカーの邸へと向かって行った。
「ジュリアス様、あ、クラヴィス様もようこそ。」
「朝早くすまぬ、美しい馬だと言ったらクラヴィスも見たいと言ってな。伴ってきた。」
「光栄です、どうぞ。」
案内された馬屋の中には、母親譲りの美しい栗毛の子馬の姿があった。丸い黒目がいかにも聡明そうで、馬には造詣の薄いクラヴィスにさえ良い馬であることが一目でわかる。
「いい顔をしている・・先が楽しみだな。」
ジュリアスが、仔馬の頭を優しく撫でた。
「・・そうですね。」
すっかり、仔馬の話で盛り上がるふたりをクラヴィスは少し離れたカフェテーブルで待っていた。忌々しいが、自分がここにいれば程いい所で切り上げるであろうと、クラヴィスは思う。1日は長いのだ、昼前には邸に戻れるだろう。闇の守護聖を従者に付き合わせた代償はしっかりと払ってもらおうと策をめぐらすクラヴィスであった。
「あの・・ジュリアス様、クラヴィス様はよろしいのですか。」
「ああ、構わずともよい。眠っているだけだ・・」
ジュリアスは、すっかり自分に慣れた仔馬の鼻先をつつきながら、言った。
「あなたまで来てくれるとは思いませんでしたよ〜」
「しかたない・・」
クラヴィスは、厚い書物を重ねながら呟いた。
オスカーの邸から帰る道すがら、ルヴァの邸で蔵書の整理を手伝うとジュリアスが言い出した時には、クラヴィスは不満の声すら上げることが出来なかった。
まったく、誰もかれもが、ジュリアスをかまってくれる、執務中はうるさいだの堅いなのだと陰口をたたくくせに、結局みんなジュリアスが好きなのだとクラヴィスは今さらながらに思い知る。オスカーの邸に剣の稽古に来たランデイは、腕を上げたので今度見て欲しいと言った。いつもは何だかんだとジュリアスに反抗するゼフェルさえも新しい発明品ができるとジュリアスに見せに行っているのをクラヴィスは知っている。
そんなジュリアスが眩しくて仕方ないのは、どこかで燻る独占欲の表れなのかも知れないと、クラヴィスは自嘲気味に笑った。そして、そんなクラヴィスの横顔にルヴァもまた微笑む。
「思っていることをひとつだけ、口にしてもいいですか?」
ふいに、ルヴァが手を止めて、小さく言った。
「変わりましたね・・」
ルヴァの視線の先には、差し込む光の中で書棚に本を並べるジュリアスの姿があった。
「あれがか・」
「ええ。」
変わったのか、それともあなたが変えたのかとルヴァは心の中で口に出せない問いを呟く。時にジュリアス自身も傷つけてしまうのではないかと案じた研ぎ澄まされた剣の刃のような光は、美しい鞘に収められた。人を愛し、愛されることは、こんなにも人を優しく美しく見せるのだろうかとルヴァは思う。
「クラヴィス!手が空いているなら、こっちを手伝え、日が暮れてしまうぞ!」
クラヴィスとルヴァの自分を見つめる視線に気づいたジュリアスが、大声を上げた。
「フッ、私には、そう変わったとも思えぬがな・・」
クラヴィスは薄く笑ってから、光の傍へと近づいて行った。
「付き合わせたな・・」
「・・仕方あるまい、約束であったからな・・」
「そうだ、そなたがあのような約束を口にするからだ。」
クラヴィスの邸に戻ったのは、聖地の丘に日が沈み始める頃。早めの夕食を共にして、何杯めかのワインを口にした。ふたりの長身の体がソファに寄り添うようにある。
ずっとそばにいたい、おまえの瞳にすべて映るもの、耳にするものをすべて共に感じたいと願うのは、私の自分勝手な願いでしかないことなど分かっているとクラヴィスは思う。
「・・後悔・・しているのか・・」
どこか不安げなジュリアスの蒼い瞳の中の自分の姿に小さく首を振った。
「・・いや・・」
ジュリアスは、安心したかのように小さく息をついて、ソファに深く座りなおした。
まるで、子供のように素直な奴だと、クラヴィスは、口にしてしまえば間違いなくそっぽを向かれてしまいそうな言葉を呑みこんで、別の言葉を紡いだ。
「・・おまえは我儘だな・・」
「そうか・・?」
息のかかりそうなほど近い距離で、ジュリアスの唇がそう形作った。それがまるで、自分を誘うようにも見えて、クラヴィスは咄嗟に触れるだけの口づけをした。
そして、顔を離そうとした途端に、ジュリアスの白い手が、クラヴィスの黒髪を掴んだ。
「クラヴィス・・これで・・終わりでは許さぬ。」
蒼く強い光を宿した瞳が、今度は違うことなく誘う。こうやって、翻弄されてみるのもたまには悪くないとクラヴィスは、思った。
「フッ・・それが我儘だというのだ。」
クラヴィスは、微笑みをゆっくりと隠しながら、白い頬にそっと手をのばした。