第3章 呪縛
――10年前――
あの頃の私達は
見えない未来の中で幸せの欠片を拾い集めていた
「ジュリアス様、クラヴィス様のお姿が見えないと、闇の邸の使用人達が参っておりますが・・」
執事の言葉に、またか・・とジュリアスは小さく舌打ちをした。
「・・誰も追うな。」
そう言うとジュリアスは、馬舎から馬をひくと、跨った。
「クラヴィス、まだ、無理なのか・・」
ジュリアスは、呟きながら聖地の外れの森へと馬を走らせた。
クラヴィスが、いなくなったのは今回が初めてのことではない、ジュリアスが初めて他の惑星へ視察に出て聖地を留守した時、聖地と下界の時間の流れを学習し、母親がもうずっと前に亡くなったと知らされた時、初めてその手で星を殺めた時。その度、彼は聖地の外れの門に足を向けた。聖地さえ出て行けば、彼はただの人に戻れると今でも信じている。
その高くそびえる重厚な聖地の門は、守護聖の誰もが2度くぐる門である。守護聖として新しく迎えられる時、サクリアを失って下界へ戻っていく時。その門は守護聖という逃れられない運命の呪縛をかけ、そしてその呪縛を解く。
「今、門をくぐっても只人にはもう戻れぬのだ・・クラヴィス。」
ジュリアスは、降り出した雨に頬を濡らしながら、暗い天を仰いだ。
「早いな、ジュリアス・・」
振り向いたクラヴィスの言葉に、ジュリアスは何も言わずに馬から降りると、クラヴィスに剣の柄を向けた。
「剣をとれ、クラヴィス!」
「何の真似だ・・」
「何度も言ったはずだ、そなたがいくら逃げようとしても、私は必ず連れ戻すと・・」
「フッ・・それで今回は、力ずく・・というわけか。」
薄く笑ったクラヴィスに、ジュリアスは頷いた。
「毎日、剣の練習をしているおまえと剣を合わせよというのか。」
クラヴィスの言葉に、ジュリアスは小さく笑った。
「まだ、腕は落ちてはいないであろう?」
クラヴィスはつい先年までジュリアスと剣の稽古をしていた。近頃、クラヴィスには、星見という仕事が増えたので、最近は剣を合わすことも少なくなったが、ジュリアスとクラヴィスの剣の腕は互角だった。
「・・もし、私が・・勝ったら?」
クラヴィスは紫の瞳をジュリアスに向けた。一瞬、ジュリアスの蒼い瞳は瞬きをするように閉じられ、やがてジュリアスは静かに言った。その言葉にクラヴィスは、降りしきる雨の音さえ聞こえなくなった。
「そなたが勝てば・・共に逃げよう。」
ジュリアスの思いがけない言葉に、クラヴィスは目を見開いた。
共に逃げるなどと、心にもないことを・・
「馬鹿な・・おまえにそんなことはできぬ!」
クラヴィスは声を荒げた。
「できぬかどうか試してみればいい。私とそなたの力を合わせばこのような門はすぐに開く。」
薄く笑うジュリアスに、クラヴィスは首を振った。
門が開くかどうかそんな物理的なことが問題なのではない。共に逃げると言ったジュリアスにクラヴィスは驚いていた。
誰よりも忠実な光の守護聖、何よりも宇宙と女王が大切だと言って憚らぬ守護聖の首座。彼のようにいつも生きたくて、それでも決して彼の真似はできない自分が、いつももどかしかった。
「・・本気なのか?」
クラヴィスは言いながら、差し出された剣をとった。
「そんな賭けでもしなければ、そなたは何度もここへ来るのだろう?」
細い剣を鞘から抜きながら、ジュリアスはそう言った。
「そのかわり、私が勝てば、2度とここへは来ないと約束せよ。」
ジュリアスは、美麗な顔に眉を寄せた。雨が強くふたりの肩を打つ。クラヴィスは何も言わず、ジュリアスを見つめた。
「それとも、私を殺すか?それもいいが、私がいなくなってもまた新しい光の守護聖が生まれる。それでもそなたは、闇の守護聖として生を全うするしかないのだ。」
ジュリアスは、どこか哀しげに、そう言った。彼の白い頬を落ちるのが雨だけではないことを、クラヴィスはこの瞬間、初めて知った。そして、ジュリアスの本当の気持ちも。彼もまた、守護聖であることを持て余している。?
逃げることなどできない、ここを出ても連れ戻されることなど初めから分かっている。ただクラヴィスはここへ来ることで、初めてここへ来た時のことを思い出したかった。それは微かに残る幼い時の記憶、母の温もり、ここへ来れば思い出せるそんな気がした。違う時の流れの中で、長い時間を生き、この手で星に生きる人の運命を左右しても、いくら嘆いても戻れぬと知っていても、この場所へ来れば自分が守護聖でなかった時もあったのだと思い出せる、そんな気がしていた。
ジュリアス――この聖地で唯一の私の希望、私の光。共に逃げてもいいとさえ言ってくれた彼、叶わずともいい、その言葉だけで私は聖地で生きることができるかもしれない。私だけではなかった、ここで苦しんでいるのは。
「・・もういい・・ジュリアス。」
クラヴィスの手から滑り落ちた細剣が濡れた土に転がっていった。
「戻る・・おまえがいるなら戻る・・」
クラヴィスは、振り絞るように言ってから、俯いた。その肩が震える。ジュリアスはその彼の姿に駆け寄り、その肩にそっと手を置いた。
「約束せよ、クラヴィス。もう、この場所へは来ぬと。ここへ来るのは、サクリアを失い、守護聖の任を解かれた時だけだと。」
ジュリアスは片腕で、クラヴィスの背中を抱きながら、もう一方の手で濡れた黒髪を撫でた。
聖地には珍しい雨がふたりの上に降り続いていた。
ずっと傍にいる・・ずっとそなたと共にいる・・
嘘ではなかった、ずっと、傍にいたかった。
ふたりなら、どんなことでもできる、どんなことでも乗り越えられると信じていた。
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守れなかった遠い約束。
今でもこんなに覚えている――
あの言葉も、あの腕の温かさも、まだこんなにもはっきりと。
「あの時、逃げだしたかったのは、私の方だったのかもしれないな・・」
とジュリアスは思った。
聖地の空はまだ、あの幼い日を覚えてくれているのだろうか。