OPEN YOUR HEART
「・・陛下のためなら命など惜しいとも思わぬ。」
光の部屋の扉を薄く開けると、ふいに飛び込んできたジュリアスの言葉。蒼いまなざしは、前に立つ紅い髪の男だけに注がれていた。
アイスブルーの瞳は、その蒼い眼差しに怯えることもなく、一瞬閉じられたあとで、輝きを増して見開かれた。
「その時が来たら、俺も共に。」
口元に不敵な笑みを浮かべたオスカーの姿に、私は、心のどこかに燻っていた埋み火が小さく燃えるのを感じた。
静かに扉を閉めて、その場を立ち去る。
体が熱い・・
私達は同じ場所で違う夢を見ている――わかっている、そんなことは。ずっとずっと昔から。守護聖としての使命を、理想を、誇らしく語るジュリアスがいつも眩しく、そして嫌いだった。それは、いくら望んでも、同じ気持ちで同じ場所には、決して自分は立てないからだと気づいたのは、最近のこと。大切なものなど、私にはたったひとつしかない。
「・・ふたりでいるより大切なものが、おまえにはいつもある・・」
守護聖となるべくして育てられたジュリアスと、女王や守護聖など物語の世界でしか知らなかった私が、いくら想いを交し合ったとしても、同じ夢を見るというのは無理なことなのかもしれない。
けれど――もしも、オスカーの言うその時がきたら、おまえは私への想いもすべて忘れて、命を投げるのか。そして、共にいるのも私ではなく・・。
私は、自分の在り処を求めるように、足早に闇の執務室へ戻った。
言葉だけでは心もとない、体だけでは哀しい、私はおまえに何を求めているのだろう――――
*******
書類に目を落としながら廊下を歩いてくるジュリアスの腕を掴んで、闇の執務室に引き込んだ。見開いた蒼い瞳は、私の姿を映した途端、微かな安堵の色を見せるが、それも一時のことで、すぐに、訝しげな色に変わった。
「クラヴィス・・何だ?」
ジュリアスの腕を掴んだまま、何も言わない私に、小さく息をついて、落とした書類に手を伸ばす。その冷静な横顔を見つめると、胸が痛む。そうだ、いつも普通ではいられないのは私だけだ。思わず掴んだ腕に力が入る。
「・・つっ・・離せ。」
私の手を振りほどこうと、力を込めたジュリアスの体はバランスを失って、崩れるように床に落ちた。抱きとめようともせず、私は冷たい床に座り込んだジュリアスの両手首を掴んで、扉に押し付けた。
「・・何を・・」
怒りを含んでいるはずの瞳に合わないように、私は瞳を閉じて、ジュリアスに口づけた。片手で顎を掴み、片手で両手を束縛する闇の中の口づけは、どこか背徳的で、私の邪心をくすぐる。
私はいつもどこかで願っていた――ジュリアスが、守護聖という立場を忘れて、私の腕に抱かれてくれることを。
「・・・んっ・・よせっ・・ここを・・どこだと・・」
言葉にならない声が、唇の隙間から零れた。
カツン・・カツン・・
「・・黙れ・・誰か来る・・」
冷たい廊下に響く足音を聞きながら、私は何よりも効果的であろう束縛の言葉を囁いた。びくりと体を震わせたジュリアスは、身動きもできないまま、私の口づけを受け止める。
堕ちろ、堕ちて欲しい――私の叫びにも似た切望は、私の唇が、白い首筋に降りていくのと同時に、吐かれた大きなため息で、空しく終わった。
「・・ここまでだ・・クラヴィス・・」
解いた両手で私の胸をゆっくりと押しのけ、ゆらりと立ち上がったジュリアスは、衣服の乱れを直しながら、そして、床に膝をついたままでいる私を見下ろしていた。眉を寄せるジュリアスの顔が目に浮かぶ。
何も言わないジュリアスは、散乱した書類を手早く拾い上げると部屋を出て行った。扉が開かれたその瞬間、差し込んだ光のまぶしさに、私は瞳を細める。そして、その時、私は、ジュリアスの握り締められた指先を目にした。
「クラヴィス!どうして、そなたはそのように、守護聖としての自覚がないのだ!」
ジュリアスの声が聞こえたような気がして、私は、瞳を閉じた。
無理強いをしてしまえば、二度ともとに戻れぬような、そんな危うさがジュリアスにはある。
ふと、自嘲気味な笑みが零れるその自分の唇が、確かに先刻まで、ジュリアスに触れていたのだと思うとたまらなく愛しかった。
今宵は週に一度の逢瀬、どちらから約束したというわけではないが、土の曜日の夜はお互いの邸を交互に訪れることが、想いを交わしてからの暗黙の了解となっていた。
あれから3日、ジュリアスと言葉を交わしていない。
怒っているのだろうか、謝るか・・堂々巡りの答えは出ない。テラスに向けて開け放たれた窓は、来ぬ恋人のために開けられたもの。時計の針は真夜中を過ぎている。
『そなたは、言葉が少なすぎる・・』
だから、誤解されるのだとジュリアスに昔言われた。あの時も、いきなり口づけて、ジュリアスを怒らせた。
『どういうつもりだ?』
あの竦むような蒼い光に慣れたのは、何度、夜を共にしてからだろう。
『クラヴィス・・どう思う?』
肌を合わすことにさえ、理由を探し、口づけにさえ、疑問を投げる。ずっと愛してきた、あの真夏のような激しい光も、春の陽光のような穏やかな光も。
「・・これ以上、何を望むというのか・・」
言葉だけでも、体だけでも足りぬと思う私は、邪神に心を捕らわれたのだろうか。
たしかに、ジュリアスは愛していると言ってくれた、闇の淵に引き摺られてしまう私をその腕で抱いてもくれる。
私は、思わず声を立てて笑った。
「・・私も存外、強欲らしい・・」
「・・何が可笑しい・・?」
闇を背にして、金色の影が立った。
「・・今夜は来ぬかと思った・・」
自然と笑みが消えていくのがわかる。
「・・約束だったからな・・」
そう言ったジュリアスは、聖殿からそのまま着たのだろう、執務服を着て、微かだが、息をきらせている。
私は、ゆっくりとジュリアスに近づくと、白い頬を隠す金色の髪をそっと後ろに撫で付けてやった。
「あからさまか?・・急ぎ来たのが・・」
どこか羞恥を含んだ言い方で、ジュリアスは自らの手でも、その髪をピアスの光る耳にかけた。昼間のジュリアスらしからぬその物言いと仕草が微笑ましくて、思わず笑みが零れる。
「フッ・・そうだな・・」
私の言葉にジュリアスは、瞬間小さく唇を噛み、空を見上げて言った。
「でも、どうやら間に合ったようだ・・」
訝しげな表情を私から読み取ったのか、ジュリアスが呆れたように言う。
「忘れたのか、先週、今宵は月が美しいから、共に見ようと言ったのはそなたの方だぞ。」
そうだった――私は頷く。
テラスを降りたジュリアスの後を追って、中庭に出ると、降るような星空に、浮かぶ美しい月。そして月光の中に佇み、天空を見上げるジュリアス。
流れるような金糸の髪が白い長衣に波をうつ、蒼い瞳の先には満天の星空。月光と星明かりを集めたとしても負けぬ光がそこにある。
私はため息をつく。
「・・美しいな・・」
私が思わず口にした言葉に、ジュリアスが振り向いた。
「ああ」
答えたジュリアスと、私の瞳がふいに合う。
「・・クラヴィス、そなた、どこを見ている?」
私にはお前以上に美しいものなど何もないがと、心の中で呟いて、一歩一歩ジュリアスに近づく。小さな抵抗のために上げられた手が、やがて諦めたように下ろされた。
「ジュリアス・・すまなかった・・」
私の言葉に驚いたように、ジュリアスは瞳を見開き、やがて、呟くように言った。
「オスカーとの話、聞いていたのだろう?」
この時の私は、きっとバツの悪そうな顔をしていたに違いない。ジュリアスは、そんな私に柔らかな笑みを浮かべて告げた。
「ふっ・・あれには、続きがあるのだ、クラヴィス。陛下のためなら、命など惜しくはない。それは偽らざる本心だけれど、そなたを愛する想いだけは、何ものにも代えがたい。もとより、そなたのためなら、私は喜んで命を差し出すだろう。・・だが、あのようなことは、もう許さぬ。」
「ジュリアス!」
思わず駆け寄り、強く抱きしめた。自分の指先が震えるのがわかる。胸の鼓動が、波打つのがわかる。
欲しい物は、初めからこの手の中にあったのだと。
「そなたは、口にせぬとわからぬらしいから。」
そう言って、私を抱きしめたジュリアスは、その夜、忠誠の指輪を静かに外した。