招き星4――無明――
「戻ったって〜?」
重厚な扉がするりと開けられて、オリヴィエが花の香りを漂わせながら、広間へと軽やかに入ってくる。重苦しい雰囲気に沈んでいた部屋の中がとたんに華やかな趣きに変わる。
「オリヴィエさま〜」
とホッとしたような泣きそうな声をマルセルがあげた。
「どうしたのさ、えらく暗いけど。」
部屋の中を見まわして、空いていたオスカーの隣りの椅子に腰掛けて、足を組んだ。
「あれっ?あのふたりは?」
オリヴィエの問いに、オスカーが憮然とした表情で、奥の扉を指差した。通常合議の行われる大広間の奥にあるその部屋は、女王と補佐官そして筆頭守護聖が重要な事柄を密議する際に使われる部屋である。ルヴァの姿が見えないことから、今日はルヴァもその部屋の中にいるものと思われる。
女王が現女王(アンジェリーク・リモージュ)になってからは、その部屋もほとんど使われることなく、オリヴィエさえもその存在を忘れていたくらいであったから、その部屋で密議がもたれていることが、ことの重大さをつきつけてきたような気持ちになる。
「ふう〜ん、なんかあったかな・・」
ふたりがシュール星に赴くと聞いてかすかに芽生えた不安を思い出しながら、指先を唇につけてオリヴィエが眉を寄せた。
「まったくっ!いつまで待たせるつもりかよ。」
テーブルをダンッと大きな音をたてて、叩いて立ちあがったのはゼフェル。その腕をマルセルが引きながら、なだめる。
「ゼフェル、そんな態度はよくないよ。ルヴァ様が待ってるようにおっしゃたじゃないか?もう少し、待っていようよ。」
「そうです、ゼフェル。今、お茶を入れますからね。」
優しい微笑を浮かべながら立ちあがったリュミエールの背中に、ゼフェルはちぇっと舌打ちをした。
「それにしても、情けねえよな。ジュリアスの右腕とかなんとか言ったって、所詮、こんな時には俺らと一緒に仲間はずれかよ。」
言いながら、椅子に身を投げ下ろすように座ったゼフェルの言葉に、オスカーが「なんだと!?」と大声を上げた。
「やめなよ、オスカー、大人げない。」
オリヴィエにたしなめられたオスカーはきゅっと唇を結んだ。
分かっている――俺では役不足だと、今まで何度も思い知らされてきたはずだった。ひとりの人間としてのあの方を救えるのは闇を纏うあの人だけだと知ってしまったのは、もうずっと昔のこと。それなら、俺は守護聖としてのあの方を助けたかった、その一心で守護聖としての任務についてきた。尊敬するあの方に守護聖として出会えたこの奇跡を、幾度感謝しただろう。ジュリアスの一の部下だと、右腕だと噂され、自らもそう思ってきた。しかし、隔てられる扉はあまりに重く、結局の所は、ここにいる守護聖達と同じ働きをしているに過ぎない。錯覚だったのか、それとも渇望したあまりに見てしまった幻惑だったのか、あの方の右腕の座など遥かに遠い。
オスカーは、足を組みなおして、アイスブルーの瞳で宙を見上げた。
「気にしなさんな、ゼフェルはあれで妬いてるだけなんだからっ。」
オリヴィエは小さく笑って片目をつぶって見せた。
結局、オリヴィエにも敵わない、誰よりも大人で自分の果たすべき役割をわかっているこの親友は、当面の事態が窮するほどに力を発揮して皆を驚かせる。
オスカーは横目でオリヴィエをちらりと見つめて小さなため息をついた。
★★★
「新しい闇の守護聖が、見当たらないとは?」
ジュリアスは少し眉を寄せた顔をルヴァに見せた。
「ええ・・」
とルヴァは頷いて、続ける。
「あなた方から知らせを受けてすぐに王立研究院で、調査を行いましたが、新しい闇のサクリアの波動が感じられないんですよ。」
「どういうことだ?」
ジュリアスは、ひとりごとを言うように呟いた。
「私も共に調査しましたから、間違いはありません。そして、今、クラヴィス、あなたを見て確信しました。あなたは、サクリアを失ってはいないのです。何らかの原因によって、使えなくなってしまったようなのです。」
女王はクラヴィスに向かってそう言った。クラヴィスが一瞬眉を寄せたのを、ジュリアスは瞳の端でとらえ、額にて手をあてた。その隣りでルヴァは、大きく頷いて、それでという顔をして言った。
「だから、新しい闇の守護聖も誕生しないというわけなんですね。」
「ええ」
「だとしたら、その原因が分かればもとに戻ることも可能だと?」
ジュリアスの問いに頷きながら、女王のエメラルド色の大きな瞳がクラヴィスを見つめた。
「クラヴィス、何か、思い当たることは?」
「いや・・」
クラヴィスの短い答えに、女王の瞳が翳って、その場の誰もが黙りこんだ。
いつもなら、冷徹とも言える意見を述べるジュリアスの口も、重く沈んだままである
何か言わねば・・ジュリアスが言葉を模索していた時、ふいに止まっていた時間が流れ始める。
「それは、早急に調査をしましょう。クラヴィス、小さなことでもいいですから、何か思い当たることがあればおっしゃって下さいね。そして、ルヴァ、あなたは今までこんなケースがなかったかどうか調べていただけますか?」
その沈黙を破ったのは、紫の髪の女王補佐官だった。
「・・ええ、できるかぎりのことをしますよ。」
ルヴァは一瞬、間をおいて瞳を細めた。
「ジュリアス、シュール星のことは、この報告書の通りですわね。ご苦労でした。シュール星のことは、クラヴィスのサクリアが戻り次第考えることにいたしましょう。陛下、それでよろしいですわね?」
「・・ええ、そうね。」
女王の微笑みはいつもよりずっと静かだった。誰もが何か見えないものを見つめているような、そんな時の流れの中で、目を閉じて、身じろぎひとつしなかったクラヴィスが、ふいに口を開いた。
「それで、期限はいつなのだ・・」
「クラヴィス!!」
ジュリアスが小さく叫ぶように、その名前を呼んだ。
サクリアは守護聖の中に宿り、そして彼らはそれを操る。守護聖である間、サクリアは常にその中に生み出され、使えば、また充されるという繰返しである。ただ、サクリアは永遠で、守護聖は限りある命を持つ人間であるということである。だから、守護聖はそのサクリアを引き継いでいくために、交代していかなければならない。あくまでもその意志は、守護聖ではなくサクリアにあるけれども。
サクリアは自分の存在する守護聖を交代させるために、増えなくなり、徐々にその姿を消し、新たな守護聖の中に宿る。だから、サクリアがまだクラヴィスの中にあって、クラヴィスがそれを操れないだけであるのなら、新しい闇の守護聖の誕生はありえない。あくまでも闇のサクリアは、クラヴィスの中にしか存在しないからである。クラヴィスが存在する限り、この宇宙の闇のサクリアはクラヴィスしか持たない、つまり、操れないからという理由で、守護聖の交代はないのである。
そう、クラヴィスの命が、消えない限り、闇のサクリアはクラヴィスをまだ選んでいるのだから。
「使えぬ闇の守護聖は、いらぬはずだ。」
クラヴィスは、薄く笑いながら呟いた。
「クラヴィス・・」
「まだ、時間は充分あります。闇のサクリアの不足は、水と緑のサクリアで補います。あなたは、研究院と協力して原因の究明を・・ジュリアス、皆に協力をお願いしていただけますか。」
あくまでも大したことのないように、女王は言った。大丈夫よと昔のアンジェリークの口調で付け加えて。
「・・はい。」
ジュリアスの言葉に、女王は頷いて、ロザリアと奥の部屋へ出て行った。
「さあ〜皆が待っていますよ〜、あなた達が帰って来るなり、合議だと言ってしまったので、皆心配しているんですよ。」
ルヴァがそう明るく言いながら、立ちあがった。
「簡単には聖地を去らせてはくれぬのだな・・」
言いながら、クラヴィスはフッと笑った。
「必ずそなたを戻してみせる・・」
ジュリアスは、真剣な眼差しでクラヴィスを見つめた。
「・・無理はしてくれるな」
クラヴィスは、長年付き合ったルヴァが驚くほど柔らかな笑みをジュリアスに見せた。
「馬鹿者っ・・」
ジュリアスが、その笑顔から目をそらして小さく叱った。
ルヴァはふたりの後姿を見つめながら思う。
サクリアを失ったと思ったクラヴィスとそれを受けとめたジュリアス、彼らは遠くはなれたあの星で、どんな長い夜を過ごしたのだろう。諦めて、割りきって、戻ってきたこの場所で、新たに告げられた真実は、もっと苛酷で辛いもの。
守護聖を降りるよりももっと辛いことになるかもしれない――ルヴァは、心の中に生まれた小さな不安を打ち消しながら、皆の待つ大広間への扉に手をかけた。