招き星8−残雪
「やだねえ〜薄気味の悪い、この星って本当に落差が激しいところみたい。」
オリヴィエは目的の地に立つとまず第一声をあげた。
シュール星の辺境、一年を通して決して溶けることのない雪と黒い森のある場所。
「ああ、美しい星だが、このように何故か人が住めない地域がある。」
「ふうん・・」
ジュリアスの言葉にオリヴィエは、微かに眉を寄せた。横顔のジュリアスに、思いつめた表情は微塵も感じられなかったが、結ばれた唇にいつもの色はない。そんなジュリアスから目をそらしながら、オリヴィエは手にしていた地図を広げる。頬にあたる風は切るように冷たい。
「・・この地図でいくと、この森の奥に、光の泉、闇の湖があるらしいわね。」
「ああ。」
「古い伝説によるとそこに初めて、このシュール星の住民が他の星からやってきたんだっけね?」
オリヴィエは言いながら、あたりを見回す。小屋もおろか家ひとつ、人ひとりの姿も見えない、足跡一つない美しい残雪と、針葉樹の森。どこか、故郷の星に似ているとオリヴィエは思う。
ただ、生まれた星は、こんなに、哀しいほど綺麗ではなかったけれど・・
サクサクとジュリアスが踏みしめていく雪の後をオリヴィエも追う。銀色の髪が、雪面に反射して輝くジュリアスの後姿を見つめながら、どんな場所でもこの人は、光の守護聖なのだとオリヴィエに、思わず笑みがこぼれる。
離れた場所からでは、黒く見えた森も近づくとそれは深い緑の木々が重なり、奥に何があるのか見当もつかない。
「ここから、入れそうだな・・。」
ジュリアスが、重なった枝を払い、体を少しかがませ、茂みへ吸い込まれるように入っていく。枝から零れ落ちた雪が頬にかかり、その冷たさにオリヴィエは肩をすくめながら、ジュリアスの後を追う。肩の雪を手で払ったオリヴィエの目の前に広がるのは、信じられないほど美しい雪原、氷のはった泉、微かな風、思わず感嘆の声を上げかけたオリヴィエの視界には見えるはずの後姿がなかった。
「ジュリアス?」
オリヴィエの声が、深い森の中に小さく響いた。
「くっ・・」
クラヴィスは突然の激しい頭痛に眉を寄せた。
「どうなされました?クラヴィス様?」
闇の執務室でソファに向き合って座っていたオスカーが、反射的に手を伸ばそうとした。
「ああ、大事ない・・っ・・」
オスカーを手で制しながら、クラヴィスは、上体を戻そうとしてから、続く痛みに思わず膝を落とした。
「クラヴィス様!?」
オスカーが駆け寄ったとき、クラヴィスの瞳は固く閉じられていた。
薄れていく意識の中で、クラヴィスが見ていたものは、蒼い、蒼い瞳・・・
「おまえが来るとはな・・」
ジュリアスの目の前に、銀色の肩までの髪に深い緑色した瞳の男が立った。ぞっとするような美貌に怜悧な鋭さを滲ませたその青年は、腰に長い剣を持ち、ジュリアスに皮肉な笑みを見せた。見たところ戦士のようだが、オスカーのような精悍さはなく、そのぶん繊細で頑な部分の方が際立って見える。
「何者だ?」
ジュリアスの蒼い瞳から、片時も目をそらさないその男は、小さな沈黙の後に唇の端を上げた。
「光の騎士・・そして、おまえは光の守護聖ジュリアス。」
「何故私を知っている?」
ジュリアスの問いに、光の騎士と名乗った男が小さく笑う。
「知らぬはずはあるまい、闇の王たるあの方の・・」
と言いかけたその男は、首をかしげてジュリアスを見つめた。
「おまえは、あれのためにここへ来たのだろう?」
緑色の瞳は硝子玉のようで、ジュリアスの姿はおろか、その風景さえ映していない。この男は人界のものではない――ジュリアスは直感した。
「そなたがクラヴィスの力を奪ったのか?」
ジュリアスの瞳が鋭い光をもつ。
「奪ったのではない、封じたのだ。あれの魂が現在に未練があるようなので・・」
感情を見せなかったその抑揚のない声がやがて、徐々に激しい熱をおびてくる。
「そなただ、そなたの存在があれを引き止めている。そなたさえ、いなくば、あの方は私の元へお戻りになるのに。」
「愚かな。クラヴィスは闇の王などではない。」
見る者によってはそれはひどく冷酷にも見え、魅力的にも見えるその射るような蒼い瞳とは対照的に、静かな口調でジュリアスは、言い放った。
短い沈黙が走り、ジュリアスから瞳をそらそうとしなかった緑の瞳をもつ男は、小さく声を立てて笑う。
「おまえは何も知らなかったのだったな・・それなら、昔話をしようか。遠い昔、私が幸せだった頃の話を・・」
その戦士の姿をした男は、まるで昔なじみに話し聞かせるように、穏やかな声で語りだした。
「太古の昔、美しい星、勤勉で心優しき民たち、その星は闇の王と呼ばれるひとりの王のもとに統治されていた。誰もが、平和で穏やかなこの毎日が永遠に続くものだと信じていた。・・しかし、幸せな日々はあっけなくその帳を下ろす。隣の惑星で革命が起こり、それに敗れた兵達が逃げ場を失い、我らの星に逃げてきたのだ。心優しき王は私の止めも聞かず、その兵達を受け入れたのだ。その兵達の引渡しを迫る惑星はついに我が星をも敵とみなした。戦う術を知らない我が星を圧倒的に戦闘能力に優れた惑星の兵達が襲う。累々たる屍、逃げ惑う民達、私達は残った民と共に星を捨て、新しい星へ移住することを決定した。当時、無人だったこの星のこの場所で新しい国を必ず建国しようと私達は約束し・・そして、王と私は別の舟に乗った。何故あの時、あの方の手を離してしまったのか、私は何度悔やんだろう。王の乗ったその舟は、この星に到着することもなく、私達はこの星で新しい国を創ったのだ。しかし、私は待っていた、他の者がここを捨て、この星に散らばっても、、何千年もこの地で、あの方のお越しを。しかし、ひとの形を保てるのもあと僅か、あの方に会いたい、もう一度お会いして、今度こそ共にいきたい。私は持てる力の全てをもって、この宇宙中を探し続けた、そしてやっと見つけたのだ。闇の王にふさわしき者を。闇を纏い、その手で闇の力を操る者を。私は歓喜した、この者の魂を使えば、あの方が戻ると。しかし、あの者は守護聖で、おまえという愛するものがいる。私の力では命を断つことができぬ。だから、私は細工をしたのだ、命をおまえに断たせるように。そうすれば、あの者の魂も未練なくここへ来る。」
淡々と語る男の胸の前で組んだ指が震える、それが激しい怒りのためだとジュリアスは、胸を掴まれるような感覚に唇を噛んで堪えた。
許されるわけなどない――そのような理由でクラヴィスの魂を奪うことなど、まして自分にその一翼を担わせることなど。
「クラヴィスは、おまえにサクリアを封じられているのを知っているのか?」
ジュリアスの問いにその男は薄く笑った。
「おまえの知っているクラヴィスとやらは、知らぬことよ。私はおまえ達がこの星に来た時に、細工をほどこしたのだ。さすがのおまえもそのようなこと気づかなかったろう?だが、ここまで来たのは誉めてやってもいいが。」
「何が望みだ」
「望みはたったひとつ、あの方にお会いすることだけだ。」
「そなたは愚かだ。姿は戻っても心はそなたの闇の王ではないのだぞ。」
ジュリアスは言い聞かせるように告げ、首を小さく振った。緑の瞳が憎悪の光をもつ。
「心など・・とうに忘れたわ!」
細い眉があがり、吐き捨てるような言葉が鳥の声さえ聞こえない森に響く。
「おまえは知るはずもない。ここで長い時の流れに身を委ねていた私のことなど。人の生に逆らい、摂理に反してまであの方を待ち続けた私のことなど。やっと見つけたのだ、私に渡せ!」
「目を覚ませ!そなたの敬愛する闇の王はもうこの世のものではない。現実を知るのだ!」
「黙れ!」
男が手をあげると、突然、風が立ち、ジュリアスの体を雪面に叩きつけた。
「くっ・・」
ジュリアスは膝を立てながら、その男の顔を睨みつけた。
「ふ、ここは私の領域、守護聖最強ともいわれるおまえも、ここでは赤子のようなものよ。」
緑の瞳に狂気の色を湛えた美貌の男は、細く冷たい指でジュリアスの形の良い顎を持ち上げた。
「さて、そなたを殺せば、あれの心の枷もなくなってここへ戻って来ようというもの。」
「ク、クラヴィスは渡さぬ!」
顔を背け、顎を捕らえていた指を手で払ったジュリアスは、立ち上がりながら、拳を握る。体が鉛のように重い。
「フッ・・美しい顔で強情なやつだ。」
色のない唇から綴られた言葉も笑みもこの上なく冷たい。
「ク、クラヴィスは、私が必ず守る・・」
頬にかかった銀の髪をかきあげながら、ジュリアスは呟くように言った。ジュリアスの美しさと毅然とした言葉が目の前の男を苛立たせる。
「黙れ!!」
激しい叫びと共に先程より大きな風がジュリアスを取り巻く。幾つもの刃が体を切りつけるような鋭い痛みが体を走り、ジュリアスは唇を噛んで耐える。
「もう一度言う、私はクラヴィスを守ってみせる!」
ジュリアスは顎をひいて、射るような瞳で見上げる。
「まだ、言うか!」
ひときわ冷たい冷気が大きく渦を巻こうとした時、静かだが周囲を威圧するような低い声が、耳に届いた。
「止めよ」
「・・!!」
緑色の瞳の男の顔色が変わる。
「クラヴィス!?」
ジュリアスの視線に小さく微笑んだクラヴィスは、眉を僅かによせて、もう一度告げた。
「止めよ・・・・・・。」
クラヴィスが口にした名前が、その光の騎士と名乗った男の名前だとジュリアスは気づく。
「何故、私の名を?」
震える唇が彼の動揺を表している。
「おまえの愛しい者に聞いた。」
緑の瞳がこれ以上ないというほど見開かれて、激しく首が振られる。
「空言だ・・王はもう・・」
「嘘ではない、見るがよい。」
クラヴィスはゆっくりと後ろを振り返った。流れる銀糸の髪、金色の瞳、美貌の青年は、どこか悲しげな微笑を湛えてそこにいた。
「王・・」
光の騎士は信じられないという顔をして、その場に膝を落とした。
「あれはとうにおまえの元に戻っていたのだ。されど、鬼と化したおまえには見えるはずもなかったが・・」
「私は・・」
嗚咽をくりかえす光の騎士の肩に、闇の王はそっと手を置き、ジュリアスを見つめた。
(そなた達には苦労をかけた・・)
想いがジュリアスの意識に流れ込んでくる。
「おまえが望むなら共に昇天させてもよいが・・。」
とクラヴィスは告げた。
跪いている光の騎士を抱くように立っていた闇の王が小さく頷いたように見えた。クラヴィスは、ジュリアスに同意を求めるように視線を向けて、ジュリアスもまた微かに頷いた。
クラヴィスが瞳を閉じ、ゆっくりと上げた手をそっと握り、そしてまたゆっくりと開いていった。
「安らかな眠りにつくがよい・・」
風が起こり、闇の王と光の騎士を包む。森の木々がざわめく。
「闇のサクリアをもってやすらぎとぬくもりを・・」
そう言って、クラヴィスがその手をかざした。
「光のサクリアをもって誇りと進むべき道を・・」
ジュリアスもまたそれに倣う。ひときわ大きな風が立ち、やがて何もなかったように美しい雪原だけが残った。
「ジュリアス!大丈夫?」
木々の陰から、オリヴィエが枝をかき分けながら、顔を覗けた。
「ああ・・それより、すぐに戻るぞ。」
ジュリアスはそう言うと踵を返して、足を速めた。
「ええ!?」
驚くオリヴィエに、ジュリアスは、振り返って、小さな笑みを見せた。
「終わったのだ・・すべて。」