思い出に間に合いたくて

「おはようございます。ジュリアスさま、お誕生日おめでとうございます!」
無邪気な明るい声と共に、目の前に差し出されたものは、深い紫の色をした小花の花束。
ジュリアスは、執務机に広げられた書類を重ね、その花束を手にすると、蒼い瞳を細めた。
「これは、そなたたが育てたのか?」
マルセルを優しく見つめるジュリアの瞳が、いつもと違うのでマルセルは、落ち着かない。
「はい、ピンクや白のものは前からあったんです。だけど、この色は初めてで・・」
と言葉を探しながら、話し始める。
「そうか、さすがは緑の守護聖だな。」
ジュリアスは感心したように呟く。マルセルは頬を染めて、嬉しそうに笑顔を見せた。そして、ふいに思いついたように、ジュリアスの手からその花を取ると、窓際に駆け寄った。
「こうやって光に透かすと・・」
と言って、マルセルはその花束を差し込む朝の光に高くかざした。
「ほら、薄い紫に変わって、まるで、クラヴィス様の瞳のようなんですよ」
そう言って、振り向いたマルセルは、ジュリアスの顔を見て、しまったという顔をして慌てて口を押さえた。そんな様子のマルセルにジュリアスはもう一度微笑み、
「礼を言うぞ、マルセル。」
と言った。
「それじゃあ僕、失礼します。」
深く頭を下げたマルセルの明るい足音が遠ざかって行くのを見送りながら、ジュリアスは机に置かれた花束に手を伸ばす。先ほどマルセルがしてみせたように、そっと光に透かしてみる、するとそれは、ジュリアスの期待通りに、深い紫の花びらが、柔らかな薄い紫に変わって行く。
「美しいな・・。」
ジュリアスは、小さな笑みを浮かべた。
誕生日――それはジュリアスにとって、決して楽しい思い出ばかりではない。幼い頃から守護聖になることが運命付けられていた彼の生家での誕生日は、盛大で華麗だったが、温かさはなかった。幼い子供に似つかわしくない宝飾品の贈り物。綺麗で冷たいオブジェに囲まれて必死に母親の背中を探していた、それがジュリアスが微かに覚えている聖地へ来る前の誕生日の夜。
聖地へ来て始めて知った人のぬくもり、小さなケーキに点された年の数の蝋燭、リボンに飾られた小さな手作りのカード。そして、いつもそばにいたクラヴィス。
いつのまにか大人になって、いつのまにか忙しい日常の中に、誕生日など忘れてしまうことの方が多くなったけれど、幼い頃の誕生日の優しい思い出は今もジュリアスの心の大切な場所にある。
『・・おまえと会えてよかった・・』
いつからか、祝福の言葉に代わって囁かれたクラヴィスの言葉。
誕生日は、守護聖として邁進するジュリアスにとって、自分がひとりの人間であることを確認させてくれる唯一と言っていい日だった。
「・・・昔に思いを馳せたとて、何も変わりはしないというのに・・」
ジュリアスはそう呟いて、もう一度、その花を光に透かして見た。
*****
ずっと欲しかったものを手に入れる寸前に、手放してしまった―――1年前の誕生日。
崩壊の一途を辿っていた宇宙、毎夜消えて行く星々、あの頃のジュリアスは、塞いでも塞ぎきれない綻びを必死に食い止めるので精一杯だった。
あの日も、青い水の星がその命を終えた。僅かな時を待てば、若い宇宙でその命を長らえることができたはずの多くの星が、その時を待てずして散ってしまう、そんな時期だった。
「う、嘘です・・あの星は、私が・・」
リュミエールが信じられないという顔をして、首を振った。
青い水の星――β−6、宇宙空間の中でも、比較的新しいこの星は、水のサクリアの需要率が高く、リュミエールが故郷の星と重ねて慈しんだ惑星だった。
「リュミエール、そなたも守護聖なら、現実を受け止めよ。あの星が消えねば、β星系に災いが及んだのだ。」
「ですが、あの星は、あのように美しく、住む民は豊かで心優しく・・」
「それでも、あの星は限界だったのだ。」
ジュリアスは今日何度か口にしたその言葉を告げた。
「それなら!何故、消滅させる前に、私にお教え下さらなかったのですか?」
「リュミエール、もう、終わったことだ。そなたは他にすべきことのために職を全うせよ。」
「ジュリアス様・・」
リュミエールの嘆きの言葉に、これ以上言うことはないという顔をしたジュリアスは、夜空に向けて開け放たれた窓際に立った。
もう、宇宙の崩壊を止めることは誰も出来ない、今はただ新しい女王とその力に期待するだけである。それでも、人命を最優先にジュリアスは最後の瞬間まで試行錯誤を続ける。それでも、いくつかの犠牲を出してしまうことは、宇宙に何万もの星があることからすればやむを得ないことだと言わざる得ない。もちろん、それをジュリアスは良しとも許しもしていないけれど。
背中で風の起こったのを感じた。部屋の中に誰かが入ってくる、今度は何が起こったのか?どの星が消えたのか・・ジュリアスは、瞳を閉じ、聞こえてくるはずの知らせを待った。
「皆がおまえのように生きられるわけではない・・」
感情の見えない低い声。
「クラヴィス!」
決して聞き違えることのない声に振り向いたジュリアスの視界に、リュミエールに「行け」と目で告げるクラヴィスの姿が入る。
リュミエールは、ジュリアスとクラヴィスに向かって、深く一礼をしてから、静かに部屋を出て行った。
会いたくない時に来る・・
重い扉が完全に閉まるのを見てから、ジュリアスは射るような蒼い瞳をクラヴィスに向けた。
「何のようだ?」
怒りを含んだジュリアスの声に、クラヴィスは薄い笑みを浮かべた。
「何が可笑しい?」
眉を寄せて、苛立つジュリアスに、クラヴィスはもう一度微笑む。
「フッ、その様子では忘れているようだな・・」
「何が言いたいのだ、はっきり言え。」
ふたりでも広過ぎる部屋にジュリアスの声が響きわたる。
クラヴィスは小さく息をつき、憐れむような瞳で、ジュリアスを見つめた。
「哀れなことだ・・自らの生誕日も忘れ、あくまでも守護聖として生きるか、ジュリアス。」
生誕日・・ジュリアスの眉が訝しげに寄せられ、そして、クラヴィスに青く鋭い視線を向けた。
「生誕日など、そのような私事に構っていられる程、暇ではないのはそなたも分かっている筈だ。」
「新しいものを産み出す時には、痛みも犠牲も伴うもの・・」
こうやって、いつもクラヴィスは、ジュリアスの心にさざなみを立てる。ジュリアスが言い訳にしたくて、それでも決して口にできない言葉をたやすく口にする。
いっそ、罵ってくれた方がいい、そなたの手を振り切ってまで選んだ守護聖としての生き方を持ってしても、宇宙を救えない私を・・
「一体何が言いたい・・私に一体何を望むというのか」
ジュリアスは、吐き捨てるように言った。
クラヴィスは、その深い闇色をした瞳で、ジュリアスを見つめながら、唇を噛むジュリアスをいきなり抱き寄せた。
一瞬、呼吸が止まる、忘れかけていたぬくもりが、微かな白檀の香りが、ジュリアスの胸を締め付ける。
「・・今日くらい…」
クラヴィスが、耳に囁いた言葉に、我に返ったジュリアスがその腕を強くはらう。
「な、何を・・」
ジュリアスの問いに、クラヴィスは呟くように言う。
「人はそのように生まれしもの・・」
泣けばよい・・今日くらい泣けばよい、クラヴィスはジュリアスにそう告げた。
「そのようなこと・・」
できるわけがない・・声にならない言葉をジュリアスの顔から読み取ったクラヴィスは、呆れたように微笑んだ。
昔に比べて、少し線の細くなった頬にクラヴィスはそっと指先で触れ、ジュリアスが口を開く前に、踵を返した。
すこしずつ、ゆっくりとそれでも確実に離れて行くクラヴィスの後姿。
ここで、縋れば、そなたはこの震える肩を抱いてくれるのだろうか、名前を呼べば、振り向いて、仕方ないなと昔のように、微笑んでくれるのだろうか。戻れるのだろうか、昔のように・・
ジュリアスの白い手が、そっと上がった、唇がその名前を綴りかけた。その時・・別の声が、聞こえた。
「ジュリアス様、研究院から至急の知らせが参りました。」
オスカーが書類を握り締めて、扉を入ってきたのとクラヴィスが部屋を出て行くのが重なる。
クラヴィスが小さく振り向いたような気がしたけれど、それはオスカーの影に隠れ、見えなくなった。
もう、戻れない――ジュリアスは上げかげたその手でオスカーの書類を受け取った。
*****
そう、何も、何も変わりはしない、緩やかに流れて行く聖地での日々、女王が代わり、宇宙に平和が訪れても、首座として守護聖としての職務を全うすることが私に与えられた生き方。
宇宙に平穏が戻り、聖地に静かさが戻っても何ひとつ変わらない。
オリヴィエやオスカーが誕生パーテイを開いてくれるというのを丁寧に断って、ジュリアスは自分の館に戻っていた。
私室のテーブルの上には、館の使用人たちが、誕生日を迎えた主人のために、用意したその瞳と同じ色をした極上の酒。
ジュリアスは、ワイングラスにその蒼い酒を注ぎながら、小さなため息をつく。
「これが私の望んだことだ・・」
新しい女王のもと、宇宙は活気にあふれ、平和で穏やかな日々。これ以上、何を望むことがあるのか、ジュリアス。と、誰かの声が聞こえる。
そうだ、これ以上、何も望むものなどない、望んではいけないのだと、ジュリアスは自分に言い聞かせる。
もう、戻らない、決して、戻れない・・
グラスの中に、自分の影が映り、それがやがて滲む。
涙など、遥か昔に涸れ失せたと思っていたが・・とジュリアスは落ちる涙を掬いながら、小さく声を立てて笑った。
「何を笑う・・」
ジュリアスは、弾かれるようにその声に振り向いた。
「こたびは覚えているようだな・・」
闇に溶けこむような、それでもその姿が、闇の淵に沈んでしまっても見誤ることのない愛しい恋人の姿をジュリアスは目にする。
「クラヴィス・・」
ジュリアスの見開かれた美しい蒼い瞳が濡れているのを、クラヴィスは視界に入れて、「何という顔をしている」と哀しげな微笑を見せた。
「渡しそびれていた贈り物だ・・」
クラヴィスは、ジュリアスの後ろから腕を回して、金色の髪を自分の胸に押し付けるように抱きしめた。
微かな鼓動が、ジュリアスの耳に届く、これが
「泣けばいい・・今宵くらい・・生まれた日と同じように・・」
クラヴィスの言葉を聞きながら、ジュリアスは思った。どうして、いつも私が欲しいものを、そして欲しい言葉をクラヴィスは私に与えてくれるのだろう。
子供のように震える肩をクラヴィスはいつまでも抱いていた。この部屋を一歩出れば、首座という逃れきれない責務が待っているこの不器用で愛しい者。せめてこの腕のなかだけでも人として泣けることができるのならば・・と。
H
Happy birthday Julious
せめて今宵だけでも
泣けばいい・・おまえが生まれたあの日のように・・・