決別

「・・そうか、今日は雨の日だったな・・」

ジュリアスは自分の執務室の窓越しに、どんよりとした空を見上げた。ジュリアスは雨の日が嫌いだった。雨の音も雨の匂いも自分の胸を締め付けるから。わけもなく自分を不安にさせるから。ジュリアスは男にしては細すぎる体をその腕で抱きしめた。

「・・さま?ジュリアス・・さま?」

遠くで自分の名前を呼ばれた気がして、ジュリアスは我にかえる。

「あ、ああ、オスカー、すまない。この調査結果だったな。」

「御気分でもお悪いのではないですか?」

「いや、大事無い。急に雨の音がしたので、驚いただけだ。それより、オスカー、今日はもういい。」

暗に帰れとジュリアスが言っているのを察したオスカーは一瞬怪訝そうな瞳を見せたが、それきり背中を見せてしまったジュリアスに拒絶の色を見つけると、広げていた書類を手早く重ね、部屋を静かに出て行った。

しんと静まり返った光の執務室でジュリアスは瞳を閉じた。

いつから雨がこんなに嫌いになったのだろう・・ジュリアスにはどうしても思い出せなかった。

☆☆☆

ジュリアスは変わってしまった。いや、変わってしまったのはジュリアスだけではない、クラヴィスもそして他の守護聖たちも変わってしまった。守護聖達は、ふたりを腫れ物に触るように扱った。なるだけ二人を近づけないようにした、それはクラヴィスが辛い思いをするのではないかと案じた皆の気遣いだったかもしれない。クラヴィスには星見や占いという、闇の守護聖以外の仕事が迫られ、昼と夜、ふたりの生活に接点はなくなってしまい、執務以外で顔を合わせることはほとんどなくなっていた。

ジュリアスは、守護聖の仕事に没頭した。子供の頃の優しい思い出をなくしたジュリアスは、ただ宇宙のため、女王のために自分を捧げる事こそ、自分に与えられた使命だと思っていたようだった。与えられた首座という地位は、ジュリアスに立ち止まることを許さない。

見た目は静かで穏やかな聖地は、誰もが胸に秘めた言いようのない思いを抱えてゆっくりと時を刻んでいった。ジュリアスがどうしても気になって、クラヴィスは何度か光の館へ様子を見に行った事もあった。ふたりしか知らない抜け道から邸に入り、ジュリアスの部屋を覗く。時折顰められる眉、傾げる首、落される視線、それは美しく、以前のジュリアスのままであったけれど、ジュリアスは笑わなくなった。正確には、笑うような出来事がないと言った方がいいのであろうか。もう、クラヴィスの大好きだったあの輝く笑顔は、永遠に帰ってこないのだとクラヴィスは悟った。

「許さない。」

とクラヴィスは思った。ジュリアスからあの笑顔を奪った者、クラヴィスからジュリアスを奪った者は、この聖地であり、守護聖たちだ。

「守護聖も聖地も大嫌いだ・・。」

そう思わなければ、クラヴィスは生きることができなかった。そして、その昏い思いはクラヴィスからも笑顔を奪っていったのであった。

時はただ静かに流れ、やがて、ひとり、またひとりと守護聖達はその座を降りて行った。幼いクラヴィスとジュリアスを知るものは、女王と補佐官の他はもう一人もいない。クラヴィスはジュリアスを避けていた、彼の金色の髪や蒼い瞳が優しい想い出を彼に突きつけるから。顔を合わせることになるはずの合議や式典も避けきれるだけ避けた。彼の思いを知る補佐官と女王はそれを黙認し、他の守護聖たちはそれに準じた、一人理由を知らないジュリアスだけが、彼をなじった。

「守護聖としての自覚がない。」と。

宇宙とふたりを見守りつづけた女王の力に衰えが見られはじめ、ふたりの女王候補が聖地に招かれた。そのひとり、金色の髪のよく笑う少女がクラヴィスに恋をした。

「私は、女王の座より、クラヴィス様と共に歩むことを選びたいのです。」

少女は、クラヴィスにそう告げた。金色の髪がクラヴィスの心を苛む。もう一度、あの優しい日々に帰れるのなら・・クラヴィスはジュリアスを思う。

「こんな思いもこれで終いだ。」

クラヴィスが、その少女の手を取ることを決めたその日、待ち合わせの場所に現われたのは、他ならぬジュリアスだった。

「・・ジュリアス?」

驚くクラヴィスに、蒼い瞳は冷たく突き刺さる。

「そなたは、守護聖という座を何と心得ておる?女王候補と個人的に通じるなど言語道断。そなたは守護聖の座を捨てるつもりか!?」

ジュリアスの激しい言葉を聞きながら、クラヴィスは血の滲むほど唇を噛んだ。

おまえは、何も判っていない、一瞬クラヴィスの紫の瞳が悲しい色を映し、彼は唇をもう1度噛んだ。

「守護聖の地位など捨てれるものなら、とうに捨てている・・」

クラヴィスの言葉に、ジュリアスの瞳が大きく見開かれた。信じられないという顔をして、クラヴィスを見据えた。その様子を瞳の端で捉えたクラヴィスの薄い唇の端が上がる。

「フッ・・怒りのあまり、声も出ないか?女王の忠実な僕、光の守護聖ジュリアス!私はおまえのようにはなれない!私はおまえが嫌いだ!」

堰をきったように流れるクラヴィスの冷たい言葉。

「ク、クラヴィス・・」

名前を呼ぶのがジュリアスにはやっとだったのかもしれない。ジュリアスの蒼い瞳が揺れ、唇が震えるのをどこか遠くのものを見るようにクラヴィスは尚も残酷な言葉を続ける。

「ああ、安心しろ、あの娘を本気で好きだったわけではない。女王にでも何にでもしてやるが良かろう。」

それは、ある意味真実だった。金色の髪におまえを重ねた、あの笑顔に遠い日のおまえを重ねていた、クラヴィスは、心の中でそう言うと、呆然としているジュリアスに背を向けた。幾度か自分の名前を呼ばれた気がしたが、彼は1度も振り向かず足早にその場を去った。

「おまえは、何もわかっていない。」

クラヴィスは自分自身にも聞こえない小さな声で言った。

ひとり残されたジュリアスは呆然とした。

「あんなに・・あんなに私は嫌われていたのか・・」

首を小さく振った。

好かれているとは心の片隅にも思っていなかった。けれど、あんなに嫌われているとも。合議にも式典にもほとんど顔を出さないクラヴィス、ふたりには女王の両翼という言葉以外共通点はなかったけれど、仕事の上でクラヴィスが過ちを犯すことはなかったし、強大な闇のサクリアを操り、人々に安らぎを与える彼の存在を心強く思っていた自分もいたことをジュリアスは今更ながら気づく。

時折、見かけた彼の穏やかな顔、それは庭園に咲く花や森の動物たちに向けられたものであったが、ジュリアスはそんな彼の姿を見つけるのが好きだった。たとえ、それが自分に向けられたものではないとしても。

私達は、幼い頃を共に過ごしてきたはずだが、ふたりで笑いあった記憶はない。でもいつの日か、違った形で向き合えるそんな日が来るのではないかと願っていたのに。

女王候補のひとりと親しいと聞いた。「クラヴィスはもう幸せになってもいい頃です。」と補佐官が言ったと聞いた。自分の見たこともないクラヴィスの笑顔が誰かのものになる、それがたまらなく嫌だった。思わず詰め寄り、ひどいことを言ってしまった。

頬が濡れるのを感じる、悲しいわけではない、失望しただけだとジュリアスは自分に言って聞かせる。いつのまにかあたりは薄暗くなって、水際に立つジュリアスを夕闇だけが見ていた。

「早く夜になればいい・・明日になればすべて終わる。」

次の朝、新しい女王が立ち、補佐官が立った。

宇宙は新しい活気に満ち溢れ、聖地に新しい風が吹いた。

そして、クラヴィスとジュリアスの想い出を知る者はもう誰もいなくなった。