追憶

邸に帰ったルヴァは、食事もとらずに私室にかけこみ、鞄からそれを取り出す。ルヴァが見つけたのは先代の地の守護聖の日記。おそらく彼が聖地を出る際に執務室の本棚に残していったものだろう。ルヴァは先ほど指を止めたあたりをもう1度読み探す。

5月8日

今日の茶会で、ふたりの悪戯ぶりが話題になる。緑の館で、やっと咲かせたばかりの花を摘んで、遊んでいたとか。叱ろうとしたが、あんまり花冠が二人に似合っていたので、叱る気が失せたとか。私も見てみたかったな。しかし、どちらが姫だったろう。

6月30日

今日は朝から、幼い二人がいなくなったと大騒ぎ。手分けをして探す。昨日からの雨ですっかり水かさの増した湖で、ふたりが泳いでいるところを発見。自分もびしょ濡れのくせに、クラヴィスの濡れた髪を拭いてやるジュリアス。なかなか世話好きなようだ。

8月23日

ジュリアスが風邪をひいた。昨夜からの流星雨をどうやら徹夜で見ていたらしい。クラヴィスが心配そうに付き添っているが、時折くしゃみをしている。明日はクラヴィスが寝こまねばよいが。

11月1日

ジュリアスがやってくる。クラヴィスの誕生日になにか贈りたいがクラヴィスが欲しい物を言わないので困っていると言う。おまえが仲良くしてやるのが、 1番だと言うとジュリアスが赤くなる。人生ではじめてできた友達だ、ずっと大切にしてほしい。

  

「クラヴィスとジュリアスはとても仲が良かったのですね。今からでは、とても考えられませんが。」

ルヴァはうんうんと頷きながら、遠い日のふたりの子供時代を想像して笑みを浮かべた。やんちゃで美しい少年守護聖を、他の守護聖達がどれだけ愛しんでいたか想像に難くない。

しかし、この記述を境にその日記は空白のページが続く。

25

ジュリアスに記憶の注入。私も共犯になった。

219

痛々しくて、クラヴィスを見ることができない。地の守護聖の力などこんな時何の役にも立たない。

9月22日

サクリアの衰えを感じる。願わくはふたりをもう少し見守ってやりたかった。

1026

新しい地の守護聖が来た。聡明で優しい瞳をした少年だ。

1030

私は明日聖地を去る。

この日記はここに残しておこう。クラヴィスとジュリアスが二人で過ごした優しい時間。誰が忘れても私は忘れないだろう。彼らは聖地というある意味退屈で残酷な場所に一陣の爽やかな風を運んできた。しかし、聖地という場所も守護聖という立場も彼らにその報いを施してはやれなかった。

新しい地の守護聖、ルヴァ、おまえがもしもこの日記を読むことがあったら、おまえだけは知っておいてくれ。彼らはこんな少年時代を送ってきたのだ。少なくともあの日までは、ふたりは決して不幸ではなかったと。これから、守護聖として過ごす長い時間の中で、彼らは多くのものを学び、しかし失わずにすむはずのものを逆に喪失していくことになるだろう。

ルヴァ、おまえならきっと分かるはずだ。もしも、今、ふたりが不幸ならば、助けてやってほしい。

それが私の最後の願いだ。

その筆跡は、記憶の片隅にあっても決して忘れることのできない前地の守護聖の温かな笑顔を思い出させるものであった。ルヴァはぱたりと日記を閉じた。

記憶の注入とは、人が何年もかかって学んでいく知識を一気にその対象者に植え付けるものである。父王の突然の死によって王位についた少年王、神託を受けて突然択ばれた国の執政官などに、その知識がないと国の運営や民の生活に多大な支障が生まれると思われる場合に行われる記憶処理のことである。知識だけを植え付けるので、通常日常生活に支障はでない。ただ急に覚えた知識をコントロールできる環境を要するので、これは女王裁断の重要事項である。ルヴァは険しい顔をした。

何らかの理由によって、ジュリアスに記憶処理が行われ、それはクラヴィスにとって好ましくない状況を生んだ。考えられることはひとつ。ジュリアスがある日記憶を失った、その中には守護聖の仕事、宇宙の運営に関わるすべてが含まれていた。何年もかけて培ってきたその知識を同じ年月をかけて学ぶことは守護聖の首座の座が待たない。しかも、ジュリアス達が少年の時代に、この宇宙は極度の崩壊を始めたのではなかったか。ルヴァが予想する通りであるなら、聖地はジュリアスに記憶の注入を行ったはずだ。いやしかし、とルヴァは思う。人間は知識だけでは生きられない、経験や感情があってこそ、その知識を有効に使用することができるのである。

ルヴァはこのとき初めてジュリアスという人間がわかったような気がした。彼は記憶を忘れるまでの想い出を失っている、それは父母の想い出だったり、そしてクラヴィスとの想い出だったりに違いない。そして、ジュリアスはそれを全部失って、その代わりに守護聖として知らねばならない知識を植え込まれたのである。

ルヴァには守護聖になる前に砂漠の星で、家族と共に過ごした安らかな想い出がある。それは今でも鮮やかにルヴァの心の1番大切な場所にある。 2度とあの日に帰れなくてもそれは決して消えることのない宝物だ。それが守護聖としての今のルヴァを支えていると言ってもいい。ジュリアスにはそれがない。

ルヴァは思い出す。以前、ジュリアスに彼の両親の写真を見せて貰ったことがあった。彼の生家は、主星の大貴族でもう何人も守護聖を輩出している名家だと噂に聞いたことがあった。写真に映った二人は、ジュリアスに似た美しい金色の髪を持った母親と真っ青な瞳を持った父親。父親の優しそうな笑顔は母親の抱く子供に向けられていた。ジュリアスがどんなに愛されていたのか、その 1枚の写真は如実に物語っていた。

「私には幼い頃の思い出がない。あるのは、この写真 1枚きりだ。」

ジュリアスがたいして感傷的でもなく、言い放ったのをルヴァは思い出す。あの時は、この人は強い人だと少し呆れたけれど。

彼が時にあれほど厳格に、守護聖としての任務や使命をを口にするのは、彼はひとりの人間である前に守護聖であったから。そうとしか生きられなかったから。ルヴァは今、それを思い知る。

「ジュリアス、あなたという人は・・なんて哀しい。」

ルヴァは聖地に来て初めて泣いた。

☆☆☆☆

ルヴァは迷っていた。クラヴィスにこのことを話すべきかどうか・・

ジュリアスに少し遅れて、やはり幼い守護聖になったクラヴィスにとって、たったひとりの友人であったジュリアス。ある日突然、自分の大切な者が自分を忘れてしまうことほど辛いことはない。自分の推測が確かなら、クラヴィスの聖地嫌いも守護聖嫌いも納得できる。幼いクラヴィスは、ジュリアスを失ったことでその悲しみの矛先を聖地や守護聖に向けたのだ。たぶん、ジュリアスはこのことを知らない。それでは、クラヴィスは?クラヴィスはひとり遠い記憶に苛まれ、今も深い闇の淵に身を委ねているのだろうか?

『ふたりが不幸であるなら助けて欲しい』

やはり、ルヴァはどうしてもクラヴィスに会いたいと思った。

 

見舞いをかねて、訪れた闇の館、クラヴィスはもう起きあがっていてルヴァの訪問を迎えた。

「お加減はいかがですか?」

クラヴィスは小さく頷き、それが本題ではないだろう?というような顔をした。ルヴァは何もかも見透かしたようなクラヴィスの瞳に小さく肩をすくめた。

「読んで頂きたい物があるのです。」

そうきりだして、ルヴァはその日記帳をクラヴィスに手渡した。紫の瞳に、訝しげな色を浮かべたクラヴィスはその頁をぱらぱらとめくる。ルヴァは、落ちつかない様子で闇の邸の部屋の中をきょろきょろと見まわす。厚く引かれたカーテン、少ない調度品、星の光さえ届かぬこの部屋で、この人は何を終りと決めて生きているのだろう・・ふとルヴァはそう思う。

頁をめくる指がさっきからずっと止まっている、ルヴァはちらりとクラヴィスを見た。どこか遠くのものを見つめるような瞳、口元には微かな優しい笑み。でもそれは一瞬のことで、やがてクラヴィスは、ぱたんとそれを閉じるとルヴァにつき返した。

「私にどうせよと?」

痛みと怒りを含んだクラヴィスの言葉がルヴァに向けられた。

「私は誤解していました。あなた方がどうしてあんなにも反発し合うのか、それは光と闇のその持つ性質の違いからだと思っていました。でもそれは違う、あなた方は似すぎているのです。」

ルヴァの顔からはいつもの柔和さがすっかり消えて、クラヴィスに訴えるような必死の瞳を向けている。

「どこまで行っても、光と闇は背中合わせだ。向き合うことはもう我らにはできぬ。」

そう言ったクラヴィスは、その長身をソファに深く沈め、瞳を閉じた。

「ジュリアスは知っているのですか?」

クラヴィスは小さく首をふった。

「教えようとは?」

クラヴィスは紫の瞳を見開くと吐き捨てるように言った。

「言ったところでどうしようもない。知ってあれが楽になるとも思えぬ。」

「でも・・それではあなたが・・」

とルヴァが言いかけると、クラヴィスはそれを遮るように言った。

「私達は終わっている、あの日に・・。」

それから彼は、ルヴァを見つめて、悲しげに微笑んだ。それは諦めに似た様子だったけれど、初めて見た彼の優しい笑顔だった。

「ルヴァ。・・他言無用。」

頼むと、小さく唇が動いた。

  

なんと哀しいふたりだろう

ひとりは優しい想い出をすべて忘れ

守護聖という使命の中でしか生きられないひと

ひとりは生きるための支柱を失い

虚無の闇にその身を委ねようとするひと

長い時の流れの中、変わらず側にいても

ふたりの間には越えられない

壁がある

 

ルヴァは自分の無力さを感じる。私にはどうすることもできない、と唇を小さく噛んだ。やがて、ひとつため息をつくと、ルヴァはいつもの温和な顔に戻った。

「明日の定例会議にはお越しになりますか?」

クラヴィスは何も言わず、薄く笑った。

 それから、まもなく守護聖達に緊急の召集がかかった。

星ひとつ見えない暗い夜、誰もが言い知れぬ想いを抱えていた。