さよならを教えて
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忘れられるような恋なら
さよならを教えて
忘れてしまえるような人なら
さよならを教えて
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それはある土の曜日の午後。ルヴァの邸でのこと。ひとしきり遊んでやって来た風、緑、鋼の少年守護聖3人とたまたまルヴァに本を借りに来たジュリアスという珍しい組み合わせで、小さな茶会が催されることになった。
緑の守護聖マルセルが、大きなため息と共に吐いた言葉が発端だった。
「ああ、デイア様がいなくなって寂しいよね。」
前女王補佐官の名前が出た。彼女は聡明で心優しい美しい女性であった。守護聖と女王のパイプ役という本来の役割だけでなく、守護聖間の潤滑油として彼らにとって何者にも代え難い存在だった。特に若い彼らにとっては、時に姉のようにそしてある時は母のような存在でもあった。新しい女王補佐官のロザリアは彼らと年が近いこともあって、母や姉というよりももっと身近な友達のような存在である。これはこれで宇宙の運営に支障はなく、聖地は平和なのだが、デイアが聖地を去って1ヶ月、姉を懐かしく思う日があっても誰も責められはしないだろう。
そして、お茶の準備をしていた地の守護聖ルヴァの手が止まる。
「そうだ、ほらルヴァ様。このカップ、デイア様、気に入っていらっしゃいましたよね?」
風の守護聖が手にしているカップを皆に見せた。薄い水色のカップに藍色の小花があしらわれたデザイン。彼女はよくそのカップを手にして微笑んでいた。ルヴァははっとして思わず目をそらし、向かいの席のジュリアスをちらりと見た。そう、ルヴァは彼女を愛していた。今も心に小さく残る花の刺にジュリアスは気づいているのだろうか。ジュリアスは何も聞こえていない風に、手にした本をぱらぱらとめくっている。ルヴァはほっと息をついた。
「そうそう、この持ち手のカーブがいいと笑ってらしたね。ああ、僕なんだかデイア様に会いたくなっちゃたよ。」
「そういえば、デイア様の大切にしていたオルゴールって、ゼフェルが直したんだよね。」
「そうそう、あのオルゴール、聖地を出られる時も持って行かれたんだよね。壊れちゃって、諦めてたのに、また聞けて嬉しいって。」
「まあ、あの時は俺もゼフェルを見直したけど・・」
「あ、あのくらいのもんはな。」
いつもは反抗的な態度を見せるゼフェルもその話題となると機嫌が良い。すっかり、3人はデイアがあの時こう言ったとかこんなことがあったとかの話題で盛りあがっている。ほんの1ヶ月前までその場所に座り、微笑んでいた人。幸せにしているはずとルヴァは思う。
「ねえ、ルヴァ様、そのポットもデイア様のお気に入りでしたよねえ?」
マルセルが無邪気に話を振った。急に自分の名前を呼ばれ、気まずさに彼らしくない物言いになった。
「そうでしたかね。」
ルヴァはポットに新しい茶葉を入れながら、言った。照れゆえから慌てて口をついて出た言葉は、いつもの彼らしくない素っ気無いものに聞こえた。しまったとルヴァは内心思ったが、もう遅い。人一番こういうことに敏感な彼の方をちらりと見た。予想に違わず、がたん、椅子を立つ音が聞こえ、鋼の守護聖の大きな声が聞こえた。
「結構、冷たいよなあ〜おっさんも。新しい女王と補佐官が生まれたら、はい、さよならかよ。それが、ついこの前まで一緒に仕事をして来た仲間にたいする態度かよ。これだから、大人はよー。」
ゼフェルの燃えるような瞳が、容赦なくルヴァに突き刺さる。
「だから、嫌いなんだよ、あんた達はさ。俺は絶対そんな大人にはなりたくない。」
「よさぬか!ゼフェル!」
ジュリアスの鋭い声が飛ぶ。ああと思わずルヴァが目を閉じた。
「そなた達は、守護聖としての自覚がまだ足りぬようだ。」
その声にゼフェルの眉が上がる。
「何だってんだよ?」
ルヴァがおろおろとゼフェルに近づき、その両肩に手を置いて座らせようとした。ランデイとマルセルも意外な展開に、眉を顰めて成り行きを見つめている。
「あの〜ジュリアス、私は・・」
ルヴァの言葉をジュリアスの蒼い瞳が無言で制する。ジュリアスは本をぱたりと閉じると、すっと息を吸ってそのよく通る声で告げた。
「そなた達の仕事は、現女王陛下の為に力を使うことだ。そのためには、ロザリアに協力することだ。自分の職務をおろそかにしてはならぬ。」
短い沈黙があった。
「だから、デイアのことは思い出すなって、そう言うのか?」
ゼフェルの声はあきらかに刺をふくんでいた。
「私はそうは言っていない。ただ・・」
「うるさい!」
俯いて小さな声だった。泣いているのかとルヴァはゼフェルの顔を覗きこんだ。
「ゼフェル!?」
「おまえだって、降りる日が来るくせに・・その時は誰も思い出してくれはしないぜ。」
ジュリアスに向き、ゼフェルは椅子を蹴飛ばして、部屋を出て行った。
「ゼフェル!」
ふたりの若い守護聖が顔を見合わせて、ジュリアスとルヴァに一礼をして後を追った。残されたのはルヴァとジュリアスだけ。
「あの、ジュリアス。今の言葉はゼフェルの本心ではなくて・・あの、どう言ったらいいのか・・」
「よいのだ、ルヴァ。わかっている。」
どこか震える声にルヴァは思わずジュリアスの顔を見た。ジュリアスの顔が蒼ざめ、その唇が微かに震えている。そんなジュリアスを見たのは長年つきあったルヴァにとっても初めてである。
「ジュリアス?」
名前を呼ばれて、彼は無理に笑ったように見えた。見る者によっては、どこか冷たくさえ感じるその美しさは、彼の誇りと意志の強さのせいだろうか。ジュリアスは職務に対しては厳格ではあるが決して冷酷ではない、理性的ではあるが冷淡ではない。
しばらく沈黙が続いて、ジュリアスがルヴァにお茶と本の礼を言って邸を出て行く。
その後姿は、いつも凛として憧れるけれども、ルヴァは大きくため息をついた。
「ジュリアス、あなたは、いつも自分だけ、茨の道を択ぶのですね。」
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テラスに向けた大きな窓から、少し強い風が入って、ジュリアスの金糸の髪を揺らす。ふと背後に慣れた気配を感じて、小さく息を吐いた。
「・・今日は、だめだ・・。書類が溜まっているのだ。」
顔も上げないで、後に立っているはずの恋人に言う。予想していた答通りだったという顔をして、クラヴィスは薄い笑みをその唇に浮かべた。
「そのわりには進んでいないようだが?」
クラヴィスは背中から抱くように、ジュリアスの持っていたペンを抜き取り、片手で肩を抱き、もう一方の手でその白い手を握り締めた。
「何をする!」
ジュリアスは体をねじって、その腕から逃れようとした。クラヴィスはすっと力を緩めると、その肩に両手を乗せた。
「今宵は傍にいてくれぬか?」
クラヴィスがジュリアスの首筋にくちづけ、耳元で囁く。どこか切ない響きにジュリアスの心が揺れた。
「・・どうかしたのか?」
「ああ、私とて泣きたい夜もある。」
「なっ・・そなたらしくないことを・・」
苦笑いをして、自分の両手を肩にあるクラヴィスの手に重ねたが、ふいにあることに気づいたジュリアスは、クラヴィスの手を振りほどいて、椅子から立ち上がった。柔らかなジュリアスの髪がクラヴィスの頬をなぞり、抱きとめようとしたクラヴィスをすり抜けて、ジュリアスはソファに深く体を沈めた。
「・・聞いたのであろう?」
「何を?」
あくまでもとぼけるクラヴィスにジュリアスは苛立った。
「ルヴァに!!」
大きな声を上げた。白い指で唇をなぞり、そして、クラヴィスの瞳を上目使いに見上げた。
「私はゼフェルを傷つけてしまった。」
クラヴィスは何も言わずに近づくと、ジュリアスの頬に手をあてた。おまえの方がよほど傷ついた顔をしているとクラヴィスは思った。ジュリアスの心が声を上げて泣いている。血を流しているのはおまえのほうではないかと、クラヴィスは心の中で苦笑いする。
ジュリアスはいつもこうやって乗り越えていたのだ、ひとりの守護聖なら言わずにすむことも首座という立場が時にそれをジュリアスに強要する。しかし、その度に本当のジュリアスが悲鳴を上げる。どうしてそんなこと言うの、そんなことするの、心の中でそのひとつひとつに答えを出し続けてきた。それもたった独りで。
痛ましいな、それでも、それを口にするのはおまえはきっと嫌うのだろう、それなら今はすべてを忘れてしまえとクラヴィスは祈る。クラヴィスはジュリアスの手首をいきなり掴んで立ちあがらせると、その胸にかき抱いた。一瞬、ジュリアスの瞳が抗議の色を見せる。
クラヴィスはそれに気づかないふりをして、その震える唇に、自分の唇を乱暴に重ねた。
隣に眠る恋人の頬にかかる金色の髪をかきあげてやりながら、クラヴィスは昨夜のことを思い出す。年若い守護聖を傷つけてしまったと嘆くジュリアス、実際はおまえの心が悲鳴を上げていた。忘れさせてやりたくて、無理に抱いてしまった。首筋に残る無数のくちづけの跡がクラヴィスの心をも昏くする。
これで、当分おまえは口をきいてはくれまい・・クラヴィスは名残惜しそうに、その白い頬に唇を落とすと苦笑した。
「嫌がられる前に退散するか・・」
クラヴィスは寝台からするりと抜け出ようとした。
「帰るのか・・?」
ジュリアスが背中を向けたまま言った。
起きていたのかと振り向くクラヴィスにジュリアスはこちらを見ようとしない。クラヴィスはため息をつくと、重症だなと思った。一時の快楽で痛みを忘れさせることはできても、クラヴィスには完全にその傷を治すことは出来ない。
「ああ。」
とクラヴィスは答えた。
「そうか・・」
引きとめはしまいと思っていたが、こうあっさり言われるとさすがに辛い。身支度を整え、扉を出て行く瞬間、クラヴィスは呟く。
「待っている。」
ジュリアスの答がないうちに、部屋を出て行く。私達もまだまだだなとクラヴィスは思う。こんな時に、恋人ならもっと優しく労わる言葉のひとつもかけてやれるはず。ひとりで傷を癒そうとするジュリアスとそれを見守るしか出来ない自分。思いを通わせ、体を重ねてもどこか埋められない心の距離がふたりにはある。
「私にも原因はあるが・・」
クラヴィスは、闇の邸へと足を早めた。
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「まいったな・・。」
ジュリアスは手にした書類から目を逸らすと、小さく言った。さっきから同じ所を何度も読んでいる気がする。急な仕事ではない、気を紛らわせるだけのためだ。馬でも走らせようかと思ったが外に出る気もおこらない。気がつくといつもあの言葉を追ってしまっている。
おまえも降りる日が来るくせに・・その時は誰もおまえを思い出さない
ショックだった。頭の片隅にいつも思っていたこと、いつの日かこのサクリアが衰え、聖地を出て行くこと。そんな守護聖を何人もジュリアスは見送ってきた。
次は私かクラヴィスか。それは氷のような冷たい刃の切っ先を喉もとに突きつけられたような恐怖だった。今更、サクリアが永遠に続くことなど願ってはいない、それがこんなにジュリアスを苦しめる理由なんかじゃない。他の誰でもないクラヴィスと永遠の別れ、自分が聖地を離れ、クラヴィスがそこに残る日を思い浮かべてジュリアスは堪らなくせつない気持ちになった。また、おまえを孤独の淵に沈めてしまうのかとジュリアスは思う。クラヴィスに思いを告げられ、初めて朝を共に迎えた日の穏やかなクラヴィスの微笑みがふいに甦える。彼は言った。「おまえが私を救ってくれた。」と。いや、違うとジュリアスは首を振った。救われたのは私の方だったのだ、クラヴィスに思いを告げられた時、堪らなく嬉しかったのは自分だった。それなのに、いつもクラヴィスの思いを叶えてやったような顔をして、無理に抱かれるふりをする。
昨夜もそうだ。何も言わない私に彼は、何も聞かずただぬくもりを与えてくれた。愛していると何度囁かれただろう、私の名前を何度せつなく呼んだろう、ジュリアスは瞳を閉じる。熱い波にさらわれて、その後たしかに訪れた安らかな眠り。昨夜、クラヴィスが来てくれなかったら、後悔と恐怖で一睡もできなかったはずだ。そんなクラヴィスを素っ気無い態度で帰してしまった自分がとても腹立たしい。
「忘れられても仕方ないな・・このように冷たい恋人では・・」
ジュリアスはもう1度書類に目を落とした。そこには闇の守護聖の流麗でしかも癖のあるサインがあった。ジュリアスはその文字を愛しそうに指でなぞった。
「待っている。」
クラヴィスの低い声が聞こえたような気がした。
「ルヴァ・・か?」
クラヴィスは自室の部屋で、カードを切っていた。
「すみません、お邪魔でしたか?」
申し訳なさそうな顔をする地の守護聖にクラヴィスは小さく首を振る。
「いや、いい。どうせ、手持ち無沙汰だ。」
手馴れた動作でカードを重ねると、皮のケースにしまう。ソファに座りなおし、クラヴィスが長い指で前髪をかきあげると白檀の香りが微かにルヴァに届く。それは、どこか官能的な姿にも見えて、ルヴァは思わず息を呑んで向かいのソファに座る。
「・・あれのことか?」
「・・ええ、気になって。もとはと言えば、私のせいですし。」
昨日、ルヴァはクラヴィスに、昼間の出来事を話した。ジュリアスがひどく傷ついていることは、ルヴァには分かり過ぎるほど分かっていた。しかし、同時にそれを知っても何も出来ない自分も。けれど、彼が一瞬見せた哀しい笑顔が忘れられなくて、たまらず、クラヴィスに相談をした。クラヴィスならば、ジュリアスの傷を少しでもいやしてくれるのではないかと考えた末の結論だった。話を聞いた後、「面倒なことだ。」とクラヴィスはひとこと言った。それは、クラヴィスが、ジュリアスに何かするということが面倒だと言うわけでなく、その出来事がジュリアスにとって面倒であるとクラヴィスは言ったのである。そして、少し考えたクラヴィスが、「私にできそうなことも、ないことはない・・」そう言って、クラヴィスはルヴァに紫の瞳を向けたのだった。
「おまえが気にやむことはない。」
クラヴィスは、立ちあがり、近くのキャビネットに向かうと、お茶の準備を始めた。ルヴァに背中を向けたまま、話しはじめる。表情はルヴァには見えない。
「あれは、ゼフェルに言われたことより、自分が言ったことを後悔しているようであった。」
「そうなんですか?」
ルヴァが意外そうな声を上げる。クラヴィスは薄く笑うと、紅茶の入ったカップをルヴァの前に置いた。
「ああ、だからゼフェルにもそう言うがいい。」
「え?」
「ゼフェルが気にやんでいるのであろう?」
クラヴィスがカップに口をつけながら、言う。この人に、隠し事は出来ないとルヴァは肩をすくめた。今朝早くゼフェルがルヴァを訪ねた、眠れなかったのだろう、ひどく青白い顔をしていた。ジュリアスにひどいことを言った、あんなつもりではなかったと途切れ途切れにルヴァに話す。意地っ張りで、その反面人いちばん傷つきやすく、自分の口にした言葉にさえ傷つく。聖地が嫌いだと、守護聖になんてなりたくてなった訳ではないと臆面もなく言う彼は、守護聖の中で一番人間らしいと言えるかもしれない。彼は、ある意味ルヴァから見ても、ジュリアスとクラヴィスによく似ていた。実際、聖地と守護聖嫌いは私の十八番だったがなとクラヴィスはゼフェルを見ると思い、ジュリアスはゼフェルの言葉に昔のクラヴィスを重ね、放っておけない気持ちになる。
何も言えないルヴァにクラヴィスが微笑みを向ける。
「あれとゼフェルはよく似ている・・。」
「そうですか?私はむしろあなたの方に似ていると思っていましたが・・」
クラヴィスがもう1度小さく笑った。
「フッ・・そうか・・それなら尚のことあれが口うるさく言うはずだ。」
その言葉に思わず、ルヴァも笑みが零れる。こんなふうにあなたと笑ってジュリアスの話ができる日が来るなんて、思ってもいなかったとルヴァは心の中で呟いて、カップに口をつけた。ジュリアスがクラヴィスと長い葛藤の末、何かしらふたりでそれに決着をつけたことをルヴァは知っていた。だからこそ、クラヴィスにこの件を話したのだ。ジュリアスもクラヴィスも日常何も以前と変わりはしないけれど、ジュリアスの蒼い瞳が以前に増して輝き、宇宙の行く道を導くこと。その彼の背中を振り向けば、声が届く距離で、いつも見つめているクラヴィス。分かり合っている、そんな言葉がルヴァの頭をかすめる。嫉妬ではない、憧れであり、友人として大きな喜びだった。
「ふう〜あなた達には適いませんね。・・ゼフェルには折を見て、ジュリアスに謝らせましょう。」
大きく溜息をついたルヴァの言葉に、クラヴィスは黙って頷いた。
ルヴァが部屋を辞したあと、クラヴィスはまたカードを操る。
「さあ、ジュリアス、おまえはどうけりをつける・・?」
最後のカードをめくろうとして指をとめ、薄く微笑んだクラヴィスはその並べたカードをバサリと崩した。
コン・・ 1度だけのノックの音。近づいてくる度、零れ落ちていく光の粒子を瞳の端で捕らえながら、クラヴィスは一瞬満足そうに微笑んだ。
微かな灯のともる薄暗い部屋、星を眺めるクラヴィスの背中から、数歩離れた所でジュリアスは立ち止まった。
「・・どうした・・?眠れぬのか?」
クラヴィスが振り向きざまに問う。
「ああ、明日が来るのが、少し・・怖い・・」
少し俯いたジュリアスの表情は見えない。
「ゼフェルに会うのがか?」
わざと煽るようにクラヴィスは聞く。
「違う!!私は今でも当たり前のことを言ったと思っている。今はまだ新しい陛下と補佐官に常以上の心を割かねばならぬのだ。その守護聖が、昔の補佐官に会いたいなどと言って、お心を乱すようなことになれば・・いや、私は女王やロザリアがそんな心の狭い人間だと思ってはいない。ただ、こんな今だからこそ、私達が御守りせねばならぬのだ。だが・・もう少し言い方があったのではないかとも思う。だから、ゼフェルとは明日もう1度話したいと思う。」
クラヴィスが頷いて、薄く笑う。おまえらしい答えだと・・
「それでは、どうして明日が来るのが怖いのか?」
「私は・・」
ジュリアスが言いよどんだ時、クラヴィスが続けた。
「サクリアを失うのが怖くなった。」
「…!!」
ジュリアスの瞳が大きく見開かれる。クラヴィスがもう1度言う。
「違うのか?」
「そうだ。」
と諦めたようにジュリアスが続けた。
「厳密に言えば、サクリアを失ってからの自分が怖くなった。私は今まで、光の守護聖ということを誇りに思ってきた。そして、そなたが闇の守護聖だということが、私にとってどれだけ大きい支えであったかを私は思い知ったのだ。そなたと共にこの使命をまっとうできれば、他に望むことなどないはずだった。なのに、私は怖くなってしまったのだ。私が守護聖でなくなって、聖地を去る日が来たら、私は忘れられてしまうのではないかと。他の誰でもない、そなたにだ。誰に忘れられようが構わぬ。ただそなたに忘れられてしまうのは堪らぬ。私は明日、サクリアを失ってしまうかも知れぬ、命を落としてしまうかも知れぬ。その後、残ったそなたは私を覚えているだろうか。私はそなたの中で生き続けることができるだろうか。」
クラヴィスが、大きなため息をついて、ジュリアスに向かって一歩踏み出す。
「・・おまえは、本当に面倒な奴だ・・」
そんなクラヴィスの言葉にいつもは怒るジュリアスが今日は同意する。
「ああ、私もそう思っている。」
「・・ジュリアス、それでおまえはどうしたい?」
クラヴィスは静かに問う。
「後悔している・・そなたとこうなってしまったことを・・」
ジュリアスはどこか遠くを見るような瞳でクラヴィスを見た。そんな様子に、クラヴィスは口の端で作った笑顔で返す。
「こんなに苦しい思いをするなら、ひとりの方がずっと楽だったというわけか。」
胸の前で、手を組んだジュリアスは、まるで祈りを捧げるかのようだ。この答えを出すまでに、ジュリアスはどんなに苦しんだのだろう、そして原因は自分なのだとクラヴィスは暗い思いになった。思いを告げたのはやはり誤りであったか、クラヴィスは星明りにも冷たく光る床に目を落とした。
その目の前に光る雫の玉が転がる。それがジュリアスのものだと知ったクラヴィスが驚きの顔を上げた。ジュリアスの涙を初めて見た。おそらく、涙の訳も涙の止めかたも分からないのであろう。必死に堪えようと唇を噛むジュリアスの姿が痛々しい。今更ながらクラヴィスは思う、やはりジュリアスと共に居たい。どんなに厭われても、時に自分がその傷口になっても、たとえ愛されていずとも。
クラヴィスがジュリアスの頬にそっと手を伸ばした。その手が触れると同時にジュリアスは顔を上げた。、
「おまえは、後悔していないのか?」
ジュリアスが俯いたまま聞いてくる。
「ああ、後悔ならおまえとこうなる前にずいぶんしたからな。」
クラヴィスはジュリアスの耳元で低く囁いた。そして、まだ濡れる蒼い瞳を覗きこんで続けた。
「肝心なことを聞いていない。おまえは、私が明日死んだら、もう忘れてしまうのか?」
「そんな薄情な私ではない。」
とあからさまに怒った様子を見せたジュリアスは自分の言葉にはっと気づき、クラヴィスの瞳を見上げる。
「そなたも・・なのか?」
「私はおまえ以上に情け深いからな。」
クラヴィスの紫の瞳が細められる。いつか私達はこの聖地を去る日があるだろう、守護聖でなくなるのかそれとも死なのかそれは分からないけれど、願わくはその時を共に迎えたいと思う。とクラヴィスは小さく付け加えた。
「私もだ。」
とジュリアスが小さく呟き、まわした腕に力をこめる。
「クラヴィス・・愛している。」
ジュリアスが顔を上げてクラヴィスを見上げる。
「・・初めておまえの口から聞いた。」
クラヴィスが驚いたような顔をする。
「そなたが、いつも私より先に言ってしまうから・・」
ふたりの心の小さな距離が埋まって行くそんな瞬間だった。