世界で一番優しい夜

 

「ああ、雨ですね〜」

急に暗くなった外と、微かに聞こえる雨の音にルヴァはふいに顔を上げた。

その日は定められている雨の日。ルヴァの言葉に、広い窓ガラスを流れ落ちていく水の雫を、ジュリアスはどこか遠くを見つめるように見上げた。

 

「クラヴィス達は、今日も戻れないのでしょう?」

「・・ああ、調査が思ったより長引いているらしい。」

ジュリアスの言葉にルヴァはうんうんと頷いた後、ふと思い出したように言った。

「そういえば、今日はクラヴィスの誕生日ではないのですか?」

ルヴァの言葉に、ジュリアスはほんの一瞬躊躇して、そうだったかと静かに答えた。

「そうですよ、まあ、クラヴィスはそんなことは関係ないと言うでしょうがねえ〜」

ルヴァは、笑いながら、手元の本を片付け始めた。

「そうだろうな。」

ジュリアスもまた、ふっと笑顔を見せた。輝く青空を持つその瞳が細められただけで、彼の美貌はずっと柔らかなものになる。

この人は強いひとなのだろうか、哀しいひとなのだろうか、長年付き合ってきたルヴァにも分からない時がある。自分が下界で長い間をかけて学んできた人の温もりや優しさを彼はクラヴィスとふたりで培ってきた。時に互いの心をすり減らすように、傷を嘗め合うように長い時を重ねてきたはずだ。きっと、強い人であるというのも哀しい人であるというのも的を得ているようで、その実、全く違うのだろう。

ルヴァは、ぼんやりと考えていたが、その部屋に、灯りが点され始めたのに気づくと、ふうと息をついた。

「おや、すっかり暗くなっていましたね〜。」

「ああ、世話をかけた。おかげで、陛下にもご報告できる。」

「お役に立ててよかった良かったですよ、ジュリアス。あ、よろしかったら、ご一緒に帰りませんか?」

ルヴァの言葉に、ジュリアスは申し訳なさそうに言った。

「すまない、もう少しやっておきたいことがあるのだ。」

「そうですか。でも、ほどほどに。今は宇宙は平穏なのですからね。」

微笑んだルヴァはそう言ってから、部屋を出て行った。

 

資料室にひとり残ったジュリアスは、手にしていた書類を閉じると立ち上がった。窓の外は先程より強くなったらしい雨音。閉められた上質のカーテンをジュリアスは、そっと開けて外を見下ろす。闇の帳が下ろされた宮殿の中庭に見える白い大理石の屋根、おそらくクラヴィスがこの美しい宮殿の中で唯一好きな場所。幼い頃から、クラヴィスは執務をさぼっては、その東屋で眠っていた。仕方ないなと口にしながらも、探しに行ったジュリアスは、寝入っている彼の黒髪にそっと触れるのが、好きだった。さらさらと指の隙間から零れる艶のある髪を、起こすのも忘れていつまでも見ていた。

ジュリアスは、遠い昔を思い出して、小さく笑った。

「あの頃から、あれは、私に心配ばかりかけている。」

窓ガラスに流れる雨の雫の中に、ぼんやりと浮かぶ金色の自分の影。きっと自分の今の顔は、心もとない顔をしているのだろうと瞳を閉じた。

「クラヴィス・・」

3週間前から、惑星の式典に招かれている彼、現地の時の流れでは3ヶ月は経っている。同行していたゼフェルが、その星の鉱石が、新しいエネルギー源になる可能性があるから調査して戻りたいと言ったのが、滞在が長引いている理由だった。

「こんなに長く離れているのは、初めてだな・・」

とジュリアスは小さく呟いた。

「・・情けないな。」

自嘲気味に笑ったジュリアスは、もう一度ガラス窓に目を向けた。

宮殿に夜遅くまで残って仕事を探す理由は、邸の私室でひとりでいるとクラヴィスのことばかり思うから。淋しいなどという感情をジュリアスは知らなかった、いや持ってはならぬと思っていた。けれど、どんなに抑えても抑えきれぬ想いは毎夜ジュリアスを苛み、それを認めたくないジュリアスと、認めてしまえば自分でなくなるとさえ思っているジュリアスの心は本当の彼を苦しめた。

言葉を交わさなくとも、肌を重ねずとも、そばにいてくれるだけでいい、そんな存在をジュリアスは今、初めて知る。

クラヴィス、そなたはどう思う・・?ジュリアスは祈るように固く瞳を閉じた。

 

「――!!」

突然、重ねられた手のひら、間違えるはずのない声、そして誰とも違う気配。

「・・遅くなった。」

「ど、どうしたのだ、このように遅く・・ゼフェルは?」

目を開けて見つめた窓ガラス、自分の背中に重なる影。

「ゼフェルは邸にそのまま帰した。おまえがきっと、情けない顔をしてここにいるのではないかと思い、ここへ来た。」

「な、情けないなどとっ。」

ジュリアスは、絡められた指先を解いて、窓枠にもたれて、クラヴィスを睨みつけた。波打つ金色の髪、漆黒の闇を背中に立つジュリアスは、昔見たどこかの星の、神の絵のように美しかった。

 

「・・会いたかった。」

クラヴィスは薄く笑って、いまだ抗議の色を見せている金色の恋人に歩み寄ると、その柔らかな髪の中に指を入れ、引き寄せてから白い首筋にそっと口づけた。

「クラヴィス・・」

高鳴る胸の鼓動に、ジュリアスの指先が震えた。こんな場所で、ときめいてしまう自分の気持ちに首を振りながらも、微かに香る白檀の香りを探してしまう。

「・・濡れているではないか・・」

自分の首筋に触れた黒い外套に、水の雫が転がっているのを見て、ジュリアスは眉を寄せた。

「・・大事ない。」

そんなことに答えるのも面倒だとばかりに、クラヴィスはジュリアスを抱きしめた。その腕の強さに、クラヴィスの想いを見せつけられたようで、ジュリアスは体だけではない、胸の息苦しさに必死に抗い続けていた。

このような場所で、落ちるわけにはいかぬ・・ジュリアスの頭の中で激しく警鐘がなった。

「風邪をひくぞ。」

自分を保つつもりで、縋るように見つめる紫の瞳から、逃れるようにジュリアスは床に瞳をそらした。そんな様子にクラヴィスは苛立つように言った。

「つれない奴だな・・久方ぶりに会ったというに。」

冷たい指先がジュリアスの顎を持ち上げた。射るように見つめた視線の先には、言葉とは裏腹にひどく哀しげなクラヴィスの顔があった。

「・・つっ・・」

激しく痛い口づけだった。舌を噛むような、そのままふたりで溶け合うようなそんな口づけだった。クラヴィスの胸を押しのけようとするジュリアスの腕は、かいなくクラヴィスに掴まれた。
――――クラヴィス・・
意識を手放す寸前に、床に転がるのを見たのは、雨の雫だったのか、クラヴィスの涙だったのか。

 

 

気だるさの中で、目をこらせば見慣れた部屋。天蓋の中、隣に眠るクラヴィス。

どうやって邸まで帰ってきたのか、今のジュリアスには思い出せなかった。あのまま、冷たい床に押し倒されたのか、唇を重ねたまま馬車に乗ったのか。

息ができないほどの口づけと吐息の中で重ねた肌の熱さは思い出せても、あれからの自分がわからない。

ジュリアスは、甘く痺れた感覚の中で、ゆっくりと、寝台の上に半身を起こした。

「・・ジュリアス・・言ってくれぬか。淋しかったと・・私を想って淋しかったと・・」

眠っていると思っていたクラヴィスの唇が微かに動く。うわ言のように紡がれる言葉に、今まで聞いたことのない哀しい響きを聞いて、ジュリアスは思わず蒼い瞳を見開いた。

「クラヴィス・・?」

「言って欲しい・・淋しかったと・・」

ジュリアスが覗き込んだクラヴィスの瞳は、固く閉じられていて、微かに動く唇だけが彼が眠っていないことを教える。

私達は、なんと不器用なのだろう――クラヴィスへの想いを仕事でごまかしていた私も、私の気持ちを言葉で確かめたいクラヴィスも。子供のようなクラヴィスがジュリアスはたまらなく愛しかった。

寄せられている眉にそっと指で触れて解いてやる、その頬にそっと唇を落とす。

「淋しかった・・そなたがいないと私は、私でいられぬ。」

そう言った自分の言葉に、クラヴィスは瞳を閉じたまま微笑んだように、ジュリアスには見えた。やがて、安心したような顔で眠りについた彼の黒髪をジュリアスは、昔のようにいつまでも指ですくっていた。


Happy birthday Clavis

夢の中では誰よりも幸せに――

私はいつまでもそばにいるから――

 

 

FIN