せつなさの理由


まだ、青葉に露の残る早朝、

星見の帰り道、

誰も通らぬはずの森の道。

そこが、ふたりの朝駆けのコースであったと、

気づいたのは、馬のひづめの音が近づいてきてからだった。

足を僅かに速めたクラヴィスの頭上から、

「星見の帰りか?」

と聞きなれた声がした。

見上げた先には、

朝の光にも眩しいほどの金の髪をひとつに束ね、

軽やかな乗馬服姿のジュリアス。

見慣れているクラヴィスが

手をかざしてしまったのは

日差しの眩しさのせいか

神々しいまでの美しさのせいなのか。

クラヴィスはため息と共に

「ああ。」と

答えた。

そして、ジュリアスの隣りに控えるように、

それでも

その場所は、自分にしか与えられていない正位置だと

誇示するかのようなひとりの男の影。

オスカーは、クラヴィスと視線が合うと馬を降りようとしたが、

クラヴィスは、それを目で制した。

「おはようございます、クラヴィス様。」

精悍な顔、どこか挑戦的なそのアイスブルーの瞳は、

いつも、クラヴィスの心に微かな波をたてる。

あなたの知らないジュリアス様の時間を

私は知っている――

そうとでも言いたげなオスカーの瞳。

そして、クラヴィスを見下ろして

彼はジュリアスの背中で笑う。

「それでは、ジュリアス様、俺はここで。クラヴィス様、失礼いたします。」

オスカーは丁寧にそう言うと、手綱を手にした。

「はいっ」と掛け声と共に起こった風は、

微かな草の匂い

まるで、自分の存在を

たしかにそこに残して――。

オスカーの背中が遠くなるのを見送ったジュリアスは、

ひらりと小さな風を起こして、

馬から飛び降りた。

いつもは、長衣を着ているせいもあって、

どちらかというと重く静かな身のこなしが多いが、

乗馬服に身を包んだ彼は

行動的でしかも優雅ですらある。

「良いのか・・」

オスカーはと、

続けようとしたクラヴィスに、ジュリアスは、微笑んだ。

「ああ、今日はかなり遠くまで走ったからな・・」

ジュリアスはそう言いながら、馬の腹を軽く撫でた。

それはオスカーに向けた言葉なのか、

馬に言い聞かせたのか

クラヴィスには分からない。

ただ、馬を見るジュリアスの瞳は、

聖殿で見せる冷徹な首座の厳しさは微塵もなく、

柔らかで春の光を集めたようで、

長年、共にいるクラヴィスでさえ滅多にお目にかからない

極上の微笑みだった。

おまえは、馬といる時が1番おまえらしいのだな・・

とクラヴィスはその横顔を見つめながら、そう思う

そして、その時間を共にするのが、自分ではなく、

他ならないオスカーなのだと、

クラヴィスは胸に小さな棘が刺すような痛みを覚える。

おまえはそんな顔を何度オスカーに見せたのだ――

クラヴィスは唇を小さく噛んだ。

ジュリアスとの時間は、会話より沈黙が多い、

名前を呼び合い、まるで互いの言えない傷を癒しあうように、

体を重ねる。

幾度、夜を重ねても、愛の言葉を並べ立てても、

その傷は永遠に癒えることのない

深い痛み。

おまえは、こんな朝の光を背に受けて、

オスカーと笑い合える方が幸せなのではないか・・

言葉にすれば現実になりそうで、

クラヴィスは、口を噤んだ。

「何か、星見で異変でもあったのか?」

黙りこんだままのクラヴィスの顔を覗きこむように

ジュリアスが訊く。

その声にクラヴィスが、微かに首を振った。

「今宵は・・行ってもよいか?」

ジュリアスは、

まるで子供が約束をとりつけるように言った。

弾かれたようにクラヴィスの顔が上がる。

「珍しいな・・おまえから来るなどと・・」

唇に薄い笑みを浮かべながら、クラヴィスはそう言った。

「そうか?」と

ジュリアスもまた薄く笑った。

優しい風がクラヴィスの黒髪を揺らしていく。

若葉が触れ合う音、

小鳥のさえずりの中で、

朝の光に歩むクラヴィスは、息を呑むほど美しい。

ジュリアスは思わずその白皙に笑みを浮かべた。

その身が司る静寂の夜、

星光を背負って立つクラヴィスも

まるで人界のものではないほど心惹かれるけれど。

「日の光も似合うではないか・・」

いつもなら決して言わない言葉をジュリアスは呟いた。

こんな風にふたりで、外を歩くのはいったい何年ぶりだろう――

ジュリアスはどこか心が華やぐような

そんな思いを感じていた。

「おまえの、そんな嬉しそうな顔を・・久しぶりに見たような気がする。」

クラヴィスは複雑な思いでそう言った。

それもオスカーのせいなのか――

「・・ああ・・遠乗りは久しぶりだったからな。

オスカーの乗馬の腕はなかなかのものだ。」

クラヴィスへの想いを隠すはずで

取り繕った言葉が、

はからずもクラヴィスを苛む。

それなら、オスカーと共に――

「そうか・・まだ、間に合う、追ってもよい・・」

とクラヴィスは前を向いたまま

そう言った。

「ん?」

訳が分からないような顔をしたジュリアスは、

足を速めたクラヴィスの肩を掴んだ。

「どういう意味だ?」

あきらかに不機嫌そうな声のジュリアスに、

クラヴィスは首だけ振りかえった。

「オスカーを追ってもよいと言っている!」

「そなたは・・」

驚いたような顔をしたジュリアスが、

突然声をたてて笑い始めた。

笑わない子供だった

クラヴィスもジュリアスも

そして――大人になった

珍しいものを見たような表情で

クラヴィスは眉を寄せる。

「何を笑う・・」

「・・そなた・・妬いているのか・・」

ジュリアスは笑いを堪えながら、

そう言った。

何だと――

憮然とした表情をして、答えないクラヴィスに

ジュリアスは、大きく息をついた。

「私にとって、そなたの代わりは誰もできぬのに・・」

それでも何も言わないクラヴィス。

ジュリアスは少し呆れたように笑った。

「私は変わったと思わぬか・・?」

と、ジュリアスは静かに

告げた。

たしかに、ジュリアスは変わったと思う。

以前、誰かが雷光のようだと喩えた、

瞳をそむけるほどの激しい光は、

降るような星の光に似た優しい輝きを見せるようになった。

いつも側にいるクラヴィスさえも、

他の守護聖さえも驚くほどに。

そして、それは、クラヴィスを不安にさせた。

今よりも、ジュリアスが遠くなってしまいそうで――

怖かった。

私さえ、知っているおまえでいて欲しかった。

 

そして、クラヴィスはようやく気づく。

せつなさの理由

 

「結局・・私はおまえに嫉妬していたのか・・」

クラヴィスは、息を吐きながら、

自分に言い聞かせるように言った。

「私こそ、そなたが気になって

たまらないのに。」

ジュリアスは、クラヴィスの腕にそっと触れて呟いた。

そのぬくもりを感じながら、

クラヴィスは瞳を閉じた。

この手のぬくもりがあればそれでいい、

言葉にすれば終わってしまいそうで、

おまえの背中ばかり追っていた長い夜より、

ずっと。

いつか、すべてから赦されて、

その傷が癒えるまで、私はおまえと共にいよう。

「今宵は星が美しい・・おまえと、星を・・楽しみだな・・」

クラヴィスは、そう言って、

蒼天の空と同じ輝きをする恋人の瞳に、

微笑んだ。

☆☆☆

 

臆病になりそうな心

それはきっと

初めての恋のせい

こんなにも愛している

あなたのせい――

 

END