砂時計の終わるまで
「・・何だ?」
中庭に開け放したままの窓から、聞こえた声にジュリアスは手にしていた書類から顔を上げた。いくら窓を開けていたとしても、防音の施された聖殿で聞こえる程の大声は尋常ではない。
「隣でしょ?さっきルヴァとゼフェルがクラヴィスの部屋へ入って行ったから・・」
美しい桜色に塗られた指先で、書類を重ねていく夢の守護聖の言葉に、ジュリアスは眉を寄せた。
「ゼフェルが?」
「ん、荒れてるからねえ、あの子。自分の故郷の工業惑星帯のことでさ。クラヴィスに何の用かは知らないけれど・・まあ、ルヴァが一緒だから、大丈夫でしょ?」
「ゼフェルは知ったのか?」
「ルヴァとデイアが話してるとこに、出くわしちゃったみたいよ。まあ、遅かれ早かれ知ることになるんだから・・」
オリヴィエの横顔に、ジュリアスは小さく唇を噛んだ。
鋼の守護聖ゼフェルの故郷は工業惑星帯にある。中枢コンピューターの暴走によって、プラントが破壊して、有害物質に汚染され完全封鎖されたことは、年少者と惑星探査中のオスカーとリュミエール以外には昨日ジュリアスから話した。最悪の場合、通常空間から隔離して爆破することも考えなければならないことも。
ゼフェルに話すかどうか、たった今まで迷っていた。守護聖などなりたくなかったと、公言して憚らぬゼフェルに事実を話せば、彼がどういう行動に出るかは容易く予想できる。汚染された惑星帯にのり込み命を落としかねない彼に、いつどう話すべきかジュリアスはずっと思案していた。彼の激しい気性を知りながら、首座としては話すわけなどいかない、けれど何も知らされずに故郷を亡くしてしまうかもしれないゼフェルを哀れに思う心が彼を苛んでいた。
「やはり・・私から話すべきだったか・・」
ジュリアスの思わず口をついて出た言葉は、珍しく後悔を含んだ言葉で、オリヴィエは苦笑いを浮かべた。
「誰が話しても同じだよ。いつもあんたが矢面に立たなくってもいいんだ・・」
「首座は私だ。」
ジュリアスの蒼い瞳に射抜かれるような視線を送られながら、オリヴィエは心の中でため息をつく。
----―-答えになっていないよ、ジュリアス。もう、誰にも止められないこの宇宙の崩壊、毎日どこかで人が泣いている。そのすべてを引き受けようとするあんたは、夢を見なくなって、いったい、幾つの夜を越えたのかい?
そして、オリヴィエが、呆れたような顔をジュリアスに向けかけた時。
ガシャーン!!
窓ガラスの割れる音が耳に届いた同時に、ジュリアスとオリヴィエは光の執務室を飛び出していた。
いつもは暗く仄かな灯りだけがともるその部屋は、割れた窓から差し込む光に常と違う様相を見せていた。黒光りする床の上に散らばるガラスの破片が、差し込む光に美しく輝いていた。
「ゼフェル!なんてことを。」
駆け寄るルヴァを避けて、執務机に頬杖をついているクラヴィスの目の前に、ゼフェルは、机上にあった水晶球を突きつけた。
「さあ、早く占えよ、俺の故郷はどうなるんだ?」
「・・知ってどうする・・」
クラヴィスは抑揚のない声で呟くように言った。
「どうするって・・それは・・」
「ゼフェル・・」
ルヴァが悲愴な顔で首を振った。
「ああ、わかっているさ。知っても何もできないことくらい。だけど、それなら守護聖って何なのかよ。ただ聖地(ここ)から見ているだけなら、守護聖なんていらないんじゃないのか!?クラヴィス、教えろよ。占えよ。自分の故郷がどうなるかくらい教えてくれたっていいだろう?」
「・・星には命数がある。それを占うことはできぬ・・」
あくまでも、感情を見せようとしないクラヴィスの言葉にゼフェルは吐き捨てるように言う。
「けっ、そしてあんただけは全てお見通し、何でも知ってるんだろ?そんな何もかも諦めたような顔をして。あんたのように生きられれば楽だよな、だけど、俺はそうはなりたくないんだ!」
「ゼフェル!」
入ってきたジュリアスの激しい声が響いた。
ジュリアスとオリヴィエの姿を認めたゼフェルは、歯軋りするように唇を噛んでから、踵を返して、部屋を飛び出していった。
「ゼフェル!?」
咄嗟に後を追ったオリヴィエに、ルヴァが続く。
広い部屋に残されたジュリアスとクラヴィスは、暫くの沈黙の後、どちらからともなく瞳を合わせた。言葉を捜し続けるジュリアスの様子にクラヴィスが瞳を細める。
「・・ゼフェルを叱るな・・」
ふいにクラヴィスが言った。
ジュリアスは、暫くクラヴィスの顔を見ていたが、やがて小さく息をついた。
「・・わかっている。あの者に事実を伝えようとしなかったのは私だ。」
結局ゼフェルを追い詰めたのは、自分かもしれないとジュリアスは思った。事実を話し、打開策を話し合うことの方が上策だったと。そうすれば、ゼフェルだけでなく、クラヴィスさえも傷つけることはなかったのだ。
『・・全てお見通し・・何でも知っている・・』
だからこそ、クラヴィスが苦しんだのを知っている。見たくないものを見、聞きたくない声を聞く。目を背け、耳をふさぐことで、クラヴィスが楽になれるのなら、遥か昔に自分がそうしてやっていただろう。
『何もかも諦めたような顔をして・・』
私達は、そうとしか生きることはできなかった。長い守護聖としての時間を、運命という言葉でしか未だ片付けられずにいる。諦めているのはクラヴィスだけではない、自分こそ、いつのまにか諦め、守護聖としてしか生きられない自分に甘んじている。
ゼフェルを羨ましいと思うのは、不謹慎なのだろう、けれど、故郷の星を守ろうと奔走しようと思い、手をこまねいて見ているだけでは守護聖とは言えないと、言い切る彼を眩しくも思う。
いつから、私はあんな瞳を忘れてしまったのだろうと、ジュリアスは先刻のゼフェルの持っていきようのない激しい輝きを宿した紅い瞳を思った。
「おまえがそんな顔をしてどうする・・」
いつのまにか近づいてきたクラヴィスの長い指先が、ジュリアスの頬に触れた。
注がれた紫の眼差しが、いつもよりずっと悲しげに見えて、ジュリアスは、そっと視線を外した。視界に、割れたガラスの破片が光る。その全ての切っ先が自分に向いているような気がした。
「・・・痛いな・・クラヴィス・・」
ジュリアスはそう呟いて、クラヴィスはそうだな・・と薄く笑った。
クラヴィスの声を聞きながら、散らばったガラスの破片の中に、微かに残る血の痕をジュリアスは見つける。ゼフェルの拳もまた痛かったはずだ。
もう、本当にどうすることもできないのか、ひとつずつ失う星の数と共に、自分さえも失っていくような気がジュリアスはした。
突然、クラヴィスが、ジュリアスの衣の袖を強く引いて、執務机の陰に座り込んだ。
「・・なっ・・!?」
乱暴に重ねられた唇の触れた瞬間だけ、ここが執務室であることがジュリアスの脳裏をかすめたけれど、いつになく明るい闇の執務室のせいか、微かに生まれた不安のせいなのか、抵抗も抗議の声も上げずに瞳を閉じた。
深くなっていく口づけと共にクラヴィスに握り締められた肩が痛い、その痛みだけがジュリアスの理性をかろうじて保たせていた。このままふたりで倒れこめば誰に見咎められても、もう構わなくなっていたろう。
「・・何度めか・・このようなこと・・」
ジュリアスは、口づけの合間にそう呟いた。
こうすることでいつも乗り越えてきた。緩やかな時の流れの中でも癒すことの出来ない痛みを私達は、ふたりで越えて来た。誰も知らないその恋は、甘美だけれど切ない。
ゆっくりと、でも確実に流れていく時間はまるで、砂時計のようで、いつかは流れ落ちきるその日をきっと迎えてしまう。宇宙の終わりが先なのか、自分が守護聖でなくなるのが先なのか、それはわからないけれど。
口づけの間もゼフェルの言葉と、崩壊していく宇宙の映像が頭から離れない、どうして私達はこの場所で、この時代に出会ってしまったのだろう。平和で穏やかな時を刻める宇宙の守護聖として出会うことは何故叶わなかったのか。と。決して、口にはできない言葉を紡ぐ。
「時はまだあるようだ・・」
ふいにクラヴィスが唇を離した。自分がふと頭に思い浮かべた砂時計をまるで見透かしたように言うクラヴィスに、ジュリアスは眉を寄せた。しかし、クラヴィスの視線が、机の水晶球を見つめているのに気づいて、瞳を見開いた。
「なんとかなるのか?」
ジュリアスの問いにクラヴィスは小さく頷いた。
「ゼフェルの故郷の星の命数は未だ尽きてはいない・・すぐに研究院から知らせが届く。」
クラヴィスの言葉に、ジュリアスは、小さく息をついた。
まだ、間に合うかもしれない、私達の宇宙は。なりふり構わず、守護聖をするゼフェルのような少年がいれば、宇宙はまだ救われる。そして、その時こそ、クラヴィスとこの時代に出会った意味もおのずからわかるだろう。
この時代にこの場所で出会って、愛し合った意味が。
「・・ゼフェルには私から言おう・・」
ジュリアスは、立ち上がり、そう言ってから、衣服を整えた。その様子を座り込んだまま見ていたクラヴィスが口を開く。
「・・その必要はないようだ・・」
その言葉に、訝しげな顔をするジュリアスの耳に、ノックの音が届く。
「あの〜クラヴィス〜ゼフェルがあなたに謝りたいと・・」
聞こえたルヴァの声に、ジュリアスは苦笑いを浮かべた。
「そのようだな・・」
ジュリアスはそう言って、クラヴィスと瞳を合わせた。
闇の部屋には珍しい暖かな風が吹き込んで、ふたりの髪を攫っていった。
アンジェリーク1巻36ページ辺り参照