|
さよならの手前 心地よい温もりの中で、私は薄く瞳を開ける。まるで子守唄のようにさえ聞こえた規則正しく頁をめくる音は、先ほどからずっと聞こえない。目の前にある白い指先はもうずっと止まったままだ。 「・・アス・・ジュリアス?」 何度目かの私の呼んだ声に、ジュリアスはようやく膝の上にある私の顔を覗きこんだ。 「・・なんだ?」 「何を考えている?」 「・・何も・・本に夢中になっていただけだ・・」 ジュリアスはそう言うと、本の方へと瞳を戻した。そんな様子に、私は小さな笑いを零した。 「・・それにしては先ほどから頁は進んでないようだが・・」 そう言いながら、ジュリアスの手にある革の表紙の本に手を伸ばす。 「・・相変わらずだな・・」 そなたには隠し事ができぬと小さく呟いたジュリアスは、諦めたように本をぱたりと閉じた。冷たい指先が、私の額の髪をかきあげ、まるで子供をあやすかのように私の髪を撫で続けた。こうして無意識に話をはぐらかそうとしているのだと思いながらも、心地よさに危うく眠りに落ちそうになる。こんなにおとなしく私の傍にいる珍しい恋人の姿には、嬉しさよりも不安の方が先立つ。 「・・またつまらぬことで思い悩んでいるのではないか?」 私は、瞳を閉じたままそう呟いた。そして、私の髪に絡ませたジュリアスの指先が一瞬止まる。 「つまらぬことではない。」 言い放ってジュリアスは黙り込んだ。瞳を開けて見上げれば、どこか遠くを見つめるジュリアスの瞳、長いまつげが頬に翳を落として、清冽な美しさに寂しげな優しさが加わるのを、私は言いようのない切なさの中で見つめた。 数日前、私達は突然、この異空間の大陸に飛ばされた。飛ばされたというより呼び集められたという方が近いのか。私達とは別の宇宙の新米女王、補佐官や女王試験の時の協力者などと共に、この謎の大陸で再び見えることになった。私達が、ここに呼ばれたということはそれなりの理由があるのだろうとは思うが、今は見えないものを手探るような毎日で、これと言って私にできることもない。 けれど、人一倍、仕事熱心な我が恋人は、一刻も早く原因の究明をと昼夜違わず、何かしら仕事を見つけては働く毎日、ついにこの土日は、彼の体を心配する女王に仕事休止の命を受けてしまった。何しろ仕事の書類の類は私邸に持ち帰り禁止である。手持ち無沙汰でルヴァから借りた本も、ジュリアスのはやる心を鎮めることはできない。相変わらず苦労性というか・・私はため息をついた。 「・・まったく・・私達ほど働いた守護聖もいまい・・」 3度の女王試験、新宇宙への移行、異宇宙から訪れた皇帝との戦いでは、引き離され、宇宙中を戦い、旅をした。いつもその先陣をきって矢面に立ち続けたおまえに、もうそろそろ安穏な生活をと私が望んだとしてもそれは罪ではなかろう。 「私達だと?そなたがそのようなことを言うのはおかしいと思うが・・」 短い沈黙の後、ジュリアスはそう言って小さく笑った。 「いつまで私達を働かせるつもりだ・・そろそろおまえとゆっくり暮らしたいのだが・・」 ジュリアスの笑顔につられ、私はつい本音を零してしまった。しまったと思った瞬間、ジュリアスの笑顔が消えた。私は瞳を閉じて次の言葉を待った。 「クラヴィス・・いつも言うようだが・・」 そして、予想通りの答えをジュリアスが紡ぎ始めるのを待って私は口を開く。 「わかっている・・私達は明日、守護聖として命を落とすかも知れぬ・・と言うのであろう。」 私は幼い頃から何度ともなく聞いた言葉を続けた。 開けられた窓の外から、湖の波の音が微かに聞こえる。聖地と違いここアルカディアと名づけられた大陸は風が強い。黙っていれば、森の木の葉が触れる音や草のなびく音さえ聞こえる。これが本来の自然の様なのに、心細く思ってしまうのは、厭わしく思いつつも聖地に慣れてしまったせいであろうか。 「風が出てきたな・・窓を閉めるか。」 同じように感じたのか、ジュリアスはそう言って私の顔を手で包んで立ちあがろうとした。 「待て・・もう少し・・このままでいさせてくれ・・」 今はこの温もりを失いたくないから・・と私は心の中で呟き、腕を引いて留めた。私は悲愴な顔をしていたのか、ジュリアスは私の顔を見ると、小さく息を吐いて、座りなおした。私の体をそっと抱えながら、それでも私に退けとは言わない。 ふいに指先が唇に触れた。薄く瞳を開けると、ジュリアスの私を見つめる瞳があった。 「そなたから言われると・・辛い・・」 ジュリアスはそう言った。 「・・ん・・?」 「私はそなたが聖地の門を笑って出て行くのが見たい。」 ジュリアスの言葉に私は笑った。 「ジュリアス、それは自分勝手と言うものだ・・私には守護聖を全うせよと言い、自分は明日死ぬかも知れぬと言うのは、勝手なことだな・・。」 私の言葉に一瞬、ジュリアスは瞳を伏せた。 「ふっ・・それもそうだな。」 瞳を細めたジュリアスの腕を引いて、くちづけをねだった。この温もりが1秒後に消えてしまいそうなそんな不安を打ち消すために。 いつもなら、日の光が眩しい時間は、寄り添うことさえ嫌がるおまえが私の求めるくちづけに応じてくる。それが私に新たな不安を生むことになるなどおまえは思いもしないだろう。 今日にかぎって何故許す?何故私を撥ね退けぬ?日が高いと何故言わぬ? それでも深くなるくちづけは私の体の奥に火をつける。私は体を入れ替えるとジュリアスの胸元に手を滑りこませた。幾度の夜を重ねても決して慣れることはない、これが最後かも知れないと心のどこかでいつも思っていたのはジュリアスだけではなかったから。そして、私達は、その刹那に溺れるふりをいつのまにか身につけていた。 「・・待て・・クラ・・ヴィス・・」 ようやく聞こえた言葉に、微かに残った理性が安堵した。けれどそんな心とは裏腹に、離れかける唇をジュリアスの頭を押さえて留めた。 もっと抵抗してくれ、ジュリアス・・そして、これが最後ではないと私に教えて欲しい。 「クラ・・ヴィス?」 胸を押しのけようとする指先に私は自分の指先を絡める。冷たかった指先が、熱を帯びてくるのがわかる。 「・・もう・・引き返せぬ・・」 自分の掠れた声に苦笑した。それは自分に言い聞かせたのか、ジュリアスに言ったのか私にさえ分からぬけれど。 こんなにも執着できるものか、こんなにも恋というのは切ないものか。 「何も恐れるものなどない、死さえ厭わぬ。だが・・優しいそなただけが私を不安にさせる。」 ジュリアスはそう言った。私達はよく似ている。その心の置き場さえも。 私達の恋は明日終わるかもしれないけれど、この瞬間はそれを忘れて抱き合おう―――― 永遠に続く恋などありはしないのだから。 けれど私とおまえの魂は何度も何度も巡りあうだろう、風の音が聞こえるこのアルカディアの地で―― |
| Fin |