第1章 指先

        ――3年前

 

同じ道を歩けなくても想いは変わらぬけれど・・

 

「・・それで、今宵はどの星だ・・」

クラヴィスはそう言うと、足元に広がる星空を一度見下ろしてから、視線を上げた。

i書類が差し出され、それを一瞥してから、最後の頁にサインをする細い指先。慇懃な態度を崩さない研究員は、それを受け取ってから、深く頭を下げて、重い扉を出て行く。
もう何度も、無言のうちに繰り返されてきた行為。

ここは、立研究院の最奥の間、守護聖といえども入室を厳禁されているその部屋に、許可を得ずに入室できる者がふたりいる。光と闇の筆頭守護聖である。
聖地にあって聖地ではないこの部屋は、聖地の中で唯一、足元に星空を見下ろせる場所。そして、彼らしか持たない力は、星を一瞬にして自爆させ、宇宙空間からその存在を消滅させること。

守護聖と呼ばれるようになってから、彼らは何度もそれをその腕(かいな)で行ってきた。
哀しい能力だと自分を呪ったのは、もう遠い過去、今はそれを行わねば、宇宙の存亡にさえ関ることを、ジュリアスもクラヴィスも分かりすぎるほどに分かっていた。

宇宙空間に浮かぶ、恐ろしいほど美しく、冷たいその部屋の、クラヴィスから少し離れた場所で、ジュリアスは、クラヴィスの表情を追っていた。片時も見落すまいといった風情の彼の蒼い瞳には、無表情のままのクラヴィスの姿があった。

その白い手のひらが、胸の高さまであげられ、それをそっと握りしめた彼はゆっくりと瞳を閉じた。時に人を畏怖させ、魅了するアメジストの瞳が閉じられただけで、彼の顔はずっと哀しげに見える。微かな風が長身の彼の体を包み上げ、夜の空よりも黒い髪を攫っていく、そして次の瞬間、僅かに寄せられた眉。


「・・つっ・」

ジュリアスは、激しい痛みに唇を噛んで耐えた。

もう、なんど同じ場面を見送ってきたのだろう――崩壊の一途を辿る宇宙に持ち堪えられない星々。その星が周囲の星に影響を与える前に消し去るのがジュリアスとクラヴィスの職務。星ひとつ消し去ることに、どれほどの力を要するかは、ジュリアスとクラヴィス、おそらくふたりしか知らない。幼い頃から何度も繰り返してきたその行為は、死にゆく時でさえこれほどではないと思う痛みと、奈落の底に引き擦り込まれるかと思うほどの苦しみをふたりに強いてきた。それは何度行ったとしても、決して慣れることのない深い痛み。とりわけジュリアスは、星の断末魔に発せられる力の作用が、再生のために、光のサクリアを欲することから、クラヴィス以上の耐えがたい痛みに苛まれる。それをジュリアスは、一度も口にしたことはないけれど、クラヴィスだけは、それを知っている。

 手を下ろしたクラヴィスは、ジュリアスの姿に目をやって、小さくため息をついた。

「何故、いつもこのような思いをしてまで、ここに来る・・」

冷たい壁にもたれて、痛みに耐えるジュリアスに、クラヴィスはそう言いながら、近づいてきた。色を失ったジュリアスの顔に、その唇から流れる血を見つけ、触れようとしたクラヴィスの指先を、ジュリアスは強く振り払った。

「大丈夫だ・・。」

「フッ、相変わらず強情だな。だが・・ジュリアス。ここしばらく、星を滅することになる・・少なくともあと9つ・・それにおまえは、耐え得るのか。

抑揚のない口調で、クラヴィスは、わざとジュリアスを煽るように言った。

「そなただけに任せてはおけぬ・・」

手の甲で唇をぬぐったジュリアスの予想通りの答えに、クラヴィスはその秀麗な顔に眉を寄せた。

ことあるごとに何度も言ってきた、星の消滅は、負担の少ない自分ひとりに任せよと。そのたび、言い合いになり、ここまで来た。
しかし、今までとはもう違う――こう頻繁にこのようなことを続ければ、ジュリアスの命に関わることになる。これ以上は何としても止めさせねばならない。クラヴィスは、小さく息をついた。

「どのようなことになるのか分かっているのか・・」

ジュリアスが気づいていないはずがない、それでもクラヴィスは敢えてそれを聞いた。

「そなたとて、無傷ではいられまい・・」

ジュリアスは、クラヴィスの問いには答えずに、そう言ってから、射るような蒼い瞳をクラヴィスに向けた。
たしかに、体の痛みはクラヴィスにもある、それは激痛であるが、ジュリアス程ではない。それを知るからこそ、自分よりも酷い痛みをジュリアスが感じ、衰弱していくのがわかる。傍にいて、手をこまねいて見ている方が、クラヴィスには耐えられないことだった。


女王が統べる宇宙には、いくつもの星系がある。ジュリアスとクラヴィスは守護聖の任についたときから、担当が与えられ、それに従って、星の命運を握ってきた。星にはそれぞれ決められた命数がある。老いた星は、やがて宇宙の煌きの破片となり、生み出された新しい星にその命を繋いでいく。しかし、何億という星の中にはその体系から外れてしまうものも時にはある。それを事前に察知し、宇宙空間から切り離していくのが歴代の光と闇の守護聖の職務であった。
ジュリアスとクラヴィスが、守護聖に選ばれた頃、宇宙はかつてない程の急速の衰えをみせていた。それは宇宙空間そのものが老いてきたと言ってもいいかもしれない、星の体系を保つはずの女王のサクリアは作用しなくなり、それによって崩れた星の体系は、今までにない多くの星を命数を全うさせないまま、切り捨てることをふたりに余儀なくした。
星を滅するその場面を、ふたりは、どちらが担当かに関わらず、共に行ってきた。それが、まるで、ふたりの贖罪でもあるかのように、誰も知らないその時間を共有してきた。
たった一度だけを除いて・・。

衣服を直して、離れて行こうとするジュリアスの腕をクラヴィスは、強く引いて、その胸に掻き抱いた。

「・・クラヴィス!」

「おまえの命が削られていくのを私に黙って見ていよと言うのか!」
クラヴィスは振り絞るような声でそう言った。長年その近くにいたジュリアスでさえ、聞いたことのない叫びに、ジュリアスは驚いたような顔をした。けれど、次の瞬間、流されかけていく自分をも振り切るように大声を上げた。

「・・やめろ!」

ジュリアスは、クラヴィスの胸を強く押しやった。。

「私のことはいい・・そなたは宇宙のことだけ考えよ。」

激しいジュリアスの言葉に、アメジストの瞳が翳る。

「私に、愛する者を目の前で失わせる気か?」
昏い瞳だった、哀しい声音だった。

「・・言うな!」

「ジュリアス・・私は、おまえをまだ・・」
触れかけたクラヴィスの手から逃れるように、ジュリアスはあとずさった。

「言うな!」

ジュリアスは、これ以上聞かぬといった気迫で言い放つと、踵を返して部屋を出て行った。

金色の光の残像が、クラヴィスの瞳の前に、降っていった。一瞬、抱きしめた体は、驚くほど冷たく、クラヴィスの記憶に残るそれより遥かに細かった。

宇宙など、なくなってしまえばいい、星など消えてしまえばいい、あれを苦しめるものなど全てなくなってしまえばいい―――クラヴィスは自分の両の手を強く握り締めた。
足元に広がる星空には、先程葬った星の残光が壮絶なほど美しく、輝いていた

 



「クラヴィス!何故、言わなかった!」

闇の執務室の扉をいつもの彼らしからぬ乱暴に開けると、ジュリアスはクラヴィスに詰め寄った。机に並べたカードをその白い指で弄んでいたクラヴィスは、ジュリアスにちらりと目をやった。
存外気づくのが遅かったなと、クラヴィスは心の中で思う。しかし、ジュリアスのもとに昼夜を言わずひっきりなしに届けられる決裁書は、充分にクラヴィスの企てが成るのを後押ししてくれたようだ。

「・・あの星は私の管轄だったのだ!」
激昂するジュリアスの言葉にも、クラヴィスは聞こえないような顔をして頬杖をついた。

星を消滅させる時は必ずジュリアス、クラヴィスの筆頭ふたりのサインがいる。クラヴィスはそれを研究院に手をまわし、ジュリアスを介さず、ひとりで書類処理、そして星の消滅の実行までを手がけてしまったのである。

 

「クラヴィス!何の真似だと聞いている!?」

「別に・・私のしたいようにしたまでのことだ・・」
片手でカードを並べながら、クラヴィスは答える。

「クラヴィス!」

焦れたジュリアスは、クラヴィスの手からカードを取り上げ、クラヴィスを睨みつけた。薄明かりの中でも美しい紫の瞳は、今ようやくジュリアスの姿を映した。
「答えよ!何故、あのような勝手なことをした。」
ラヴィスは、一度瞳を閉じてから、「本当にわかっていないのか。」と小さく呟いた。

「私の想いは何度も告げたはずだ。おまえを失いたくない・・」
クラヴィスの言葉に、一瞬ジュリアスは言葉を失った。その様子にクラヴィスは薄く笑ってから、息をついた。その様子にクラ
「私の好きなようにするだけだ・・」

「・・守護聖の仕事に私情をはさむなと言っている。」

他人事のようにいうその言葉と裏腹に、そう言ったジュリアスの唇は震えて、クラヴィスの瞳から逃れるように、顔をそらした。

何故、このような時にそんなことを言うのか、もうずっと昔に封印した想いを何故今さらそなたは口にするのか。聞いてしまえば、戻れなくなる――また、その腕に帰りたくなると、ジュリアスは自分の心に微かに存在する弱い心と葛藤する。

すべて見透かしているというような顔をしているクラヴィスは、ゆらりと立ち上がると、動き出せないでいるジュリアスの背中に、腕を廻した。
一瞬で速くなる胸の鼓動、熱を帯びる体、忘れようとして、忘れられなかった優しい腕の温もりをジュリアスは感じた。
忘れられるわけなどない――守護聖でなく、人間として生きていたあの日々を。唯一といってもいい幸せなあの時間に戻れるなら、どんなに楽か。
心のままに生きよと、どこかで声が聞こえた気がする。
ジュリアスは、一瞬、自分が守護聖であること、宇宙が存亡の危機に瀕していることを忘れた。


抱きしめられた腕に答えようとして、ジュリアスがそっと腕をまわしかけた。
「ジュリアス、愛している・・」
「・・!!」

皮肉にもジュリアスがずっと欲しかった言葉が、ジュリアスを現実に引き戻してしまう。

光の守護聖ジュリアス、女王陛下に永遠の忠誠を――遠い日の誓い。愛するものがあると自らを束縛することになる、ジュリアス、誰も愛すな――と自ら諭した遠い日。

ジュリアスは、クラヴィスの腕を解き放つと、微かに震える唇で、言った。

「そなたが、個人的に誰を愛そうが私には関わりのないことだ。」

まるで自分に言い聞かせるように、ジュリアスは言った。
一瞬の沈黙の後に、クラヴィスは昏いまなざしをジュリアスに向けた。
「・・それが、おまえの答えなのか・・」
ジュリアスは、小さく頷いた。

「・・わかった。もう、要らざる節介などはせぬ。」

微かに触れた冷たい指先、頬に触れた黒髪、遠くなっていく白檀の香り。それきり、窓の外を見つめて背中を見せてしまったクラヴィスに、かける言葉をジュリアスは見つけることができなかった。

生きる道がふたつ選べるというなら、愛する者と緩やかに時を生きることができる。けれど、私は守護聖で、生きる道はひとつしかない。

わかっている、クラヴィスが私のことを思い、してくれたということなど。でも許せない――許してはならない。命を削るとしてもそれは私の決めたことなのだから。
クラヴィスを傷つけたあの日から、私に与えられた罰なのだから。

                


「何よりも愛していたのだ・・あれでも・・」
と、呟くように言ってから、ジュリアスは小さく笑った。

命を賭けてまで守ろうとしていたこの宇宙よりもずっと、クラヴィスを愛していたのだと今ならわかる。

ジュリアスは、冷たくなった指先を胸に抱いて聖地の星空を仰いだ。